毎日を日曜日にする方法
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英語の利便性について

改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 20)

5月15日(金) 最終回

宿に帰り、荷造りを終えると不覚にも寝てしまった。
CIに起こされ、時計を見ると0時半。
暢気なもんだ、30分ほど居眠りしてたらしい。
シャワーを浴び、荷物を背負い部屋を出た。

カギを返し、チェックアウトの手続きをする。
と、壁に「AIR PORT TAXI 400B」というチラシが貼ってあった。
外へ出てタクシーを拾うのも、この酔い加減では面倒なので利用することにした。
カウンターの中にいた背の高い方の兄ちゃんが「OK!OK!」と言いながら外へ出て行く。
なるほど、べつに電話で呼んでくれるのではないのだな。
単に、代わりにそこら辺で拾って来てくれるというだけのシステムなのか。

3分も経たないうちに兄ちゃんが戻ってきた。
彼の後ろからのろのろと着いてくるタクシーの運ちゃんは、
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左とん平にソックリだった。

とん平の「着いてこい」という合図に促され、宿を後にする。
外はしとしとと雨が降っていた。
タクシーは路地から出てすぐのプラアーティット通りにあるセブンイレブン前に停まっていた。
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我々は日本のように自動ではないタクシーのドアを開けた。

タクシーは勢いよく走り出し、僕は雨に濡れて滲んだ窓の外を見るともなく見ていた。
時々、口を開くと思えば「バンコクともいよいよお別れだなぁ」などと同じことばかりだった。

それにしてもとん平は運転がヘタだ。
急発進、急ブレーキ、なのに走り出せばどんどん抜かれる。
そのわりに話し好きなのか、わかりにくい英語で何やら話しかけてくる。
テキトーに相槌を打っているうち、遠くに空港の灯りが見えた。
暗闇の中のそれは、まるで要塞のようである。
すると、とん平がまた何か話しかけてき、急に車を停めた。
ドアを開け、小走りで後方へ駆けて行き、5メートルほど離れた場所で立ち止まった。

「おいおい何だこんなところで???」

おもむろに立ち小便をするとん平の背中が街灯の光に浮かび上がっていた。
毎日を日曜日にする方法

空港に着いた我々は寝る場所を探した。

寝る場所といってもベンチだが、どこもビンボー旅行者の先客で埋まっているので出発ロビーのある4階をあきらめ、到着ロビーである2階に腰を下ろした。

飛行機は8時20分離陸予定だった。
とはいえ空路というのは厄介なもので、最低でも離陸の2時間前には搭乗手続きを済ませなくてはならないと言われている。
だが、それだと6時過ぎには空港にいなくてはならず、ということは5時には宿を出ることになる。
そうなると4時には起きなくてはならないので、別便への変更不可である格安航空券では寝坊したら大損害なのだった。

ならば空港で寝てしまおうというわけである。

しかしベンチに座ったまではいいが、しばらくするととてつもなく寒くなってきた。
地下鉄やモノレールもかなり冷房が効いていたが、空港内は際限なく強烈だった。
自分用の土産として買ったTシャツの封を開け重ね着し、長袖を上から羽織ったがまだ寒い。
眠ろうとしてもゾクゾクとしてジッとしていられないほどだ。

僕は何だか気分が悪くなってきた。

吐き気がするようなしないような不快感と腹が痛いわけではないが重苦しいような違和感。
とん平タクシーのヘタクソ加減で少し乗り物酔いをしたというのも考えられるが、あれからずいぶんと経っている。

この寒さで風邪でも引いたんだろうか?
もしくは呑みすぎ…昼間のレバー? まさかタガメかしら?

仕方なく、空港の外にある喫煙所へ出て暖をとった。
熱帯の国で暖をとるというのも変な話だが本当に寒い。
外の湿った空気に晒されているといくらか気分がマシになる。
が、この体調が悪さで、いつまで経っても眠いのに眠れない。

そこへランニング一枚のオッサンが話しかけてきた。
仏頂面で「ヘイ、タクシ?」と訊いてくる。
ここは到着ロビーの階だから、これから街へ出るのだと思ったのだろう。

「ヘイ、タクシ?」
我々は無視した。
客引き慣れしたオッサンは断られることにも慣れているぶん「ノーサンキュー」と答えても執拗に食い下がってくる。
だから、こういう時は目さえ合わせず眼前に存在しないものだと思え、とCIに教えていた。

とは言うものの、僕は体調が悪いのだ。
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ほぼ八つ当たりである。

