1本198円の
「特売醤油」
こうしたものをよく見かけます。
特売だから安いんだ!そう思いたい気持ちも分かりますが、実際はそうとばかりは言えないもの。
その程度のモノだからこそ、それに見合った金額がつけられているだけ。要は、マガイものに過ぎないわけなのです。
以前も触れたことではありますが、総じて、
“高いものには高いなりの理由がある”
“安いものには安いなりの理由がある”
価格は売り手の覚悟!そんな風にいったりもするのですが、安い醤油にはそれなりの“裏”というものがあるわけです。
■醤油もどき
本来醤油とは、素材となる小麦や大豆に麹菌などの発酵菌が入り込むことで、素材を分解していきます。
じっくりジワジワ、大豆などのタンパク質をアミノ酸に分解していく。デンプンも同じように糖へと分解していく。
発酵菌の働きにより分解が進んでいくことで、醤油は熟成されていく。
大豆には醤油ならではの
“旨味”
を生み出す役割がある。小麦の方はといえば、醤油ならではのあの香ばしい
「香り」
を生み出す元となる。本来醤油とは、ゆっくり時間をかけることで、熟成されていく。素材と菌と時間によって生み出されるものなのです。
熟成に要する期間は概ね1年~3年くらい。膨大な時間を費やすことで、1本の醤油は熟成されていくのです。
でも、198円といった特売醤油の方は、まずは大豆の搾りカスを集めてくることから始まります。
大豆には約20%の油脂分と約35%のタンパク質が含まれているのですが、搾りカスとは大豆から油脂分を抜き取った後に出るもの。
キャノラー油と呼ばれる大豆油を搾った後のカス。つまるところは、
“産業廃棄物”
大豆カスだなんて呼ばれていますが、それを集め化学合成塩酸を用いて、大豆カスを溶かしていく。
加水分解だなんて言われていますが、塩酸水に浸すことで、タンパク質を構成する最小単位のアミノ酸へと分解していく。
こうしたルートを辿るのです。
塩酸なんて言うと、ギョッ!そういう方もいらっしゃるのではないかと思いますが、胃酸の主成分はPH1~1.5の強塩酸になります。
人体からも欠かすことなく塩酸は分泌されているのだから、醤油に使われる塩酸だって安全。
化学合成塩酸を擁護する側の人はこのように主張します。
全てを溶かすはずの強塩酸水であるはずの胃酸。それがどうして胃そのものを溶かさないのかといえば、人体からは
「粘液」
が分泌されているから。粘液が塩酸から胃を守っていると説明されるのです。
粘液だって無尽蔵に作られるわけではないのだし、食は毎日のことだからカラダに余計な負担を与えない。
このことが基本ではないかと思うのですが、いかがでしょう?
塩酸が大豆カスに含まれるタンパク質をアミノ酸へと変えていく。以前は、人毛や鳥の羽なども使われていたようですが、現在はどうなっているのかはよく分かりません。
人毛にも鳥の羽にも、タンパク質は豊富に含まれているものだからです。
カスや毛や羽などを塩酸を使って溶かすことで、基本となる
“醤油溶液”
ができ上る。安い醤油は本来の醤油とは、まったく異なるスタート、こういうことになるのです。
■表示のカラクリは?
でも、安い醤油の表示ラベルのどこを見ても、「塩酸」なんてことは書かれてはいない。
書かれていないのだから、使ってないんじゃないの?そう思いたいところではありますが、実際はそうではない。
醤油の中にどうしても残ってしまう残留塩酸は、これまた劇薬の
『苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)』
によって中和されるので、安い醤油の中には残留していない。薬剤の力を駆使して、残留なしの状態を作り上げているのです。
使った塩酸の残留は、苛性ソーダで消去されたわけだから、塩酸と表示しなくて良い。
残ってないのだから書かなくても良いだろう。こうした論法になります。
ちょっと前に、安い油はベンジン由来の劇薬『ヘキサン』で抽出されると述べましたが、ヘキサンも苛性ソーダで中和されている。
故に、油の中には残留していないことになっている。だからヘキサンと表示しなくても良い。
食品表示とはこのような理屈で書く書かないが決められているのです。
いわば最終製品の醤油や食用油に、これらの劇薬は残留していないというのが建前。こういうことになるのです。
でも実際には、残留成分が“検出された!”、このような指摘だって少なくありません。
残留しているかどうかの判断はあなた次第になりますが、私なら買わない。
メーカーや行政が言っていることを鵜呑みにするのはあまりにキケンであると思うからです。
※参考:『超高速で醤油を作ってみた! 気になる味は?』
(※食材と薬剤・・・)
■ドラッグストアで
大豆カスを塩酸で溶かしただけの「醤油溶液」。
そこには醤油独特の色も、旨味も、香りも何も、一切存在していません。そこで出番となるのが、
“食品添加物”
旨味をつけるには、「化学調味料」。色づけに使われるのは、「カラメル色素」。香りづけには、「香料」。
甘味は、「サッカリン」が使われ、トロミには、「増粘多糖類」。そして日持ちしないので、「合成保存料」。
こうした具合に、各種薬剤を次々に添加していくのです。
薬剤を駆使して、ニセモノをホンモノっぽく見せかけていく。それにはたくさんの食品添加物の力があるというわけです。
こうして最低でも1年はかかる醤油の熟成期間を大幅に短縮させていく。反自然を可能にするのは、
“化学の力”
それは食品や調味料といったジャンルのものではなく、タダの薬品ではないだろうか。
それはスーパーの食品売り場ではなく、ドラッグストアにおいてこそ売られるべきもの。私はそう考えているのです。
ニセモノの化学薬品に過ぎないモノを本物の醤油だと思い込み、特売日には安い!と喜び、まとめ買いをしてご満悦・・・。
でもそこには、買う側からは見えにくい、こうしたカラクリがあるというわけです。
■1日と1年
「お酢」も食卓に欠かせない調味料になりますが、安いものならほぼ
“1日”
で商品化されている。こうした話を聞いたことがあります。
反対に本物のお酢を醸成するのにかかる時間はというと、
「約1年」
実に長い時間をかけて熟成されているのです。“1日と1年の違い”、それは天地ほどの差といわねばならないと思うのですが、いかがでしょう?
