喜劇王に学ぶ!水の汚染と土の汚染の違いとは?安全野菜の正体を暴く! | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

自然食業界歴15年の管理人が1日10分で医者にもクスリにも依存しない自然食実践術を公開。衣食住、生活環境、医を含めた医者ギライ・クスリギライのあなたに贈る!実践術をブログで毎日公開中!

「一人殺せば殺人者」

 

 

百万人殺せば

 

“英雄か?”


喜劇王・チャップリン、『殺人狂時代』の中のセリフです。

どちらも殺人には変わりはない。

ただその数によって、

“評価”

がまったく変わってしまう。

「人殺しと英雄」

天地ほどの差で裁かれてしまう・・・。

その矛盾が込められているのです。

同じものや事がらが、使われる場所や条件で評価が全く

“変わってしまう”

ある場所では、

「熱いエールと称賛」

 

とが送られ、別の場所では

“批難と中傷”

の雨あられ。

これは「食の安全」を大切に思う私たちにも、とても

「意味深い」

言葉としてく響くのです。


今回はチャップリンの言葉から「汚染」について考えることで、

 

医者を遠ざけ、クスリを拒む。

そんな生き方のヒントについて述べてみます。

 

 


■1つの条件
「水に流せば汚染物質、土に使えば救い主」

“肥料”

を思うにつけ、こんな言葉が頭をよぎります。

使われる場所の違いで、評価が完全に変わっしまう。

肥料にはこうした面があるからです。

救世主となるための条件は

「たった1つ」

それは

“有機肥料”

を使うこと。

化学肥料は汚染物質だけど、有機肥料なら手放しで喜んでもらえる。

拍手と喝采とが称賛の嵐となって贈られる。

有機肥料を使った野菜は、汚染状況から私たちを守る

あたかも

「救世主」

のように扱われているのです。

“環境保全型農業”、そんな言い方もされますが、

 

有機野菜はもはや安全安心の

“代名詞”

になっているのです。

でも、

「どんな肥料を使っているのか?」
「使われる量は本当に適正なのか?」
「それは土にとって一切害がないのか?」


その中身についてはほとんどチェックがなされていない。

何をどんなに入れても問題にならない。

“質と量”

とが問われないまま、イメージばかりが先行している。

多くの人がいわば、

「思考停止」

の状態に陥ってしまっている。

 

このように思うのです。


■こんなものまで!
土には、

 

作物を育てるだけの

“力がない”

土は根っこを支えるだけのもの。

「農学」

においては土をこのように規定しています。

作物を育てるのは土ではなく、

“肥料”

である。

一般の化学肥料を使った栽培も、有機栽培もどちらも、

農学の理論に基づいた栽培方法といえるのです。

 

土は不完全で頼りないものだからこそ、人が肥料を与える必要がある。

 

化学も有機も、いわば土の力を

 

軽視

 

した農法と言えるのです。

肥料とは、植物にとっての三大栄養素

「窒素・リン酸・カリ」

を凝縮して詰め込んだ

“栄養のカタマリ”

化学肥料は嫌がられていますが、有機肥料は

「素晴らしい!」

このように思われているのです。

有機肥料の中身はというと、

“動物の糞尿”

をメインとし、海草や魚粉、油かす、ボカシなどが使われています。

何を使うにしても、

「完熟」

したものを使うことが大前提になる。

未熟なまま土に投入してはならないものとされているのです。

でも、完熟の定義は極めてあいまいで、

発酵が不十分なまま、

“未熟な状態”

で土に入れられるケースが少なくないのです。

また最近では、

「リサイクル」

の名のもとに、スーパーなどの食材の売れ残りや家庭から出る生ごみなどの

“食品残渣”

が土に投入されるケースもあります。

さらには下水処理の過程で生まれる、ヘドロなどの

「汚泥」

を投入することまで、当たり前になりつつあるのです。

ヘドロには、植物の三大栄養素の1つ、

“リン酸が豊富だから”

と説明されるのです。

そして有機認証制度においても、ヘドロを肥料として、

 

「正式に認めよ!」

そう声高に主張する声も強くあるのです。

現在の有機認証制度では認められていませんが、

 

一般野菜や減農薬、低農薬の野菜ならば、

“ヘドロ肥料”

を使ったものがかなり普及しているのが現状です。

このように化学肥料じゃないから

「イイだろう」

そう言わんばかりに、さまざまな汚物が

“無分別”

に土に投入されている。

これで本当に健康で安全と

言えるのかどうか?

