改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 06)
5月12日(火) ⑤
朝からさんざんビールを呑んで何か食ってを繰り返してるくせに、日が傾きはじめるとついつい「さあ晩飯はどうするかね?」なんて会話をしはじめる。
絶対に昨日から呑みすぎだよなぁ。
それにちょこちょこ何かしら口に入れてさ…腹が出ちゃうよ。
30も半ば過ぎると健康には気を遣いたいものである。
だがしかし、今回は別名「食い道楽ツアー」なのだった。
日本じゃ一皿1000円前後するエスニック料理がとても安く食えるわけだし、ビールだって大瓶でも100円くらいなんだぜ。
だったら実質三日間しかないこのバンコク滞在で食いまくらなきゃ損でしょ?
やや強引すぎる感は否めないが、やはり理由などいくらでも作れるものである。
というわけで我々は屋台料理ではなく、ちゃんとしたタイ料理も食ってみようと、カオサンにある「トムヤムクン」という、まるで「日本料理フジヤマ」的ないかにもな名前のレストランへ向かった。
で、ビールを呑みつつまずは、
川魚をレモン風味の汁で煮たヤツ。

(暗くてピンが甘いが…)
そんでもってせっかく店名が店名なのだからトムヤムクン。

(旅行者向けなのか全然辛くない)
ちなみにトムヤムクンってタイ料理の中では最も知名度の高い料理だと思うけど、たとえば外国で日本料理といえば「スシ」「スキヤキ」「テンプーラ」なのと同様に高級料理なわけで、僕はタイでトムヤムクンを食ったの今回が初めてだった。
満足して店を出、カオサンをうろつく。
夜のカオサンは毎日が祭のよう。



(変なタイ人もいる)

(ズル剥けの野良犬もいる)

(余談だがあっちの犬はなぜかみんなこんな風に座る)
夜のカオサン。
動画だとこんな感じ。
バーガーキングで小便だけして、コンビニでビールを買い宿へ。

CIはシャワーを浴びに行き、僕はベランダへ出た。
コンビニで十徳ナイフみたいな物も購入したので部屋でも安心してビールの栓が抜ける。
5Fから、そうきれいでもない夜景を眺めつつ、すぐに温くなってしまうビールを飲み込んだ。
たとえベタつく空気だとしても、パンツ一丁で外に出るというのはとても気持ちのいいものだ。
CIがシャワーから出た音が聞こえる。
俺もシャワー浴びなきゃなぁ。
でも、もう少しここでビールを呑んでいよう。
しかし酔っぱらってきたなぁ。
あぁ何て開放的なんだ。
気がつくとベランダで寝ちゃったらしい…。

2009年05月16日livedoorBlog掲載文改訂
朝からさんざんビールを呑んで何か食ってを繰り返してるくせに、日が傾きはじめるとついつい「さあ晩飯はどうするかね?」なんて会話をしはじめる。
絶対に昨日から呑みすぎだよなぁ。
それにちょこちょこ何かしら口に入れてさ…腹が出ちゃうよ。
30も半ば過ぎると健康には気を遣いたいものである。
だがしかし、今回は別名「食い道楽ツアー」なのだった。
日本じゃ一皿1000円前後するエスニック料理がとても安く食えるわけだし、ビールだって大瓶でも100円くらいなんだぜ。
だったら実質三日間しかないこのバンコク滞在で食いまくらなきゃ損でしょ?
やや強引すぎる感は否めないが、やはり理由などいくらでも作れるものである。
というわけで我々は屋台料理ではなく、ちゃんとしたタイ料理も食ってみようと、カオサンにある「トムヤムクン」という、まるで「日本料理フジヤマ」的ないかにもな名前のレストランへ向かった。
で、ビールを呑みつつまずは、
川魚をレモン風味の汁で煮たヤツ。

(暗くてピンが甘いが…)
そんでもってせっかく店名が店名なのだからトムヤムクン。

(旅行者向けなのか全然辛くない)
ちなみにトムヤムクンってタイ料理の中では最も知名度の高い料理だと思うけど、たとえば外国で日本料理といえば「スシ」「スキヤキ」「テンプーラ」なのと同様に高級料理なわけで、僕はタイでトムヤムクンを食ったの今回が初めてだった。
満足して店を出、カオサンをうろつく。
夜のカオサンは毎日が祭のよう。



(変なタイ人もいる)

(ズル剥けの野良犬もいる)

(余談だがあっちの犬はなぜかみんなこんな風に座る)
夜のカオサン。
動画だとこんな感じ。
バーガーキングで小便だけして、コンビニでビールを買い宿へ。

CIはシャワーを浴びに行き、僕はベランダへ出た。
コンビニで十徳ナイフみたいな物も購入したので部屋でも安心してビールの栓が抜ける。
5Fから、そうきれいでもない夜景を眺めつつ、すぐに温くなってしまうビールを飲み込んだ。
たとえベタつく空気だとしても、パンツ一丁で外に出るというのはとても気持ちのいいものだ。
CIがシャワーから出た音が聞こえる。
俺もシャワー浴びなきゃなぁ。
でも、もう少しここでビールを呑んでいよう。
しかし酔っぱらってきたなぁ。
あぁ何て開放的なんだ。
気がつくとベランダで寝ちゃったらしい…。

2009年05月16日livedoorBlog掲載文改訂
改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 05)
5月12日(火) ④
ワット・アルンからさっきとは逆の順序でワット・ポー側へ戻ると、僕たちはもうすっかり観光地巡りを完遂したとばかりにさっさとカオサンに帰ることにした。
だが、また歩いてくのも何だね…第一に物凄く暑いのだ。
大通りをちんたら歩いていれば必ずトゥクトゥクが声をかけてくるから交渉次第では乗って帰ろう。
そんなことを話していると、ほら見ろすぐさま声をかけてきた。

(トゥクトゥクのオヤジ)

(こんな感じで)

(こんな感じで)

(こんな感じで走ってる)

(ちなみにこれはトゥクトゥクではない)
「いくらで行く?」と訊ねると、
「おまえはいくらで行って欲しいんだ?」と訊き返してくる。
うーむ、さっき舟着場で声をかけてきたヤツは200Bとか法外な値段を言ってたなぁ。
「20Bで言ってくれ!」
そう言うとトゥクトゥクのオヤジは「そりゃないぜ~」と大袈裟にのけぞり、もはや半笑いである。
さすがにこれじゃ逆ボッタクリかと思い、少し譲って50Bで乗せてもらうことにした。
まぁ、50Bでも本当は払いすぎなのかもしれないけどね。
[このオヤジはわりとソフトな運転だった]
カオサンに到着し、裏通りのダムヌンクラン通りを抜けて、

(ダムヌンクラン通り)
昔、常宿にしていたNAT2という安宿がある郵便局方面に行ってみた。
当時は所々舗装が剥げ砂利が露出していた路地も今はきれいにアスファルトが敷かれていたが趣はまだ残っている。
NAT2の前へ行くと店員らしき男がボケーっと突っ立っていたので、
「俺は13年前、ここに泊まっていた」と告げると、
「おぉ、じゃあ中を覗いてっていいぞ。その頃と変わってないぞ」と、何とも嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
それじゃあ遠慮なくとロビーを抜け、階段へ。
上りつめたとこにいきなりサッシのガラス戸がある。
「あ、そうそう、そういえばこんなのあったなぁ」
公衆便所のような共同のトイレ兼シャワールームを覗いてから、今にもカツーンカツーンと看守の足音が聞こえてきそうな薄暗い廊下の一番奥まで行くと、

僕が泊まっていた316号室が確かにそこにあった。

中を見たくてドアをガチャガチャやると鍵がかかっていた。
誰か泊まってたのかもしれない、失礼だな。
ドアに貼られた部屋番号を見ていると、何て表現したらいいのかわからないが胸の裡で鈍く弱い「あぁ…」みたいな感情が湧いてくる。
「ここに俺はいたんだなぁ…」と。
感動とも違うし感傷とも違う、ただ黙ってドアを見ていたくなるような気持ち…何なんだろうね。
我々はNAT2を後にした。

