モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ショパン、パガニーニ、デイヴィッド・ギャレット、レクイエム、葬送行進曲、結婚行進曲、京都、京都ヒストリカ国際映画祭、ピアノ、クラシック音楽、映画音楽。
音路133.安らかにレクイエム
(どうするバスターズ 5)
今回は、怖~い曲の連載コラム「どうする バスターズ」の第5回です。
第3回から第6回は、ちょっと怖いクラシック音楽曲を中心としたコラムです。
読者の方々から、ハロウィン・シーズンにあわせて、「歴音fun」ならではの切り口で、怖い雰囲気を持つ音楽曲を紹介してほしいというリクエストをたくさん頂戴しましたので、「ロック洋楽編」と「クラシック音楽編」を連載で書いています。
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クラシック音楽の歴史の中には、死、ゴースト、悪魔、魔女などをテーマにした音楽曲が膨大にあります。
死を悼んだ楽曲、死にまつわる永遠や神を描いた楽曲、そして、ゾクゾクするような圧迫感・恐怖感・威圧感を感じる楽曲もたくさんあります。
今回は、クラシック音楽の世界にある「葬送行進曲」という音楽スタイルと、モーツァルトの「レクイエム(鎮魂歌)」について書いてみたいと思います。
◇京都で「映画と音楽の時空旅行」
コラムの本題の前に、別のお話を…。
先ごろ、コラム「音路131.悪魔と魔術師(どうするバスターズ 3)」の中で、クラシック音楽の作曲家でバイオリニストのパガニーニのお話を書きましたが、関係者から次のようなお知らせをいただきましたので、ご紹介させていただきます。
来年2024年1月23~28日に、京都にあります「京都文化博物館」にて、「第15回 京都ヒストリカ国際映画祭」が開催される予定です。
この映画祭の うたい文句は、「世界に類を見ない『歴史映画』をテーマにした映画祭」です。
さすが、派手な出来事満載の長い歴史を誇る京都の映画祭!すごおすな~!
2024年のその映画祭の前イベントとなる「プレ・イベント」として、2023年12月15日に、パガニーニの映画上映と演奏会が開催されます。
題して「映画と音楽の時空旅行」!
なんと時空を超えはる!
クリスマスを前に、京都からの、なんとも刺激的な「クリスマス・音楽プレゼント」ですね!
演奏は、立命館大学交響楽団と、京都市立芸術大学の音楽学部の研究生の方々だそうです。
詳細は下記ページで…。
案内ページ
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2023年、文化庁が、東京から京都市内に移され、数年前に改正された新法「文化芸術基本法」が、いよいよ本格稼働し始めた観があります。
今の文化庁長官は、歌謡曲ファンにはお馴染みの作曲家、都倉俊一さんですね。
京都は、古くて新しい…。
京都は、古くからの伝統をしっかり守りながら、アニメにしても、革新技術にしても、日本の「カルチャー文化」や「新技術」など、新しい時代に向けた「さらぴん(標準語で新しい品物)」を生み出し続けている地域ですね。
文化庁が、東京から京都に移された影響は、これから徐々にあらわれてくる気がしています。
パガニーニのような、クラシック音楽史の中におさまりきれないような音楽家や演奏家が、これから、京都から続々と誕生してくるかもしれませんね。
イベントの成功を祈っております。
さて、今年の12月中旬… 京都の紅葉はまだ残って…?
京都嵐山の嵯峨野トロッコ電車「光の幻想列車」にも、一度 乗ってみたいな!
夜の山中のトロッコ電車… ちょっと怖~!でも刺激的!
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デイヴィッド・ギャレットの演奏で二曲…。
パガニーニ
♪バイオリンソナタ 第12番
音楽界のバッハ一族にも負けない、スカルラッティ一族の、1700年代に活躍したドメニコ・スカルラッティの作品。
バッハ一族のような派手さはなくても、まるで京都の大原のような、渋いマニアックな雰囲気が実にいい!
