モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、メンデルスゾーン、ホルスト、レクイエム、鎮魂歌、葬送行進曲、結婚行進曲、マーチ、国葬、葬儀、エリザベス女王、ピアノ教室、音楽教室、ハロウィン、アマデウス、映画音楽、クラシック音楽。
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歴音221. レクイエム(恐怖の向こう側.11)
いよいよ、10月31日の「ハロウィン」の日が近づいてきましたね。
奴らが、ひたひたと忍び寄ってきた感じがしませんか?
キャ~!
今年も、「歴音fun」恒例の「スケアリー・ミュージック(scary music:怖い音楽)」の特集の季節です!
今年は、さらに、怖さパワーアップ!
お化け・ゴースト・悪魔・魔王・魔女・死神・魔術師・怪人…!
キキキキキキ、キャ~!
クラシック音楽曲や洋楽曲を中心に、「死」を悼み嘆く楽曲、「死」にまつわる永遠や神を表現した楽曲、「邪悪からの圧迫感」、「忍び寄る恐怖」、「ある意味…怖い女」などの音楽曲を集めました。
「ハロウィンの季節に聴きたい、ちょっと怖い音楽曲」です。
過去のコラムを加筆修正して掲載させていただきます。
* * *
「恐怖の音楽」は、ひょっとしたら、恐怖の中にいる、あなたに寄り添う「案内人」なのかもしれませんよ!
「恐怖の音楽」は、決して「恐怖」の対象ではないのだろうと感じます。
あなたも、「恐怖の音楽」の中にある、何か特別なチカラを感じてみてください。
この連載は、恐怖の中を、「ハロウィンの日(10月31日)」の翌日である「始まりの日(11月1日)」まで、一気に駆け抜けたいと思います!
◇犬とご主人さま
連載「恐怖の向こう側」では、毎回、ワンちゃん映像を掲載していますが、今回は、ワンちゃんと飼い主の物語と、この楽曲です。
病気を乗り越えてほしい歌手… ルイス・キャパルディさん。
♪君の幸せをずっと願ってるよ…
ルイス・キャパルディ
♪ウィッシュ・ユー・ザ・ベスト(2023・令和5)
◇葬送の音楽
今回のコラムのテーマは、「葬送の音楽」です。
「葬送の音楽」は、基本的に、自分のために作る作曲家は そうそういないでしょう。
自分ではない誰かのことを思いながら「葬送の音楽」を作ることのほうが多いと思います。
最初から、特定の故人に向けて作曲することもあれば、結果的に「葬送の音楽曲」となることもありますね。
いずれにしても、音楽曲に思いを込めて、故人を天国に送り出すことに変わりはありません。
「この日… 天国で、この曲を聴いてくれていますか…」
きっと、その日、その時、そのメロディは、その方に届いていることでしょう。
* * *
「死」は怖いものであるかもしれませんが、「葬送」は、亡き人を偲び、貴(たっと)び、敬い、尊い思いを表現したものでもありますね。
ありがとう! 愛を込めて、音楽を…!
◇葬送行進曲
西洋でも、東洋でも、「葬送の列」が街なかを歩くときに、音楽演奏が奏でられることがあります。
今は、都会の街なかでは、なかなかそうした光景は見られませんが、葬祭場などの中で、お別れの音楽を流すことはよくあります。
クラシック音楽、ジャズ音楽、童謡、歌謡曲など…、幅広いジャンルの音楽が流されますね。
基本的には、選曲は自由ですので、その故人にあわせて…、あるいは遺族らの思いで…、大切な日の、大切な瞬間に、大切な音楽曲を流せばいいのだろうと思います。
* * *
さて、クラシック音楽には「葬送行進曲」と呼ばれる、特別な音楽スタイルがありますね。
「葬送行進曲」とは、基本的に、葬儀において、ご遺体を墓地まで搬送する時に、演奏する音楽のことです。
特に、国家の王様や元首、英雄などを葬送する際に、「葬送行進曲」が演奏されます。
一般市民の方の葬送で演奏されることは、まず ないと思います。
その故人を偲び、感謝し、敬意をはらう、重厚で荘厳な雰囲気を持った「葬送行進曲」です。
ですから、勇ましい勢いを感じさせたりするような、祝賀ムードの「行進曲(マーチ)」とは、少し意味合いが異なりますね。
* * *
多くの有名なクラシックの音楽家たちが、「葬送行進曲」を作っていますが、ショパンとベートーヴェンの「葬送行進曲」は、まさに、二大巨頭といっていいかもしれませんね。
特に、この二曲は、世界中の「国葬」級の葬儀で演奏されることの多い楽曲です。
◇ピアノの詩人が作った「葬送行進曲」
「ピアノの詩人」と称されたショパンの「葬送行進曲」は、まさに葬送の詩!