2009年05月15日livedoorBlog掲載文改訂
ワット・アルンからさっきとは逆の順序でワット・ポー側へ戻ると、僕たちはもうすっかり観光地巡りを完遂したとばかりにさっさとカオサンに帰ることにした。
だが、また歩いてくのも何だね…第一に物凄く暑いのだ。
大通りをちんたら歩いていれば必ずトゥクトゥクが声をかけてくるから交渉次第では乗って帰ろう。
そんなことを話していると、ほら見ろすぐさま声をかけてきた。

(トゥクトゥクのオヤジ)

(こんな感じで)

(こんな感じで)

(こんな感じで走ってる)

(ちなみにこれはトゥクトゥクではない)
「いくらで行く?」と訊ねると、
「おまえはいくらで行って欲しいんだ?」と訊き返してくる。
うーむ、さっき舟着場で声をかけてきたヤツは200Bとか法外な値段を言ってたなぁ。
「20Bで言ってくれ!」
そう言うとトゥクトゥクのオヤジは「そりゃないぜ~」と大袈裟にのけぞり、もはや半笑いである。
さすがにこれじゃ逆ボッタクリかと思い、少し譲って50Bで乗せてもらうことにした。
まぁ、50Bでも本当は払いすぎなのかもしれないけどね。
[このオヤジはわりとソフトな運転だった]
カオサンに到着し、裏通りのダムヌンクラン通りを抜けて、

(ダムヌンクラン通り)
昔、常宿にしていたNAT2という安宿がある郵便局方面に行ってみた。
当時は所々舗装が剥げ砂利が露出していた路地も今はきれいにアスファルトが敷かれていたが趣はまだ残っている。
NAT2の前へ行くと店員らしき男がボケーっと突っ立っていたので、
「俺は13年前、ここに泊まっていた」と告げると、
「おぉ、じゃあ中を覗いてっていいぞ。その頃と変わってないぞ」と、何とも嬉しいことを言ってくれるじゃないか。
それじゃあ遠慮なくとロビーを抜け、階段へ。
上りつめたとこにいきなりサッシのガラス戸がある。
「あ、そうそう、そういえばこんなのあったなぁ」
公衆便所のような共同のトイレ兼シャワールームを覗いてから、今にもカツーンカツーンと看守の足音が聞こえてきそうな薄暗い廊下の一番奥まで行くと、

僕が泊まっていた316号室が確かにそこにあった。

中を見たくてドアをガチャガチャやると鍵がかかっていた。
誰か泊まってたのかもしれない、失礼だな。
ドアに貼られた部屋番号を見ていると、何て表現したらいいのかわからないが胸の裡で鈍く弱い「あぁ…」みたいな感情が湧いてくる。
「ここに俺はいたんだなぁ…」と。
感動とも違うし感傷とも違う、ただ黙ってドアを見ていたくなるような気持ち…何なんだろうね。
我々はNAT2を後にした。

2009年05月15日livedoorBlog掲載文改訂
改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 04)
5月12日(火) ③
タイの屋台料理は大抵の場合30B~80Bと安いが、そのぶん量も少なめである。
だから食後も何だか満たされた感が少ない。
金を払い、歩き出すと路地の脇に見たことのある看板が目に入ってきた。

カオサン情報なんかのネットで見た、わずか10B(30円)のバミーナーム(タイラーメン)屋台だった。
ここは地元タイ人にとっても安くて人気らしく、すぐに売り切れて昼頃には店終いしてしまうほどらしい。
「むぅ、バミーも食いたいぞ。しかも話題の店だと聞くぞ」
「それに今回は貧乏旅行じゃないぞ」
そんな恣意が頭の中を駆け巡る。
要するに、事実上今日がバンコク滞在初日の我々は浮かれているのだ。
水はけの悪い路地の奥へ進み、席に着くとあっという間にそれは配膳された。

これで30円。とても美味い。

超オススメではあるが、以後ここを訪れた時はいつも店終い後だった。
いきなりの食い道楽でずいぶんと時間が経ってしまったので、衣類等を売る露店もいつの間にやらわらわらと賑わいを見せはじめていた。
我々は寺裏へ戻りつつ、その辺りでサンダルを買い、僕はタイパンツCIは涼しげな長いスカートを買った。
タイパンツ

タイパンツの穿き方
http://www.chakara.com/hpgen/HPB/entries/5.html
ちなみにタイでの買い物はデパートやスーパーのような場所以外、大概は交渉性である。
相手は高値でふっかけてくるので、こちらはそれよりかなり安値を言う。
すると相手が少し下げた値段を言ってくるので、今度はこちらが少し上げた値段を言う。
そうやって歩み寄りながら値段を決めるという仕組みで、ゲーム性を見出せばかなり楽しめる。
が、買い物するたびにそのくり返しであり、売り手も買う手もどうしようもない英語のため、いちいち顛末を書いているとキリがないので、以後この手のやりとりはすべて省略。
セブンイレブンで飲料水とビール、タイのタバコ「クロンチップ」買う。
それにしてもこのジャケは強烈だ。

宿に戻りしばし食休みがてらビールを呑み、しゃべっていると、
「それにしても二人でこの部屋は若干手狭だ」
「まだまだ乾く気配のない靴や洗濯物が干せるよう、窓に柵もしくはベランダ的スペースがある部屋がいい」
という話題になり、幸いチェックアウトの12時まではまだ余裕があるので、
それでは今から換えてもらおうとフロントへ出向いた。
見せてもらった部屋は先程までの部屋よりわずかに広いだけだったがベランダがあった。

(ベランダからの眺め)

(ベランダから下の通り)

(早速、干す)
宿代は少し上がるが、それでも一畳ほどのベランダのおかげでずいぶんと開放的に感じる。
僕たちは3階から5階へ引っ越した。

5階までの階段が長い。
濡れ物を干し、とりあえず観光でもしようかと外へ出る。
観光名所であるワット・ポーやワット・アルンはここから歩いてでも行ける距離だ。
空はすっかり晴れていた。散歩がてら行ってみようと歩き出す。
とても熱帯らしく、空の青と樹木の緑を眺めると、この湿度の高い特有の暑さも心地よく感じられてくる。
おぼろげな記憶を辿りワット・ポー方面を目指す。
道路を渡るには信号がある場所へ行き、青になるのを待つのではなく、タイミングを見計らいダッシュするかまたは車に減速させるのが基本である。
要は何にせよ強引でなければならない。
そうやっていくつかの道路を越えると…あぁ迷った。

13年という歳月は確実だろうと思いこんでた記憶までも曖昧にさせるのですね。
何だかわからないガラクタを歩道に並べ売っている絶対に堅気じゃないだろうタイ人しかいない区域をすり抜けながら、ようやく見覚えのある場所に出た。

観光地周辺らしく白人の姿も見えた。
そこはワット・プラケオという王宮だった。
しかし僕たちはここを素通りした。
何しろ拝観料が異様に高いのだ。
それに元来寺院マニアじゃないもんだから、これから向かうワット・ポーやワット・アルンだって一応は名所だから押さえておかなきゃ程度なのだ。
カンボジアのアンコール・ワットやインドのタージ・マハル級スケールならそりゃ喜んでいくけど、やっぱり建造物より風景の方がいい。だからよっぽどじゃないとね。
そうこうしているうち、あやふやなままワット・ポー到着。
タダで入れそうな雰囲気だったのでチャレンジしたが、昔と違い多少は厳重になったようで無理だった。
靴を脱ぎ、中へ入ると巨大な仏像が寝ている。


(巨大な顔)

(巨大な足の裏)

