金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』 | 空想俳人日記

金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』

 ドナルド・キーン氏の『ドナルド・キーン自伝-増補新版』の読んでて、
「いろんな作家との交流があったんだなあ」と思いながらも、
「そういやあ、詩人は出てこんなあ」という疑念も沸いたのだよねえ。
 小説家と詩人とは、あんまし交流がないのかなあ、どんなんかなあ、そう思ってね。ちょっと詩人の方へ目を向けたくなったのよ。
 日本の詩人と言えば、学生の頃から、中原中也、谷川俊太郎、山之口獏、村野四郎、茨木のり子、新川和江などなどなどなど、特に浪人時代、受験勉強と言いながら、熱田図書館(当時は熱田神宮境内にあった。熱田の杜図書館と呼びたい風情だった)の開架書庫で詩集ばかり読んでたなあ。
 そしてそして、詩人と言えば、この人を忘れてはならない。金子光晴である。彼は、詩人であるとともに、人間・金子光晴だとボクは思っている。

金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』01 金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』02 金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』03

 折しも、本屋で、この『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』を見つけた。大きく二作からなる。『詩人』はまさに金子光晴自伝である。『人間の悲劇』は敗戦後の出発を示す自伝的詩集である。この二つのカップリングに、な、な、なんと、解説を源ちゃん(高橋源一郎)が書いている。即、入手した。

金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』04
金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』05
金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』06

『詩人』
 金子光晴の自伝の中に、どういった人々が登場するのだろう。読んでいるうちに、知らん名前がいっぱい登場する。まあ、文壇では皆、既知の名だと思うが、やっぱボクは一般の素人だもんな、つくづく思うのであった。でも、小説家の名(横光利一など)も登場するところを見ると、けっして作家と詩人の間に壁があるわけじゃなかろう、いや、それとも、金子氏の幅広い交友なのかも、いろいろ考えちゃうよ。
 自伝は四部からなる。

第一部 洞窟に生み落されて
 主に明治の頃。愛知県の津島で生まれ(1895年)で幼少は名古屋で育つ。これは知ってたけど、養子の話は知らなんだ。土建業の清水組名古屋出張所主任だった金子荘太郎の養子となる(正式には6歳のとき)。養母の須美は当時16歳。この16歳の須美さんが、金子氏を抱くと、まるで自分のお人形のように、ずっと離さなかったそうで、生みの親の方は父親が事業に失敗し、ちょうど口減らしになるからと、決まったそうだ。もう、彼らしい運命が始まっている。
 小学校の頃は、日本画も習っている。だから、絵描きでもあるんだ。
 中学(東京の暁星中学)に入ると、漢文学が好きになり、老荘思想や江戸文学に惹かれる。さらに現代文学に関心が向かい、小説家を志望するようになる。

第二部 「水の流浪」の終り
 主に大正の頃。早稲田大学、東京美術学校、慶應義塾大学と、おいおい、入学・中退を繰り返してるよ。
 1918年(大正7年)には、自費で詩集『赤土の家』の出版。12月、養父の友人とともにヨーロッパ遊学。
 1923年(大正12年)7月には詩集『こがね蟲』出版記念会を開く。出席者には西条八十、吉田一穂、石川淳、室生犀星、福士幸次郎らがいるよ。そして、9月、関東大震災に遭い、名古屋の友人の実家に身を寄せる。幼少の頃の名古屋の記憶はないそうな。
 東京に戻ると、小説家志望の森三千代と知り合い、三千代が妊娠する。彼の女性に対する歴史からすれば、妊娠しなければ、結婚しなかったのではないか、つまり、これ、できちゃった婚じゃないか、ボクはそう思うのであった。しかし、困窮した生活いつまでも続くが、妻は、おそらく、結婚とはそういうものだ、と思うしかなく、つきあってくれたようだよ。いい奥さんだねえ、と思いきや、あはは、後に、奥さん、男が出来ちゃうんだねえ。
 夫婦で上海に1ヵ月ほど滞在したとき、魯迅らと仲良くもなっている。どんなに貧乏で、どんなに世の中の波に乗れなくても、彼の行動力はすさまじい。あちこち旅をする。ある意味では、逃げたり戻ったり、かもしれないけど。金がなくとも旅先で借金したり何とか稼いだりして、旅を続ける、どういう根性?