本人の葬儀でも演奏されました。
下記映像の17分20秒から25分30秒までが、第三楽章「葬送行進曲」です。
ショパン
♪ピアノソナタ 第2番
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下記映像は、2022年(令和4)の、英国のエリザベス2世女王の葬儀での、ショパンの「葬送行進曲」です。
下記映像は、1963年(昭和38)の米国のケネディ大統領の葬儀での、ショパンの「葬送行進曲」です。
「国葬」級の葬儀では、ある意味、故人本人の音楽の好みに沿うというよりも、歴史上の偉大な名曲によって、国に功績を残した故人を、国家として、しっかり送り出すという意味が込められています。
ショパンやベートーヴェンの「葬送行進曲」に、異を唱える方は そうはいないだろうと思いますね。
* * *
一方、故人に寄り添うようなプライベートな葬儀の場合は、故人本人が希望していた楽曲であったり、遺族や周囲がその故人を思い出し、敬意や感謝を示すことができるような楽曲を選んだりしますね。
米国の一部のように、明るいジャズ音楽で、故人に旅立ってもらいたいと願うことも少なくありません。
「音楽とともに、明るい雰囲気で、故人に安らかな気持ちで旅立ってもらおうよ!」
日本の場合は、本人が好きだった童謡ということも少なくありませんね。
◇ねりあげられた重厚荘厳な「葬送行進曲」
ベートーヴェン作曲の壮大な「葬送行進曲」があります。
彼の交響曲第3番「英雄」の第二楽章が「葬送行進曲」と呼ばれています。
この交響曲「英雄」は、民衆の蜂起である「フランス革命」直後に、ベートーヴェンが、革命を主導したナポレオン・ボナパルトを讃える曲として作曲されたと、一般的には知られています。
ですが、楽曲完成後に、ナポレオンが絶対的な皇帝に即位し、それに激怒したベートーヴェンが「奴も俗物に過ぎなかったか」と叫び、準備しておいた献辞の文言が書かれた楽譜の表紙を破り捨てたというエピソードが残っています。
実は、これは創作話で、実際の表紙は残っており、本当に激怒したかどうかは不明です。
この創作話は、どこかの勢力のプロパガンダに利用された可能性もあります。
ただ、ナポレオンへの、楽曲献呈は実際に取りやめられており、前述の献辞を誰が書いたか不明ですが、その表紙からは、ナポレオンの名が消され、「ある英雄の思い出のために」と書き換えられています。
あえて、「書き換え」が わかるようされたかたちでしょう。
楽曲「交響曲第3番」の、ナポレオンへの献呈の取りやめは、ベートーヴェン本人というよりも、周囲の政治的圧力だったのかもしれません。
* * *
ともあれ、たしかに存命の人への献呈用の楽曲の第二楽章に、「葬送行進曲」が入っているのは妙ですね。
実は、当時のフランスでは、「葬送行進曲」は、「葬送」という意味とは別の意味合いを持っていたともいわれています。
フランス革命や、多くの戦争のために命を落としていった兵士などを悼むのと同時に、勇気や士気を奮い立たせる意味もあったようです。
日本にも「弔い合戦(とむらいがっせん)」という表現もありますね。
戦争の場合、「弔い」は、何かの闘争心を燃やす源泉になったりもします。
さらに、当時の「葬送行進曲」には、革命の精神や、民衆の連帯意識を感じさせる意味もあったといわれています。
それならば、存命の人物に献呈用楽曲に「葬送行進曲」が入っていても不思議はありません。
最終的に、この交響曲第3番「英雄」は、「ある英雄の思い出のために」という、特定の人物ではない者たちへの捧げものになりました。
* * *
ナポレオンのことは忘れて、「ある英雄の思い出のために」の言葉を思い出しながら、自身が英雄になる気持ちでお聴きいただき、どうぞ 奮い立ってください。
