世に存在するものは、
「減価していく」
これが自然界の法則なのでしょう。
お米も野菜も、時間が経てば食べられなくなるし、家も車も、時間の経過で劣化していく。
私たち自身だって、生まれた瞬間から“死”に向かって進んでいく。
若いままでいたいから、
“時間よ、止まれ!”
いくらそう願っても、叶えられるようなものではない。
自然とはこのようにできているというわけです。
でも、ドイツの作家のミハイル・エンデは、この世において、価値が減っていかないものが
「2つだけある」
と述べました。
それが何であるかといえば、1つが
『神』
神にどれだけ祈りを捧げても、その価値は減っていくようなものではない。
アナタの祈りは3回だけ、このようには決してならない。
祈れば祈るほど、豊かな恩恵を私たちにもたらしてくれる。
エンデによると神は超自然の存在、こういうことになるのです。
1つ目が神なら、残りのもう1つは何なのか?
その答えはというと・・・、
今回は、「価値』について考えてみることで、
医者を遠ざけ、クスリを拒む。
そんな生き方のヒントについて述べてみます。
■もうひとつは?
エンデが減価しないと指摘したもう1つのものは
『お金』
になります。
お金はそのまま持っていても、いつまでもお金のまま。
そしてそれだけに留まらず、お金は新たなお金を生み出していく。
金利や利息がつくことで、お金は無限増殖を繰り返していく。
「神は超自然、お金は反自然」
エンデはこのように指摘したのです。
自然界のモノは劣化していくのが当たり前なのに、お金だけはそうはならない。
ココに、私たちから時間と労力を奪っていく、
“時間ドロボー”
の根源が潜んでいる。
エンデはこうしたこの世の不条理の正体を『モモ』という童話に込めて糾弾したというわけです。
でも、今このエンデの認識に明らかな揺らぎが生じている。
お金が時間の経過で増えていくのはもはや過去のこと。お金は増えるのではなく、そのままであるか、もしくは減価していく。
私たちはこうした時代の変革期に差し掛かっているのです。
■タネと石
お金はよく「種子」に例えられます。
お金を持ち、それを銀行に預けておけば利子がつく。
お金は時間の経過で増殖し、春になるとたくさんの花を咲かせていく。
そしてそこからタネを採り、また翌年、さらに翌年へと未来永劫にわたって花を咲かせていく。
このように考えられてきたし、私たちもそのように思っているのです。
でも、これは比較的新しい時代の発想で、長く見ても今から800年くらい前に始まった習慣。
その頃に生じたモノといえるのです。
それまでのお金は種子ではなく、
『石』
置いておいても石は石のまま。時間の経過で、1個の石が2個に増殖していくようなものではない。
人類の長い歴史から見れば、お金は石であった時間の方が長いのではないかと思われます。
キリスト教の聖典「聖書」においても、イスラム教の経典『コーラン』においても利子はいずれも禁じられている。
キリスト教ならエホバの神、イスラム教ならアラーの神。
時間は『神の領域』のものとして考えられていて、人間如きが時間を区切って裁断し、そこに価値をつけて利息を貪る。
それは神の領域を侵す振舞いであると、長くこのように考えられてきたのです。
その禁を破ったのが今から800年くらい前。
そこで起こった出来事に起因すると解説されるのです。
■西洋とコショウ
1215年にローマ教会は、お金に利子をつけることを正式に認めました。
この瞬間にお金は石から種子に変わったといわれています。
「何も生み出さない石から果実をもたらす種子への変化」
それが今日に至るまでずっと続いてしまっている、こんな風に解説されるのです。
ヨーロッパの歴史において、『コショウ』は金同等の価値があるといわれてきました。
“コショウ一粒、金一匁”
コショウは肉の保存に欠かせないものだから非常に重宝されてきた歩みがあります。
この時代の後に、西洋は大航海時代を迎えるに至りますが、その主な目的はコショウを始めとした香辛料の獲得。