第三部 棲みどころのない酋長国
 主に昭和の戦前・戦中の頃。先にも話したけど、国木田虎雄夫妻と上海に行き3ヵ月ほど滞在する中、横光利一とも合流して交流を深めてる間に、奥さんは浮気しちゃうのよねえ。当時は、女性の姦淫罪は重いんだけど、でも、金子氏は、許しちゃうっていうか、無かったものにして、二人でアジア・ヨーロッパの旅に出発してるよ。はじめの3ヵ月ほどは大阪、後に長崎から上海に渡って半年ほど滞在。上海で風俗画の展覧会を開いて旅費を調達し、香港へ。のちにシンガポールでも風景小品画展を開き、ジャカルタ、ジャワ島へ。一人分のパリまでの旅費が貯まると、三千代を先に旅立たせる。これ、凄いよね。いくら、日本画ら脱出したいの一心かもしれへんけど、この旅費を調達しながら、旅を続けるなんて。
 そうそう、この頃、小説『芳蘭』を第1回改造懸賞小説に応募して、横光利一の支持を得たものの次点となっちゃって、これをきっかけに小説は諦めたのだね。
 旅の続きだけど、パリで三千代と合流すると、額縁造り、旅客の荷箱作り、行商などなどで生計をつなぐんだよ。「無一物の日本人がパリでできるかぎりのことは、なんでもやった」んだねえ。
 パリを離るとれ、ブリュッセルのイヴァン・ルパージュのもとへ身を寄せる。日本画の展覧会を開いて旅費を得、三千代を残してシンガポールへ渡り、マレー半島を旅行する。三千代が単身で帰国すると金子氏も帰国。とね、何、この行動力。
 そして、実妹の設立した化粧品会社(モンココ洗粉本舗)で働き生活費を得るんだけど、これ、多少、生活の支えになってるんだね。
 そうそう、この頃、山之口貘との交友がはじまるんだね。
 そして、日本が、雲行き怪しい方向に進んでいくにつれ、日本の社会体制への批判を込めた詩を次第に発表するようになるんだよ。
 長男の乾が徴兵検査を受け、召集令状が届いた乾を戦地に送らせないため、気管支カタルを病んでいた乾を雨の中に立たせたりして発作を誘発しようとしたけど、逆に体を鍛えちゃったね。でも、なんとか、召集を免れたら、翌年(1945年)また乾に召集令状が届くけど、診断書を持って係官と掛け合い、延期させちゃうよ。
 ちなみに、ここでは奥さんのことを分かりやすく「三千代」と名前で書いたが、金子氏は自伝の中で「森」という姓で表記している。結婚しても、彼にとって彼女は「森」だったのだ。これは、ある意味、自立して生きることを示唆しているような気もする。彼の反骨精神は他者に染まらない。一般大衆の一部になり果てない。それが非常識で脱落者であったとしても。まわりから奇人・変人に見られても。
 この第三部の冒頭に、あの有名な『おっとせい』が載っている。一部を引用したい。
《だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで、
 侮蔑しきったそぶりで、たゞひとり、
 反対をむいてすましてるやつ。
 おいら。
 おっとせいのきらひなおっとせい。
 だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
 たゞ、
 「むかうむきになってる
 おっとせい。」》
 そして、第三部終盤にこう書かれている。
《一億一心という言葉が流行っていた。それならば、僕は、一億二心ということにしてもらおう。つまり、一億のうち、九千九百九十九万九千九百九十九人と僕一人とが、相容れない、ちがった心を持っているのだから。》
 そして、日本は敗戦するのだが、ぬけ殻になった日本人の言い訳。
《「まんまと一杯ひっかかった」。そんな言葉が、自棄的な笑いといっしょに誰の口からもきかれた。
 「そんなことわかりきっていたろうに。なにを言うのか」と、僕は、耳をふさぎたい気持ちだった。》