本物のお酢は膜によって熟成されていきます。この膜は“お酢の子”と呼ばれるもので、木樽、または甕(カメ)に仕込んだ材料と空気(酸素)との
“接着面”
そこに自然の酢酸菌が働くことで、お酢の子は作り出されていくのです。
それが“お酢の元”になるのですが、この膜が幾層にも重なることで、味わい深い旨いお酢は熟成されていくのです。
長い時間をかけることで、膜が厚くなっていく。やがてその膜の重みでゆっくりゆっくりと沈んでいく。
そして表面にはまた、新たな膜が作られていく。この行程を繰り返して、旨みや丸みが深まっていくものなのです。
これに対して、一日やそこらで作られる速醸酢はといえば、大量の酸素を送り込むことでスピーディーに仕上げていくことがいわれています。
自然に任せていてはあまりに時間がかかってしまう。手間もヒマもかかり、時間とコストを食うばかりで、とにかく非効率!
そこで大量の酸素を供給することで、
“インスタント”
に仕上げていくというわけです。
■力の喪失・・・
本物のお酢も醤油も、味噌も酒も、
「長い時間」
をかけて熟成されていくものです。
その間、発酵菌たちによって、ビタミンやアミノ酸、有機酸、ホルモンなどのさまざまな有機物が作り出されていきます。
それらは私たちの健康に欠かせない物質で、
『生理活性物質』
そんな名前で呼ばれているのです。
でも、短期間で速醸されたものだと、当然それを望むことはできません。味や見かけの面では醤油やお酢っぽいものはできても、生理活性物質はあまりに
“貧弱”
と言わねばなりません。安いものには発酵食品本来の力が乏しく、どうしても不足がちになってしまうもの。そうなると、決まって登場するのが、
「サプリメント」
現在のサプリ市場の隆盛は、食材から本来の力が失われてしまっている。ココにも大きな原因の1つがあるのです。
サプリメントなどは、製造コストからみれば本当にバカ高い!そんな高額な商品といわねばなりません。
イオン化されていないので、体にはほとんど吸収されることがない。要はムダな栄養のカタマリに過ぎないものなのです。
ただムダで無意味なだけではなく、散々なまでに
“化学合成添加物”
が使われてしまっている。
目先の高い安いばかりに惑わされることなく、本来の力を持った本物の食材をぜひとも選んで欲しいと思うのですが、いかがでしょう?
■モノの価値とは?
ガラス玉なら1個10円でも高い。
でも、ダイアモンド1カラットなら50万円でも
“安い”
高い・安いと値段だけに着目して、同列に並べること自体にそもそもムリがあるのです。
きちんとした素材を使い、手間とヒマとを惜しまなければ、添加物など使わずに、無添加の食品を作ることができるはずのもの。
でもほとんどは面倒を避け、劣悪な素材を使って、とにかく
「安く!速く!」
と仕上げようとする。そうなれば当然マズイわけだし、日持ちだってするはずがない。
こうして化学調味料や着色料、防腐剤などの添加物を散々に使い倒すことになる。
中身のヒドさをゴマかすためにパッケージだけは立派に仕立てる。こうした“もどき食材”ばかりが氾濫し続けているのです。
そんな食材が安い!と評価され、消費者の味方!として称賛を浴び続けている。
果たしてその評価は本当に正しいのかどうか?それらは本当に安いといえるのかどうか?
“安もの買いのゼニ失い”なんていったりもしますが、その内容でその値段なら、かえって高いのではないか?
そういつも感じてしまうのです。問われるべきは
「適正かどうか?」
にこそある。私たちは何をもって適正と呼ぶのにふさわしいのか?いま一度、考え直す必要を思うのです。
誰もが当たり前に本来の食べものを手にできる社会を作るために。そして食べる人の健康と幸せを真剣に考えて、努力と研鑽とを惜しまない作り手がきちんと報われていく社会であるように。
そんな社会の実現のための一助になればと思います。
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