♪ソナタ ヘ短調(K.466)
コラム「音路131.悪魔と魔術師(どうするバスターズ 3)」
◇ピアノの詩人が作った「葬送行進曲」
ここからは、今回のコラムの本題に…。
クラシック音楽には「葬送行進曲」と呼ばれる、特別な音楽スタイルがありますね。
西洋でも、東洋でも、葬送の列が街なかを歩くときに、音楽演奏が奏でられることがあります。
この数十年の都会の街なかでは、なかなかそうした光景は見られませんが、葬祭場などの中で、お別れの音楽を流すことはよくあります。
クラシック音楽、ジャズ音楽、童謡、歌謡曲など…、幅広いジャンルの音楽が流されますね。
「葬送行進曲」とは、葬儀において、ご遺体を墓地まで搬送する時に、演奏する音楽のことです。
故人を偲び、感謝し、敬意をはらう、荘厳な雰囲気を持った重厚な「葬送行進曲」です。
ですから、勇ましい勢いを感じさせたり、祝賀ムードの行進曲(マーチ)とは、少し意味合いが異なります。
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多くの有名なクラシックの音楽家たちが「葬送行進曲」を作っていますが、ショパンとベートーヴェンの「葬送行進曲」は、まさに、二大巨頭といっていいかもしれませんね。
特に、この二曲は、世界中の「国葬」級の葬儀で演奏されることの多い楽曲です。
「ピアノの詩人」と称されたショパンの「葬送行進曲」は、まさに葬送の詩!
下記映像の17分20秒から25分30秒までが、第三楽章「葬送行進曲」です。
ショパン
♪ピアノソナタ 第2番
2022年の、英国のエリザベス2世女王の葬儀での、ショパンの「葬送行進曲」です。
1963年の米国のケネディ大統領の葬儀での、ショパンの「葬送行進曲」です。
国葬級の葬儀は、ある意味、故人本人の音楽の好みに沿うというよりも、その国が、歴史上の偉大な名曲によって、国に功績を残した故人をしっかり送り出すという意味が込められています。
ショパンやベートーヴェンの「葬送行進曲」に、異を唱える方は そうはいないだろうと思います。
故人に寄り添うような葬儀の場合は、故人本人が希望していた楽曲であったり、遺族や周囲がその故人を思い出し、敬意を示すことができるような楽曲を選んだりしますね。
米国の一部のように、明るいジャズ音楽で、故人に楽しく旅立ってもらいたいと願うことも少なくありません。
日本なら、童謡も少なくありませんね。
◇ねりあげられた「葬送行進曲」
ベートーヴェンの壮大な「葬送行進曲」があります。
彼の交響曲第3番「英雄」の第二楽章が「葬送行進曲」です
この交響曲「英雄」は、民衆の蜂起である「フランス革命」直後に、ベートーヴェンが、革命を主導したナポレオン・ボナパルトを讃える曲として作曲されたと、一般的には知られています。
ですが、楽曲完成後に、ナポレオンが絶対的な皇帝に即位し、それに激怒したベートーヴェンが「奴も俗物に過ぎなかったか」と叫び、準備しておいた献辞の文言が書かれた楽譜の表紙を破り捨てたというエピソードが残っています。
実は、これは創作話で、実際の表紙は残っており、本当に激怒したかは不明です。
ただ、ナポレオンへの献呈は取りやめられており、誰が書いたか不明ですが、その表紙は、ナポレオンの名が消され、「ある英雄の思い出のために」と書き換えられています。
たしかに、存命の人への献呈用の楽曲の第二楽章に、「葬送行進曲」が入っているのは妙です。
実は、当時のフランスでは、「葬送行進曲」は、「葬送」という意味とは別の意味合いを持っていたともいわれています。
フランス革命のためや、多くの戦争のために命を落としていった兵士などを悼むのと同時に、勇気や士気を奮い立たせる意味があったようです。
革命の精神や、民衆の連帯意識を感じさせる意味もあったともいわれています。
それならば、献呈用楽曲に入っていても不思議はありません。
献呈の取りやめは、ベートーヴェン本人というよりも、周囲の政治的圧力だったのかもしれませんね。