第四部 解体と空白の時代――戦後
 そして、戦後。疎開先より吉祥寺に戻り、『コスモス』の同人となる。詩集『女たちのエレジー』、詩集『鮫』の系列の詩を『落下傘』という題で集め、続いて『蛾』『鬼の児の唄』を出す。
 そして、後半にある『人間の悲劇』と続くのである。
 彼は、戦後を「ふりだしから出発」と語る。その想いが綴られて第四部は終わるのだが、1957年7月10日と記された「あとがき」にもあるように、60年の記録でしかない。
 彼は、その後も生きた。ここには書かれていないが、中でも、1948年に出会った詩人志望の大河内令子という女性との恋愛関係。34歳年下らしい。彼は50代前半だから二十歳前後か。彼女と妻の三千代との間で、金子氏は何度も結婚離婚が繰り返されている。それが生涯続くのである。
 そういえば、詩人の茨木のり子にも、金子氏は接触しようとしたらしいじゃないか。確か、茨木氏が語っていたような。でも、彼女は、夫を亡くしてもずっと夫を愛してたもんねえ。

金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』07

 ちなみに茨木氏と金子氏の初顔合わせは、1962年11月に金子宅で行われた対談で、それが以前入手した別冊太陽『茨木のり子-自分の感受性くらい』に再録されてて、それで知った。
金子「世界はだんだん物の言えない方向へ向かいつつあるね、個人が物を言えない方向へ……。」
茨木「言うに足るだけの個人の精神がまだあればまだしもですがそれさえ希薄になってゆくような……。」

金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』08

 あと、同じ別冊太陽に、1975年4月「詩における表現」が金子氏、茨木氏、そして谷川俊太郎氏によって語られた写真と共に、茨木氏が金子氏を表現した『トラの子』という散文詩が載ってる。
《彼は/日本の隠しておきたい大事なトラの子に/思われてきた》
 同年5月に茨木氏は夫を亡くしている。そして、同年6月に金子氏死去。
 戻るが、1963年に友人の山之口獏が亡くなった際、金子氏は葬儀委員長も務めてる。
 彼は訳詩も手掛けている。ボクは、『ランボオ詩集』を金子氏の訳で読んでいる。
 とにもかくにも、彼は、自ら才のない平々凡々な人間と自分を称しながらも、1975年に亡くなるまで、ボクらにはマネができない破天荒な人生を送っている。
 解説で源ちゃんはこう述べている。
《ぼくたちに理解できないような天空の高みから降ってくるのではなく、ひとりの人間、生きて、生きて、苦しんで、もがいて、成長して、挫折して、挫折して、真正面からぶつかって、失敗して、失敗して、叩きつけられて、立ち上がって、また、失敗して、傷だらけになって、倒れて、休んで、また起き上がって、ふさがっていた傷口がまた開いて、悩んで、ひとりぼっちになって、よろめいて、間違って、それでも前へ進もうとする、そういう人間の中から生まれてくる。》
 そんな彼の人生に惹かれながら、『人間の悲劇』に突入していきたい。
 

『人間の悲劇』
 ここに書かれているのは、終戦後3年の間に書かれた、長大な詩集。長い長い詩というか、ボクは詩と散文のアンサンブルだと思った。

No.1-航海について
《テーブルのふちから
 海は、あふれる。》
 まるで天動説の始まり方。そして・・・。
《『地球はこれっぽっちな筈がない、
 まだしらない大陸がある。
 僕は、それをさがしにゆくんだ』と。》
 そして、散文。
《あかん坊の僕は愚痴をこぼすことなどしらず、あらはれた小島をつかんで、口にはこばうと、手をのばした。動揺がすぐ僕を手なづけて、おとなしく眠らせた。》
 彼は、これを最初の『不信』と呼んだ。
《一日ずつ、僕は成人した。海の皺だらけな掌のうへで、僕は、虚しさにむかって背丈が伸びてゆくやうにおもはれてならなかった。》
《僕らの船は、いつのまにか目かくしされて、落日を浴びた吐瀉物に押し流され、うしろむきになったまま航海してゐる。》
 彼のこの世に生まれ、こうして生きて来させられてきた。