(巨大な乳首)
工事されながらも余裕綽々で寝ている。

猫も寝ている。

小坊主は顔を引きつらせている。

「もう押さえた」とばかりにおよそ5分で退場。
対岸にあるワット・アルンへ渡る舟着き場へ向かう。
チャオプラヤ川の渡し舟は片道3B(約9円)と安い。
支払って川岸に出ると、もうワット・アルンがそびえ立っていた。

15、6人乗りのボートを険しいジジイが駆る。

この生業に命をかけて…かどうかは知らないが、彼の操舵はみるみるうちに舟着き場の風景を遠ざけて行く。

そして対岸が近づき、2~3分で到着。

舟着き場の売店を横切り、

そこからハヌマン像を横切り、

何でか知らないがブッ倒れてる塔を横切り、

どこの観光名所にもある、顔を突っ込んで写真を撮るパネル(ここでは法外な料金を取られるらしい)を横切ると、

もうワット・アルンはかなりの角度で立っていた。

ここもタダで入れそうな気がする。
そう思うと同時に「べつにもういいかな」という気にもなりだす。
しかしよく見ると白人たちが物凄い急な階段をえっちらおっちら上っているではないか。

これは上るしかないだろ?
僕もCIも遺跡巡りというよりは、ほぼアスレチック気分である。
階段はとても急だがアンコール・ワットよりはマシな気がした。
上りつめるとバンコク市内が一望できた。


古い家屋とド派手な寺院が混在し、遠くに近代的なビルが臨める。
僕は確かにバンコクに来たのだった。

2009年05月14日livedoorBlog掲載文改訂
タイの屋台料理は大抵の場合30B~80Bと安いが、そのぶん量も少なめである。
だから食後も何だか満たされた感が少ない。
金を払い、歩き出すと路地の脇に見たことのある看板が目に入ってきた。

カオサン情報なんかのネットで見た、わずか10B(30円)のバミーナーム(タイラーメン)屋台だった。
ここは地元タイ人にとっても安くて人気らしく、すぐに売り切れて昼頃には店終いしてしまうほどらしい。
「むぅ、バミーも食いたいぞ。しかも話題の店だと聞くぞ」
「それに今回は貧乏旅行じゃないぞ」
そんな恣意が頭の中を駆け巡る。
要するに、事実上今日がバンコク滞在初日の我々は浮かれているのだ。
水はけの悪い路地の奥へ進み、席に着くとあっという間にそれは配膳された。

これで30円。とても美味い。

超オススメではあるが、以後ここを訪れた時はいつも店終い後だった。
いきなりの食い道楽でずいぶんと時間が経ってしまったので、衣類等を売る露店もいつの間にやらわらわらと賑わいを見せはじめていた。
我々は寺裏へ戻りつつ、その辺りでサンダルを買い、僕はタイパンツCIは涼しげな長いスカートを買った。
タイパンツ

タイパンツの穿き方
http://www.chakara.com/hpgen/HPB/entries/5.html
ちなみにタイでの買い物はデパートやスーパーのような場所以外、大概は交渉性である。
相手は高値でふっかけてくるので、こちらはそれよりかなり安値を言う。
すると相手が少し下げた値段を言ってくるので、今度はこちらが少し上げた値段を言う。
そうやって歩み寄りながら値段を決めるという仕組みで、ゲーム性を見出せばかなり楽しめる。
が、買い物するたびにそのくり返しであり、売り手も買う手もどうしようもない英語のため、いちいち顛末を書いているとキリがないので、以後この手のやりとりはすべて省略。
セブンイレブンで飲料水とビール、タイのタバコ「クロンチップ」買う。
それにしてもこのジャケは強烈だ。

宿に戻りしばし食休みがてらビールを呑み、しゃべっていると、
「それにしても二人でこの部屋は若干手狭だ」
「まだまだ乾く気配のない靴や洗濯物が干せるよう、窓に柵もしくはベランダ的スペースがある部屋がいい」
という話題になり、幸いチェックアウトの12時まではまだ余裕があるので、
それでは今から換えてもらおうとフロントへ出向いた。
見せてもらった部屋は先程までの部屋よりわずかに広いだけだったがベランダがあった。

(ベランダからの眺め)

(ベランダから下の通り)

(早速、干す)
宿代は少し上がるが、それでも一畳ほどのベランダのおかげでずいぶんと開放的に感じる。
僕たちは3階から5階へ引っ越した。

5階までの階段が長い。
濡れ物を干し、とりあえず観光でもしようかと外へ出る。
観光名所であるワット・ポーやワット・アルンはここから歩いてでも行ける距離だ。
空はすっかり晴れていた。散歩がてら行ってみようと歩き出す。
とても熱帯らしく、空の青と樹木の緑を眺めると、この湿度の高い特有の暑さも心地よく感じられてくる。
おぼろげな記憶を辿りワット・ポー方面を目指す。
道路を渡るには信号がある場所へ行き、青になるのを待つのではなく、タイミングを見計らいダッシュするかまたは車に減速させるのが基本である。
要は何にせよ強引でなければならない。
そうやっていくつかの道路を越えると…あぁ迷った。

13年という歳月は確実だろうと思いこんでた記憶までも曖昧にさせるのですね。
何だかわからないガラクタを歩道に並べ売っている絶対に堅気じゃないだろうタイ人しかいない区域をすり抜けながら、ようやく見覚えのある場所に出た。

観光地周辺らしく白人の姿も見えた。
そこはワット・プラケオという王宮だった。
しかし僕たちはここを素通りした。
何しろ拝観料が異様に高いのだ。
それに元来寺院マニアじゃないもんだから、これから向かうワット・ポーやワット・アルンだって一応は名所だから押さえておかなきゃ程度なのだ。
カンボジアのアンコール・ワットやインドのタージ・マハル級スケールならそりゃ喜んでいくけど、やっぱり建造物より風景の方がいい。だからよっぽどじゃないとね。
そうこうしているうち、あやふやなままワット・ポー到着。
タダで入れそうな雰囲気だったのでチャレンジしたが、昔と違い多少は厳重になったようで無理だった。
靴を脱ぎ、中へ入ると巨大な仏像が寝ている。


(巨大な顔)

(巨大な足の裏)

(巨大な乳首)
工事されながらも余裕綽々で寝ている。

猫も寝ている。

小坊主は顔を引きつらせている。

「もう押さえた」とばかりにおよそ5分で退場。
対岸にあるワット・アルンへ渡る舟着き場へ向かう。
チャオプラヤ川の渡し舟は片道3B(約9円)と安い。
支払って川岸に出ると、もうワット・アルンがそびえ立っていた。

15、6人乗りのボートを険しいジジイが駆る。

この生業に命をかけて…かどうかは知らないが、彼の操舵はみるみるうちに舟着き場の風景を遠ざけて行く。

そして対岸が近づき、2~3分で到着。

舟着き場の売店を横切り、

そこからハヌマン像を横切り、

何でか知らないがブッ倒れてる塔を横切り、

どこの観光名所にもある、顔を突っ込んで写真を撮るパネル(ここでは法外な料金を取られるらしい)を横切ると、

もうワット・アルンはかなりの角度で立っていた。

ここもタダで入れそうな気がする。
そう思うと同時に「べつにもういいかな」という気にもなりだす。
しかしよく見ると白人たちが物凄い急な階段をえっちらおっちら上っているではないか。

これは上るしかないだろ?
僕もCIも遺跡巡りというよりは、ほぼアスレチック気分である。
階段はとても急だがアンコール・ワットよりはマシな気がした。
上りつめるとバンコク市内が一望できた。


