みっちゃん歌いたいというので『世界の約束』歌バージョンをスコア化
4月15日(水)のAMI-RENの日、練習してた曲にジブリアニメ『ハウルの動く城』の『世界の約束』インストバージョンがあってね。東海市芸術劇場「交流パフォーマンス」で演奏するんですよ。
その練習の時の、みっちゃんとのやり取り。
「これ、歌詞は、谷川俊太郎さんだよ。どんな歌詞か知ってる?」
「ちょっと待ってね」とケータイで検索。見つけたみたいで、
「ふうん」とな。
「どう?」
「これ」見せてくれました。いい詩だ。
「へええ…みっちゃん、これ、歌いたくない」
「歌いたい!」
「歌バージョンのスコア、作ろうか。もうすぐゴールデンウィークだから、ゴールデンウィークの宿題にしよかな」
「ゴールデンウィークは、演奏忙しいよ」
ということで、仕方ないので、ゴールデンウィーク前に作ってしまいました。

インストバージョンは、間奏もエンディングもちょっとどうかな、なので、原曲に近いものにしました。
ただ、倍賞千恵子さんは、ハ長調で歌ってますが、みっちゃんには、オカリナ演奏も考慮して、ニ長調で歌ってもらうことにしました。
いつ演奏するか、まんだ未定です。
https://www.facebook.com/ami725/

その練習の時の、みっちゃんとのやり取り。
「これ、歌詞は、谷川俊太郎さんだよ。どんな歌詞か知ってる?」
「ちょっと待ってね」とケータイで検索。見つけたみたいで、
「ふうん」とな。
「どう?」
「これ」見せてくれました。いい詩だ。
「へええ…みっちゃん、これ、歌いたくない」
「歌いたい!」
「歌バージョンのスコア、作ろうか。もうすぐゴールデンウィークだから、ゴールデンウィークの宿題にしよかな」
「ゴールデンウィークは、演奏忙しいよ」
ということで、仕方ないので、ゴールデンウィーク前に作ってしまいました。

インストバージョンは、間奏もエンディングもちょっとどうかな、なので、原曲に近いものにしました。
ただ、倍賞千恵子さんは、ハ長調で歌ってますが、みっちゃんには、オカリナ演奏も考慮して、ニ長調で歌ってもらうことにしました。
いつ演奏するか、まんだ未定です。
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タラちゃ~ん♪
ブログ記事「サーモントラウトって鮭じゃないの」にも書いたけど、ここんとこ、ジャスコで加熱用の荒っぽい魚(量が多いのよ)をよく買うよ。半額になる時間を狙ってね(概ね14時ごろ)。サーモントラウトの次は、キハダマグロ。いずれも398円の品が199円。

そして、今回は、タラ。確か338円の品が169円だったかな。歌いながら食べたよ。
「♪タラちゃ~ん、タラちゃん、タラちゃん、タララ、タ~ラちゃん♪」
テレビドラマ『太陽にほえろ』の節だよ。


そして、今回は、タラ。確か338円の品が169円だったかな。歌いながら食べたよ。
「♪タラちゃ~ん、タラちゃん、タラちゃん、タララ、タ~ラちゃん♪」
テレビドラマ『太陽にほえろ』の節だよ。
AMI-REN気まぐれライブ配信vol.80ご案内
明日の水曜日(4月22日)は、AMI-REN(AMIの練習)の日。そして、AMI-RENの日に、「AMI-REN気まぐれライブ配信」をすることになりました。
2020年6月から、AMIは、「オリジナルソング」「南吉童謡」「オリジナルインスト」とライブ配信をしてきました。で、この2023年4月に、一通り終了となったわけですが、いきなり止めてしまうのも「なんだかなあ」。
そう、ちょっと寂しいので、ふんじゃあ、AMI-RENで練習する曲の中から1曲、ライブ配信しちゃおうよ。そうなったのであります。コピー曲が殆どだと思うので、Facebookのみです(YouTubeの監視は強力だから?)。
ところが、どっこいしょ。前回vol.79のご案内でも述べましたが、ブログ記事「AMI-REN気まぐれライブ配信Facebook削除事件」にあるように、これまでの「AMI-REN気まぐれライブ配信」のうち、vol.5~vol.8の4回分、何者かの手により削除されてしまいました、と書きましたが、このたび、vol.1~vol.63までの全てがFacebookの手により削除されてしまっておるのです。いくら気まぐれとはいえ、私たちの青春の一ページどころじゃない、「全てのページに渡る青春を返せえ!」です。ちなみに1か月たったら自動削除するそうです。
ということで、幻の第5回~第8回だけじゃない、第1回~第43回の削除にもめげることなく、これからも、気まぐれに「AMI-REN気まぐれライブ配信」は続けていきます。策は講じております。
ということで、その第80回・・・。いつもより1時間早い午前9時からの予定です。
AMI-REN気まぐれライブ配信vol.80
日時:2026年4月22日(水)9:00~(時間は多少前後します)
場所:Facebook

何卒よろしくお願い申し上げます。
https://www.facebook.com/ami725/

2020年6月から、AMIは、「オリジナルソング」「南吉童謡」「オリジナルインスト」とライブ配信をしてきました。で、この2023年4月に、一通り終了となったわけですが、いきなり止めてしまうのも「なんだかなあ」。
そう、ちょっと寂しいので、ふんじゃあ、AMI-RENで練習する曲の中から1曲、ライブ配信しちゃおうよ。そうなったのであります。コピー曲が殆どだと思うので、Facebookのみです(YouTubeの監視は強力だから?)。
ところが、どっこいしょ。前回vol.79のご案内でも述べましたが、ブログ記事「AMI-REN気まぐれライブ配信Facebook削除事件」にあるように、これまでの「AMI-REN気まぐれライブ配信」のうち、vol.5~vol.8の4回分、何者かの手により削除されてしまいました、と書きましたが、このたび、vol.1~vol.63までの全てがFacebookの手により削除されてしまっておるのです。いくら気まぐれとはいえ、私たちの青春の一ページどころじゃない、「全てのページに渡る青春を返せえ!」です。ちなみに1か月たったら自動削除するそうです。
ということで、幻の第5回~第8回だけじゃない、第1回~第43回の削除にもめげることなく、これからも、気まぐれに「AMI-REN気まぐれライブ配信」は続けていきます。策は講じております。
ということで、その第80回・・・。いつもより1時間早い午前9時からの予定です。
AMI-REN気まぐれライブ配信vol.80
日時:2026年4月22日(水)9:00~(時間は多少前後します)
場所:Facebook