No.2-自叙伝について
《いつからか幕があいて》《いつのまにか、僕にも妻子がゐて》《はこばれてきたところが/こんな寂しい日本国だった。》《僕は一人、焼跡で眼をさました。》
《僕はうらやんだ。
 他人のりっぱな恋愛を。
 僕のは一円五十銭で
 消毒液のにほひがした。》
《竹筒に貯めた金で
 僕はねぎった。
 十銭足りない
 しみったれた我が恋愛を。》
 彼にとって、恋愛は決して熱きものではなく、冷ややかなものだったようだ。燃える、というよりも、凍る。
《ローマといふ名のおさげ髪。
 若かった僕はそっとうしろから
 その一すぢをぬかうとした。
 せめてもの君のかたみにと。》
《そんなわるいいたづらをする人は
 もうあそんであげませんよ。》
 そして、もう一篇は、とうとう恋人のうんこになる詩。「消化され」「滓になって」「おし出され」たことに、怨みはない、と。で、恋人は、うんこになった僕に気づくよしなく、「ぎい、ばたん」と出て行った。
 悲歌は、恋愛は手術。
 散文に
《僕を五千噸の半客船に載せて、カプリの沖までつれていったのは、一人の年をとった骨董商だった。》
 これは、前半の『詩人』に書かれている「養父の友人とともにヨーロッパ遊学」だね。一人前の商人に仕込もうとした。
 山之口獏に向けての詩も盛り込まれている。
《二人がのんだコーヒー茶碗が
 小さな卓のうへにのせきれない。》
 No.1出だしの《テーブルのふちから/海は、あふれる。》を想起させる。空虚の幸せが二人の仲を物語る。
 さて、「女たちへのいたみのうた」の後の散文が、急に書体が変わっている。「そこまで書きかけた僕は」とはじまるゴチック文は、書いている自分を見つめ直している。
《凡庸な一人の矮人(せひくをとこ)が多くの同類のあひだに挟まって、不意打ちな『死』の訪れまでを、どうやってお茶をにごし、目をふさぎ、耳をふさぎ、どうやって真相と当面するのを避けて、じぶんたちの別の神、別な思想で、どん帳芝居にうつつをぬかしたかといふこととなるのだ。》
 そこまで卑屈にならんとお、もう。

No.3-亡霊について
《このごろ僕は、亡霊どもに気がついた》で始まるこの「No.3」の亡霊とは何かを現実に置き換えると見えてくるよ。どんどん出てくる亡霊。見ないようにしてると、ある時、徒党を組んで登場する亡霊たち。
 散文から,
《僕が話そうとするのは、最も始末の悪い実例で、莫大な被害をかうむりながら、本人はなに一つ気がついてゐないのだ。そんな不明の原因は、人間のさびしがりやな性質にもとづくもので、あひてほしさについ、心の要慎を忘れて、亡霊などにつけいられるにいたるのだ。》
 もう分かったね。大林信彦の『さびしんぼう』、思い出すねえ。いい映画やった。
 でも、寂しさの空腹に警告を鳴らすよ。
《はらのへったやつらよ、
 おまへは生きたとはいへない。
 おまへはただ指をくはえて
 人生を鍵穴から覗いただけだ。》
 鋭いね。今もSNSで誹謗中傷する奴ら、「人生を鍵穴から覗いた」だけだね。
《人間どもが、もはや
 たべることができなくなり
 亡霊ばかりがころころとして
 ふんぞり反ってるこの人生を。》
 なんだ、今の時代じゃん。

No.4-死について
 おいおい、徳川家康の「欣求浄土、厭離穢土」という言葉が登場するよ。おそらく、彼は、幼少の頃から、今の子ではないんだけど、いじめられて生きづらくなって「死にたい」思ったかもしれない。この世に逃げる場所がなければ、死しかない。でも、金子氏は、アジアからヨーロッパ、あちこち逃げまくっている。
《僕らが『死』について考へることのできるのも結局、生きてゐるあひだの認識であること、(略)死とはなんのかかはりもないこと、『死』とは、どんな気体よりも虚しく、かるく、ものさびしいのに》
 以降、宗教的でよく分からない。ただ、
《死ぬ本人にとって『死』は、なるほど引当てた不運のくじであり、償ひやうのない最後の負債であるが、死骸をなめてゐる周囲の人人は、たえずその死骸から『君もすぐこの通りだよ。ふだんはじぶんらがわすれてゐるのを、"死"の方でも目こぼしして、忘れてゐてくれるなんておもいひちがひをしてはいけないよ」と。》