ナポレオンのことは忘れて、「ある英雄の思い出のために」の言葉を思い出しながら、自身が英雄になる気持ちでお聴きいただき、どうぞ 奮い立ってください。
下記映像の15分30秒から32分30秒までが、第二楽章「葬送行進曲」です。
カラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏で…全曲。
ベートーヴェン
♪交響曲第3番「英雄」
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ベートーヴェンには、これとは違う「葬送」の名前が付いた別の楽曲があります。
「ピアノソナタ第12番」の第三楽章が「葬送行進曲」とされているため、この第12番を「葬送」と呼びます。
彼は、この頃に、作曲における実験的な取り組みを多くしていたようで、これも何かの試行錯誤だったのかもしれません。
ギリシャ神話の英雄「アキレス」の死をイメージしたもので、特に特定の人間の「葬送」をイメージしたものではないようです。
ベートーヴェン
♪ピアノソナタ第12番「葬送」
このピアノソナタが1802年の発表で、あの交響曲「英雄」は1804年の発表です。
このピアノソナタ第12番が、後に、交響曲第3番「英雄」の第二楽章「葬送行進曲」に大進化しました。
ベートーヴェンは、一曲を、ねって ねって ねりまくって、こねくりまわして、さらにもう一度 再考して、時間をかけて音楽曲を作るタイプの音楽家でしたが、面目躍如ですね。
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当時も、今現代のように、時代によって音楽スタイルの流行があり、人気のテーマがあったりしました。
「トルコ風」音楽も、もちろん民衆に人気の新音楽スタイルで、この「葬送行進曲」も流行で人気の音楽スタイルでした。
モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンなどの音楽家たちにとっては、自身の幅広い音楽の力量を見せつけ、名声や評価を得るチャンスです。
荘厳で永遠の「死」をイメージさせる、すごい「葬送行進曲」を作れてこそ、まさに偉大な作曲家!
2022年の、英国のエリザベス2世女王の葬儀での、ベートーヴェンの「葬送行進曲」です。
◇葬儀と結婚の行進曲
2022年の、英国のエリザベス2世女王の葬儀では、メンデルスゾーンの「葬送行進曲」も演奏されたようです。
音楽史の中でも、モーツァルトに並ぶ、もうひとりの「神童」で、生まれながらの天才が、メンデルスゾーン!
莫大な財をなしたユダヤ人の銀行家の家に生まれた天才児!
ユダヤ人の歴史上の誇り!
世界の一部の国々では、彼の「葬送行進曲」と「結婚行進曲」を演奏しないなど許されない!?
正反対の行事のこの二曲… 冒頭だけ、ちょっと似ている!
メンデルスゾーン
劇音楽作品「真夏の夜の夢」より「結婚行進曲」です。
ここは、面白アクション指揮者のユーリ・シモノフさんで… アクションに目を奪われて、音楽が耳に…。
今は、ロシアで どうされているのか…。
♪結婚行進曲
メンデルスゾーン
言葉のない歌とも称される作品「無言歌」より、第3曲「葬送行進曲」です。
♪葬送行進曲
2022年、英国のエリザベス2世女王の葬儀映像。
メンデルスゾーン
♪葬送行進曲
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今回、ショパン、ベートヴェン、メンデルスゾーンの三曲の「葬送行進曲」を取り上げましたが、結婚や凱旋(がいせん)などの他のタイプの「行進曲(マーチ)」とは明らかに雰囲気が違っていますよね。
まさに、悲しみと荘厳、偉大さを示す「葬送」の行進曲です。
「死」は怖いものでもあるかもしれませんが、「葬送」は亡き人を送り出す、偲ぶ、尊い「思い」でもありますね。
◇モーツァルトの8小節
さて、最後は、モーツァルト!
