安部公房生誕100年記念『安部公房のポスタリゼーション』再録 | 空想俳人日記

安部公房生誕100年記念『安部公房のポスタリゼーション』再録

 かつてHPに「笑月流公房倶楽部」というサイトを立ち上げていて、今は閉鎖してるんですが、安部公房生誕100年を記念して、その中の『安部公房のポスタリゼーション』を、ここに再録します。一昨日UPした「生誕100年記念『安部ッ句「棒」考』再録」、昨日UPした「生誕100年記念『安部公房作品体系図』再録」の第3弾。

ポスタリゼーション
~その手法、裏側に見える日本~


 安部公房の作品には、ポスタリゼーションという技法が頻繁に出てくる。 ポスタリゼーションという言葉は、それほど古くはなく、コンピュータが登場し、 そのマシーンのなかで、いわゆる画像をポスターのように加工して貼り付けることに起因しているのだが、 安部氏が小説内で、フレーム(枠)を使い、あたかも、言葉をポスターを貼ったように浮き立たせる技法を使っていたことから、 後に、それをポスタリゼーション技法と呼ぶようになった。
 ここまで説明してもピンと来ない方に、具体的な例を示して説明しよう。

 これである。
 他の例もあげよう。

 『デンドロカカリヤ』に登場している。

 これは『空中楼閣』である。
 彼がこうしたポスタリゼーションに求めていたのは、時間の中断と視覚的認識であるのは 間違いない。ある意味では広告屋的表現である。
 通常、キリのいいところで段落をつけたり、小見出しを置いたり、章立てたりする従来の手法は、 言ってみれば、「はい、ページが変わりますよ」です。小見出しなど、「はい、次は、こういうことを言いますよ」 である。これは作者として、読者に文字的な意味的な一段落を示唆するものであり、 読者への作者の配慮と言ってもいい。勿論、安部氏の、このポスタリゼーションも、ある意味では読者への配慮ではあろうが、 はっきり言って、途中なのである。改ページや小見出しをつけるような場所ではなく、 物語の途中の局面にいきなり現れるのである。これは何なのか。
 簡単に紐解くとすれば、映像手法におけるストップモーションなのである。 最近の映画、アメリカ映画では『マトリックス』、中国映画の『英雄』など、 この時間を止める、あるいは超スローモーにする手法は、ここが見せ場、という代物なのである。
 安部公房は、言葉から始まった。言葉を書き留めることが認識の一歩だった。 しかし、彼は、カメラ、ラジオドラマ、映画などを経て、自らが演劇のスタジオを作り、 『イメージの展覧会』という、究極の表現、言葉に映像と音と肉体を取り入れた。
 実は、彼は言葉で認識する重要性とともに、言葉だけではない手法を既に考えていた。 というのも、当り前で、彼は、精神的表現よりも現代の物質社会や肉体的論理に対し、 タダ単に精神の前でアンチにするのではなく、新しい思考回路として考えていた。
 さらにさらに、実は、彼は、言うなれば、絶対的に読者を信じていなかった。 何故なら、彼は読者のためにエンターテイメントするために、言葉を曖昧にすることを忌み嫌った。 むしろ、自らの新たな考えを言葉を通して伝達し切れなければ、ビジュアルに訴えたかった、 そう言って過言ではないのである。だから、彼から安部公房スタジオが生まれ、イメージの展覧会が生まれたのだ。 もし、彼がマンガを書く能力があったのならば、そのポスタリゼーション手法は、 もっとビジュアライズされたものになっていたかもしれない。
 後年、『箱男』で彼が撮影した写真が紹介されたのは、そういうことなのである。 マンガを書く能力があったら・・・、ここで誰もが思い起こすのは、 彼とほぼ同じ世代で、彼と同様、世界に認められた日本の漫画家、手塚治虫を思い出す。 安部氏と手塚氏が交流があったという記録も知らないし、そういうことはなかっただろうと思う。 手塚氏は、どうやら安部氏よりも少し若い世代に当たる作家、筒井康隆とは交流があったようだ。 あの芸術とは何ぞやにせまる力作『ばるぼら』に筒井康隆ならぬ筒井隆康というキャラが登場する。 ううん、確か、この作品じゃなかったろうか、いや、違うな、『ブラックジャック』だったかな、 安部公房そっくりさんのキャラも登場する。安部と手塚は会っていたかもしれない。 そして、安部よりも若い世代の作家、筒井康隆とダブる世代の漫画家というよりアニメ作家に、 宮崎駿がいる。同世代の安部と手塚、そしてその後の世代の筒井と宮崎・・・・・、 ちょって待ってね、筒井は世界的かな? ううん、大江健三郎と入れ替えた方がいいかも。 (ごめん、筒井康隆殿。あなたの『幻想の未来』は、安部公房の脚本、スタンリーキューブリックの監督で映画化されれればアカデミー賞もんだった。残念)
 話は、えらい逸れたが、逸れたとは思っていない、 安部のポスタリゼーションは、後年、演劇活動に収束されたと思われるが、 実は、あの『砂の女』でとても美しい形で最後の締めを飾り、『燃えつきた地図』で、 冒頭を飾る。 『砂の女』のそれは、《失踪に関する届出の報告》と《審判》の2通、そして、 『燃えつきた地図』では《調査依頼書》。 これを、前者の締めくくり、後者の導入、でなく、2つの作品を繋ぐ途中のブリッジだと思うのは私だけだろうか。
 そして、『箱男』以降、フレーム付きのポスタリゼーションは影を薄める。ちょうど、安部公房スタジオが創設された頃。 『箱男』では、箱を作る素材の用意するもの、『密会』では、男に関する素性報告書が冒頭にあるが、 ポスタリゼーション的ではない。フレーム処理もないし、かつての途中的道標の役割でもないようだ。 彼は、安部公房スタジオという、文字とは違う領域にチャレンジし、ポスタリゼーション以上の大きな試みをした。 そして、いくつもの『ガイドブック・シリーズ』、そして『イメージの展覧会』へ。それは『イメージの展覧会~小象は死んだ~』で終局を迎える。 その終局は、海外では大きな評価をえられながらも、日本では作家としての安部公房を超える評価に繋がらなかった、 そんな安部氏自身の、日本に生まれながらも、満州で育ち、今は亡き自らの故郷、その喪失感を、再度、 自らの国である日本に対して感じたのではなかろうか。
 彼が言葉の中にポスタリゼーション的道標を置き、絶えず終わりなき道の標べを置いたに関わらず、 日本のマンガ世代や映像世代と旧態依然とした文学芸術共同体の狭間(この中には安部公房信者も確かにいる)で、身動きが取れなくなった、 そう思えて止まないのである。賛否はそうした交流や継承の必須条件、いわば賛否両輪(両論でなく両輪)なのだが、 日本は、隔絶(隔離)と交流(伝達)は共存しない世界、共同体でなければ村八分、それが相変わらず若い世代にも続いている国なのかもしれない。
 古臭い思想や政治や論理に染まった文学と、新しい無思想、無政治、無論理の文学の狭間で、 本来テーゼとアンチを融合すべきアウフヘーベンの働きかけに日本社会は応えられず、彼は、 思考ばかりか命までも梗塞せざるを得なかったのではなかろうか。

 以上、2003年9月


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