何卒よろしくお願い申し上げます。
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あまおう買っちゃったよ
日頃滅多に果物買わないボクが、何を血迷ったか、イチゴのあまおう、買っちゃったがね。

だってさ、498円の品が特価台で300円に。しかも、特価台の品であっても、お買い物アプリのクーポン100円引きは適用されること知ってたから。つまり200円。あと、ワオンポイントが日頃の10倍も手伝って。
夜の晩酌の時の食前のデザートに。うん、ついでにバナナも買っちゃったのよ。

あまおう買っちゃったよ posted by (C)shisyun


だってさ、498円の品が特価台で300円に。しかも、特価台の品であっても、お買い物アプリのクーポン100円引きは適用されること知ってたから。つまり200円。あと、ワオンポイントが日頃の10倍も手伝って。
夜の晩酌の時の食前のデザートに。うん、ついでにバナナも買っちゃったのよ。

あまおう買っちゃったよ posted by (C)shisyun
下町音舞台2026年4月ご案内
今週末の土曜日(4月25日)、AMIはDaddy's下町の心で開催されます「下町音舞台」に出演させていただきます。
下町音舞台
2026年4月25日(土)14:00~
Daddy's下町の心
何卒よろしくお願いします。

https://www.facebook.com/ami725/

下町音舞台
2026年4月25日(土)14:00~
Daddy's下町の心
何卒よろしくお願いします。

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ジャスコ新発売お弁当第3弾
ジャスコ新発売お弁当第1弾は、実は「AMI-RENの日にお花見昼食会」の時に桜の下で食べた牛ごぼう飯弁当。次に、第2弾は、たっぷりおかず3色そぼろ弁当。
そして、今回、第3弾は、生姜を効かせたふっくらあさり飯。

おおお、これ、いいじゃん。あさり、仰山ふっくら。生姜も効いているよ。

おい、これ何? つぶつぶの。あ、イクラじゃん。ちょこっとだけど。

これ、いいわあ。
はい、ごちそ~さま。

ジャスコ新発売お弁当第3弾 posted by (C)shisyun

そして、今回、第3弾は、生姜を効かせたふっくらあさり飯。

おおお、これ、いいじゃん。あさり、仰山ふっくら。生姜も効いているよ。

おい、これ何? つぶつぶの。あ、イクラじゃん。ちょこっとだけど。

これ、いいわあ。
はい、ごちそ~さま。

ジャスコ新発売お弁当第3弾 posted by (C)shisyun
AMI-REN気まぐれライブ配信vol.79ありがとうございました
週半ばの水曜日(4月15日)は、AMI-REN(AMIの練習)の日でした。
そして、この日は、「AMI-REN気まぐれライブ配信」の第79回を午前の10時から行いました。
この日、演奏したのは、4月の東海市芸術劇場「交流パフォーマンス」で演奏し、4月の下町さんでも演奏するインストナンバー『グリーンスリーブス』。この曲、AMI版には副題があるんです。「だれがブスやねん」です。
どこがAMI版かと言えば、メロディ部分の和音展開もさることながら、前奏とエンディングがAMIオリジナルなんですよ。その前奏とエンディングが「だれがブスやねん」なんです。
詳しくは、動画をご覧ください。


その後、アレコレ練習して。ちょっと早めのお昼飯。
実は、11時までの朝飯が50円引きのクーポンがケータイアプリに登場して、麻布十番、いやいや、もとい、莇生の牛丼屋、自社製ベーコンがいいのよね。この日も、それ。
でも、ちょうど、この地区の何軒か地区指導的に携わっている人がおられて、空いているのはいいんだけど、一番座りたい場所で、その人、仕事に勤しんであちこち電話してるし。
バイトのシフトのアドバイスを、あちこちの店にしてる様子でしたよ。「大学生が学校行くため来れなくなった」とか「働き過ぎだから少しセーブして」とか。大変だわ。

はい、いっただっきまーす。
でも、あとから来た、背後のお年寄りの会話、どうも夫婦ではなさそうな男女の会話、男性が「仕事してるつもりになればいいんだ」「封筒を開けるからいけないんだ」など、女性がどんどん落ち込むようなアドバイス。

おお、もっと楽しい食事をしようよ。食べ終わって、トイレに席を立ったら、女性のしわくちゃで今にも大雨が降りそうな顔に、少し可哀想になってしまった。

そんなわけで、午後からの練習は、GWに演奏する曲を中心に楽しく激しく臨みましたよ。

AMI-REN気まぐれライブ配信vol.79 posted by (C)shisyun
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そして、この日は、「AMI-REN気まぐれライブ配信」の第79回を午前の10時から行いました。
この日、演奏したのは、4月の東海市芸術劇場「交流パフォーマンス」で演奏し、4月の下町さんでも演奏するインストナンバー『グリーンスリーブス』。この曲、AMI版には副題があるんです。「だれがブスやねん」です。
どこがAMI版かと言えば、メロディ部分の和音展開もさることながら、前奏とエンディングがAMIオリジナルなんですよ。その前奏とエンディングが「だれがブスやねん」なんです。
詳しくは、動画をご覧ください。