下記映像の15分30秒から32分30秒までが、第二楽章「葬送行進曲」です。
カラヤン指揮、ベルリンフィルの演奏で…全曲。
ベートーヴェン
♪交響曲第3番「英雄」
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ベートーヴェンには、これとは違う「葬送」の名前が付いた別の楽曲があります。
「ピアノソナタ第12番」の第三楽章も「葬送行進曲」とされているため、この第12番を「葬送」と呼びます。
彼は、この頃に、作曲における実験的な取り組みを多くしていたようで、これも何かの試行錯誤だったのかもしれません。
ギリシャ神話の英雄「アキレス」の死をイメージした楽曲で、特に特定の人間の「葬送」をイメージしたものではないようです。
ベートーヴェン
♪ピアノソナタ第12番「葬送」
このピアノソナタが1802年の発表で、前述の交響曲第3番「英雄」は1804年の発表です。
この「ピアノソナタ第12番」が、すぐ後に、交響曲第3番「英雄」の第二楽章「葬送行進曲」に大進化しました。
ベートーヴェンは、一曲を、ねって ねって ねりまくって、さらに こねくりまわして、さらにもう一度 再考して、時間をかけて音楽曲を作るタイプの音楽家でしたが、面目躍如ですね。
* * *
さて、この「葬送行進曲」という音楽スタイルは、当時 流行の人気の音楽スタイルのひとつでもありました。
モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンなどの音楽家たちにとっては、自身の幅広い音楽の力量を世間に見せつけ、名声や評価を得るチャンスです。
荘厳で永遠の「死」をイメージさせる、すごい「葬送行進曲」を作れてこそ、まさに偉大な作曲家!
人々からしたら、「あの音楽家… まるで神様みたい…!」
* * *
2022年(令和4)の、英国のエリザベス2世女王の葬儀での、ベートーヴェンの「葬送行進曲」です。
前述の「交響曲第3番「英雄」の第二楽章」です。
◇葬儀と結婚の行進曲
2022年(令和4)の、英国のエリザベス2世女王の葬儀では、メンデルスゾーンの「葬送行進曲」も演奏されました。
音楽史の中でも、モーツァルトに並ぶ、もうひとりの「神童」で、生まれながらの天才が、メンデルスゾーンでしたね。
莫大な財をなしたユダヤ人の銀行家の家に生まれた天才児!
ユダヤ人の歴史上の誇り!
世界の一部の国々では、彼の「葬送行進曲」と「結婚行進曲」を演奏しないなど許されない!?
正反対の行事のこの二曲ですが、冒頭だけ、ちょっと似ている!
* * *
メンデルスゾーンの劇音楽作品「真夏の夜の夢」より「結婚行進曲」です。
ここは、面白アクション指揮者のユーリ・シモノフさんで…。
指揮アクションに目を奪われて、音楽が耳に入ら…。
メンデルスゾーン
♪結婚行進曲
メンデルスゾーンの、言葉のない歌とも称される作品「無言歌」より、第3曲「葬送行進曲」です。
♪葬送行進曲
2022年(令和4)、英国のエリザベス2世女王の葬儀映像。
メンデルスゾーン
♪葬送行進曲
◇太陽が沈みゆく時…
今回、ショパン、ベートーヴェン、メンデルスゾーンの三曲の「葬送行進曲」を取り上げましたが、結婚や凱旋(がいせん)などの祝意を表現するかたちの「行進曲(マーチ)」とは明らかに雰囲気が違っていますよね。
まさに、悲しみと荘厳、そして故人の偉大さを示す「葬送」の行進曲です。
「葬送行進曲」のない「国葬」など、あり得ないのかもしれませんね。
* * *
イングランド出身の作曲家であるホルストの楽曲「惑星」の中の「木星」も、今や、葬送曲といっていいのかもしれませんね。
太陽系の中の「もうひとつの太陽」といっていい「木星」ですが、太陽が沈みゆく瞬間に、この楽曲は、実にふさわしい…。
◇モーツァルトの8小節
さて、本コラムの最後は、モーツァルト!
