大学卒業後、これまで何度か顔を合わせて話すことがあっても、人が大勢いたりで、深くお互いの細かいことまで話す感じでもありませんでした。
今回、初めて、僕が瞑想のこと、タントラのことを話しだして暫くすると、2人は徐々に周りの目を気にし始め、そのうち、しきりに次の店に行こうと言い出しました。
これまでもそう言う経験はして来ているので、彼らがその様な態度になることは十分に予想出来ましたし、僕自身も小さい時からこれまで、両親や社会の影響によって散々人の目を気にして育って来た人生でした。
しかし、今こうして再度自分の内側を感じながらこのことを書いていて、彼らに対しては嫌な気持ちや違和感はありません。
“思えば遠くへ来たものだ”
これは、ひとえに瞑想やタントラの影響が大きいのだと思いますが、いつの間にか、真から人の目が気にならない状態になって来ているのでしょう。
それでも瞑想やタントラをやっていても、以前は、今よりも抵抗は強かったのではないかと思います。
「人の目を気にしないで生きるべきだ!」
「人の目を気にしないで生きよう!」
そう思って生きているうちは、そこには必ず気持ちの葛藤があり、苦しみがあるのだと思います。
何でもそうだと思うのですが、マインドで想うことではなく、自然にそれそのものになっている時、自分の内側に決して消えることのないガンとした動かない何か軸の様なものが生まれ、そこには何のジャッチもなく、寛ぎという、ただ深い呼吸だけがあるのかも知れません。
今回の件で何となくそれを感じました。
僕にとっては長い旅路だとも言えます。