その後、アレコレ練習して。ちょっと早めのお昼飯。
実は、11時までの朝飯が50円引きのクーポンがケータイアプリに登場して、麻布十番、いやいや、もとい、莇生の牛丼屋、自社製ベーコンがいいのよね。この日も、それ。
でも、ちょうど、この地区の何軒か地区指導的に携わっている人がおられて、空いているのはいいんだけど、一番座りたい場所で、その人、仕事に勤しんであちこち電話してるし。
バイトのシフトのアドバイスを、あちこちの店にしてる様子でしたよ。「大学生が学校行くため来れなくなった」とか「働き過ぎだから少しセーブして」とか。大変だわ。

はい、いっただっきまーす。
でも、あとから来た、背後のお年寄りの会話、どうも夫婦ではなさそうな男女の会話、男性が「仕事してるつもりになればいいんだ」「封筒を開けるからいけないんだ」など、女性がどんどん落ち込むようなアドバイス。

おお、もっと楽しい食事をしようよ。食べ終わって、トイレに席を立ったら、女性のしわくちゃで今にも大雨が降りそうな顔に、少し可哀想になってしまった。

そんなわけで、午後からの練習は、GWに演奏する曲を中心に楽しく激しく臨みましたよ。

AMI-REN気まぐれライブ配信vol.79 posted by (C)shisyun
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安部公房『他人の顔』
第47回まちの宮市なまおとライブの際のイベント「ほんまち本のまち」で入手した古本。日本文学全集、一冊100円の中の安部公房集。詳しくはブログ記事「第47回まちの宮市なまおとライブありがとうございました」をご覧くだされ。『第四間氷期』に引き続き、『赤い繭』と『魔法のチョーク』を読み、続いては、『棒』『イソップの裁判』『無関係な死』『時の崖』を読んだ。
さあ、この安部公房集の締めくくりは、あの『他人の顔』だ。これ、文庫で読んだだけじゃなく、映画も観た記憶がある。
さて、あらすじだけど。
↓
主人公の「ぼく」は、高分子化学研究所の液体空気の爆発事故で、顔に重度のケロイド瘢痕を負ってしまった。自分の顔を喪失してしまったために、所長代理の顔を失い、おまえ(妻)や職場の人間との関係がぎこちないものに変わり、周囲の目を異常に気にするようになってしまった。「ぼく」は、精巧なプラスチック製の人工皮膚の仮面を作り、誰でもない「他人」になりすまし、最大の目的であったおまえの誘惑にも簡単に成功する。しかし、自分という夫がありながら「他人」と密通するおまえへの不信感は募り、「仮面」に嫉妬しながらも関係をやめられない自分に苦悶していく。
そして、「ぼく」は、「仮面」を抹殺するために、おまえに全ての経緯の手記を読ませるが、おまえは交際していた「他人」が実は「ぼく」であったことに気付いていた。おまえは、自分へのいたわりのために「ぼく」が「他人」を演じているのだと理解していたが、「ぼく」がおまえに恥をかかせるために暴露の手記を読ませたことを知り、「ぼく」への非難や愚弄を指摘した手紙を残して家を出ていった。その絶縁状を読んだ「ぼく」は、再び「仮面」を被り、空気拳銃を手にして、おまえを捜して街に出た。おまえの実家や友人らの家を巡った「ぼく」は、怒りに「野獣のような仮面」になり、銃の安全装置を外して路地に身を潜め、近づくおまえらしき女の靴音を待ち構えた。
↑
この小説、主人公による妻への手紙と3冊のノートから構成されている。しかも、ノートの色が、黒、白、灰色。白黒はっきりさせたがっているのか。黒から白へ。でも、最後は灰色。しかも、その3冊を妻が読み、妻は手紙を置いて出て行ってしまう。その手紙の内容とともに、主人公は、灰色ノート裏表紙から天地逆さにひっくり返して事の顛末の手記を綴るのだ。アベコベとも呼ばれた安部公房らしい。
以上、おしまい。
なんだ、そんなけかいな。だって、この安部公房集については、あんまし感想書く気なかったんでね。
でも、ちょっとだけ。
まず、黒いノートは、包帯ぐるぐる巻きでサングラスの顔を、なんとか仮面にしようと試行錯誤する過程。仮面を被ってからのお話でいいじゃないの、なんて言われれば、ま、そうかも、とも思うが、この試行錯誤の「ぼく」の思考と感情を味わうのも醍醐味なのだ。顔は、大きく4つに分類される件。それを心理学的に解釈するあたりも面白い。
そして、覆面が他者との遮断であるのに対し、仮面は他者との通路の再生である、その気づきも有意義だ。まさに、苦労ひとしおの黒いノート。
実はね、顔は、ボクに言わせれば、自分の他者との初コミュニケーションの役割を持つと思われがちだが、実は、そのコミュニケーションの結果は他者が感じ判断するものであり、そういう意味から、顔は自分に帰属するというよりも、他者に帰属するものかもしれない、そう思って読んでいた記憶があるのだ。ゆえに、この作品における仮面づくりという難儀な仕事を、ボクたち読者も主人公とともに突き合せられるのだよ。だから、この小説には、比喩がいっぱい登場する。読み手に違う感覚からアプローチしてもらいたくて。でも、結局、顔には客観的基準なんてものは存在しない、存在するとしても、他者の主観でしかない客観なのだよね。あはは。

そして、白いノートへ。仮面が完成したよ。さあ、表情を練習しよう。表へ出てみよう。コミュニケーションしてみよう。あわわ、包帯巻きでしか知らない大家の娘に仮面姿で出会うのね。ヨーヨーやってる娘に「管理人さんに内緒で買ってあげるから、それ返しておいで」に、娘は「内緒ごっこね」と。なんで気づかないんだよ、ここで。
仮面が知らぬ間に、「ぼく」が驚くほどの行動に出ることも。ヨーヨー買うついでに空気拳銃まで手に入れてしまう。
ごめん、コメント少ないけど、ここで主人公の「ぼく」と「仮面」が彼の思いとは違う方向、つまり仮面はどこまで行っても「ぼく」という自分なのに、他者に置き換えたことで、彼は仮面を通じてコミュを回復するのではなく仮面に隠れて法を犯すことも考えるのだ。でも、結果、彼の思考が勇気のなさではなく論理によって押しつぶされる。だいたい、万事がそうだ。彼の思考は、右往左往するがよく分かるけど、わかりながらも何一つできなくなって、妻を犯すことで精いっぱいだ。