古い家屋とド派手な寺院が混在し、遠くに近代的なビルが臨める。
僕は確かにバンコクに来たのだった。

2009年05月14日livedoorBlog掲載文改訂
改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 03)
5月12日(火) ②
9時半過ぎに目が覚めた。
実質、今日が1日目である。
その興奮もあってか、やけに目覚めがよい。
しかしCIはまだ眠っている。
この人の休日はバンコクでも変わらない。
退屈しのぎに壁のテレビを点けてみるが、当然のごとくタイ語放送。
まさかのNHK衛星放送なんぞを期待してみるが、即座にこの宿ではテレビなど無用の長物なのだと悟る。
何をしようか? 考えてみる。
二度寝するにはもったいないし、どちらかというとギラギラしている。
「あぁ、昂ぶってるなぁ、イカンなぁ、浮かれちまってるぜ」
そう思い、まずは落ち着かねばと首を傾げてると、あっという間にナイスなアイデアが浮かぶ。
「そうだビールを呑もう!」
急いで服を着る。スコールのおかげでシャツもジーンズも靴もビショヌレだが、センヌキを借りに行ったフロントのレストラン・バーまでなら充分我慢できる。
人間、酒を呑むための理由などいくらでも作れるのである。
靴の中でクチャクチャと音を立てながら階下へ下り、シンハビールを購入。
栓を抜いてもらい部屋に戻るとCIが起きていたので、彼女の出かける準備を待ちながら体内にアルコールを補充する。
ややあってCIの化粧&日焼け止め塗りたくりが完了。
部屋の鍵を掛け、ドアノブの下のフックに持参した南京錠も掛ける。
この二重ロックが安宿クオリティ。
宿から預かった備え付けのキーだけで安心してはならない。
けっして疑うわけではないが、もしも宿の従業員に泥棒がいたらドアの鍵だけではロックしてないも同じなのだ。
と、そこまでしてから「今はもうそんな時代じゃないのかも?」ふと思うが、まぁ、用心に越したことはない。
そういう理由からフロントにキーを預けることもなく外へ出る。
バンコク最初の朝は薄い雲に覆われていた。
とりあえず、この重たい衣服をどうにかしなければならない。
CIはシャツの着替えを持ってきていたので多少マシのようだが、下はやはりズブ濡れのジーンズと靴だ。
僕たちはまずカオサンに出て、着替えを買い揃えることにした。
午前中のカオサン周辺は立ち上がりが遅かった。

あれだけ熱狂的な夜が深夜まで続くのだからやむを得ないことなのだが、これではいつまでも楽な格好になれない。
ようやく開店したばかりの店でTシャツを買い、僕はその場で着替えた。
あとはジーンズの代わりと靴の代わりである。
が、うろついているうち、何だか腹が減ってきた気がする。
まだまだジ-ンズや靴の不快感は残っているが、雲がだいぶ遠ざかり蒸した熱気がぐんぐんと水分を蒸発させ、さっきよりは確実に軽くなっている。
「あ~なんか食いたいかも」
タイでは一般庶民も屋台等で食事摂るのがめずらしくないと聞く。
そのせいかカオサン通りを少し離れると、早朝から営業しているのであろう屋台があちこちで活気づいている。
「○※△、□%#」とおそらくは「美味いよー、安いよー」的な声をかけられながら僕たちは歩いた。
ただ今日はバンコク初日で初の庶民的な食事であり、初海外であるCIを連れている。
どのみち不衛生な屋台であるにしても、やはり見た目の限度はあるだろう。
部屋にしたって以前に僕が滞在していたようなタイ式トイレに水シャワーが共同で独房よろしく窓もなく、ヤモリやゴキブリや時にはムカデが…なんていう部屋は避けたいと言っていたのだ。
それを考慮すれば屋台にしろ食堂にしろ、なるべくなら旅行者にも対応しようとしている努力が見える店にすべきだろう。
というわけで、カオサンから一本外れたランブトリ通りに出てみた。

この辺りは13年前、僕がよく食事をしていた界隈だ。
到着してスコールの中、ビールを買ったのもこの通りだが、明るくなり視界が広がるとさらに懐かしさが込み上げてくる。
僕はボロい民家の前で足を止めた。
確かここは初めてバンコクを訪れた際、おっかなびっくりで屋台のバミーナーム(タイラーメン)を食べた場所だ。

(96年当時)
その屋台はもうなかったが、歩道を挟んだ向かいのボロい民家のくすんだ黒い扉に見覚えがあった。
立ち止まり「前はここにバミーの屋台があってさ…」とCIにつぶやく。
すると、その隣の建物のオヤジが「まぁ座れよ、食ってけよ」と声を掛けてきた。
こっちが感傷に浸ってるというのに、なんてデリカシーのないヤツだ。
まぁ日本語がわからないんだから仕方ないけど、でも今は話かけるなって…避けるように一旦通り過ぎた。
しかしその先には特にめぼしい店も出ていない。
「なるほど、そうなのか」と引き返す。するとオヤジはもう自分の店で食っていくものと思ったらしく、
妙ににこやかな笑顔をこしらえ、型の崩れたわかりやすい英語で何やらベラベラとまくしたてる。
その話を聞くとも聞かず並べられた総菜に目をやっていると、そのうちにオヤジはオバちゃんに米をよそらせてしまっていた。
その店は屋台ではなく建物の軒先にオバちゃんが座り、歩道にはみ出す格好で惣菜が陳列され、車道との際にアルミの簡素なテーブルとプラスチックの椅子を並べていた。
(ちなみに完全な店舗でもなく完全な屋台でもない店はこのスタイルをとることが普通)

(こんな感じで…)

(こんな感じ)
すでに皿に盛られた米を持って待っているオバちゃんに、好みの惣菜を指差して上にかけてもらう。
いわゆる「ぶっかけ飯」というヤツである。

何にしようかと選んでいると、一番奥の真ん中付近にある惣菜のトレイが目に入り俺の記憶はまたもや甦った。
「あ、俺ここでもよく食ってた!」
タケノコの入った黄色い総菜。
当時はこれが何なのかさっぱりわからないまま食っていたが僕の好みにとても合い、バンコク以外の地方でも見かけるとよく食っていた。
その味を初めて知ったのはこの店だったのだ。
そして帰国し、日本でもいろんなエスニック料理がレトルト等でも食える環境になり「あの時、食っていたのはイエローカレーとして売られてるものだったのか…」と知ったのである。
うーむ、どんどん思い出してくるぞ。
そういえばこの店構えも、このオバちゃんも見覚えがある。
そうだ、このオヤジは確かあの頃まったく働く素振りを見せず、日がな一日ハンモックで寝てたオヤジだ。
その黄色いタケノコを指差し、ついでに目玉焼きも添付。
CIはエビの何だかわからないヤツが乗っかったフライドヌードル。

オヤジが「飲み物は?」と聞いてくるが飲料水は持参してるので断る。
第一にアンタが出す水は怖い。
黄色いタケノコを口に運ぶと美味さと共に何とも言えない懐かしさが込み上げてきた。
「そうだ、この味だ」
しかし、日本で食うイエローカレーとはまったく違う味だった…。
人間の味覚なんてまったく当てにならないもんだ。