モーツァルトも葬送用の音楽を作っています。
彼は、亡くなるまでの7年間「フリーメイソン」のメンバーであったこともあり、同じくメンバーであった、ある貴族二名の死を悼み葬送用の楽曲「フリーメイソンのための葬送音楽」を作曲しています。
♪フリーメイソンのための葬送音楽
前述の楽曲「フリーメイソンのための葬送音楽」は、特別な方々のために作られたこともあり、あまり耳にすることはありませんが、これからご紹介するモーツァルトの楽曲については、まさにモーツァルトが作った最高峰の葬送音楽と言っていいかもしれません。
今でも、実際に、葬儀や追悼儀礼などでも多く使用される楽曲です。
そして、その8小節のメロディこそ、モーツァルトの絶筆となったメロディです。
数えきれないほどの名曲を残したモーツァルトが、まさに天国に召される最期のときに作ったメロディが、この8小節といわれています。
まさに、音楽の神様が最後に地上に残した、あまりにも 美しく哀しいメロディですね。
モーツァルトが作曲中に死亡したため、彼の未完成作品「レクイエム」となりました。
その「レクイエム」の中の一曲「ラクリモーサ(邦題:涙の日)」です。
楽譜画像付きの動画です。
楽譜に残された部分です。
♪ラクリモーサ(涙の日)
◇モーツァルトの死
モーツァルトの、35歳というあまりにも若い死は、昔からいろいろな憶測がされてきました。
彼は、1791年8月にプラハに滞在した頃には、体調が悪い時があったとしても、友人たちと冗談を言いあうような状況でした。
ですが、同年9月にウィーンに戻った頃には相当に体調が悪かったようです。
それでも、9月には「クラリネット協奏曲」を完成させ、「レクイエム」を作曲中でした。
9月30日には、でき立てホヤホヤのオペラ「魔笛」の演奏を指揮しています。
体調から考えて、楽曲全体を指揮したとは思えません。
彼の妻の話によると、病状が悪化したモーツァルトは「もはや自分は長くない。誰かに毒をもられた。レクイエムは自身のために書いている」と述べたという内容が残されています。
* * *
その後、彼は一時的に体調が回復します。
同年11月には、カンタータ「我らの喜びを高らかに告げよ」を完成させ、次のように語ったと伝えられています。
「毒をもられたと思ったのは、病気のための妄想。止まっていたレクイエムの作曲を再び始めるよ」。
しかし、その直後、体調が再び悪化。
11月20日には重篤となります。
12月初頭に、一時的に快方に向かいますが、再び悪化。
12月5日に、彼は永眠します。
* * *
彼の病状を示す史料が少ないため、死因の確証は得られていません。
ただ、彼は子供の頃から、病気のオンパレード…、当時ですから完治せずに慢性化してしまった病気もあったかもしれません。
医学が未発達の当時の治療には、今現代では使用しない危険な薬や処置方法が含まれていたのも事実です。
彼の息子の証言には、「モーツァルトは全身が腫れあがり、腐敗のようなひどい悪臭…」とあります。
今現代での、モーツァルトの死因の推測の中には、「硬膜下血腫(こうまくかけっしゅ)」という頭部の脳に関するものや、「リューマチ性炎症熱」など、さまざまな説があります。
何かの病死であったのは間違いないだろうと思われます。
* * *
葬儀の日は、大嵐の悪天候で、参列者は数人の友人と知人だけ、妻も参列していなかったと記録された史料もありますが、天候については、どうも異なっているようです。
この話には、何か裏があります。
周囲の他者が残した当時の史料には、モーツァルトの妻のコンスタンツェは悪妻であったという内容も残されていますが、本当でしょうか?
