旬からヒモ解くポンコツ考!健康を揺るがす・ゾンビの正体に迫ってみる! | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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「春は芽吹くもの」

夏は生るもの、秋はキノコで、冬は根ものなどの根菜類。

日本における植物の旬は、概ねこのように大別されているのです。

フキノトウやタラの芽などを採ってきて、天ぷらやお浸しにして食べたことがある。

そうした方も少なくないと思われます。

ウチの裏山でもタラの芽が採れるので、毎年春には天ぷらにして楽しむ。このことを恒例行事にしている次第です。

 



日本は世界でもマレ!といわれるほど、四季の区別がハッキリとしたお国がら。

アラブ世界においては、1月も8月も気候に大した違いはない。でも日本では、1月と8月とでは段違いに変わって来る。
 
旬を食べたい!私たちは季節ごとにそう思うわけですが、それは現代人に辛うじて残された数少ない

「本能」

の1つではないだろうか?そんなことを思っているのです。

とかく現代人に食べものを語らせると、

“○○の成分が効く!”
“××が万病を予防する!”
“解毒にはアレが効く、コレが効く”


スグさま、こうした話になってしまいがち。枝葉末節、そんな栄養分析ばかりに心が奪われてしまうのです。

食べものを見れば、あたかもそれがクスリであるかのように考えてしまう。

でも本来、野菜は八百屋・クスリは薬局。食べものとはクスリとは同居できない!相容れないものであったはずなのです。


クスリとは病気の症状を抑えるためのもの。食べものとは自然の恵みを頂くことで、自らの生命を維持・拡大していくためのもの。

その目的と役割は、しっかり分けられていたように思うのです。

どれだけクスリを飲んでみても、血液や筋肉、髪や皮膚を作ることには役立たない。

食べものをどれだけ食べたとしても、苦しい病気の症状を抑え込む。そんな薬効は期待できない。

医学でいえば、前者は「薬理作用」で、後者は「生理作用」

かつて両者の間には、しっかりと境界線が引かれていたように思うのです。

でも、それがいつしかウヤムヤになってしまい、食のクスリ化・クスリの食化が著しく進んでしまっている。

両者はゴチャ混ぜにされてしまっているように映るのです。

でも、旬を食べたい!そう思う気持ちの中にこそ、現代人が喪ってしまっている

“食の本質!”

が込められているのではなかろうか?

私はそんなことを思っているのです。

 


(※タラの芽はこんな感じで生えてきます)

■食の使命は?
旬とは何か?それは人体にとって、その食材が持つエネルギーが最も

「高い時のもの!」

このように言えるのではないかと思います。

日本は温暖湿潤な気候で、四季の区別がハッキリと分けられる。世界でも“珍しい!”といわれるお国がら。

旧石器時代から人口密度は世界一といわれるくらい、豊かな食用植物資源に恵まれた国。多くの人の口を

“養える!”

それだけ多様で豊富な食べものに恵まれていたと説明されるのです。

私たちの祖先はこの恵まれた環境の中で、季節ごとの旬を食べる。そのことで繁栄し、今日に至るまでこの地で生命を繋ぎ続けてきた。

命あるものを日々体に入れることで、生命を維持拡大していくことこそが『食の本質』。中でも旬を頂くとは、その食材の持つ力が

「MAX!」

の状態に達したものを体内に摂り込む行為といえるのでしょう。

命ある強い力を頂くことで、豊かで楽しく、それでいて力強い。そんな人生を歩むための“一助”に変えていく。

食とは他の生きものの命を頂くことで、自らの命を育むためのもの。

『いただきます!』

と食べる前に口にする儀式は、調理してくれた人へのねぎらいに加えて、犠牲になった命への哀悼と感謝の意が込められているのではないだろうか?

