「痛いとは悪いこと」
“百害あって一利なし”
だから素早く対処するように!
私たちはこのように教えられてきました。
“バイ菌が入って化膿したら・・・”
“変なことになったらどうしよう・・・”
“こんなに腫れているけど大丈夫かしら・・・”
こうして不安と心配と痛みとが押し寄せ、「おクスリ~」、「お医者サマ~」となっていくわけです。
医者にかかる・かからないは、もちろん個々の判断だとは思います。
でも、どういう仕組みで痛みが起こるのか?
この点についてはほとんど知られていないように思うのです。
なるべく自然でムリのない毎日を送っていきたい私たちは、痛みに対する2つの側面。
この違いを知っておいても
『損はないのではないか?』
そんなことを思うのです。
それにより、医者頼み、クスリ頼みにならない。
そんな自分づくりが可能になるかもしれないからです。
そこで今回は、「痛み」について考えることで、
医者を遠ざけ、クスリを拒む。
そんな生き方のヒントについて述べてみます。
■男の子・女の子
痛みや痛みの表現。
それは民族や文化の違い、さらには気分や心のあり方によっても大きく
「変わってくる」
こうしたことがいわれています。
『ソーシャル・リファレンシング』なんて呼ばれたりもしますが、それは周囲との関係によって決まるもの。
こうした面が指摘されているのです。
なんだか分からないと思いますので、カンタンに説明していきましょう。
“男の子でしょ!”
“ガマンしなさい!”、
子供の頃よくいわれました。
特に泣き虫だったこの私は、転んだりケガをするたびに大声で泣いしまうのが常。そんな時によく言われたものです。
痛みに耐えることこそが男子の男子たる由縁。
最近は薄れつつあるとはいえ、いまだ根強く残っているようにも思います。
耐えることは美徳である、そんな共通認識が背景にあるのだと思います。
でも反対に女の子の場合は、
「しょうがないわね」
「女の子だからいいのよ」
こんな具合に育てられるというわけです。
つまり痛みの表現とは社会的に決められるといった面がある。
痛みそのものというよりは社会の伝統や空気がそれを規定する。
そんなことがいえそうです。
■出産の違い・・・
また国や民族によっても反応は変わります。
総じて北欧やアジアは痛みに対してガマン強く、反対にアメリカやユダヤ、イタリアなどは
『大げさ』
に表現するといわれます。痛みの表現は、民族性によっても変わって来るもの。
このように解説されるのです。
例えば「アスピリン」。
頭痛に効く鎮痛薬ですが、アメリカ人は日本人の約3倍も使用するといわれています。
アメリカでは痛みとはすべからく悪いものと認識され、すばやく取り除くことが最も適切とされているからです。
一方、変わりつつあるとはいえ、日本では痛くても我慢するといった認識がいまだ強いことも事実。
それが使用量の違いとなって表れていると説明されるのです。
「お腹を痛めて産んだ我が子」
日本人ならそこに意味や愛しさ、かけがえのなさを見出すものですが、アメリカにおいてはすごくドライ。
徹底的に痛みを排除しようと努めます。
痛みなんかに何の意味もない、だから95%が『無痛分娩』を選択する。
捉え方、考え方の違いが背景にはあるのです。
■不可思議な現象
また置かれた状況やその時の感情によっても痛みは変化していきます。
第二次世界大戦でアメリカ軍のビーチャー軍医は、腕を失ったり腹や胸に深い傷を負っている戦士たちの治療にあたりました。
そこで、ある明らかな傾向に気づいたと伝えられているのです。
それは、ものすごいケガを負っているにも関わらず、どうにも兵士たちはあまり痛みを感じていないように思える。
実際に
「モルヒネを打ってくれ」
という兵士は3分の1程度で、7割は必要としなかったというのです。
ビーチャーは不思議に思い、戦争終了後にハーバード大学で戦場の兵士と同等のケガを負っている患者を調査してみました。
すると約80%がモルヒネを必要とし、必要としない患者は17%に過ぎなかったことが分かったというのです。
どうして兵士たちはモルヒネを必要としなかったのだろうか?戦闘用の訓練を受けているからだろうか?
それとも他に理由でも・・・、推察を重ねる中、ひとつの答えを導き出します。
それは精神的な安堵感が痛みよりも勝っていたからではなかろうか?
轟音や銃弾、爆弾が飛び交う戦場を離れ、
“やっと故郷に帰れる”
その安心感で痛みが吹き飛んだのではなかろうか?