使われる肥料の質と量を細かく見ていくと、

「疑問ばかり」

が浮かんでしまうのです。

 



■自然と反自然
土は

「植物の体」

を主な材料にして作られています。

根や葉、茎などが枯れ、水と熱、さらには微生物の力が加わることで、

“新たな土”

は作られていきます。

自然界が表土1センチの土作るのに要する時間は、100~150年といわれます。

自然の土は家畜の糞尿からできているわけでも、海草や米ぬか、魚の骨からできているわけでもない。

あくまで、その場所で生きた

 

「植物の残骸」

を主成分としているのです。

確かに動物の糞尿は自然の土にも入ります。

でも、

一ヶ所に集中して

“何トン何十トン”

も入ることなどあり得ないのです。

また、海草や魚粉が海から意志を持って上がってきて、

 

土に

「入り込む」

そんなことは絶対に起こり得ないのです。

米ヌカもヌカの部分だけが大量に大地に降り注ぐことなど

“絶対にない”

油カスも同じというわけです。

このように土の自然を思えば、

有機肥料の問題点が自ずと明らかになってくるのです。

どうして肥料の

「質と量」

とがきちんと配慮されないのか?

そこにはひとつの

“信念”

が存在しています。

それは

「土は決して汚れない」

ということ。

この信念に基づき、さまざまな肥料が大量に投入され続けているのです。

汚れないのだから何を使ってもいいし、掃除や後片つけなんか

“一切不要”

化学肥料だけはダメだけど、有機質であればそれで

「OK!」

このように自然な土の姿は

“完全無視”

されているのが現状といえるのです。


でも、

これは土だけに限ったことで、他では全く通用しない

「屁理屈」

 

といえるのでしょう。

同じことを海や川、湖に行えば、もう大変!

“環境破壊!”
“水を汚すな!”
“何てことをするんだ!”


こうした非難と罵声とが巻き起こり、

「集中砲火」

を浴びることは必至であろうと思うからです。

それらは

“汚染物質”

以外の何ものでもないからです。

海や川に肥料成分を流し込めば、

「富栄養化」

といわれる現象が起こります。

これは大量の養分が水中に充満した状態で、

 

主に

「窒素とリン酸」

が原因物質と考えられているのです。

この2つの汚染物質は、植物の三大栄養素「窒素・リン酸・カリ」の内の

“2つ”

に当たるものなのです。


■汚染の連鎖!?
水の中には、

「植物プランクトン」

が生息しています。

彼らだって植物。

肥料成分が入り込めば、

“ここぞ!”

とばかりに増殖に拍車がかかっていきます。

植物性プランクトンが増殖していけば、

 

それをエサにする

「動物性プランクトン」

だって一緒に増殖していく。

両プランクトンが大量に水中に発生し、

“飽和状態”

となっていく。

こうして生態系のバランスが一挙に

「崩されてしまう」

のです。

そうなると、私たちにとって

“好ましくない”

さまざまな現象が引き起こされていきます。

水面が赤く染まってしまう

「赤潮」

同様に、緑色に染まる

「アオコ」や「水の華」

水中の酸素が著しく減少し、“死の海“と化してしまう

「青潮」

さらに分解できない栄養分は、海や川の底に沈殿し

「ヘドロ」

となって堆積していきます。

“赤潮、アオコ、青潮、ヘドロ”

これらの現象はいずれも周囲に悪臭を漂わせ、水質を汚濁するものです。

魚貝類の大量死をはじめとして、水産業に計り知れない

「ダメージ」

を与えることが言われているのです。

肥料成分は、海や川では「汚染物質」
でも、田畑となると素晴らしくありがたい「救世主」

同じ物がまったく

“正反対”

の評価になってしまっている。

条件や使われる場所の違いによって評価が異なっているのです。

「一人殺せば殺人者、百万人殺せば英雄か?」

 

チャップリンの声が響いてくるのです。




■思考停止を回避!
このように、

「質や量」

を弁えずに自然に何かを投入すれば、好ましくない結果が待っている。

自然界の法則は

“原因あって結果あり”

だからこそ海や川、湖への汚染物質の流入を食い止めるべく、

「水質汚濁防止法」

が制定され、各自治体での条例や規制が作られてきたのが経緯です。

化学肥料についてはいろいろと問題視されていますが、

 

そうは言っても

“科学的に管理”

されている。

この面積にはこのくらいの量といったように

“処方箋”

があるのです。

でも、有機肥料はあくまで作り手の

「勘」

に委ねられているため、肥料の管理がすこぶる甘い。

そのため「質と量」が考慮されることなく、モノスゴイ量の肥料が

 

有機の名のもとに

“土に投入”

 

されている。

そうしてできた作物は有機野菜!と喜ばれ、一般野菜よりも、

「1.5倍~2倍」

くらいの高い値段で販売されているのです。

有機・減農薬・低農薬、そうした言葉で思考を停止させるのではなく、

使われた肥料が、

“どんなものなのか?”