そんなことを思ってしまうのです。

チーターは足が早い。トラやライオンは強い。鳥は翼を広げて自由に空を舞う。

でもそれはあくまで自然で適切、そして体にとってムリのない食べもの。この存在があってこそのもの。

完全な飢餓状態では野生動物も鳥たちも、本来備わった能力を縦横無尽に発揮することはできないはずなのです。

生きものに本来備わった力を発揮させることこそが

“食の使命”

そしていま私たちは、食の役割を考え直す。

そのための大きな分岐点に差し掛かっているのではないか?と感じているのです。
 
■医療とは?
現代医療は、人体をあたかも性能の良くない

「ポンコツ機械」

のように考える。こうした体系と言えるのでしょう。

ポンコツ機械の正常運行に必要な条件とは、

・体温36.5℃
・上の血圧は130mmHg以下
・コレステロール値は120mg/dl
・腹周りは男性85㎝・女性90㎝


最近はこれに“PCR陰性”も加わるようにも思うのですが、ポンコツを何とか正常に働かせるためにはこのような条件が不可欠になる。

 

そこでは、老若男女の違いなんて一切考慮されることがない。

2メートル近い若い大男も、150センチに満たないようなご老人も、みんな一緒で全部同じ。

こんな無茶な正常値を恥ずかし気もなく大マジメに、執拗に押しつけようとしてくるのです。

何を根拠に、何の権限があって、そんなことを勝手に決めているのか?説明責任を充分に果たさないまま、私たちを一方的に

“病人!”

と決めつけてしまう。熱が36.5℃をちょっとでも越えれば、故障の原因になってしまう。

オーバーヒートは危険だから、解熱剤という名の冷却剤を注入して、直ちにクールダウンさせなくてはならない。

それどころか証拠もほとんどないままに、発熱は病原性ウイルスとヒモづけられてしまっている。

37.5℃を越えれば、コロナ感染の疑いアリ。誤診率の極めて高いPCR検査を行い、陽性にでもなればもう大変!

周囲の人間は『みなし陽性者』にされてしまい、隔離という名の監禁。

こんな破格で野蛮な行為を医療関係者、及び製薬会社は私たちに押しつけようとするのです。

血圧もコレステロール値も高ければ、配管の“詰まりや破裂”のキケンがある。

なにせポンコツなのだからと『スタチン剤』などの降圧剤を使って、一刻も早く正常値に戻さなくてはならない。

咳もダメ、鼻水もキケン、痛みも痒みもポンコツが理由で起こることで、すべからく全部まとめて

「故障の元!」

自分たちが根拠もなく勝手に決めた数字を、あたかも金科玉条のようにして煽り立てている。

薬剤を用いて、数値を操作しようと懸命になっている・・・。

それでいてポンコツ機械の原動力になるはずの『入院食』はといえば、

 

“粗悪そのもの・・・”

農薬・添加物などの化学食品。およそ旬とは無縁なジャンクフードを与えるばかり。

入院患者にこそ、最高の食材を提供すべき!ではないかと思うのですが、いかがでしょう?

現代医療は本当に狂った体系ではないかと私は思っているのです。

にも関わらず、多くの善良な方々がこんな不自然で反自然な医療という名の体系を“お医者サマ”だとか、“おクスリ”だとか呼んで有難がってしまっている。

本当に私たちは現代医療が定めるように、か弱くて脆くて、質の悪いポンコツなのかどうなのか?

いまだ継続中のウイルス騒動を契機に、いま一度見つめ直す機会になればと思っているのです。

 



■機械ではない!
階段を上っているときの血圧は

「高く」

なるのが自然です。血圧を上げないと、階段を上り切ることができないからと説明されます。

疲労困憊した際に血圧が高くなるのも、当たり前の自然現象といわねばなりません。

体の疲れを癒すために、人体を構成する60兆の細胞。その隅々にまで必要な栄養や充分な酸素を送り届け、

“老廃物や二酸化炭素”