ビーチャー医師はこのような結論に至ったと伝えられているのです。
痛みとは一様なものではない。環境やその時の状況によって変化するもの。
このようにも考えられているのです。
■自然治癒とは?
2つ目のポイントは、痛みそのものが
「治癒反応」
であること。
それは2種類の痛みの違い、「ファーストペイン」、「セカンドペイン」と名づけられ、解説されているのです。
ファーストペインとはぶつけたり、切ったりした際に最初に感じる衝撃のこと。
セカンドペインの方は修復に向かうプロセスによって生じる痛みのこと。
痛みを一括りにするのではなく、分けて考えられているのです。
セカンドペインがどうして修復のための痛みなのか?
それは『自然治癒』のメカニズムを理解すると、分かってくるのです。
体内に破損箇所が発生すると、私たちの体は血流を高めることで対処しようと図ります。
患部に血液をたくさん供給することで、元の元気な状態に戻そうとするのです。
血液をたくさん送り込むためには血管を広げなくてはなりません。
細い道幅のままでは十分な量の血液をすばやく患部に供給することが不可能になります。
そこで道幅を広げる必要があるのです。
この事態に際して、体内から分泌される物質がプロスタグランジンやアセチルコリン、ヒスタミンといった
『血管拡張物質』
これらが働き作用することにより、血管が広がり、体内の血液輸送が円滑になっていくのです。
患部が赤くなったり腫れたりするのは血液が順調に供給されている証拠といえます。
それはこれらの物質が修復のために懸命に働いてくれている姿、そんな風にいえるのです。
頼もしくてありがたい、それが血管拡張物質というわけです。
このように血管拡張物質は実にありがたいものではあるのですが、同時に
“厄介な面”
も存在している・・・。
それは血管を拡張し、免疫部隊・修復部隊の白血球を呼び込む際に、痛みや熱、炎症までをも同時に引き起こしてしまうこと。
黙って処理してくれれば良いのでしょうが、これらの物質は少々荒っぽくて、乱暴・・・。
そんな特徴があるのです。
彼らから言わせれば、
「痛いとか熱いとかガタガタ言うな!」
「いま治しているんだからガマンしていやがれ!」
こんな感じになるのでしょうか。
自然治癒には苦痛が伴う。それが完治に向けたメカニズムというわけです。
つまり痛みとは破損個所を修復するために避けては通れないものでもある。
何かにぶつかったりした際に、遅れて痛みを感じることがよくあります。
後からだんだん痛くなるのは、体が破損箇所を元に戻そうとしている証拠。
まさに
“ノーペイン・ノーゲイン”
痛み無くして得るものなし、こういうことになるのです。
■思考停止を回避!
痛いからといって、無闇に冷やしたり、鎮痛剤などを使ってしまう。
そうするとせっかく開いた血管を閉じてしまう結果を招いてしまいます。
血管拡張物質の発生を阻害し、血流を抑制する。
冷却や鎮痛剤にはこうした作用があるのです。
それは自ら治癒を妨害する、そんな行為に他ならないというわけです。
確かに冷やしたり、炎症を抑え込んだりすれば、その場はラクになるかもしれません。
でもそれは結果として、治癒を大幅に
「遅らせる」
原因になってしまう。それどころかその後にガンなどを引き起こす原因になることが警告されているのです。
一時的、短期間の使用ならまだしも、湿布などの消炎鎮痛剤を長期に使い続ける。
それは極力、控えなくてはならないのです。
やはり仕組みを理解して、なるべく自分の力で解決する姿勢が大切というわけです。
でも、血管を広げてたくさんの血液を送るのだから、出血だって
“スゴイのでは?”
そんな風に思われるかも知れません、。
でも、私たちの体は血管や組織の破損を探知するや否や、『血小板』を我先に!と患部に向けて送り込みます。
血小板が患部に体当たりを繰り返すことで、キズ口を塞いでいく。
次々に患部に集まって、それが累々と積み重なっていくことで止血は完了していきます、。
その結果が
“カサブタ”
になるというわけです。
もちろん状況によっては外部からの措置も必要です。
とはいえ、仕組みを知っていれば、少々のアクシデント程度では動じなくなっていくのです。
痛みとは一様なものではない。
だから子供が大声で泣いているからといって慌てない。医者やクスリに丸投げしない。
冷静に事態や状況を判断する姿勢が重要になります。
「冷やさなきゃ!」
「お医者サマ~!」
と思考停止に陥るのではなく、仕組みを理解することが必要になりますね。
■参考文献
■無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る