さあ、アベコベと呼ばれた安部公房の本領発揮は、灰色ノートの計画への実行だ、そう、他人になりすまし妻を誘惑して密通する。この灰色のノートでの実行の日の前日の電車の中での見知らぬ女に対する接触や、実行に対する予測というか予知というか、その空想、いや妄想が甚だしい。顔に対する思考が回路を縦横無尽に駆け抜け、暴走している感もある。あたかも世界の男たちはみんな潜在意識の中に痴漢への欲望を持っているとも。
思うのだが、彼は、顔に拘りすぎていないだろうか。他者との通路は決して顔だけではない。むしろ顔が見えなくても、隣にいれば声や感情や呼吸やぬくもりなどで、伝わるものがある。ふと思うのが、現代人は遠く離れていてもコミュニケーションができると錯覚し、声も表情も息遣いも感じられないまま、ちょっとのコメントをしあうだけで通じ合っていると錯覚している。チャットのことだよ。便利は人間性を喪失させる。ということからすれば、主人公が顔だけに拘り過ぎるのは、人間性喪失の道を歩んでいることにならないか。
さて、そうして実行の日が来た。ボクは再読ということもあって、妻の相手が他人でなく旦那であることを知っちゃっているわけだから、主人公の「ぼく」が「ぼく」ではない他人として妻を犯すのと違って、妻は相手を旦那だと分かって犯されるのだから、もうここにはコミュニケーションの行き違いが起きてしまっているわけだ。主人公曰く、「仮面」と「ぼく」と「妻」の直線でできた非ユークリッドの世界なる三角関係。心理は非ユークリッドにあるにしても、ボクたちは所詮ユークリッドの天動説的世界という監獄の中で生きているんだよ。
それにもかかわらず、主人公は一度ならずも、何度も「仮面」と「妻」の逢瀬を繰り返してしまう。
そうして、主人公は、事の顛末を妻に暴露するために、妻への手紙と三冊のノートに託すのだが。
残念ながら、管理人の娘と同様、「内緒ごっこ」という芝居劇だと思っていたわけ妻は、手紙と三冊のノートを読み、手紙を綴る。旦那にお芝居だと思っていたことを。そして、すべてが勘違いだったことを。

それが、主人公によって書かれたラストの章ともいうべき「灰色のノートを逆さに使って、その余白に、最後のページから書き加えられた、自分だけの記録」というわけだ。ここに記されている3冊のノートを読んだ彼女の手紙、仮面を被ってても「あなたでしょ」と分かっていたのだ。あの管理人の娘の「内緒ごっこ」と同様に。
では、顔を失ってから、顔の再生に勤しんだ主人公の3冊のノートに綴られていることは何だったんだ。そこで繰り返された哲学的とも思われる思考回路が、実は狂ったダイヤモンドのようなものであったことを知る主人公。3冊のノートを妻に送らず茶番劇で済ませていればよかったものを、この他人の顔を手に入れて妻に他人としてアプローチしたことが、妻にとって信じがたい他者になってしまった旦那。だからだ、もう、一緒にいられないと思ったのは。
この『他人の顔』は、前作『砂の女』と自作『燃え尽きた地図』とともに、「失踪三部作」と言われている。だが、戸籍を失ってでも生きる『砂の女』の主人公や、人の相談から発した探偵がどこへ行くやらのまさに失踪と違って、この『他人の顔』は、ボクから言わさせてもらえば「失踪三部作」ではない。これは、失踪したくても失踪できない、顔をなくしたものが失踪もできずに、妻とのコミュニケーションも復活できなかった。そう、何もなくしていなかった、失くしていたのは、自分のアイデンティティだった、そういうお話だと思う。
安部公房は、作品の中で絶えず試行錯誤して、自分の脳みそがこんなに大変なことになっていることを暴露するような文体がたくさん出てくる。ここでも、「はやく、奥さんを犯せよ」思いながらも、たくさんの「ぼく」の耐えられない独白が延々と続く。
でも、彼の妻との情事が真の自分だったら、この小説は、プツンと終わってしまう。安部氏は、そうしたくない、なぜなら、この小説で、人との関わりにおける顔を、どうしてもテーマに小説したかったのだ。
そして、うまく、それを成し遂げた、とは思うが。1回だけじゃなく、何度も逢瀬に。しかも、その仮面との逢瀬に嫉妬する自分。
ああ、簡単に済まそうと思ったのだが、あたかも主人公の手記のように、たらたらとああでもないこうでもない、書いてしまった。
最後に、妻の手紙から引用したい。
《愛というものは、互いに仮面をはがしっこすることで、そのためにも、愛する者のために、仮面をかぶる努力をしなければならないのだと。仮面がなければ、それを剥がすたのしみもないわけですからね。》
仮面も化粧も、聞かざるという意味で衣服も、そうかもしれない。
《あなたに必要なのは、私ではなくて、きっと鏡なのです。どんな他人も、あなたにとっては、いずれ自分を映す鏡にしかすぎないのですから。そんな、鏡の砂漠なんかに、私は二度と引返したいとは思いません。》
主人公にとっての致命傷は、仮面の正体を見破りながら騙され続けたことと、何一つ行動らしい行動が伴わず御託を並べた手記を書いただけという追い討ち。
ある顔半分がケロイドの少女が主人公の映画のお話がつづられ、その少女のような結末だけは追いたくない主人公の決心が書かれ、終わる。どうしたかは書かれていない。読者よ、想像せよ。
ボクは、主人公「ぼく」と「仮面」との狭間を右往左往しながら、世界を取り戻したく、その一番の身近な他者である妻を入り口にして取り戻そうとしながら、結果その入り口は一方通行出口なしのゴキブリホイホイみたいな存在だった。だから、銃をとって待ち構えるしか思いつかなかったのじゃないかな。
これは、善し悪しの問題じゃない。ここまで試行錯誤をする人生を読者であるボクたちも共に考え、いい顔して世間づきあいするのでもなく、世間から逃げるのでもなく、どう関係性を築いていくべきなのかを考える思考回路が、この『他人の顔』ではなかろうか。
あかん、もうおしまいにする。ボクは、本を読んでいるとき、そこの登場人物にメチャ影響されやすい。そして、この手記も、妻の手紙も、何のことはない、安部公房自身の思考回路だと思っている。