そのためにキケンな海へと乗り出していったといわれているのです。
イタリアのベネツィアの商人などがコショウのヨーロッパへの供給で活躍し、次第に力を持ち始めていく。
絶対的な権力を持つローマ教会も、商人たちの存在を無視できなくなっていく。
こうして聖書の教えに反してまでも、利子の獲得の合法化。これを認めざるを得なくなった。
このように説明されているのです。
■9年後の私たち
その後、人類は産業革命の時代を迎えるに至りました。
産業革命が人類に与えたインパクトは強烈なもので、牛馬、そして人の筋肉に依存していた社会のあり方を機械などの動力が行うように塗り替えていった。
産業革命は筋肉依存を脱却させた人類史上で未曽有の
『動力革命』
といわれているのです。
その後、蒸気機関、車、航空機などが開発されていき、人類は高度に発展するに至りました。
世界中どこでも短時間の移動を可能にし、重労働は機械によって代行してもらえる。
それは人類を労働から解き放ち、ユートピア、地上天国を実現させるだけの夢を抱かせる。
産業革命による動力革命は、それだけの莫大な推進力が見込まれていたのです。
以前も少し触れましたが、世界大恐慌に喘ぐアメリカを救ったといわれる経済学者のジョン・メイナード・ケインズ。
※参考:『コロナ騒動の裏にある真の狙いに迫る!パニックを起こし手にしたいモノは?』
ケインズは1930年の段階で100年後、2030年の人類社会のあり方を展望した講演をスペインのマドリードで行っています。
『我々の孫たちの経済的諸可能性』というタイトルの講演で、2030年の人類はもはや誰も経済や労働などに何の価値も置かなくなり、関心すら持たなくなっている。
そんな時代の到来を予言していました。
「衣食住」の生存の基本条件になるものは人類全体に充分に行き渡り、もはや問題にすらならなくなっていると述べています。
そして私たちが9年後に迎えるはずの人類の姿は、
「芸術や学問など文化的な活動に忙しいだろう」
こんなことを述べているのです。
■ガマン代として・・・
ケインズは2030年の人類は、
『ゼロ金利』
の時代になっていることを予見していました。
先の話でいえば、1930年の段階では種子であったお金が2030年には石に戻っているはず。
このように推測していたのです。
金利が高く設定されていることの意味は、産業革命からの恩恵が人類全体にまだまだ及んでいるとは言えない状態。
その状態ではユートピアをもたらすまでにはいまだ非力といわねばならない姿。
このようにケインズは『利子・金利』に着目して未来の姿を予測していたのです。
お金に利子が付いている間は、ツラくて苦しい“労働”をせざるを得ない。それが不可欠な状態といえます。
人類が広くこの世の富を分かち合い、自由を謳歌できるようになるまでは懸命に働く。
来るべきユートピアの実現を目指すまでのプロセス。いま人々はガンバって労働に従事し続けなくてはならない。
このことを意味してケインズは利息や金利のことをユートピア実現までの間の
「ガマン代金」
とまで呼んでいたのです。
日本はすでに『ゼロ金利』に到達して、早や20年が経過しようとしています。
海外に持つ純資産は約360兆円といわれ、ダントツで世界一の『お金持ち国家』としての地位を長く保ち続けているのです。
ケインズから言わせれば、日本は世界に先駆けて史上初めて、ゼロ金利を達成した国。
日本国民は一致団結して焼け野原から立ち上がり、お金という種子を次々に開花させ、『百花繚乱』の状況を作り出した。
ケインズが描いた理想の国家、こういうことになるのだろうと思います。
私たちの国はもはや20年も前にお金を種子から石に戻した国。
そんな国に生きる私たちがどうしていまだに苦しい賃金労働に縛られ続けなくてはならないのか?
どうして世界一のお金持ち国家の国民が、
“ダブルワーク、トリプルワーク”
などを強いられざるを得ないのか?
