「上から目線」
最近の流行りの言葉です。
自分のことを過大評価して、相手のことを
過小評価
してくる態度のこと。
そんな目線でこられたら、お互い心地よく、
良好な関係を築きにくくなるわけです。
誰だって上から目線で扱われたくない。
自分だってできればそのように接したくもない。
にも関わらず、ついつい
「上から目線で接してしまう」
いつの時代も人ってそんなものかもしれません。
でも、
これは、人間関係だけに限ったことではないのです。
私たちの糧である、大切な食料に対しても同じように接してしまっている・・・。
そのような現状があるのです。
そこで今回は、
「上から目線」を考えることで、医者いらず・クスリいらずの
人生に必要なまなざしについて考えてみたいと思います。
■世話にならない!
食べたものが血となり肉となるのだから、日々の食事は大切で
基本中の基本事項。
中でも野菜は、汚染時代を乗り切るための必須アイテム。
そのように思われています。
でも、実際の農業の現場では、野菜の力を
過小評価するばかり・・・。
弱くて、脆くて、どうしようもなくて。
そのような扱いをされているケースがほとんどなのです。
野菜とは、
「野の菜」
と書きます。それは本来、人が育てるものではなく、
野の力によって育まれるもの。
人の世話になどなることなく、元気で逞しく育つことができるはずのもの。
そして、次の世代に生命を繋ぐことができるはずのものなのです。
にも関わらず、人の勝手な思い込みで、
「余計な手出し」
ばかりに終始している。そんな現状があるのです。
■農薬大国ニッポン!
例えば、「トマト」。
食卓に欠かせない野菜のひとつですが、トマトは栽培期間中に
「約50回」
ほどの殺虫剤・殺菌剤が使われるのが普通です。
キュウリやナスに至っては60回、リンゴもイチゴも60回。稲やキャベツは20回。
ものすごい量の農薬をかけなければ、スーパーの店頭に並ぶことができないのです。
”低農薬・減農薬”といってみたところで、
その半分。
60回撒くところを30回に減らしました。果たしてそれを本当に安全と呼べるのか?
疑問が尽きないわけなのです。
■エース登場も・・・
ならば、
頼みの綱となるのは、
「有機野菜」
値段も高いし、これなら“きっと大丈夫!”、そう思いたいところではありますが、
実際は法律で許可された
約30種類以上の農薬を使ってよい
ことになっている。
しかも、使用回数に制限がないので、許可された農薬なら、
たとえ・・・、
100回!1000回!
と散々に撒き散らしたところで、「有機野菜」と名乗って良い。
このようになっているのです。
ここでの最大の問題は、買う側の私たちにそれを知らせなくて良いこと。
「情報公開の義務が一切ない」
この点にあるのです。
■判断不能・リスク100
この野菜は有機野菜ではありますが、許可された認定農薬を
“100回使っています!”
そのように書いてあるのなら、買う・買わないの判断ができるというもの。
でも、知らせる義務は一切ない。
私たちはいま目の前にある有機野菜が、
無農薬なのか?多少使っている程度なのか?
それとも、たくさん農薬を使っているのか?
まったく知らされないまま、高額な野菜を買うハメになっている。
実に残念な状況といわねばならないのです。
さらにヒドイと思うのは、
減農薬・低農薬の野菜やお米のこと。
減・低は一般栽培で使われる農薬の量の半分にしたら、それを名乗ることができますが、
有機栽培で許可された農薬は、
「使用回数にカウントしなくて良い!」
こうした摩訶不思議な
特例減免措置
が与えられている。
この減農薬野菜は、通常よりも半分以下に農薬使用を抑えています。
でも本当は有機認証で
許可された農薬を100回使っているけどね・・・。
こうしたことだって実際に起こり得るわけなのです。
当然、情報公開の義務なんてないので、
分からないまま。
低農薬・減農薬なんて何でもアリ!の野菜。そう思った方が正直、身のためなのです。
よく分からない、得体の知れない安全を装ったかのような野菜に、高いお金を払い続ける。
このような不合理が行われ続けているのです。
■信頼の業者なら!
でも、
“ウチは〇〇宅配を頼んでいるから安心”
そういう方も少なくありませんが、総じて、有機野菜の宅配業者や自然食品店などは、
使われた農薬について情報公開しているところが
ほとんどない。
有機には「有機」。減農薬には「減」。
そう書かれているばかりで、得体は一向に知れません。
知らない・分からないというだけで、リスクは100%。
私たちは何も知らされないまま、高い買い物を続けざるを得ないです。
■野菜本来の力とは?
こうした惨状を思うにつけ、
そもそもなぜここまでたくさんの農薬を
使わざるを得ないのか?
そんな疑問を覚えます。
それは野菜への「上から目線」に、問題の根っこがある。
野菜に本来備わった力を過小評価して、野菜なんて、
「か弱くて脆いもの」
オレたち人間が世話を焼かなきゃ、
“実ひとつ、つけられないんだから”
こんな感じで、余計な手出しばかりを繰り返しているのです。
野菜をはじめとした植物には本来、幾重にもわたる、
「防御機能」
が備わっています。
それは大きく言って、3つのものに代表される。
それが、
「クチクラ層」、「常在菌」、「細胞壁」
この3つになるのです。
■先兵隊となっているのは?