客引きはスゴスゴと退散して行った。
CIに「自分が無視しろって言ってたのに…」と、窘められたのは言うまでもない。


空が白みはじめる頃、ようやく回復に向かって来たので暖まろうと食堂に入った。
さすがに空港の食堂は清潔だ。
CIはトムヤム麺。
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僕は粥を食す。
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そして4階へ上がると搭乗カウンターが開いていたので発券してもらった。
とうとう出国である。

免税店で仕事のスタッフたちへタバコを1カートン買った。

同じく土産用のメコンウイスキーを買ったが、税関で「100ml以上の水分は機内へ持ち込めない」と取り上げられた。

ゲートでうつらうつらしてるうち、飛行機に搭乗した。

チケットの番号を見ながら座席を探す。
往路と違い、窓際の席でCIは隣だった。

ついにサヨナラバンコクだ。

あらためて思うと、本当に長い道程だった。
13年もかかったのだ。

あの当時、海外旅行などまともにしたことがなかった僕はいったい何を考えていたんだろう。
もうよく思い出せない。

タイ、マレーシア、シンガポール、インド、ネパール、カンボジア、ベトナム、香港、マカオ、台湾。
半年間の一人旅での、その起点はどこへ行くにもこのバンコクという都市だった。
インターネットもない時代だから「何でもバンコクで」って考えただけかもしれないが、今の僕だったら怖くて行けないかもしれない。
我ながら「世間知らずの怖いもの知らず」だったのだなぁ。

でも、あの旅で少なくとも人生が変わったのは確かだった。

帰国してまもなく、僕はパニック障害という病気に罹った。
詳しくは書かないが、日本での生活に着いて行けなくなったのが原因だ。
いわゆる価値観の相違みたいなものだと思う。
人といることに過剰な重圧を感じ、そのくせ孤独に恐怖した。
酷い時は家から出ることさえままならない時期もあった。

それから13年もかかったのだ。
24歳だった僕は、もう37歳になっていた。

飛行機のエンジンがかかり、座席から尻に振動が伝わってくる。

昔の長い旅をカッコつけて呼ぶなら「自分探し」。
だとすれば、今回は「自己証明」の旅だったのだと思う。
僕はまた、どこにでも行けるようになった。
そして孤独じゃなくなった。

もうすぐ旅が終わる。

ふと気づくと、もう雲の上だった。
行きと同じく、またもや感動の瞬間に寝てしまったのだ。

仕方なくビールを頼んだ。

本当にもうすぐ旅が終わる。
明日からは朝っぱらから呑めないのだ…。
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2009年06月13日livedoorBlog掲載文改訂

改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 19)

5月14日(木) ④

パッタイレストランを出て、宿へ帰りがてらランブトリ通りへ抜ける。
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何と読むのかわからないサンダルが売っている。
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CIが昨日の女の子を探していた。
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忙しそうに働いている。
今日はお兄ちゃんと二人かな?
繁盛しているなら何よりだ。
たった一度しか会ったことのない女の子に何だか情がわいたみたいだ。
またカオサンへ来る時があったら、まだここにいるのかな?
まさか大人になってもずっとパッタイを焼いてるんだろうか?

我々は通りを挟んだ向こう側からしばらく女の子を見ていた。

そろそろ宿に戻って帰り仕度をしなくちゃいけない。
そう話し、思い切って歩きだそうとすると、傍らにゲテモノの屋台があった。
イモムシ、タガメ、ゲンゴロウ等々、13年前に色んな場所で興味本位に食った品々だ。
どれも3B(9円)。
別段、美味いという物でもないのだが…まぁ、これも記念だ。

僕はそのケースの中からタガメを選んでみた。
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(タガメ)
オバちゃんがツメ部分をむしり取ってくれる。

[少々グロいかも…]

味はイナゴの佃煮的で、食感はサクサク→グチャである。
そしてやけに足が口内に残る。

とはいえ、食わなくてもいいものを食う…すなわち無駄なことをする行為というのは楽しいものだ。
「不味い」だの「汚い」だのと騒ぎながら俺たちは祭のような人混みを歩いた。
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賑わう足元に踏まれそうになりながら今日もズルムケがいた。
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君はここに住んでるのか?
昔はそこら中にいた君みたいのがいたんだが、みんな始末されちゃったらしい。

できることなら生き延びて欲しい。

アルコールのせいか、せっかくバカをやってもすぐセンチメンタルになってしまう。

さあ、帰ろう。


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2009年06月6日livedoorBlog掲載文改訂

改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 18)