2009年05月13日livedoorBlog掲載文改訂
9時半過ぎに目が覚めた。
実質、今日が1日目である。
その興奮もあってか、やけに目覚めがよい。
しかしCIはまだ眠っている。
この人の休日はバンコクでも変わらない。
退屈しのぎに壁のテレビを点けてみるが、当然のごとくタイ語放送。
まさかのNHK衛星放送なんぞを期待してみるが、即座にこの宿ではテレビなど無用の長物なのだと悟る。
何をしようか? 考えてみる。
二度寝するにはもったいないし、どちらかというとギラギラしている。
「あぁ、昂ぶってるなぁ、イカンなぁ、浮かれちまってるぜ」
そう思い、まずは落ち着かねばと首を傾げてると、あっという間にナイスなアイデアが浮かぶ。
「そうだビールを呑もう!」
急いで服を着る。スコールのおかげでシャツもジーンズも靴もビショヌレだが、センヌキを借りに行ったフロントのレストラン・バーまでなら充分我慢できる。
人間、酒を呑むための理由などいくらでも作れるのである。
靴の中でクチャクチャと音を立てながら階下へ下り、シンハビールを購入。
栓を抜いてもらい部屋に戻るとCIが起きていたので、彼女の出かける準備を待ちながら体内にアルコールを補充する。
ややあってCIの化粧&日焼け止め塗りたくりが完了。
部屋の鍵を掛け、ドアノブの下のフックに持参した南京錠も掛ける。
この二重ロックが安宿クオリティ。
宿から預かった備え付けのキーだけで安心してはならない。
けっして疑うわけではないが、もしも宿の従業員に泥棒がいたらドアの鍵だけではロックしてないも同じなのだ。
と、そこまでしてから「今はもうそんな時代じゃないのかも?」ふと思うが、まぁ、用心に越したことはない。
そういう理由からフロントにキーを預けることもなく外へ出る。
バンコク最初の朝は薄い雲に覆われていた。
とりあえず、この重たい衣服をどうにかしなければならない。
CIはシャツの着替えを持ってきていたので多少マシのようだが、下はやはりズブ濡れのジーンズと靴だ。
僕たちはまずカオサンに出て、着替えを買い揃えることにした。
午前中のカオサン周辺は立ち上がりが遅かった。

あれだけ熱狂的な夜が深夜まで続くのだからやむを得ないことなのだが、これではいつまでも楽な格好になれない。
ようやく開店したばかりの店でTシャツを買い、僕はその場で着替えた。
あとはジーンズの代わりと靴の代わりである。
が、うろついているうち、何だか腹が減ってきた気がする。
まだまだジ-ンズや靴の不快感は残っているが、雲がだいぶ遠ざかり蒸した熱気がぐんぐんと水分を蒸発させ、さっきよりは確実に軽くなっている。
「あ~なんか食いたいかも」
タイでは一般庶民も屋台等で食事摂るのがめずらしくないと聞く。
そのせいかカオサン通りを少し離れると、早朝から営業しているのであろう屋台があちこちで活気づいている。
「○※△、□%#」とおそらくは「美味いよー、安いよー」的な声をかけられながら僕たちは歩いた。
ただ今日はバンコク初日で初の庶民的な食事であり、初海外であるCIを連れている。
どのみち不衛生な屋台であるにしても、やはり見た目の限度はあるだろう。
部屋にしたって以前に僕が滞在していたようなタイ式トイレに水シャワーが共同で独房よろしく窓もなく、ヤモリやゴキブリや時にはムカデが…なんていう部屋は避けたいと言っていたのだ。
それを考慮すれば屋台にしろ食堂にしろ、なるべくなら旅行者にも対応しようとしている努力が見える店にすべきだろう。
というわけで、カオサンから一本外れたランブトリ通りに出てみた。

この辺りは13年前、僕がよく食事をしていた界隈だ。
到着してスコールの中、ビールを買ったのもこの通りだが、明るくなり視界が広がるとさらに懐かしさが込み上げてくる。
僕はボロい民家の前で足を止めた。
確かここは初めてバンコクを訪れた際、おっかなびっくりで屋台のバミーナーム(タイラーメン)を食べた場所だ。

(96年当時)
その屋台はもうなかったが、歩道を挟んだ向かいのボロい民家のくすんだ黒い扉に見覚えがあった。
立ち止まり「前はここにバミーの屋台があってさ…」とCIにつぶやく。
すると、その隣の建物のオヤジが「まぁ座れよ、食ってけよ」と声を掛けてきた。
こっちが感傷に浸ってるというのに、なんてデリカシーのないヤツだ。
まぁ日本語がわからないんだから仕方ないけど、でも今は話かけるなって…避けるように一旦通り過ぎた。
しかしその先には特にめぼしい店も出ていない。
「なるほど、そうなのか」と引き返す。するとオヤジはもう自分の店で食っていくものと思ったらしく、
妙ににこやかな笑顔をこしらえ、型の崩れたわかりやすい英語で何やらベラベラとまくしたてる。
その話を聞くとも聞かず並べられた総菜に目をやっていると、そのうちにオヤジはオバちゃんに米をよそらせてしまっていた。
その店は屋台ではなく建物の軒先にオバちゃんが座り、歩道にはみ出す格好で惣菜が陳列され、車道との際にアルミの簡素なテーブルとプラスチックの椅子を並べていた。
(ちなみに完全な店舗でもなく完全な屋台でもない店はこのスタイルをとることが普通)

(こんな感じで…)

(こんな感じ)
すでに皿に盛られた米を持って待っているオバちゃんに、好みの惣菜を指差して上にかけてもらう。
いわゆる「ぶっかけ飯」というヤツである。

何にしようかと選んでいると、一番奥の真ん中付近にある惣菜のトレイが目に入り俺の記憶はまたもや甦った。
「あ、俺ここでもよく食ってた!」
タケノコの入った黄色い総菜。
当時はこれが何なのかさっぱりわからないまま食っていたが僕の好みにとても合い、バンコク以外の地方でも見かけるとよく食っていた。
その味を初めて知ったのはこの店だったのだ。
そして帰国し、日本でもいろんなエスニック料理がレトルト等でも食える環境になり「あの時、食っていたのはイエローカレーとして売られてるものだったのか…」と知ったのである。
うーむ、どんどん思い出してくるぞ。
そういえばこの店構えも、このオバちゃんも見覚えがある。
そうだ、このオヤジは確かあの頃まったく働く素振りを見せず、日がな一日ハンモックで寝てたオヤジだ。
その黄色いタケノコを指差し、ついでに目玉焼きも添付。
CIはエビの何だかわからないヤツが乗っかったフライドヌードル。

オヤジが「飲み物は?」と聞いてくるが飲料水は持参してるので断る。
第一にアンタが出す水は怖い。
黄色いタケノコを口に運ぶと美味さと共に何とも言えない懐かしさが込み上げてきた。
「そうだ、この味だ」
しかし、日本で食うイエローカレーとはまったく違う味だった…。
人間の味覚なんてまったく当てにならないもんだ。

2009年05月13日livedoorBlog掲載文改訂
改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 02)
5月12日(火) ①
約6時間のフライトで午前0時36分、僕とCIを乗せた飛行機はバンコクのスワンナプーム空港に着陸した。

タイと日本の時差は2時間、なので現地時間は午後10時36分。
腕時計の長針を2周巻き戻す。
こっちはまだ11日ということになる。
預け荷物のない我々は入国審査と両替を済ますと、早々に外へ出た。

それにしてもこのスワンナプーム空港、東洋一、二とかいうだけあってすげー空港だ。
まだ2、3年前に開港したばかりだから13年前のドンムアン空港とは勝手が違い、タクシープールに向かうも本物なのかボッタクリの白タクなのかもよく判断がつかない。
初めてドンムアン空港に辿り着いた時は罵声のような乗り合いタクシーの勧誘から逃げるようにNo.59のバス停へ向かったのだった。
とりあえず文明の利器インターネットで調べておいたとおりにカウンターへ行きチケットを購入。
傍らにいた運転手に促されるまま乗車し「バンランプー、カオサン」と告げると運ちゃんはコクリと頷きアクセルを踏み込んだ。
カオサンとは我々の目的地であるアジア最大の安宿街の名だ。
30分もすると、高層ビルの手前にだんだん見覚えがある景色が増えてくる。
それをCIに説明してるうち、タクシーはカオサン通りの東端に辿り着いた。
金を払い、礼を言い降りる。
どうやらCIにはタクシーのドアが自動で閉まらないということが初の戸惑いだったらしい。
タクシーを下りると僕たちは蒸し暑い空気に包まれた。
空港の外に出てタクシープールにいた数分は空港の強烈な冷房のせいで体が冷え切りさほど感じなかったのだが、タクシーの適度な冷房の後ではすぐに体が汗ばんで来るのだった。
方々から様々なダンスミュージックが大音量で混ざり合い、それをクラクションが劈く。