はい、本当におしまい。『第四間氷期』と『他人の顔』という二つの長編が、いくつかの短編をブックエンドのように挟んだこの全集「安部公房集」は、人生のブックエンドでもあるかな。前者が未来との決別であり、後者は今との決別。安部の作品にはいつも明るい未来はない。

安部公房『第四間氷期』 posted by (C)shisyun

さあ、この安部公房集の締めくくりは、あの『他人の顔』だ。これ、文庫で読んだだけじゃなく、映画も観た記憶がある。
さて、あらすじだけど。
↓
主人公の「ぼく」は、高分子化学研究所の液体空気の爆発事故で、顔に重度のケロイド瘢痕を負ってしまった。自分の顔を喪失してしまったために、所長代理の顔を失い、おまえ(妻)や職場の人間との関係がぎこちないものに変わり、周囲の目を異常に気にするようになってしまった。「ぼく」は、精巧なプラスチック製の人工皮膚の仮面を作り、誰でもない「他人」になりすまし、最大の目的であったおまえの誘惑にも簡単に成功する。しかし、自分という夫がありながら「他人」と密通するおまえへの不信感は募り、「仮面」に嫉妬しながらも関係をやめられない自分に苦悶していく。
そして、「ぼく」は、「仮面」を抹殺するために、おまえに全ての経緯の手記を読ませるが、おまえは交際していた「他人」が実は「ぼく」であったことに気付いていた。おまえは、自分へのいたわりのために「ぼく」が「他人」を演じているのだと理解していたが、「ぼく」がおまえに恥をかかせるために暴露の手記を読ませたことを知り、「ぼく」への非難や愚弄を指摘した手紙を残して家を出ていった。その絶縁状を読んだ「ぼく」は、再び「仮面」を被り、空気拳銃を手にして、おまえを捜して街に出た。おまえの実家や友人らの家を巡った「ぼく」は、怒りに「野獣のような仮面」になり、銃の安全装置を外して路地に身を潜め、近づくおまえらしき女の靴音を待ち構えた。
↑
この小説、主人公による妻への手紙と3冊のノートから構成されている。しかも、ノートの色が、黒、白、灰色。白黒はっきりさせたがっているのか。黒から白へ。でも、最後は灰色。しかも、その3冊を妻が読み、妻は手紙を置いて出て行ってしまう。その手紙の内容とともに、主人公は、灰色ノート裏表紙から天地逆さにひっくり返して事の顛末の手記を綴るのだ。アベコベとも呼ばれた安部公房らしい。
以上、おしまい。
なんだ、そんなけかいな。だって、この安部公房集については、あんまし感想書く気なかったんでね。
でも、ちょっとだけ。
まず、黒いノートは、包帯ぐるぐる巻きでサングラスの顔を、なんとか仮面にしようと試行錯誤する過程。仮面を被ってからのお話でいいじゃないの、なんて言われれば、ま、そうかも、とも思うが、この試行錯誤の「ぼく」の思考と感情を味わうのも醍醐味なのだ。顔は、大きく4つに分類される件。それを心理学的に解釈するあたりも面白い。
そして、覆面が他者との遮断であるのに対し、仮面は他者との通路の再生である、その気づきも有意義だ。まさに、苦労ひとしおの黒いノート。
実はね、顔は、ボクに言わせれば、自分の他者との初コミュニケーションの役割を持つと思われがちだが、実は、そのコミュニケーションの結果は他者が感じ判断するものであり、そういう意味から、顔は自分に帰属するというよりも、他者に帰属するものかもしれない、そう思って読んでいた記憶があるのだ。ゆえに、この作品における仮面づくりという難儀な仕事を、ボクたち読者も主人公とともに突き合せられるのだよ。だから、この小説には、比喩がいっぱい登場する。読み手に違う感覚からアプローチしてもらいたくて。でも、結局、顔には客観的基準なんてものは存在しない、存在するとしても、他者の主観でしかない客観なのだよね。あはは。

そして、白いノートへ。仮面が完成したよ。さあ、表情を練習しよう。表へ出てみよう。コミュニケーションしてみよう。あわわ、包帯巻きでしか知らない大家の娘に仮面姿で出会うのね。ヨーヨーやってる娘に「管理人さんに内緒で買ってあげるから、それ返しておいで」に、娘は「内緒ごっこね」と。なんで気づかないんだよ、ここで。
仮面が知らぬ間に、「ぼく」が驚くほどの行動に出ることも。ヨーヨー買うついでに空気拳銃まで手に入れてしまう。
ごめん、コメント少ないけど、ここで主人公の「ぼく」と「仮面」が彼の思いとは違う方向、つまり仮面はどこまで行っても「ぼく」という自分なのに、他者に置き換えたことで、彼は仮面を通じてコミュを回復するのではなく仮面に隠れて法を犯すことも考えるのだ。でも、結果、彼の思考が勇気のなさではなく論理によって押しつぶされる。だいたい、万事がそうだ。彼の思考は、右往左往するがよく分かるけど、わかりながらも何一つできなくなって、妻を犯すことで精いっぱいだ。