5月14日(木) ③

大量の荷物をぶら下げて宿へ向かう。
CIが職場用お土産である珍しい菓子を買い、僕は自分用土産にふざけたTシャツを数枚買った。
これでは日本から持ってきたこの程度のザックでは入りきらない。
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とはいえ元々それを見越して二人分の荷物を最小限に構成し一袋にまとめて来たのだった。
いわば「リュックは帰りに買えばいい」作戦だ。
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(僕の全荷物)

宿に帰って、買い漁ったお土産諸々をザックに詰め、どの程度のリュックを購入すべきか検討しなくちゃならない。
が、ここでも寄り道。
我々の泊まる宿の1階でビール。
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またまたオカマちゃん登場。
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このトムヤム・フライドライスがとても美味い。
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変な外人(まぁ、タイでは我々も外人だが…)に話しかけられテキトーにあしらい(からかい)つつ宿へ戻る。
部屋で買うべきリュックのサイズを確認し合った後、散々Tシャツを値切って大量買いした寺裏の店に行き、40Lのリュックを380B(1140円)で購入。

もう時計は夜の9時を過ぎていた。
あと数時間後には空港へ向かわなくてはならない。
リュックを入れてくれたビニールを逆にリュックに詰め「最後の夜だから…」と、まだ荷造りの途中だというのにそのまま呑みに行くことにした。
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どこで呑もうかとぶらついてるうち、結局昼間のパッタイレストラン入る。

ここでもまた名古屋で松屋、大阪で餃子の王将状態になってしまわないためパッタイや空芯菜を避け、こんな物をツマミに呑んだ。
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(辛口サラダに揚げ玉がのってる)

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(スープに卵焼きが浸ってる)

天井ではどこもそうであるようにファンが唸り、さらにはすぐ横では工業用の扇風機が湿った風を激しくぶつけて来る。
昼間の日の光に晒された無国籍な雰囲気と違い、弱い電灯に灯された煤けた木製の卓や椅子、白かったはずの黄ばんだ壁は何となく古き良き東南アジアという趣に見えた。
CIと二人、ビールをやりながら今回の旅の出来事を反芻しつつ行き交う人でごった返し、派手な電飾に浮かび上がるカオサン通りを眺める。

きらびやかだった。
以前はなかった地下鉄やモノレールに乗れて進歩を感じた。
国際電話をかけさせてくれる店が軒並みネットカフェに変貌しているのに驚いた。
でもこの店内みたいに少ししみったれた雰囲気の方が懐かしくて好きだと思った。

本当にバンコクへ来たんだなぁ。

今更そんな思いが頭をかすめる。
実際、もう訪れることはできないんじゃないか?と思ったことは何度かあったのだった。

そうこうしているうち、扇風機の轟音に混ざって雨音が聞こえてきた。
通りの露店の人々が大慌てで店を畳み、商店が一斉に庇を延ばしたりシートを広げはじめる。
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あっという間にポツポツがザーザーに変わり、コイツも全速力で逃げて行く。
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[バンコクのスコールがトタン屋根を叩く]

(お姉さんがかわいらしい)

いつものごとく、ややあってスコールは止んだ。
露店もそそくさと営業を再開し、まるで何事もなかったかのようだ。

この、傘が意味をなさないほどの雨に何度出くわしただろう。
過去に雨宿りした様々な場所が浮かんでくる。
あの時、日焼けした僕をタイ人と間違えて道を訊ねてきたお婆ちゃんはもう死んじゃったかな?
逃げ場がなくて、ものの10分で膝まで浸水したこともあった。

何だかスコールが一番、カオサン再訪を確認させてくれる気がしてきた。
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2009年06月5日livedoorBlog掲載文改訂

改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 17)

5月14日(木) ②

ニューワールドデパート過ぎて少し歩くと、8番らーめんがあった。
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(北陸に多い日本のラーメンチェーン)
ここは13年前、僕が最初にバンコクへ来た4月には「将軍」とかいう名のタイスキ屋だったが、7月にインド・ネパールから戻ってきたらいつのまに…?と驚き、一度どうしても日本の味が恋しくなり入ってしまったことがあったが、タイ人に合わせてあるのか当時はヌルくて食えたもんじゃなかった。