No.5
 このNo.5には、タイトルがない。仮にボクは「みんな死骸」と付けたい。おそらく終戦後、生き残った人たちを見ても、「死骸」に見えたのではないかな。
《正しい意見はその正しさにもたれる重力でゆがみ、決してくるはずでなかった方角へ外れがちなのだ。》
 そして、「科学の勝利の歌」。これ、何で小文字?
《地球はすでに小さすぎるので、人間はひろびろとした空中に翔び立った。そして、ふたたびこせこせした地上におりなくてもすむやうに、雲のうへに都市、楼閣を建てようと計画してゐる。それに、地球は、じつを言ふと、実験台として、みるかげもないものとなり、のこった釦を一つ押せば最後の列島が地図から消え失せ、完全に陸地といふものがなくなるのだ。》
 これ、予知、あたりだよ。
《死んだ魚も、
 死んだ海鳥も、
 ぶざまに、だが、生きてるやうに
 波にもまれ、波に踊らされる》
《あんまり中身がないので
 かるすぎるので
 波は、あきれ半分、僕を
 ふりちぎるやうにゆすってみたり
 ぽいと吐きすててみたりするのだ。》

No.6-ぱんぱんの歌
 ここでは、「ぱんぱん」が何かは説明しないよ。
《ぱんぱんはそばの誰彼を
 食ってしまひさうな欠伸をする。
 この欠伸ほどふかい穴を
 日本では、みたことがない。/
 くだくだしい論議や、
 戦争犯罪やリベラリズムまで、
 この欠伸のなかへぶちこんでも
 がさがさだ。まだがさがさだ。》
 この「欠伸」こそ、日本のブラックホールだよ。そして、ぱんぱんは気高いのだ。
《「みそこなはないでくださいよ。あたいだってね。いまこそ、こんなにおちぶれはててゐるけど、はばかりながら御先祖は、桓武天皇九代の後胤といふわけさ。》
《「ふん、そんなの自慢なもんか。あたいの父ちゃんだって、銀行の頭取りさんだったのよ。」》
《「あたいの伯父さんは、恐れ多くも子爵さまだよ。平民ども、頭が高いぞ。」》

No.7
 このNo.7にもタイトルがない。No.6の続きとして「ぱんぱんの歌2」でいいんじゃないかえ。
《ぱんぱんさんは部屋のなかで
 いつも丸裸。
 かかとの高い赤靴をはいて
 みしみしと畳のうへをあるく。/
 崑崙奴は、鼻唄が大好きだ。
 低いバス。
 その眼にうつるのは遠い
 インベウ河の川波。/
 崑崙奴のねてゐる首に
 うしろ前にふみまたがり
 黒い胸板でトランプを占う。
 ぱんぱんさんは、こはいものなし。/
 気に入らなければ、そばにある
 灰皿でも、金盥ででも
 いきなり横つらをぶん殴る。が
 崑崙奴は、にやりと笑ふだけだ。》
 まるで映画のワンシーンのように、情景が浮かび上がるねえ。「崑崙奴」は「くろんぼ」と読む。
《君はじぶんのひしゃげた性器を、こはれた弁当箱のやうに振って見せる。愛情の神秘をむしりとった性器は、均一札がついてゐて、男に好き、嫌ひはない。客がなければうゑ死するほかないくせに、買ひにくる男を心でさげすみ、突慳貧にあたりちらす。》
 このあと、「性器だけうってゐるつもりで、しらずにいっさいをうりわたしてゐた」とも。No.6とは異なる「ぱんぱん」への一面だ。
《顔は、眉をしかめていふ。
 「ひげがいたい」
 「ひざがごりごりあたる」
 僕の不きっちょに舌打ちする。/
 まねごとの愛撫の代金が
 たかすぎると僕がくやむとき
 安すぎたとおもって、顔が
 ぷりぷりしてそっぽをむく。》
 ちぇっ、そういうことか。
《あらゆる不幸を無視して、『生理』だけがなぜこんなに旺盛なのだらう。》
 知らんよ、ボクは。