さあ、アベコベと呼ばれた安部公房の本領発揮は、灰色ノートの計画への実行だ、そう、他人になりすまし妻を誘惑して密通する。この灰色のノートでの実行の日の前日の電車の中での見知らぬ女に対する接触や、実行に対する予測というか予知というか、その空想、いや妄想が甚だしい。顔に対する思考が回路を縦横無尽に駆け抜け、暴走している感もある。あたかも世界の男たちはみんな潜在意識の中に痴漢への欲望を持っているとも。
思うのだが、彼は、顔に拘りすぎていないだろうか。他者との通路は決して顔だけではない。むしろ顔が見えなくても、隣にいれば声や感情や呼吸やぬくもりなどで、伝わるものがある。ふと思うのが、現代人は遠く離れていてもコミュニケーションができると錯覚し、声も表情も息遣いも感じられないまま、ちょっとのコメントをしあうだけで通じ合っていると錯覚している。チャットのことだよ。便利は人間性を喪失させる。ということからすれば、主人公が顔だけに拘り過ぎるのは、人間性喪失の道を歩んでいることにならないか。
さて、そうして実行の日が来た。ボクは再読ということもあって、妻の相手が他人でなく旦那であることを知っちゃっているわけだから、主人公の「ぼく」が「ぼく」ではない他人として妻を犯すのと違って、妻は相手を旦那だと分かって犯されるのだから、もうここにはコミュニケーションの行き違いが起きてしまっているわけだ。主人公曰く、「仮面」と「ぼく」と「妻」の直線でできた非ユークリッドの世界なる三角関係。心理は非ユークリッドにあるにしても、ボクたちは所詮ユークリッドの天動説的世界という監獄の中で生きているんだよ。
それにもかかわらず、主人公は一度ならずも、何度も「仮面」と「妻」の逢瀬を繰り返してしまう。
そうして、主人公は、事の顛末を妻に暴露するために、妻への手紙と三冊のノートに託すのだが。
残念ながら、管理人の娘と同様、「内緒ごっこ」という芝居劇だと思っていたわけ妻は、手紙と三冊のノートを読み、手紙を綴る。旦那にお芝居だと思っていたことを。そして、すべてが勘違いだったことを。

それが、主人公によって書かれたラストの章ともいうべき「灰色のノートを逆さに使って、その余白に、最後のページから書き加えられた、自分だけの記録」というわけだ。ここに記されている3冊のノートを読んだ彼女の手紙、仮面を被ってても「あなたでしょ」と分かっていたのだ。あの管理人の娘の「内緒ごっこ」と同様に。
では、顔を失ってから、顔の再生に勤しんだ主人公の3冊のノートに綴られていることは何だったんだ。そこで繰り返された哲学的とも思われる思考回路が、実は狂ったダイヤモンドのようなものであったことを知る主人公。3冊のノートを妻に送らず茶番劇で済ませていればよかったものを、この他人の顔を手に入れて妻に他人としてアプローチしたことが、妻にとって信じがたい他者になってしまった旦那。だからだ、もう、一緒にいられないと思ったのは。
この『他人の顔』は、前作『砂の女』と自作『燃え尽きた地図』とともに、「失踪三部作」と言われている。だが、戸籍を失ってでも生きる『砂の女』の主人公や、人の相談から発した探偵がどこへ行くやらのまさに失踪と違って、この『他人の顔』は、ボクから言わさせてもらえば「失踪三部作」ではない。これは、失踪したくても失踪できない、顔をなくしたものが失踪もできずに、妻とのコミュニケーションも復活できなかった。そう、何もなくしていなかった、失くしていたのは、自分のアイデンティティだった、そういうお話だと思う。
安部公房は、作品の中で絶えず試行錯誤して、自分の脳みそがこんなに大変なことになっていることを暴露するような文体がたくさん出てくる。ここでも、「はやく、奥さんを犯せよ」思いながらも、たくさんの「ぼく」の耐えられない独白が延々と続く。
でも、彼の妻との情事が真の自分だったら、この小説は、プツンと終わってしまう。安部氏は、そうしたくない、なぜなら、この小説で、人との関わりにおける顔を、どうしてもテーマに小説したかったのだ。
そして、うまく、それを成し遂げた、とは思うが。1回だけじゃなく、何度も逢瀬に。しかも、その仮面との逢瀬に嫉妬する自分。
ああ、簡単に済まそうと思ったのだが、あたかも主人公の手記のように、たらたらとああでもないこうでもない、書いてしまった。
最後に、妻の手紙から引用したい。
《愛というものは、互いに仮面をはがしっこすることで、そのためにも、愛する者のために、仮面をかぶる努力をしなければならないのだと。仮面がなければ、それを剥がすたのしみもないわけですからね。》
仮面も化粧も、聞かざるという意味で衣服も、そうかもしれない。
《あなたに必要なのは、私ではなくて、きっと鏡なのです。どんな他人も、あなたにとっては、いずれ自分を映す鏡にしかすぎないのですから。そんな、鏡の砂漠なんかに、私は二度と引返したいとは思いません。》
主人公にとっての致命傷は、仮面の正体を見破りながら騙され続けたことと、何一つ行動らしい行動が伴わず御託を並べた手記を書いただけという追い討ち。
ある顔半分がケロイドの少女が主人公の映画のお話がつづられ、その少女のような結末だけは追いたくない主人公の決心が書かれ、終わる。どうしたかは書かれていない。読者よ、想像せよ。
ボクは、主人公「ぼく」と「仮面」との狭間を右往左往しながら、世界を取り戻したく、その一番の身近な他者である妻を入り口にして取り戻そうとしながら、結果その入り口は一方通行出口なしのゴキブリホイホイみたいな存在だった。だから、銃をとって待ち構えるしか思いつかなかったのじゃないかな。
これは、善し悪しの問題じゃない。ここまで試行錯誤をする人生を読者であるボクたちも共に考え、いい顔して世間づきあいするのでもなく、世間から逃げるのでもなく、どう関係性を築いていくべきなのかを考える思考回路が、この『他人の顔』ではなかろうか。
あかん、もうおしまいにする。ボクは、本を読んでいるとき、そこの登場人物にメチャ影響されやすい。そして、この手記も、妻の手紙も、何のことはない、安部公房自身の思考回路だと思っている。