あぁ、これがカオサンの喧騒だなぁ…。
右手にネットのどっかで知ったバーガーキングがあった。
ここは昔、普通のボロい民家だった気がする。
こんな時間だというのに、ネオンの数、物売りの屋台、酔ってわめく白人…どれをとってもカオサンの夜は確実にパワーアップしているように思えた。
大きなレストラン・バーも増え、コンビニも増えた。
安宿街というより、周囲の安宿に泊まる者たちの遊び場といった雰囲気だ。
実際、周辺の安宿はカオサンを中心として衛星的に拡大しつつあるのだという。
確かに昔から数件ではあったがカオサンを外れた西側のワット・チャナソンクラムという寺の裏手地区(通称=寺裏)や、現在はバーガーキングがある一角より東側の郵便局側とに安宿があり僕自身も真夜中の騒音を避けるべく、そのどちらかにベッドを求めていたのだった。
僕たちは300m程のカオサン通りを縦断し、西側の寺裏地区へ向かった。
西側は東側と比べると当時から品が良かった。
洒落た新しめの建物も多く清潔な宿も多かった。
事実、僕も旅の中盤以降、金銭的に節約を強いられる頃になってから、安くてボロくてセキュリティ的にも…な東側へ移ったのだった。
当時から健在の警察署の角を右に折れ、アユタヤ銀行を左に折れると寺裏地区の安宿街が眼前に広がりはじめた。
やはりここも進化しているらしい。
点在していた民家らしき建物がほぼなくなり、小奇麗な洋風の安宿が軒を連ねている。
僕たちはその中からHappy Houseという宿を選び「部屋に空きがあるか?」「あるならその部屋を見せて欲しい」等々の顛末の末、宿泊を決めた。
部屋はダブルでホットシャワー付、ムダにテレビまで付いて580B(約1800円)ほどだった。

僕がかつて滞在していた東側の宿はシングル共同便所&共同水シャワーで120B(約360円)だったと記憶しているので相当上等な宿だ。
あの独房みたいな広さでムカデだの巨大ゴキブリだのが発生する部屋に比べたら考えられないほど清潔だし、廊下に向けてだが一応窓もある。
荷物を下ろすとシャワーを浴び、まもなく外へ繰り出した。
バンコクは水道水が飲めないのでまずは飲料水が必要。
そして何より到着祝いだ。それにはビールが必要だ。
階段を下りすでに店仕舞いした一階のレストラン・バーを抜けると少し雨が降っていた。
さっさと買って、戻ってこようとコンビニへ早足で歩く。
100mも行けばセブンイレブンがあったのでそこへ入った。
だが、何たることか?ビールの並ぶ冷蔵庫だけ紐でくくられていて開かない。

(扉が開かない)

(コーラとかは買える)
仕方なく飲料水だけ買い、カオサン方面へ向かうが、雨足は次第に強まっている。
アユタヤ銀行角からカオサン通り一本裏手のランブトリ通りに出る頃には完全なスコールになってしまった。

僕は5月にタイにいたことがないが、どうやらこの時期は深夜にもスコールがあるらしい。
雨宿りしようにもこの勢いでは無意味に近いし、引き返すにも濡れるのは同じ。
ならばと半ばヤケクソでランブトリ通り近くのセブンイレブンに駆け込む。
すると、ここでもビールの並ぶ冷蔵庫が開かない。
後で知ったのだがコンビニ等では深夜0時以降は酒もタバコも販売しない建前になってるらしい。
それならどこか店へ入ってしまえとランブトリ通りを進む。
しかし、一向に酒を出す店が見あたらない。何か特別な行事でもあるのだろうか? あきらめかけたところで庇のある歩道にビールをあおる不良少年数人を発見。
よく見るとそこは酒屋なのだろうか? とても店舗には見えない民家の軒先に大きなクーラーボックスを置いて、ビールを泳がせている爺さんがいるではないか?
指を二本立てバーツ札をひらひらさせると爺さんが60Bだと応えた。
ビールの大瓶2本を受け取り、爺さんがザルから出したヨレヨレの釣り銭をポケットにしまう。
そのやりとりを見て不良少年がニヤニヤと笑っていた。
今思えば、おそらくその爺さんは酒を売っちゃいけない時間にコッソリ売って儲けようという商売を営んでいるのだろう。
再びセブンイレブンに立ち寄り、ツマミ代わりのスナック菓子を買い、小走りで宿に帰った。
シャツもジーンズも絞れば簡単に水が出るほどビショヌレだった。
半裸になり、乾杯をしようと座る。

そして気がついた。
「センヌキがねえ…」
仕方なく、僕はまた異様に重たく冷たい服を着て、フロントにセンヌキを借りに行くのだった。

2009年05月12日livedoorBlog掲載文改訂
約6時間のフライトで午前0時36分、僕とCIを乗せた飛行機はバンコクのスワンナプーム空港に着陸した。

タイと日本の時差は2時間、なので現地時間は午後10時36分。
腕時計の長針を2周巻き戻す。
こっちはまだ11日ということになる。
預け荷物のない我々は入国審査と両替を済ますと、早々に外へ出た。

それにしてもこのスワンナプーム空港、東洋一、二とかいうだけあってすげー空港だ。
まだ2、3年前に開港したばかりだから13年前のドンムアン空港とは勝手が違い、タクシープールに向かうも本物なのかボッタクリの白タクなのかもよく判断がつかない。
初めてドンムアン空港に辿り着いた時は罵声のような乗り合いタクシーの勧誘から逃げるようにNo.59のバス停へ向かったのだった。
とりあえず文明の利器インターネットで調べておいたとおりにカウンターへ行きチケットを購入。
傍らにいた運転手に促されるまま乗車し「バンランプー、カオサン」と告げると運ちゃんはコクリと頷きアクセルを踏み込んだ。
カオサンとは我々の目的地であるアジア最大の安宿街の名だ。
30分もすると、高層ビルの手前にだんだん見覚えがある景色が増えてくる。
それをCIに説明してるうち、タクシーはカオサン通りの東端に辿り着いた。
金を払い、礼を言い降りる。
どうやらCIにはタクシーのドアが自動で閉まらないということが初の戸惑いだったらしい。
タクシーを下りると僕たちは蒸し暑い空気に包まれた。
空港の外に出てタクシープールにいた数分は空港の強烈な冷房のせいで体が冷え切りさほど感じなかったのだが、タクシーの適度な冷房の後ではすぐに体が汗ばんで来るのだった。
方々から様々なダンスミュージックが大音量で混ざり合い、それをクラクションが劈く。

あぁ、これがカオサンの喧騒だなぁ…。
右手にネットのどっかで知ったバーガーキングがあった。
ここは昔、普通のボロい民家だった気がする。
こんな時間だというのに、ネオンの数、物売りの屋台、酔ってわめく白人…どれをとってもカオサンの夜は確実にパワーアップしているように思えた。
大きなレストラン・バーも増え、コンビニも増えた。
安宿街というより、周囲の安宿に泊まる者たちの遊び場といった雰囲気だ。
実際、周辺の安宿はカオサンを中心として衛星的に拡大しつつあるのだという。
確かに昔から数件ではあったがカオサンを外れた西側のワット・チャナソンクラムという寺の裏手地区(通称=寺裏)や、現在はバーガーキングがある一角より東側の郵便局側とに安宿があり僕自身も真夜中の騒音を避けるべく、そのどちらかにベッドを求めていたのだった。
僕たちは300m程のカオサン通りを縦断し、西側の寺裏地区へ向かった。
西側は東側と比べると当時から品が良かった。
洒落た新しめの建物も多く清潔な宿も多かった。
事実、僕も旅の中盤以降、金銭的に節約を強いられる頃になってから、安くてボロくてセキュリティ的にも…な東側へ移ったのだった。
当時から健在の警察署の角を右に折れ、アユタヤ銀行を左に折れると寺裏地区の安宿街が眼前に広がりはじめた。
やはりここも進化しているらしい。
点在していた民家らしき建物がほぼなくなり、小奇麗な洋風の安宿が軒を連ねている。
僕たちはその中からHappy Houseという宿を選び「部屋に空きがあるか?」「あるならその部屋を見せて欲しい」等々の顛末の末、宿泊を決めた。
部屋はダブルでホットシャワー付、ムダにテレビまで付いて580B(約1800円)ほどだった。