などを回収する必要があるからです。

怒りはエネルギーを消耗するので、この感情が起こると血圧は当然高くなっていきます。不足しがちなエネルギーを細胞に送り込む必要があるからです。

反対に、くつろぎ、リラックスした状態のときの血圧は自然と低下していくのが自然です。

このように血圧というものは、私たちの状態に合わせて日々刻々と変化していくはずのもの。

人体の数値は常に一定・・・、そんな機械のようなものでは

「絶対にない!」

そう言わねばならないと思うのです。

私たちの体は私たちが今どんな状態にあるのか?を瞬時にジャッジして、場面場面に応じて上げ下げを繰り返しているものなのです。

にも関わらず現代医療は、血圧は一定でなくてはならない!こんな反自然極まりない尺度を当てはめようとしてくる。

そしてわずかなブレをも逃さず、“高血圧!”と一方的に断罪してしまう。

発熱もコレステロール値も、体が今の状態において、最適な数値を選んでいるに過ぎないもの。

病気でもキケンでも、何でもない。こういうことになるのではないかと私は思っているのです。

『やっぱり高血圧はほっとくのが一番』(講談社α新書)の中で、松本光正医師は、

「血圧が1日を通して高いのだとしたら、それは高くしないと生きられない体と理解してください。血圧が低いのだとしたら、その人は血圧を低く保たないと命を守れないから低いのです。

あなたの身体は、今のあなたの身体に一番合うように血圧を自動的に設定してくれています。そのことをどうか知っておいてください」


と述べているのです。

■異常に気づく!
現代医療の真逆に位置する体系が

「自然医療」

になります。自然医療における人体は、完全で正確無比なものであり、寸分の狂いもないものと捉える。

このような体系と言えるのでしょう。その際に大切になるのが、

・健全で健康な食事
・快適で充分な睡眠
・陽光と新鮮な空気
・適切でムリのない運動
・体温を高く保つための衣服
・笑顔が多く不安の少ない心の状態

 
そして、心身の休息に務められる快適な住まい、こうしたものが必要になると思うのです。

衣食住、そして医を含めた生活環境をなるべく自然に整える。このことこそが最優先でなくてはならないのです。

お金がない!そんな声も聞こえてきそうなものですが、お金なんて所詮はタダの数字です。

1万円などの紙幣があるといっても、それは全体の10%程度しかありません。そしてその紙幣も、廃止されるキャッシュレス化が既定路線になっています。

 

ほとんどのお金は預金情報であり、単なる数字に過ぎない。その程度のモノに過ぎないわけなのです。

国民の健康と幸せのために、本来は国の責任で創り出して配ってしまえば良いはずのもの。

“スペンディング・ファースト”

支出が先!これこそがお金の本質であるはずのもの。お金などは国民の必要に応じて、創り出してしまえば良いのです。

現に民間銀行は何にもないところから、ワザワザ金利などという余計なモノ!

 

そんなものまでつけて、勝手にお金を創り出しているではないですか!

お金お金と、ひたすらおカネに振り回され続ける現代人は、誰かの都合で本質を見誤っているようにしか私には思えないのですが、いかがでしょう?


山菜はこれから旬を迎えますが、いま売られている山菜の多くが

“中国産”

であるのが現状です。

特に外食や加工食品、弁当や総菜に使われる山菜は、中国の安徽省や四川省で肥料・農薬を使って栽培され、

『漂白剤・着色料・保存料』

などが添加されているものばかりなのが現状です。

縄文時代から春の風物詩として食べ続けられている山菜。

 

でも、外国から不自然な状態で、大量に輸入され続ける裏側で、日本の山林は荒れ果て続けてしまっている・・・。

 

山林の放置についてモノ言えば、決まって返って来るのが“おカネがない”“おカネにならない”。ココでもまたおカネ。

 

おカネゾンビが跋扈し続け、国土も国民の健康も荒廃を極めていく。

 

「國破れて山河在り 城春にして草木深し」


長く続くウイルス騒動が、私たちの置かれたあまりにおかしな状況に気づく。そんなきっかけになることを願ってやみません。

 

 

■参考文献

 

 

無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト

 

 

自然食業界キャリア15年のOBが綴る

無投薬・無医療の生き方マガジン!

 

 

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