を買う側にきちんと明示すること。

それは、高額な農産物を売る側の

 

最低限の

「義務ではないか?」

と思うのです。

土に反自然物を入れてしまえば、土は

“植物の体”

を通して、痛みや苦しみを表現します。

虫にタカられ、菌に溶かされていく。

それを防ぐために、

「農薬」

が使われる。

有機農業では、木酢液や竹酢液、ニームなどの

“漢方系農薬”

が使われることが多いから、

「良い!」

と言われますが、化学であろうと漢方であろうと、

 

使えば虫や菌が

“死ぬ”

ことには違いはないのです。

要は

 

高性能兵器で殺すか?

弓矢や槍や刀で殺すか?

道具の違いがあるだけで、結果は全く

「同じ」

ことになるのです。

虫や菌が死ぬようなものを人が日々常食すれば、どうなるか?

生命は確実に

“弱体化”

していくことは自明の理ではないかと思うのです。

有機は安全、有機は健康と声高に叫ぶばかりでなく、

 

土の性能や自然なあり方について理解すること。

自然食とは自然界の

「摂理」

に則して作られた食べもののこと。

その本義に立ち返る必要を感じるのです。


■時間をかけて!
自然界には

「無尽蔵の力」

が内蔵されている。

海や川には、そこに生きるすべての生きものを

養うだけの力

がある。

同様に、土にもすべての生きものを

育むだけの力

がある。

自然界とは

寸分の狂いもない

世界。

完全な自然に対して不自然を強いてしまう行為こそが、

 

その力の発動を

「遮断する」

結果を招いてしまうのです。

肥料も農薬も一切使わない自然栽培は

農学という学問からは、非常識な農法として、

 

“無視”

 

をされ続けています。

農学において土は、ひ弱で頼りないものとされていますが、

 

自然栽培では、土そのものが

「肥料のカタマリ」

こう考える農法になります。

その無尽蔵の力を発揮させるためには、どこまでも土を

 

“自然な状態”

 

に整えることが大切。

自然な土に反自然を行えば、海や川と同様に汚染されてしまう。

それは土の性能や力を弱め、封じ込めることに繋がってしまうのです。

海や川、湖の汚染を防ぐには、これ以上、

 

汚染物質を

「垂れ流さないこと」

そして過去に流してしまったヘドロなどの蓄積物を

“撤去すること”

土も同じで、不純物・汚染物質を新たに

「投入しないこと」

そして過去に入れてしまった不純物を土から

“取り除いていくこと”

安全な魚はキレイな水から獲れるもの。

安全な作物はキレイな土から獲れるもの。

日々、口にするものはキレイなものでなければならない。

汚れた土でできたものを食べれば、体だって汚れてしまうのです。

自然栽培は、

「土は100%汚れている」

 

この認識のもとに、土の清浄・純粋化に取り組む農法です。

そして土が自然に戻れば、本来備わった無尽蔵の力を発揮できるようになっていく。

虫も病気も出なくなり、素晴らしい農産物を作り出すことができるのです。

理想の世界は一足飛びにやってきません。

 

汚したら元に戻すには、それなりの時間を要するものなのです。


自然な土の状態を理解して、時間をかけて、土を綺麗にしていくこと。

それは私たちの体という自然も

 

「同じ」

 

なのではないでしょうか?

「自然を知るとは不自然を見抜くこと」

自然界を教師に不自然を取り除いていくこと。


今世紀は「環境と食料」の世紀といわれますが、この人類的課題に対して

 

自然栽培は具体的な解決策を提示できる農法。

この確信のもとに、今後もブログを続けていこうと思っています。

 

無肥料無農薬・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト

 

 

 

自然食業界キャリア15年のOBが綴る

無投薬・無医療の生き方マガジン!

 

 

 

にほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村