No.8
 さて、冒頭の「海底をさまよふ基督」という詩の後の散文にこう書かれてるよ。
《もう神のことなら、われわれの方がよくしってますよ。人間は、神のすぐとなりに坐って、神が人間に感化され、人間がまねをするのを待ってゐます。つまり、いひわけがほしいんですね。……君が裸でゐるわけも教へてあげませうか。裸よりほかに身を隠す嘘をおもひつかないんでせう。》
 人は神を創りたもうた。そして、この世界は模倣で出来ているんよ。
 そして「お医者さまの唄」。
《天なる父の愛子のお医者さまは、
 2ccの注射器に
 からっぽの奇跡を透かしてみながら
 エリ、エリ、ラマ、サバクタニ、》
 この「からっぽの奇跡」を記憶しておきたい。「我が神我が神なぜ私をお見捨てになったのですか」という基督の言葉も。
 終始、海の中の話で進む。「海底にしずんでゐる怪物ども」では、
《この世界のうら側にびっしり生みつけられた
 まだ、みえない産卵の無限積だ。》
 そうして「海藻の唄」。
《ふぐりや乳房で浮きあがるもの
 軽はずみな望みにあざむかれ
 放屁の水泡に目もくらみ
 右往し、左往する小魚ども。》
 さらに「竜宮の歌」。
《魚たちの眼と
 眼からこぼれる涙が
 竜宮をあかるくする。
 貝細工を透かすように。》
 詩の一節は連なっていると考えよう。竜宮は何処かも。「くらげの唄」。
《僕? 僕とはね、
 からっぽのことなのさ。
 からっぽが波にゆられ、
 また、波にゆりかえされ。》
 最後の詩、「卵の唄」は、
《月がなでさすり
 月の光さし入る卵。
 僕のこころの内ぶところにまだ
 孵らない幾多の想念。》
 このNo.8にも題名がないが、「天地創造」では大袈裟かな。大袈裟なら「竜宮は泡だらけ」で、どお?

No.9
 まず「仮面の唄」が二つ続く。そして、
《どうせ一列の仮面はおなじ会社でつくられて、どれをどうとりかへたって平気なのだ。……いったい素顔なんかといふものがあったのだらうか。それこそ、祖先どもがじぶんに似せてつくった面型の不出来な見本にすぎないのではないか。》
 祭りの露店で、どのお面がいいか迷ってたら、目をつむって「どれにしようかな」ってやればいい。アンパンマンでもドラえもんでもOK。
 続いて「詩のかたちで書かれた一つの物語」は、一枚の猿又を父子で代わり番子で履いて外出する話。父が亡くなり、子が自由に使えるようになるが、それも蟹に盗まれ、猿又の行方を毎晩夢見る。猿又は何だろう。
 最後に「答辞に代えて奴隷根性の唄」のあとに、
《奴隷たちの自由は、つないでおくつながながいといふことなのだ。
 そして、奴隷たちにとって、いつでも『明日はくもり』なのだ。未来が買ひとられてしまってゐるからだ。》
 最後に、現実が露呈している。皆が奴隷なのだ、と。
《高飛車に堂々と法をふりかざし、国民の義務をおしつけながら、大量な虐殺をする理不尽にむかって文句一つつけられず、闇の被衣にかくれてもぞもぞと、主人の庫の
贓品を二重にごまかして私腹を肥さうとする狡い下男共にすぎないのだ。》
 このNo.9にもタイトルがない。「他人の顔」は?