クチクラ層は葉っぱの一番外側にある層のこと。
ツバキの葉っぱを思い浮かべてもらうと分かりやすいのですが、
”テカテカしている☆”
あのテカリこそが「クチクラ層」なのです。
クチクラ層は油分で、車でいえばワックスのようなもの。
余計な水分が細胞内に入らないように、さらに細胞内から水分が蒸発しないように
「水と油」
の関係を用いて、水分調整管理を行っているのです。
また、雨などがハネたりして、土にいるウイルスや菌などが葉に付着することを
油の膜が遮断する。
病原菌による感染被害を一番外側のクチクラ層が先兵隊となって、
防いでくれているのです。
さらに植物の葉っぱをよく見てみると、表皮にが、
“せん毛”と呼ばれるたくさんのうぶ毛
が生えていることが分かります。
これをたくさん生やすことで、虫が葉の表皮を歩きにくくなるように工夫がされている。
ウロウロ・ノロノロしている間に、アリやクモなどの天敵が捕食しやすくなるるための設備。
植物の一枚の葉には、こうした工夫が施されているのです。
■共存共栄で相互防衛!
また、植物の表面には、
「着生細菌」
と言われる常在菌たちがに、ビッシリと表面を覆っています。
植物によっても違うのですが、数千~数億個の菌たちが1枚の葉にひしめき、
植物の分泌物をエサにして、共栄共存を図っている。
彼らがひしめくことで、外来菌やウイルスの付着する隙間を与えない。
いわば、
「バイオフィルム」
を菌たちが形成しているのです。
外からやってきた病害菌が仮に隙間を見つけて付着しても、着生細菌たちが
特殊な酸
を出して、退治してしまう。
着生細菌はいわば、
“天然自然の殺菌剤”
そんな効果を発揮して、植物本体を守っているのです。
また、着生細菌にはいろいろといて、
・空気中の汚染物質を分解する菌
・分泌物によって作物の成長を助ける菌
こうした様々な菌との協力関係で自然の植物は活きているのです。
■まさに要塞!
このようにクチクラ層、着生細菌の二重の防御に守られているのですが、
最大の防御器官となるのが、
「細胞壁」です。
細胞壁は、私たちでいえば骨にあたるもので、植物が重力に逆らって
直立できる理由は、カタくて頑丈な
細胞壁を備えているから。
“植物繊維”ともいわれますが、
走って逃げることができない植物は、頑丈な細胞壁を備えることで、
細胞内を安全で健康に保つための設備にしているのです。
その硬さといったら、
半端ない。
私たちがいくら食べても消化吸収は不可能で、そのまま排せつされるだけ。
牛のように4つの胃袋とそこに住む微生物の力を借りて初めて分解できるほど、
「強靭な防御壁」
となっているのです。
当然、虫がかじってもダメ。到底歯が立つようなモノではありません。
仮にかじることができても、虫はそれを体内で消化できません。
この頑丈な細胞壁があることで、虫から細胞を守り、病源菌の侵入だって許さない。
クチクラ層、着生細菌、細胞壁といったまさしく
「難攻不落の三重の要塞。」
本来、植物はこのような防御措置を備えているのです。
これ以外にも、
「天敵誘因」
といわれる補助機能も有名です。
3つの防御機能をもってしても手に余るような場合には、
外からの援軍を呼び寄せる。
特別な香りを放つことで、その虫の天敵となる生きもの、アリやクモやダニなどを呼び寄せ、
自らの身をまもりつつも、応援部隊に格好の食事を提供している。
このことから、
植物は香りでボディガードを雇っている。
そう言われるほど、見事な自然界の繋がりと働きで、自らを守っているのです。
また植物同士のコミュニケーションにも香りは使われ、匂いの分泌の強弱によって
会話していることも知られているのです。
■人も野菜もみんな元気!
このように自然の植物には人の世話にならなくても問題ない!
そうした自然の力が備わっているのです。
でも、有機を含めた現代の農業は、植物に本来備わった力を
弱め、低めることばかりに終始している。
植物を過小評価して、自分たちを過大評価している。
それはまさしく、
「上から目線」。
その結果、植物はクチクラ層も満足に作れず、着生細菌も殺菌剤で滅ぼされ、
肥料で栄養過剰にされてしまい、細胞壁の構築もできなくされている。
人が余計なお世話をするほどに、植物自身の防衛能力は
低下していくばかりとなる。
何十回と繰り返し使われる農薬は、人による余計な手出しの結果ともいえるのです。
これは野菜に限った話ではありません。
私たちも同じなのではないでしょうか?
この世に生まれた以上は、この人生を健康で元気に全うできるだけのあらゆる力がそもそも備っている。
命は本来、生きるために必要な
「すべてを知っている」
のではないでしょうか。
にも関わらず、人の浅知恵や誰かの都合で、
弱体化させられ、外部の力に依存せざるを得ないようにされている。
食、生活環境、医療、人間関係、そしてそれを網羅する政治のあり方。
全てにおいて、
見直しが必要なのではないか?
と思うのです。
自らの内に備わった力を最大化すること。
生命の力の発動を余計な手出しで妨げないこと。
それが医者を遠ざけ、クスリいらずの人生に必要なポイントになる。
今後もこのブログで、このことについて考えて活きたいと思います。
■“食の安全”・百冊読むよりこの9章!
■参考文献
・『クチクラ層の不思議』
・『植物の危機管理システム』