モーツァルトも葬送用の音楽を作っています。
彼は、亡くなるまでの7年間「フリーメイソン」のメンバーであったこともあり、同じくメンバーであった、ある貴族二名の死を悼み葬送用の楽曲「フリーメイソンのための葬送音楽」を作曲しています。
♪フリーメイソンのための葬送音楽
この楽曲は、特別な方々のために作られたこともあり、あまり耳にすることはありませんが、これからご紹介するモーツァルトの楽曲については、まさにモーツァルトが作った最高峰の葬送音楽かもしれません。
今でも 実際に、葬儀や追悼儀礼などでも多く使用される楽曲です。
そして、その8小節のメロディこそ、モーツァルトの絶筆となったメロディです。
数えきれないほどの名曲を残したモーツァルトが、まさに天国に召される最期のときに作ったメロディが、この8小節です。
まさに、音楽の神様が最後に地上に残した、あまりにも 美しく哀しいメロディですね。
モーツァルトが作曲中に死亡したため、彼の未完成作品「レクイエム」の中の一曲「ラクリモーサ(涙の日)」です。
楽譜画像付きの動画です。
楽譜に残された部分です。
♪ラクリモーサ(涙の日)
◇モーツァルトの死
モーツァルトの35歳というあまりにも若い死は、昔からいろいろな憶測がされてきました。
1791年8月にプラハに滞在した頃には、体調が悪い時があったとしても、友人たちと冗談を言いあうような状況でした。
ですが、同年9月にウィーンに戻った頃には相当に体調が悪かったようです。
それでも、9月には「クラリネット協奏曲」を完成させ、「レクイエム」を作曲中でした。
9月30日には、出来立てホヤホヤのオペラ「魔笛」の演奏を指揮しています。
体調から考えて、楽曲全体を指揮したとは思えません。
彼の妻の話によると、病状が悪化したモーツァルトは「もはや自分は長くない。誰かに毒をもられた。レクイエムは自身のために書いている」と述べたという内容が残されています。
その後、彼は一時的に体調が回復します。
同年11月には、カンタータ「我らの喜びを高らかに告げよ」を完成させ、次のように語ったと伝えられています。
「毒をもられたと思ったのは、病気のための妄想。止まっていたレクイエムの作曲を再び始めるよ」。
しかし、その直後、体調が再び悪化。
11月20日には重篤となります。
12月初頭に、一時的に快方に向かいますが、再び悪化。
12月5日に、彼は永眠します。
* * *
彼の病状を示す史料があまりにも少ないため、死因の確証は得られていません。
ただ、彼は子供の頃から、病気のオンパレード…、当時ですから完治せずにあった病気もあったかもしれません。
医学未発達の当時の治療には、今現代では使用しない危険な薬や処置方法が含まれていたのも事実です。
彼の息子の証言には、「モーツァルトは全身が腫れあがり、腐敗のようなひどい悪臭…」とあります。
今現代での、モーツァルトの死因の推測の中には、「硬膜下血腫(こうまくかけっしゅ)」という頭部の脳に関するものや、さまざまな細菌の感染などがあります。
何かの病死であったのは間違いないだろうと思われます。
* * *
葬儀の日は、大嵐の悪天候で、参列者は数人の友人と知人だけ、妻も参列していなかったと記録された史料もありますが、天候については、どうも異なっているようです。
この話には、何か裏があります。
当時の周囲の他者が残した史料には、モーツァルトの妻のコンスタンツェは悪妻であったという内容も残されていますが、本当でしょうか?