僕がかつて滞在していた東側の宿はシングル共同便所&共同水シャワーで120B(約360円)だったと記憶しているので相当上等な宿だ。
あの独房みたいな広さでムカデだの巨大ゴキブリだのが発生する部屋に比べたら考えられないほど清潔だし、廊下に向けてだが一応窓もある。
荷物を下ろすとシャワーを浴び、まもなく外へ繰り出した。
バンコクは水道水が飲めないのでまずは飲料水が必要。
そして何より到着祝いだ。それにはビールが必要だ。
階段を下りすでに店仕舞いした一階のレストラン・バーを抜けると少し雨が降っていた。
さっさと買って、戻ってこようとコンビニへ早足で歩く。
100mも行けばセブンイレブンがあったのでそこへ入った。
だが、何たることか?ビールの並ぶ冷蔵庫だけ紐でくくられていて開かない。

(扉が開かない)

(コーラとかは買える)
仕方なく飲料水だけ買い、カオサン方面へ向かうが、雨足は次第に強まっている。
アユタヤ銀行角からカオサン通り一本裏手のランブトリ通りに出る頃には完全なスコールになってしまった。

僕は5月にタイにいたことがないが、どうやらこの時期は深夜にもスコールがあるらしい。
雨宿りしようにもこの勢いでは無意味に近いし、引き返すにも濡れるのは同じ。
ならばと半ばヤケクソでランブトリ通り近くのセブンイレブンに駆け込む。
すると、ここでもビールの並ぶ冷蔵庫が開かない。
後で知ったのだがコンビニ等では深夜0時以降は酒もタバコも販売しない建前になってるらしい。
それならどこか店へ入ってしまえとランブトリ通りを進む。
しかし、一向に酒を出す店が見あたらない。何か特別な行事でもあるのだろうか? あきらめかけたところで庇のある歩道にビールをあおる不良少年数人を発見。
よく見るとそこは酒屋なのだろうか? とても店舗には見えない民家の軒先に大きなクーラーボックスを置いて、ビールを泳がせている爺さんがいるではないか?
指を二本立てバーツ札をひらひらさせると爺さんが60Bだと応えた。
ビールの大瓶2本を受け取り、爺さんがザルから出したヨレヨレの釣り銭をポケットにしまう。
そのやりとりを見て不良少年がニヤニヤと笑っていた。
今思えば、おそらくその爺さんは酒を売っちゃいけない時間にコッソリ売って儲けようという商売を営んでいるのだろう。
再びセブンイレブンに立ち寄り、ツマミ代わりのスナック菓子を買い、小走りで宿に帰った。
シャツもジーンズも絞れば簡単に水が出るほどビショヌレだった。
半裸になり、乾杯をしようと座る。

そして気がついた。
「センヌキがねえ…」
仕方なく、僕はまた異様に重たく冷たい服を着て、フロントにセンヌキを借りに行くのだった。

2009年05月12日livedoorBlog掲載文改訂
改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 01)
5月11日(月)
わらわらと起き出し、昼少し前に家を出た。
先日のうちに仕度してあったバッグの中身は
(バッグの中身写真)
同行のCIと合わせても半分ほど、バンコクでは…殊にカオサンへ出向くならば、必須のものなどせいぜい金と航空券とパスポートくらいのものである。
12時過ぎに東川口駅から武蔵野線に乗り、西船橋→船橋→京成船橋。
平日の昼日中、武蔵野線も総武線も空いている。そのせいか座って田園風景を眺めているとあっという間。
改札前で京成線成田空港駅までの切符を買い、ホームでスカイライナーの指定券を買うと、もう何だか旅行気分満載である。
なんたって座席指定のうえ喫煙席だ。ゆったりシートに座って揺られながらタバコが吸える。じゃあビールも呑まなきゃだろ?

昼酒が胃に染みこみはじめた頃、スカイライナーが滑り込んできた。
とりあえずもう1本買い込んで乗車。船橋からだと30分くらいで成田空港駅なのね。近い。
成田空港第一ターミナル到着。しかしまだまだ時間があるようだ…というか早く着きすぎた。
「まぁ、これも大人の余裕ですよ」 などとのたまいつつ、ビールの呑める所を探す。
2、3杯呑んでいると某知り合いバンドマン○永から「今、どこにいます?」と電話。
「フードコート的なとこで呑んでる」と告げると、彼はすぐさまやってきた。
さすが空港職員、よくそれっぽっちのヒントでわかったなぁ。
「お土産屋かなんかの店員かと思ってた」とか言って申し訳ない。

○永にいろいろ調べてもらい、誘導してもらい、うだうだと出国→搭乗まで歩を進める。
もうこの時点で泥酔してしまった僕は○永がいなかったら飛行機に乗ること自体ままならなかったかもしれない。
初海外旅行の同居人CIを連れてるってのに我ながらいい加減なもんだ。
○永に礼を言い、搭乗。

だらだら呑みすぎたせいでチェックインが遅れたため、CIとは席が隣同士ではなく前後になってしまった。
なのでCIの隣の日本人らしきオッサンに「良かったら席を換わってくれませんか?」と頼む。
が、しかしこのオッサン返事もしないどころか、こちらを一瞥もしない。
まぁ、換わりたくないのは仕方がない。他人と関わりたくないという人がいるのもわかる。
しかしその態度はさすがに気分がよろしくない。
そんなこんなでほどなく離陸時間がやってきた。
いよいよである。いよいよ13年ぶりのバンコクへ飛び立つ瞬間がやってきた。
飛行機が助走をはじめ、加速を増し、爆音と共に宙に浮く。
その頃、僕は寝ていたらしい…まったく記憶にないのだった。
2009年05月11日livedoorBlog掲載文改訂
わらわらと起き出し、昼少し前に家を出た。
先日のうちに仕度してあったバッグの中身は
(バッグの中身写真)
同行のCIと合わせても半分ほど、バンコクでは…殊にカオサンへ出向くならば、必須のものなどせいぜい金と航空券とパスポートくらいのものである。
12時過ぎに東川口駅から武蔵野線に乗り、西船橋→船橋→京成船橋。
平日の昼日中、武蔵野線も総武線も空いている。そのせいか座って田園風景を眺めているとあっという間。
改札前で京成線成田空港駅までの切符を買い、ホームでスカイライナーの指定券を買うと、もう何だか旅行気分満載である。
なんたって座席指定のうえ喫煙席だ。ゆったりシートに座って揺られながらタバコが吸える。じゃあビールも呑まなきゃだろ?