私たちはこのことの正体をシビアな目で見つめ、誤りを共有し、直ちに改めていく。
この必要を痛切に思うのです。
■能力の低下と向上
1987年の日本人の個人金融資産を見てみると、一切の金融資産を持たない。
“貯蓄ゼロ”の家庭は全体の
「3.3%」
だったといわれています。
それが今では30%を越えるまでになっているのです。
国民の3人に1人は何ら金融資産を持っていない。貯蓄ゼロの状態・・・。
日本全体の現金・預貯金の総額は『マネーストック』と呼ばれますが、そのM2といわれる数字を見ると、
1980年には約200兆円。それが現在では約1140兆円、なんと約6倍にまで膨らみ続けているのです。
これだけのお金が国内に存在し、しかも海外には360兆円もの資産がある。
それなのに、どうして世界一豊かであるはずの国民の3割が
“貯蓄ゼロなのか?”
小泉政権下においては、7年連続の景気回復を実現したといわれています。
前政権のアベノミクスにより、企業収益は史上最高を記録したといわれています。
にも関わらず、貯蓄ゼロの家庭は一向に減っていかない。むしろ増加傾向を明らかに示し続けている。
景気回復の正体が何であるか?数値はそれを雄弁に物語っているのです。
誰かが独り占めをし続けている。少数の輩がすべてを握り続けている。
そのことは火を見るよりも明らかではないかと思うのです。
日本の労働人口は約6000万人といわれていますが、その賃金水準は1998年以来下がり続けている。
このことがすっかり常態化しています。
これに対して、CEOなどの経営陣や株主の所得は右肩上がりで伸び続けていることが指摘されています。
近代社会は『能力主義』の世の中なのだから、1997年を境に、働く者の能力は著しく低下の一途を辿っている。
反対にCEOなどの経営陣の能力は飛躍的に向上し、拡大し続け、その力を余すところなく縦横無尽に働かせ続けている。
賃金統計から分かることは、両者の能力の差が歴然と開いてしまっていること。
賃金を決めるのはあくまで経営陣なのだから、株主総会において、
「我が社の従業員の能力はすこぶる低下し続けている。反対に経営陣の能力は飛躍的に上昇し続けている」
このことを立証し、報告する義務が経営側にはあるはずのもの。
にも関わらず、誰もそのことを立証していないし、誰も証明できていない。
経済学者の水野和夫氏はこのように矛盾点を指摘して、富の配分のおかしさ、経営陣・株主による労働者への賃金不払いの慢性化。
この惨憺たる現状を解説し、警告を発し続けているのです。
■新時代に向けて
年金の問題は何かと話題になり、政治的課題になり続けているのですが、
私たちはすでにこの前提条件が
「崩壊している」
このことを強く認識する必要を感じています。
年金とは若いころから所得の一部を積み立て、年金基金がそれを上手に運用する。そのことでお金を増やし、老後の糧にする。
年金制度が成立する大前提は、お金は時間の経過で増えていく。
このことを前提にしたものといわねばならないのです。
つまるところ年金制度とは、お金は石ではなく、『種子』であった時代の発想。
もはやお金は種子から石に戻っているのだから、この制度がすでに破綻していることは
“明らかではないか?”
それは年金のみならず、銀行システム、生命保険や損害保険、さらには税金に至るまで。
お金をたくさん集めて、それを時間の経過で増やしていく。
こうしたあらゆるシステムが絶滅に瀕していることを意味しているのです。
ケインズは理想の状態、ゼロ金利を成し遂げた後でも、資本の蓄積や貨幣への愛を手放さない。
そんなカネにいつまでもしがみつく資本家や支配階級に対しては、
「刑務所に送るか、精神病院に隔離しなさい」
と述べていたといわれています。
「半ば犯罪的で、半ば病理的な性癖」として、社会から糾弾されなくてはならないと述べているのです。
タイムイズマネー、
『時は金なり』
この発想はもはや世界規模で通用しない、そんな時代に突入しています。
私たちは新たな時代にふさわしい、そんなシステムにすべてを作り変える必要に迫られていると思うのですが、
あなたいかが思われるでしょうか?
■参考文献
■無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る