はい、本当におしまい。『第四間氷期』と『他人の顔』という二つの長編が、いくつかの短編をブックエンドのように挟んだこの全集「安部公房集」は、人生のブックエンドでもあるかな。前者が未来との決別であり、後者は今との決別。安部の作品にはいつも明るい未来はない。

安部公房『第四間氷期』 posted by (C)shisyun
熱田区デイサービスセンター2026年4月ありがとうございました
週初めの火曜日(4月14日)、AMIは、午後から、熱田区デイサービスセンターでボランティア演奏でした。
この日は、みっちゃん、午前に御用があったのでセンター駐車場に11時40分ごろ集合。お昼飯は、あらかじめミヨジャ食品売り場で仕入れたパンとおにぎり。パンは、たっぷりツナマヨネーズ、5%OFF。おにぎりは、鮭明太と……。
「パンがツナマヨだから、和風ツナマヨおにぎりはやめといた」
「了解」
ということで、おにぎりもひとつは、わかめごはんおにぎり。
演奏会場のある熱田区役所の地下駐車場に止めて食べるつもりが。
「まだ結構、時間あるじゃん。アツジャのパン工場の休憩所にしよう」
「いいよ」
「平面駐車場に止めるからね」
「いいよ」
「ミヨジャで買ったものをアツジャで食べる。同じジャスコだから、いいよね」
「いいよ」

そんなわけで、はい、いっただっきまーす。
ちなみに、ここのパン工場、火曜日なら、お得市で120円パンを出してたのに、やめたみたい。ミヨジャのパン工場は120円やってるけどね。アツジャは、そんなことやらなくても売れるのかね。火曜日に来ても、それは詰まんないから、みんなパン工場の品買わずに食品売り場の品、食べてるよ。

美味しくいただきました。ごちそ~さま。
はい、熱田区デイサービスへ。エレベーターで6階へ。
さあ、スタートの13:30です。演奏開始です。
恒例、AMIのテーマソング。
(^^♪ アミムメモのうた(AMIテーマソング、ロングヴァージョン)
演奏後、「アミ」を何回言ってるか、またまた問題出しましたよ。三択問題です。はい、2番の45回、正解です! でも、1番の5回も誤解で正解。3番の365日も、みっちゃん毎晩寝てる時に「アミアミ」と寝言やイビキをかくので正解。


そして、春の童謡唱歌から。
(^^♪ 早春賦
(^^♪ おぼろ月夜
(^^♪ 花
(^^♪ みかんの花咲く丘
ここで、手遊びです。
(^^♪ 幸せなら手をたたこう
はい、ここで喉を潤すお茶タイム。私たちも頂きました。

それから南吉さんの詩に曲をつけて歌う南吉童謡。
(^^♪ たんぽぽ

そして、懐かしのメロディ。
(^^♪ 北国の春
(^^♪ 銀座カンカン娘
(^^♪ ここに幸あり
(^^♪ 上を向いて歩こう

以上でした。
はい、皆さん、高らかな歌声で歌ってくださいました。本当にありがとうございました。元気をもらいましたあ。
次回は5月18日(月)です。その後も決まってます。6月30日(火)、7月15日(水)、8月4日(火)です。
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熱田区デイサービスセンター2026年4月 posted by (C)shisyun
https://www.facebook.com/ami725/

この日は、みっちゃん、午前に御用があったのでセンター駐車場に11時40分ごろ集合。お昼飯は、あらかじめミヨジャ食品売り場で仕入れたパンとおにぎり。パンは、たっぷりツナマヨネーズ、5%OFF。おにぎりは、鮭明太と……。
「パンがツナマヨだから、和風ツナマヨおにぎりはやめといた」
「了解」
ということで、おにぎりもひとつは、わかめごはんおにぎり。
演奏会場のある熱田区役所の地下駐車場に止めて食べるつもりが。
「まだ結構、時間あるじゃん。アツジャのパン工場の休憩所にしよう」
「いいよ」
「平面駐車場に止めるからね」
「いいよ」
「ミヨジャで買ったものをアツジャで食べる。同じジャスコだから、いいよね」
「いいよ」

そんなわけで、はい、いっただっきまーす。
ちなみに、ここのパン工場、火曜日なら、お得市で120円パンを出してたのに、やめたみたい。ミヨジャのパン工場は120円やってるけどね。アツジャは、そんなことやらなくても売れるのかね。火曜日に来ても、それは詰まんないから、みんなパン工場の品買わずに食品売り場の品、食べてるよ。

美味しくいただきました。ごちそ~さま。
はい、熱田区デイサービスへ。エレベーターで6階へ。
さあ、スタートの13:30です。演奏開始です。
恒例、AMIのテーマソング。
(^^♪ アミムメモのうた(AMIテーマソング、ロングヴァージョン)
演奏後、「アミ」を何回言ってるか、またまた問題出しましたよ。三択問題です。はい、2番の45回、正解です! でも、1番の5回も誤解で正解。3番の365日も、みっちゃん毎晩寝てる時に「アミアミ」と寝言やイビキをかくので正解。


そして、春の童謡唱歌から。
(^^♪ 早春賦
(^^♪ おぼろ月夜
(^^♪ 花
(^^♪ みかんの花咲く丘
ここで、手遊びです。
(^^♪ 幸せなら手をたたこう
はい、ここで喉を潤すお茶タイム。私たちも頂きました。

それから南吉さんの詩に曲をつけて歌う南吉童謡。
(^^♪ たんぽぽ

そして、懐かしのメロディ。
(^^♪ 北国の春
(^^♪ 銀座カンカン娘
(^^♪ ここに幸あり
(^^♪ 上を向いて歩こう

以上でした。
はい、皆さん、高らかな歌声で歌ってくださいました。本当にありがとうございました。元気をもらいましたあ。
次回は5月18日(月)です。その後も決まってます。6月30日(火)、7月15日(水)、8月4日(火)です。
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熱田区デイサービスセンター2026年4月 posted by (C)shisyun
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サーモントラウトって鮭じゃないの
サーモントラウトの加熱用が半額で手に入れたのだけど。なんか、名前のトコ、くしゃくしゃって消してある。