埋葬は、庶民の共同墓地に埋められたという説も残っていますが、実際は、貴族階級の墓地に、個人のお墓として埋葬されたようです。
まさかの「無縁仏説」… ここにも、何か裏がありそうですね。
◇モーツァルトの最後の作品は、彼の名で残すわよ
先ほど、「当時の周囲の他者が残した史料に、モーツァルトの妻のコンスタンツェは悪妻であったという内容も残されていますが、本当でしょうか?」と書きました。
実際の妻コンスタンツェは、モーツァルトとの8年間の夫婦生活の中で、6人の子供を出産し、生き延びたのは二人。
当時の医療レベルでは、めずらしいことではありません。
彼女は、モーツァルトの死後に、彼の残した多額の借金の清算、彼の作品の整理、二人の子供の養育に尽力します。
彼の葬儀に参列したのか、しなかったのかというのは、私にはわかりません。
彼女は、亭主のモーツァルトと同時期に病気療養中でもあったようです。
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モーツァルトは、妻コンスタンツェとの結婚の際に、金にならない「大ミサ曲」を彼女のために作っています。
妻のコンスタンツェは、モーツァルトが死の間際まで作っていた「レクイエム」の権利を誰にも奪われることなく守り抜き、死後の翌年に、モーツァルトの名で作曲の依頼者に渡します。
この期間に、作品「レクイエム」が他者に奪われていても不思議はなかったと思います。
もともとの作曲依頼者は、自分の名で作曲したとする腹づもりでしたが、それも防ぎました。
もちろん借金返済の資金にはしたでしょうが、何よりも、モーツァルトの名が作曲者として残されたことは大きな意味があったと思います。
彼女は、10年後に外交官と再婚し、その再婚相手とともに、モーツァルトの伝記を残します。
そして、今の財団、大学、管弦楽団等につながる「モーツァルテウム」の1841年の設立に尽力し、翌年の1842年に亡くなります。
モーツァルトが亡くなってから51年後です。
こうした彼女の行動の流れを見てくると、経済観念が優れていて、政治的にも立ち回れる、しっかりとした強い女性をイメージします。
何より、モーツァルトの死後50年間、前の夫のモーツァルトに関わったといえますね。
すごい女性だったのだろうと感じます。
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著名な人物が亡くなると、その後に政治的な争いが起きることはよくあります。
便乗して参加してくる者もいます。
彼女に「政敵」があらわれても不思議ではありません。
彼女の悪妻説には、何か裏がありそうですね。
今現代でもそうですが、音楽家が亡くなると、その作品が再び脚光を浴び、再評価され、一大ブームをつくることがあります。
モーツァルトの場合も、それが起きていますが、これは妻の尽力があってこそのようにも感じます。
モーツァルトの作品の多くが今も残されていることにおいては、彼女が大きな役割を果たしたような気がします。
まして、この「レクイエム」が、他の誰でもない、モーツァルトの未完成作品として残されたのは、彼女の功績なのかもしれませんね。
「モーツァルトの最後の作品は、絶対に彼の名で残すわよ。誰にも渡さない」…私は、彼女のそんな思いを感じます。
◇モーツァルト毒殺説
モーツァルトの死後、世界の音楽界のさまざまな政治的権力闘争の中で、彼の死が上手に政治利用されたのかもしれません。
ずいぶん長い年月を経た後に、音楽家のサリエリも政治的闘争の中に巻き込まれたのかもしれません。
「モーツァルト毒殺」、「悪魔の暗殺者」…、サリエリ本人も、そうした誹謗中傷に相当に苦しんだようです。
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モーツァルトに「レクイエム」の作曲を依頼した人物が、当初不明で、その人物が、なにやら陰謀を考えていたことが、謎めいた話を増幅させたのかもしれません。
「レクイエム」の本当の依頼人と、未完成だった作品がどのように完成するのかの解説の動画です。
車田和寿さんの解説です。
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当時は、ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスなどの国々は、音楽界の覇権をめぐって争っています。
もちろん、軍事的勢力争いや、王室どうしの争い、民族間争いの影響からです。
