松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba -7ページ目

思い出します熊本を。

海原はるかです。

コロナ感染対策前母親が元気な頃に東京在住の弟と三人で話し合い一人暮らしの危険性を伝え、所謂(いわゆる)介護施設入居を了解して貰い母親の希望を入れて、毎週弟が東京から熊本に向かい施設を探しましたが有るようで無いのが母親にOKの返事が貰える条件の施設が見つかりません。母親は自宅近くにある施設が希望で時々自宅にも戻りたい気持ちが強かったです。子供としても母親の気持ちは痛い程理解出来ますのは、僕たちが小学校低学年の時に両親が一軒家を購入して間もなく台風被害で家自体が流されて住めなくなり県営住宅で4人で生活した後に、今の高台の一軒家を購入した両親の執念のマイホームでした。

近所には熊本では超有名な水源地八景水谷(はけのみや)が有り、熊本の水が美味しいのは八景水谷水源地があるからと断言できる位の誇れる場所なんです。水源地の近くに立派な介護施設が有り人気で伺いましたら13人待ちの状況で母親も諦めるしか無かったのです。弟が東京から毎週熊本に行き、母親が納得する施設を探しOKした施設は市内からバスで1時間要する正直不便な場所でしたが、施設長の仕事に対する考えや入居者に接する態度を見て僕も納得できました。

弟は仕事もしていましたが、母親の希望で施設に来て欲しいのコメントが有れば、駆けつける本当に優しい人で僕は母親と約束したのは月一で必ず顔を見に帰る気持ちを伝えましたが、当時結構忙しくてスケジュール調整が大変でした。
月一ですが熊本なので日帰りは無理で数日を熊本の自宅で過ごし大阪戻りの繰り返しでした。
当時は酒を飲んでましたので介護施設からバスで熊本市内を下車して買い物を済ませ電車で帰るスケジュールがメインでした。
その買い物途中で面識の無い母校の済済黌高等学校の後輩女子に声をかけられて言われたコメントは今でも記憶に残っています。「松竹芸能の海原はるか師匠ですね!」と。嬉しかったのは熊本でも結構認知されている事実に納得してハイと言葉を返しました。実はこの女子が僕が熊本の憩いのオアシスと断言しています(いし丸)さんのママのお姉さんだったのです。

ドラマは突然に生まれとんでも無い方向に広がって行きますが、又明日書かせて頂きます。

写真は先日御紹介したイタリアンチャイナバル村塾の一品・酢豚です。とにかく美味いのでパチリ。

三月を楽しみます。

海原はるかです。

2月は29日が最終日でやはり少し早い気がしますが、今日から3月を迎えてなぜか気持ちまで爽やかになっているのは3月のイメージが桜、卒業、旅行と気持ちウキウキする要素が多いのも事実ですし、スポーツも大リーグや日本プロ野球の開幕も控え、また突然の大谷君の結婚発表はビッグニュースでした。

先月難波の大阪松竹座の舞台に出演させて頂きましたが、大舞台ですから微妙な緊張感は当然ですが、なぜか楽しい気持ちで二日間の出番を無事終了。17歳の高校二年生の時に役者を目指して両親の反対や弟に応援して貰いながら大阪の土地を踏み71歳で松竹座の舞台に役者としての出演を果たしました。
54年の歳月が経過して初志貫徹役者としての夢を叶える事ができた時は感無量でいつも応援してくれていた東京在住の弟も観劇に来て、終演後には二人で楽しい会食になりました。
知人曰く、大阪は笑いの街や漫才で頑張って結果を出せば絶対に役者の仕事も入って来るの言葉を信じて、長い54年の歳月を経て夢が実現しました。(釣りバカ日誌の19作と20作にも出演が叶いました)。

今月は6日から9日まで日本橋の国立文楽劇場に国立文楽劇場寄席「第130回上方演芸特選会」のタイトルで出演が決定。
基本は文楽がメインの劇場ですが漫才、落語、浪曲他日本の古典芸能を取り上げ、ご来場のお客様に楽しんで頂ける立派な劇場なんです。大劇場は文楽がメインで今回の上方演芸特選会は小ホールに。我々が所属しています芸能親睦団体の関西演芸協会の御厚意での出演になります。

少し前の話になりますが、我々が第73回大阪市市民表彰の文化芸術部門で表彰された時には祝電まで頂き、今も大切に保存させて頂いております。この市民表彰は僕にとっては大阪の芸人として認められた最高の御褒美として受け止めています。
熊本から18歳の時に大阪へ、熊本訛りの田舎者の少年がなんとか完璧では無いですが、大阪弁で漫才ができるまでになったのは凄い事と本人も大評価です。
コンビを組んだ相方かなた君が奈良県出身でしたから最初の頃から訛りが有ればアドバイスをしてくれ、その場でアクセント指導は助かりました。

最初にコンビを組む予定の方が鹿児島出身でしたから二人でネタ作りをして、お浜師匠の前で漫才のネタを披露させて頂いた時に師匠が一言「君ら何言うてるやら全く分からん」と、鹿児島弁と熊本弁の漫才でしたので、わからないのは当然かもしれません。今となっては懐かしい思い出になっております。