No.10-えなの唄
 タイトルの「えな」は、「胞衣」と書く(文中に出てくる)。胞衣(えな)とは、臍帯を含む胎盤のことを言う。臍帯とは「へその緒」のこと。
《うき世の風にたへきれないいのちがなげ出されて、
 パラフィン紙のやうなうす皮をかむって、うごめいてゐる。
 それが僕だ。僕につながる君たち(胞衣のこと)。また、僕の生理につながる美。》
《雲吞の皮に似たべらべらなこの皮膚が、たるんだり、ひっぱれたりしながらも、僕のこころは行き暮れる。》
《帰納法によって、僕は、世界の人間が一枚のヒフでつづいてゐる宿命を知った。その皮膚の一方のすみから疥癬がはじまる。》
《皮膚と皮膚とが涯なくつづくように、人間のざうふとざうふが、遠方からおしあって、もはや支へもならぬ『人類全体のおもたさ』をつくりだしてゐる。》
《のぞいてごらん下水のふたをあけて、がばがばとうづまいてゐるのは、くろぐろと流れてゐるのは、血だ。》
《ふたたび血管へは戻れない血だ。犠牲者たちの血だ!》
《せめて、石鹸になりたいよ。/
 くすぐったがるわきのしたや、
 おへそや、またを辷りまはり
 君の素肌で泡を立てて
 身を細らせる石鹸に。》
 また、「僕はペンをやすめ」で始まる、No.2でもあった、散文が急にゴチックに書体変更だ。一度、明朝に戻るが、「よごれた白壁に」からラストまで、ゴチック体に。その中から、
《これほどの悲劇乃至は喜劇は誰だって思ひつかないであらう。……黒板の字を消すやうに、あらゆる痕跡をぬぐひとった青空に、もう一度なにか書き直してみたいといふ意慾は、五十歳の外へ追放された僕にとっての、この世のおもひでとでもいふべきものだ。》
 いやいや、金子氏は絶えずゼロからやり直す力というか、生き直す魂の再生というか、そういうものを持って生きてきたと思う。
 このNo.10までの『人間の悲劇』は、ある意味、終戦後の再生とも呼べる、彼の生きる原動力にもなっているのではなかろうか。

 そして、源ちゃんは「解説」にこう書いている。
《『詩人』を読み、そのまま、『人間の悲劇』に突入してください。あなたは、これまで一度も体験したことのない世界を体験できるはずだ。仮にそこから戻って来れなくても、ぼくには責任をとれないのですが。」
 大丈夫。ボクは戻って来たよ。
 最後に、もう一度、茨木のり子氏に登場願おう。

金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』09

 彼女の詩集『自分の感受性くらい』には、金子光晴氏没後に彼に捧げた『底なし柄杓』という詩がある。あえて、ここには、その詩を引用しないが、以前書いたブログ記事「茨木のり子『自分の感受性くらい』」に、感想を書いているので、それを転載したい。

金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』10


 短い詩ですが、金子光晴像を言い得ていますねえ。しかも、北斗七星ですよ。分かりますか、「北斗七星の下あたり 無造作にほんなげられてしまっていますね」という表現が。まさか、学校で習った、北斗七星が柄杓の形をしていることも忘れるほど、毎日の銭儲けに忙しいのでしょうか。
 金子さんが持っている柄杓は、なんでも掬い掠めあげようとしている柄杓と違って、底がないんですね。底がないから、北斗七星に例え挙げられると共に、底なしのもひとつ、例えば、底なし沼とか、底なし飲兵衛とか、きりがない、限界知らず、なんですわね。
 普通なら、こんな奴に何かくれてやっても無駄、となるわけですよ。そこが、普通じゃないんですね。では、普通じゃないって、どういうことかと言えば、毎日の銭儲けに忙しくて北斗七星なんか忘れちまった、という人には分からない、とてつもなく人間臭い人種なんですよ。
 否、分からないんじゃなくて、分かってても、既にゴミと一緒にあっさりと、大切な自分を捨ててきてしまったことで、別世界の人になってしまった、というわけなんですね。
 自分の感受性くらい自分で守れよ、と言われても、いまさら守る自分がマジに何処に置いてきてしまったのか分からない。それじゃあ、どうしようもないですよね。
 でも、今更ながら、大樹を離れて、小さいながらも自分という一本の木を探しに行くのもいいかもしれません。

 以上でした。
 そういやあ、先に「そこから戻って来れなくても」という源ちゃんの言葉に対し、「大丈夫。ボクは戻って来たよ。」と書いたけど、ちょっとズレた世界へ戻っちゃったかも。


金子光晴『詩人/人間の悲劇-金子光晴自伝的作品集』 posted by (C)shisyun


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