思い出します熊本を。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

思い出します熊本を。

海原はるかです。

コロナ感染対策前母親が元気な頃に東京在住の弟と三人で話し合い一人暮らしの危険性を伝え、所謂(いわゆる)介護施設入居を了解して貰い母親の希望を入れて、毎週弟が東京から熊本に向かい施設を探しましたが有るようで無いのが母親にOKの返事が貰える条件の施設が見つかりません。母親は自宅近くにある施設が希望で時々自宅にも戻りたい気持ちが強かったです。子供としても母親の気持ちは痛い程理解出来ますのは、僕たちが小学校低学年の時に両親が一軒家を購入して間もなく台風被害で家自体が流されて住めなくなり県営住宅で4人で生活した後に、今の高台の一軒家を購入した両親の執念のマイホームでした。

近所には熊本では超有名な水源地八景水谷(はけのみや)が有り、熊本の水が美味しいのは八景水谷水源地があるからと断言できる位の誇れる場所なんです。水源地の近くに立派な介護施設が有り人気で伺いましたら13人待ちの状況で母親も諦めるしか無かったのです。弟が東京から毎週熊本に行き、母親が納得する施設を探しOKした施設は市内からバスで1時間要する正直不便な場所でしたが、施設長の仕事に対する考えや入居者に接する態度を見て僕も納得できました。

弟は仕事もしていましたが、母親の希望で施設に来て欲しいのコメントが有れば、駆けつける本当に優しい人で僕は母親と約束したのは月一で必ず顔を見に帰る気持ちを伝えましたが、当時結構忙しくてスケジュール調整が大変でした。
月一ですが熊本なので日帰りは無理で数日を熊本の自宅で過ごし大阪戻りの繰り返しでした。
当時は酒を飲んでましたので介護施設からバスで熊本市内を下車して買い物を済ませ電車で帰るスケジュールがメインでした。
その買い物途中で面識の無い母校の済済黌高等学校の後輩女子に声をかけられて言われたコメントは今でも記憶に残っています。「松竹芸能の海原はるか師匠ですね!」と。嬉しかったのは熊本でも結構認知されている事実に納得してハイと言葉を返しました。実はこの女子が僕が熊本の憩いのオアシスと断言しています(いし丸)さんのママのお姉さんだったのです。

ドラマは突然に生まれとんでも無い方向に広がって行きますが、又明日書かせて頂きます。

写真は先日御紹介したイタリアンチャイナバル村塾の一品・酢豚です。とにかく美味いのでパチリ。