昼酒が胃に染みこみはじめた頃、スカイライナーが滑り込んできた。
とりあえずもう1本買い込んで乗車。船橋からだと30分くらいで成田空港駅なのね。近い。
成田空港第一ターミナル到着。しかしまだまだ時間があるようだ…というか早く着きすぎた。
「まぁ、これも大人の余裕ですよ」 などとのたまいつつ、ビールの呑める所を探す。
2、3杯呑んでいると某知り合いバンドマン○永から「今、どこにいます?」と電話。
「フードコート的なとこで呑んでる」と告げると、彼はすぐさまやってきた。
さすが空港職員、よくそれっぽっちのヒントでわかったなぁ。
「お土産屋かなんかの店員かと思ってた」とか言って申し訳ない。

○永にいろいろ調べてもらい、誘導してもらい、うだうだと出国→搭乗まで歩を進める。
もうこの時点で泥酔してしまった僕は○永がいなかったら飛行機に乗ること自体ままならなかったかもしれない。
初海外旅行の同居人CIを連れてるってのに我ながらいい加減なもんだ。
○永に礼を言い、搭乗。

だらだら呑みすぎたせいでチェックインが遅れたため、CIとは席が隣同士ではなく前後になってしまった。
なのでCIの隣の日本人らしきオッサンに「良かったら席を換わってくれませんか?」と頼む。
が、しかしこのオッサン返事もしないどころか、こちらを一瞥もしない。
まぁ、換わりたくないのは仕方がない。他人と関わりたくないという人がいるのもわかる。
しかしその態度はさすがに気分がよろしくない。
そんなこんなでほどなく離陸時間がやってきた。
いよいよである。いよいよ13年ぶりのバンコクへ飛び立つ瞬間がやってきた。
飛行機が助走をはじめ、加速を増し、爆音と共に宙に浮く。
その頃、僕は寝ていたらしい…まったく記憶にないのだった。
2009年05月11日livedoorBlog掲載文改訂
改訂版 そこに僕はいた (09.5 バンコク旅行記 00)
- 前書き -
5月11日から5月15日までの五日間、僕はタイの首都バンコクに行くことになった。
といっても11日の夕方に日本を離れて深夜にバンコクへ着き、15日の早朝にバンコクを離れて夕方に日本へ着く。
要するに飛行時間や時差等の諸々を踏まえると実質は四泊四日弱といった多少変則的な滞在となるわけで、これもまぁ、海外旅行の常…という感じだ。
さておき、僕はかつてバンコクにいた。
もう13年も前のことだ。
高校時代に始まったバンドブームが沈静化し、クラスに2つも3つもあったバンドたちは跡形もなく消えた。
二十歳を越えてもバンドなんてものに携わっている同年代は数えるほどしかいなくなっていた。
そんな中、僕は違う学校出身のヤツや、知り合いの知り合いなど縁遠い年上の方々といくつかのバンドを組んでは解散をくり返した。
ライブに至らないケースも珍しくなかった。
それは僕自身の性格に原因がある場合も、またはまったくそうでない場合もあったが、とにかく高校時代から二十歳過ぎまで続けていたバンドが解散してしまってからは、まともに活動できた例がなかった。
そして気がつけば、もう周囲にはバンドをやろうという人間が皆無になっていた。
「俺は何すりぁいいんだろう?」
毎日、悶々と考えていた。
「一人でもできることを」と弾き語りにも小説にもチャレンジした。
だが、そのうち何だかいろんなことがアホらしくなり、仕事も辞めてしまった。
そういえば当時はニートどころかプーなんて言葉もなかったなぁ。
そんな時、本屋でたまたま手にした「地球の歩き方」というガイドブックのインド編に衝撃を受けた。
ガンジス河で朝日に祈る人々や交差点の真ん中に横たわる牛たちの写真にもそうだが、何より少ない資金で海外へたった一人でも行けるという事実が衝撃だった。
それから半年後、僕はバイトで稼いだ金でバンコクまでの往復チケットを買い、バンコクでデリーまでのチケットを買いインドを旅した。
そしてネパールへ行き、シンガポールへ飛び、列車やバスでマレーシアからタイへと戻った。
バンコクへ戻ってみると今度はカンボジアやベトナムにも行ってみたくなり、バンコクから日本への往復チケットの残り、つまり帰路のチケットは捨ててしまった。
カンボジアとベトナムへ行った後も、再びカンボジアへ立ち寄り、バンコクへ帰ってまたもやネパールへ。
ネパールからバンコクでチケットを買い、香港、マカオ、台湾に立ち寄り日本へ帰った時はちょうど半年が過ぎていた。
説明がずいぶんと長くなってしまったけれど、つまりはどこかへ行く度にバンコクを中継地点および拠点としていた。
だからバンコクという都市は、観光地としてよりもすべての始点という意味で思い入れのある土地なのだ。
あれからもう13年が経ち、仕事にも心にも余裕ができた。
今はネットがあるからいろんな情報が入りやすく「こうらしい」「ああらしい」と知ることはできる。
けれどもやはり自分の足で歩き、目で見、あのけたたましい音を聞いてみたい。
やっとその機会に恵まれた。
というわけで今回の僕の旅は「思い出づくりの旅」ではなく「思い出確認の旅」なのだった。

(当時のパスポートの1ページ)
2009年05月11日livedoorBlog掲載文改訂
5月11日から5月15日までの五日間、僕はタイの首都バンコクに行くことになった。
といっても11日の夕方に日本を離れて深夜にバンコクへ着き、15日の早朝にバンコクを離れて夕方に日本へ着く。
要するに飛行時間や時差等の諸々を踏まえると実質は四泊四日弱といった多少変則的な滞在となるわけで、これもまぁ、海外旅行の常…という感じだ。
さておき、僕はかつてバンコクにいた。
もう13年も前のことだ。
高校時代に始まったバンドブームが沈静化し、クラスに2つも3つもあったバンドたちは跡形もなく消えた。
二十歳を越えてもバンドなんてものに携わっている同年代は数えるほどしかいなくなっていた。
そんな中、僕は違う学校出身のヤツや、知り合いの知り合いなど縁遠い年上の方々といくつかのバンドを組んでは解散をくり返した。
ライブに至らないケースも珍しくなかった。
それは僕自身の性格に原因がある場合も、またはまったくそうでない場合もあったが、とにかく高校時代から二十歳過ぎまで続けていたバンドが解散してしまってからは、まともに活動できた例がなかった。
そして気がつけば、もう周囲にはバンドをやろうという人間が皆無になっていた。
「俺は何すりぁいいんだろう?」
毎日、悶々と考えていた。
「一人でもできることを」と弾き語りにも小説にもチャレンジした。
だが、そのうち何だかいろんなことがアホらしくなり、仕事も辞めてしまった。
そういえば当時はニートどころかプーなんて言葉もなかったなぁ。
そんな時、本屋でたまたま手にした「地球の歩き方」というガイドブックのインド編に衝撃を受けた。
ガンジス河で朝日に祈る人々や交差点の真ん中に横たわる牛たちの写真にもそうだが、何より少ない資金で海外へたった一人でも行けるという事実が衝撃だった。
それから半年後、僕はバイトで稼いだ金でバンコクまでの往復チケットを買い、バンコクでデリーまでのチケットを買いインドを旅した。
そしてネパールへ行き、シンガポールへ飛び、列車やバスでマレーシアからタイへと戻った。
バンコクへ戻ってみると今度はカンボジアやベトナムにも行ってみたくなり、バンコクから日本への往復チケットの残り、つまり帰路のチケットは捨ててしまった。
カンボジアとベトナムへ行った後も、再びカンボジアへ立ち寄り、バンコクへ帰ってまたもやネパールへ。
ネパールからバンコクでチケットを買い、香港、マカオ、台湾に立ち寄り日本へ帰った時はちょうど半年が過ぎていた。
説明がずいぶんと長くなってしまったけれど、つまりはどこかへ行く度にバンコクを中継地点および拠点としていた。
だからバンコクという都市は、観光地としてよりもすべての始点という意味で思い入れのある土地なのだ。
あれからもう13年が経ち、仕事にも心にも余裕ができた。
今はネットがあるからいろんな情報が入りやすく「こうらしい」「ああらしい」と知ることはできる。
けれどもやはり自分の足で歩き、目で見、あのけたたましい音を聞いてみたい。
やっとその機会に恵まれた。
というわけで今回の僕の旅は「思い出づくりの旅」ではなく「思い出確認の旅」なのだった。

(当時のパスポートの1ページ)
2009年05月11日livedoorBlog掲載文改訂