写真は松竹座楽屋前で弟をパチリ!嬉しい瞬間でした。

二月と さよならです。

海原はるかです。

数日間ブログを休んで申し訳ございませんでした。また一生懸命に書かせて頂きますので宜しくお願いします!
早いもので今月も今日で終わりですが、2月をどのように過ごしたか振り返ったら毎日を一生懸命に生きている事には絶対の自信が有ります。

朝目覚めて身体のストレッチをして、玄関に盛り塩と両親の温かいお茶の用意と線香に火を灯して手を合わせます。
朝食は1日のエネルギー源になりますので、野菜中心のメニューですが、朝の部屋の温度を確認して温かいスープにしたり野菜炒めだったり、時には生野菜をゴマダレやマヨネーズで食べます。ジャムや蜂蜜をトーストやヨーグルトに入れて甘味を味わっていましたが、病院の担当医に少し控える様にアドバイス頂き、完璧にオサラバです。性格的にほどほどができないのでたとうと決めたら徹底し、数日は少し物足りない気分ですが慣れたら別にで素材その物を味わっております。

全ての事に少しこだわり過ぎる部分が有りますが性格的に変更は無理と受け止めています!ある意味ヘンコでこだわる性格やなぁと感じた時が有りましたのは、数年前に前のマンションから新しいマンションに引っ越す事を決め、以前からよくして頂いています不動産会社のスタッフさんに引っ越す旨を伝え、条件も提示させて頂きました。

引っ越しの動機は新型コロナウイルス対策で仕事が止まり、気分転換も兼ねての事で前の住まいの居住年数が二十年以上になりましたのでなにかの時必ず相談する(通称守口のお母さん)に話をしてアドバイスを頂きました。所謂(いわゆる)引っ越しする時のマナーを教えて頂きました。細かい事は忘れましたが、新しい住まいに入る前に玄関に清めの塩と酒をまいて、台所に生米、塩、普段着用する下着を置くように言われました。
当時はマスク、手洗い、人の多い場所は避けて芝居で出演していました松竹座の舞台も本番以外はオールマスクをし、帰宅する時も人混みを避けて徒歩で帰っていました。
今思えば少し異常な気がしますが、用心してても一度コロナに感染してホテル療養した事も懐かしく思い出されます。

年齢的に考えても未だ元気な方だと思いますが、過信する事無く用心してジムトレも適当に頑張って毎日を過ごせたら嬉しいと思う海原はるかでした。

写真は大好物のオムカレーをパチリ!

海原はるかのブログについて

いつもブログを拝見頂いている皆様方に

お知らせです。


海原はるかが、ほぼ毎日更新しております

『アラ還ブログ』ですが、少しの間お休みさせていただきます。再開まで今暫くお待ちください。


引き続き宜しくお願い致します。

昨夜はガッツリ頂きました。

海原はるかです。

最近のTVを見てましたら時々ですが何々ブームと銘打ってニュースや娯楽番組で取り上げていますので何がブーム?と思いチェックしたら一つはサウナでした。僕のサウナブームは若手時代に有り、当時は肥満気味でしたのでなんとか太らない様に注意して舞台衣装を着用した時にパンパンにならない為の努力でブームと言えたか?ですが時間を見つけてはサウナ室の空間を楽しんでいました。若手の頃ですから髪もフサフサで今みたいな薄毛状況になる事すら想像していませんでしたので。近畿エリアの健康ランドや早朝営業中の銭湯でサウナを楽しんでいましたが、今みたいに風呂の種類がある訳ではなく、サウナ、水風呂を交互に楽しみ番台付近の椅子に座って牛乳を飲み又サウナを楽しみ着替えて出るのは夕方で当時がサウナブームの真っ最中でした。

もう一つがスナックブームと聞き不思議に思いTVを見ていましたら若い人が多く、一人で入店して面識の無いメンバーさんと交流を持ち仲良くなったり、世話好きのママさんのセッティングで所謂(いわゆる)合コン会場みたいな雰囲気で数多くのカップルが誕生とオンエアーされていました。やはり僕らの若手時代はスナックブーム?と言いますかスナックが多かったのは事実で開店何周年記念とかで我々はゲスト漫才で入店し、漫才やカラオケ司会で盛り上げる担当で今みたいに若い人は少なかった様な記憶が有りますが歴史は繰り返されているなぁと感じています。

昨日は一年振りになります「海原はるか一人孤独のグルメ旅」の旅行代金入金も終了して、松竹芸能担当マネージャーさんにスケジュールNGと相方かなた君への了承も得ましたのでハイテンションになりました。

ジムでは師匠御指導も完璧とは言えないですが褒めて頂いたベンチプレスの仕上がりでなぜか揚げ物、トンカツ、海老フライ、串カツ等を食べたいと思い、専門店にお邪魔しましたら土曜日休みますの張り紙にガックリして別の店に向かいタイミングよく揚げたてを購入できました。
普段は野菜中心のメニューを意識していますが、昨日だけはなぜか揚げたての物がムチャ欲しくなったのは身体が元気な証拠とプラスに解釈してガッツリ頂き、御飯もオムライスを楽しみましたが、量が多過ぎて全部食べ切れず番組で時々見ています大食い出演は無理と勝手に思う海原はるかでした。

写真は髪がフサフサで少しポッチャリの僕ですがやはり若い!