まぁ、そんな思い出なので当然入るわけもなく、ましてや今回のこの期間じゃ日本のラーメンなんて食べる気にもならないので我々は何となくその並びの食堂へ入った。

僕は何を隠そうカオマンガイが大好きである。
カオマンガイとは蒸し鶏をスープで炊いた飯の上にのせ、ショウガ味のタレをかけて食べる料理で一般にシンガポール・チキンライスと呼ばれていたりもする。

しかし、実を言うとタイでこのカオマンガイを食ったことがなかった。
シンガポールからマラッカ、クアラルンプール、ペナンと、タイへ北上してくる際に、華僑の店の所々で「潮州鶏飯」という看板を掲げた屋台に出くわし、日本に帰ってきてからも「潮州鶏飯、美味かったなぁ~食いたいなぁ~」と、中華料理店やエスニック料理店に行くたびにその漢字四文字を探していたのだが見当たらず、ある日ようやく写真入りのメニューがある店でそっくりな画像を発見し、それがシンガポール・チキンライスという名であり、タイではカオマンガイという料理だということを知ったのはほんの2年くらい前のことだ。

というわけで「好き」と言いつつ初心者なカオマンガイを注文。
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けれどもこれが失敗だった。
当時食った味とも、日本で食った味とも全然違う。
いや、味付けの違いではないな。
単純に美味くないのだ。
しかもどう見ても生っぽいレバーが添付。
少し食ってみるが変な食感&ヤバそうなニオイ。
一瞬、日常のクセで「あえて行ってみようか?」とも思ったがここは海外。
しかも最終日、しかもまだシラフ…CIに止められ悪ノリはしないことにした。

CIが注文した料理も微妙だった。
見た感じが豚の甘酢かけみたいなぶっかけ飯だが骨ばかりで肉がなく正直不味い。
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どうやら我々は今旅初のハズレを引いてしまったようだった。
とりあえずはレバー以外は食ったが、早々に店を出た。

初日の夜に食べた、深夜しか出ないお粥屋台の交差点からタニ通りに入ると雲が少しずつ晴れて来、雨上がりの濡れた路面が清々しかった。
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衣類を扱う露店を組み立てるオジさんやオバさんがタイの日常を感じさせてくれる。
僕はぶつくさ言うのをやめて他の店で食い直しをすることにした。

チャクラポン通りに出てランブトリ方面へ進む。
このままだと、また昨日一昨日と同じぶっかけ飯屋に行ってしまいそうな気がしてきた。
こんなだから名古屋に行っても松屋、大阪に行っても餃子の王将に入ってしまうのだ。
「せっかくの旅だ、面倒くさがってはイカン!」と自らを制し、通り沿いの麺類専門らしき食堂に入った。
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席に着き、壁に貼られた写真を指差し、僕はラーメンのような玉子面であるバミーを、CIはビーフンであるクエッティオを選んだ。
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店内は清潔そうに見えるステンレスの卓が並び、何人かの客がいた。
天井では、どこもそうであるようにプロペラのような扇風機がブルンブルンとうなってる。

かつて僕はここにも来たことがある気がした。


一旦宿に戻りビール休憩をし、昼過ぎにあらためて外出。
お土産探しのためにカオサンをぷらぷら歩く。
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ちらほらと日が照りはじめ、暑くてたまらないので早速避難。
パッタイレストランというまんま過ぎる店に入る。
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体の中身から冷やさねばとビール。

そしてCIは当然のようにパッタイ。
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僕は空芯菜の炒め物。
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どっちも昨夜、食ったってのに…。

しばしの飲酒で鋭気を養った我々は再び活発にたらたらと歩き出す。
カオサンからぐるりとランブトリを回り、今朝バミーを食ったチャクラポン通りへ出た。
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(途中のアーケードの路地で商品の上に鎮座する猫)

カオサンやランブトリは基本的にお土産にしろ日用品にしろ旅行者向けの物が多いが、チャクラポンには歩道にもびっしりと現地人向けの婦人用下着や確実に美味くなさそうな菓子を売る露店が並んでいる。
我々はその人混みに流されながら一軒のスーパーへ入った。

入口のすぐそばで、寿司が売っていた。
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(夕方、通りかかった時はほぼ売り切れだったから人気あるんだろうね)

日本のインスタント・スープ?
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(「おたご」って何ですか?)

俺が買ったお土産グリコ プリッツ ラープ味。
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(5B=15円で大量購入。値段じゃない、気持ちが大切なのだ)

ここも昔も時々来たことがあった。
何で当時こんなもん持ち帰ったんだろうか?
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(13年前のこのスーパーのチラシ…たぶん)


2009年06月4日livedoorBlog掲載文改訂
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