そういやあ、サーモントラウトと鮭って、別もんなの?
調理しながら、やっぱ、これ鮭じゃないの?と。

食べ終わった後、ネットでデリッシュキッチンさんに教えてもらった。
☟
鮭の特徴
産卵のために川を遡上する鮭は、実は海水魚です。分類上サケ科サケ属に属し、日本で多く出回っている鮭は「白鮭」といわれています。地域によっては「アキアジ」や「トキシラズ」などと呼ばれることもあり、淡いオレンジ色をしています。
鮭にはアニサキスなどの寄生虫がいるため基本的に生食には向いておらず、加熱して食べるのが一般的です。鮭の身は赤い色をしていますが白身の魚に分類されています。
また、鮭の種類もさまざまで、成長が早く海での養殖に向いているとされる「銀鮭」は、スーパーなどでは塩鮭として出回っています。脂肪が多くて身がやわらかく、きれいなオレンジ色をしているのが特徴です。アラスカやロシアなどからの輸入が多い紅鮭は、肉厚で他の鮭に比べて色が濃い種類です。
サーモンの特徴
サーモンと一言でいってもその種類はさまざまで、その中でも正式にサーモンとされているのが「トラウトサーモン」です。英語の「トラウト」とは「鱒」を意味する言葉で、トラウトサーモンはサケ科サケ属ニジマスの淡水魚です。
一方、日本でもよく食べられる「アトランティックサーモン(タイセイヨウサケ)」は名前に「サーモン」がついていますが、実は北大西洋に多く生息する海水魚です。こちらも鮭と同様にサケ科に属しています。日本で見かけるサーモンはそのほとんどが養殖もので、生食できるのが特徴です。
鮭とサーモンの違い
海水魚である鮭と、淡水魚であるトラウトサーモンはまず生息場所が異なります。ただし、アトランティックサーモンのように、海水に生息するサーモンもいます。
また、加熱が必要な鮭に対して、サーモンは生食できるのも違いです。
鮭と「鱒」の違いは?
鱒はサケ目サケ科に属し、鮭と鱒には生物学的にはっきりとした区別がないとされています。かつては、鮭は海水でも生きることができる、鱒は淡水でしか生きられないなどと区別されていたようですが、同じ種類でも個体によって違いがあり区別が難しいといわれています。
鮭と「シャケ」の違いは?
鮭のことを「サケ」もしくは「シャケ」と呼ぶことがありますが、実はどちらの読み方も正しいとされています。
呼び方が2つある理由には諸説あり、調理前と調理後で呼び方を変えるというものやアイヌ語に由来するなどの説があります。アイヌ語では「鱒」のことを「サクイベ」や「シャケンベ」と呼ぶためそれが転じたともいわれていますが、はっきりとした理由はわかっていません。
☝
へええ、へええ、へええの連続だったよ。

サーモントラウトって鮭じゃないの posted by (C)shisyun


そういやあ、サーモントラウトと鮭って、別もんなの?
調理しながら、やっぱ、これ鮭じゃないの?と。

食べ終わった後、ネットでデリッシュキッチンさんに教えてもらった。
☟
鮭の特徴
産卵のために川を遡上する鮭は、実は海水魚です。分類上サケ科サケ属に属し、日本で多く出回っている鮭は「白鮭」といわれています。地域によっては「アキアジ」や「トキシラズ」などと呼ばれることもあり、淡いオレンジ色をしています。
鮭にはアニサキスなどの寄生虫がいるため基本的に生食には向いておらず、加熱して食べるのが一般的です。鮭の身は赤い色をしていますが白身の魚に分類されています。
また、鮭の種類もさまざまで、成長が早く海での養殖に向いているとされる「銀鮭」は、スーパーなどでは塩鮭として出回っています。脂肪が多くて身がやわらかく、きれいなオレンジ色をしているのが特徴です。アラスカやロシアなどからの輸入が多い紅鮭は、肉厚で他の鮭に比べて色が濃い種類です。
サーモンの特徴
サーモンと一言でいってもその種類はさまざまで、その中でも正式にサーモンとされているのが「トラウトサーモン」です。英語の「トラウト」とは「鱒」を意味する言葉で、トラウトサーモンはサケ科サケ属ニジマスの淡水魚です。
一方、日本でもよく食べられる「アトランティックサーモン(タイセイヨウサケ)」は名前に「サーモン」がついていますが、実は北大西洋に多く生息する海水魚です。こちらも鮭と同様にサケ科に属しています。日本で見かけるサーモンはそのほとんどが養殖もので、生食できるのが特徴です。
鮭とサーモンの違い
海水魚である鮭と、淡水魚であるトラウトサーモンはまず生息場所が異なります。ただし、アトランティックサーモンのように、海水に生息するサーモンもいます。
また、加熱が必要な鮭に対して、サーモンは生食できるのも違いです。
鮭と「鱒」の違いは?
鱒はサケ目サケ科に属し、鮭と鱒には生物学的にはっきりとした区別がないとされています。かつては、鮭は海水でも生きることができる、鱒は淡水でしか生きられないなどと区別されていたようですが、同じ種類でも個体によって違いがあり区別が難しいといわれています。
鮭と「シャケ」の違いは?
鮭のことを「サケ」もしくは「シャケ」と呼ぶことがありますが、実はどちらの読み方も正しいとされています。
呼び方が2つある理由には諸説あり、調理前と調理後で呼び方を変えるというものやアイヌ語に由来するなどの説があります。アイヌ語では「鱒」のことを「サクイベ」や「シャケンベ」と呼ぶためそれが転じたともいわれていますが、はっきりとした理由はわかっていません。
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へええ、へええ、へええの連続だったよ。

サーモントラウトって鮭じゃないの posted by (C)shisyun