ドイツを中心とした「神聖ローマ帝国」の一部であるオーストリア出身のモーツァルト本人と父の側から、イタリアの音楽家サリエリに向けて、さまざまな誤解による「恨み」が生まれ、両者の関係性は悪化します。
サリエリは、後の多くの大作曲家たちからも尊敬を集めた、音楽界の有力な人物でしたが、モーツァルトの父親には、息子のモーツァルトの出世や成功に立ちふさがる人物だと見えていたのかもしれません。
サリエリのほうが、どのような思いであったかは、よくわかりません。
モーツァルトが亡くなる直前には、両者の関係が修復したともいわれています。
サリエリは、モーツァルトの葬儀に参列した数少ない人物のひとりでした。
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モーツァルトの死後も、イタリアの音楽家サリエリをおとしいれる陰謀を含む権力闘争がたくさん行われたようです。
そうした中で登場してきた、サリエリによる「モーツァルト毒殺」の流言だろうと思います。
当時ですから、国どうしの対抗意識や、音楽界の覇権争いの中で、このような刺激的な流言が大流行しないはずがありませんね。
こうした流言が、まさか今現代まで残されるとは…。
現代のミュージカルや映画の内容は、史実とは少し違う、面白く 怖く脚色されたものですね。
車田和寿さんによる、サリエリの人物解説です。
◇レクイエム
まさに、サリエリが悪魔のように描かれた、1984年(昭和59)の映画「アマデウス」でしたね。
米国ブロードウェイの同名ミュージカルをもとにして、映画化された内容でした。
サリエリの苦悩を中心に、彼の目線でモーツァルトを描いた妄想の世界です。
謎の人物が「レクイエム」の作曲依頼に来て、半金を置いて去る場面…。
病床のモーツァルトが作曲しながら、譜面書きを指示する場面…。
レクイエムの中の楽曲「コンフターテス(呪われしもの)」です。
和訳付き動画です。
「レクイエム」を作るにあたり、モーツァルトは、悪魔や死神にとりつかれたと信じ込み、さまざまな妄想の中にいたことが反映している部分のようにも感じさせます。
♪コンフターテス
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「レクイエム」は日本語で「鎮魂歌」などと呼ばれることがありますが、もともとは、「死者の罪を許し、彼らに安息の地が与えられるように神に祈る」という内容を表現した音楽曲のことです。
死者を悼むという意思が込められた音楽です。
まさか、モーツァルトが最後に手がけた作品が「レクイエム」だったとは…。
そして、絶筆となる8小節が、まさか「レクイエム」の中の楽曲「ラクリモーサ」になろうとは…。
「ラクリモーサ(邦題:涙の日)」とは、罪を負った者たちが神に許しを請う意味合いです。
和訳付きです。
♪ラクリモーサ
映画「アマデウス」の場面です。
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映画「アマデウス」は、史実とは少し異なる部分がありそうですが、最後の作品「レクイエム」作曲中での、モーツァルトのあまりにも若く、早い旅立ちに、今も昔も、何か未知のチカラがはたらいたのではないかと、多くの方々が考えてしまっても不思議はありませんね。
いいえ、やはり、ひょっとしたら…。
それにしても、大胆不敵に、あのモーツァルトをゴーストライターに使おうとした貴族…とんでもない!
まさかとは思いますが、彼の病弱を利用して…。
モーツァルトが亡くなった「涙の日」である12月5日は、もうすぐ…。
あなたの後ろにも、仮面をつけた… キャ~!
レクイエム全曲(和訳付き)
♪レクイエム
かえすがえすも、生きていれば モーツァルトが完成させたであろう「ラクリモーサ(涙の日)」を耳にしたかった!
♪ラクリモーサ
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連載の次回は、怖~い曲の連載コラム「どうするバスターズ」の最終回になります。
バッハ、ヘンデル、ベルリオーズ、シューベルトの ゾクゾクする怖い楽曲が登場します!
2023.11.18 天乃みそ汁
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音路95.どうする バスターズ (みんなで ゴーストバスターズ!)
音路130.スリラーナイト (どうするバスターズ 2)
音路131.悪魔と魔術師(どうするバスターズ 3)
音路132.それはフルートの中にいる(どうするバスターズ 4)
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