埋葬は、庶民の共同墓地に埋められたという説も残っていますが、実際は、貴族階級の墓地に、個人のお墓として埋葬されたようです。
まさかの「無縁仏」説… ここにも、何か裏がありそうですね。
◇モーツァルトの最後の作品は、彼の名で残すわよ
先ほど、「周囲の他者が残した当時の史料に、モーツァルトの妻のコンスタンツェは悪妻であったという内容も残されていますが、本当でしょうか?」と書きました。
実際の妻コンスタンツェは、モーツァルトとの8年間の夫婦生活の中で、6人の子供を出産し、生き延びたのは二人。
当時の医療レベルでは、めずらしいことではありません。
* * *
彼女は、モーツァルトの死後に、彼の残した多額の借金の清算、彼の作品の整理、二人の子供の養育に尽力します。
彼の葬儀に参列したかどうかの真偽は、私にはわかりません。
彼女は、亭主のモーツァルトの死と同時期に、病気療養中でもあったようです。
* * *
モーツァルトは、妻コンスタンツェとの結婚の際に、金にならない「大ミサ曲」を彼女のために作っています。
妻のコンスタンツェは、モーツァルトが死の間際まで作曲していた「レクイエム」の権利を誰にも奪われることなく守り抜き、死後の翌年に、モーツァルトの名で作曲の依頼者に渡します。
この期間に、作品「レクイエム」が他者に奪われていても不思議ではなかったと思います。
もともとの作曲依頼者は、モーツァルトの死が近いことを知っており、この作品を、自分が作曲した作品であるとして発表する ”腹づもり” であったようです。
彼女は、それを阻止しました。
もちろん、作曲料を、借金返済の資金にはしたでしょうが、何よりも、モーツァルトの名が作曲者として残されたことは、たいへん大きな意味があったと思います。
* * *
彼女は、10年後に外交官と再婚し、その再婚相手とともに、モーツァルトの伝記を残します。
もちろん再婚相手の地位や財力が糧になったでしょうが、今の財団・大学・管弦楽団等につながる「モーツァルテウム」の1841年の設立に尽力し、翌年の1842年に、彼女は亡くなりました。
モーツァルトが亡くなってから51年後です。
こうした彼女の行動の歴史を見てくると、経済観念が優れていて、政治的にも立ち回れる、しっかりとした強い女性をイメージします。
彼女は、モーツァルトの死後50年間、前の夫のモーツァルトに関わったといえますね。
なにより、しっかりとモーツァルトの名で、多くの作品が残されたのは、この妻の功績であろうと思います。
他者に奪われることなく、作曲者名と作品が一致して残されることは、実は、当時は相当にたいへんなことであっただろうと思います。
守るべき人がいて、はじめて残されたのだろうと思います。
* * *
著名な人物が亡くなると、その後に、関係者の間で政治的な争いが起きることはよくあります。
便乗して参加してくる者もいます。
彼女に「政敵」があらわれても不思議ではありません。
彼女の悪妻説には、何か裏がありそうですね。
今現代でもそうですが、音楽家が亡くなると、その作品が再び脚光を浴び、再評価され、一大ブームをつくることがあります。
モーツァルトの死去の際も、それが起きていますが、これも妻の尽力があってこそのように感じます。
ともあれ、モーツァルトの作品の多くが今も残されていることにおいては、彼女が大きな役割を果たしたのは間違いないでしょう。
まして、この「レクイエム」が、他の誰でもない、モーツァルトの未完成作品として残されたのは、彼女の功績ですね。
もし、無名の作曲家の作品「レクイエム」であったら、今、私たちは耳にできたかどうか…。
「モーツァルトの最後の作品は、絶対に彼の名で残すわよ。誰にも渡さない」…私は、彼女の そんな強い思いを感じます。
◇モーツァルト毒殺説
モーツァルトの死後、ヨーロッパの音楽界のさまざまな政治的権力闘争の中で、彼の死が政治利用されたのかもしれません。
ずいぶん長い年月を経た後に、音楽家のサリエリも、そうした政治的闘争の中に巻き込まれたのかもしれません。
「モーツァルト毒殺」、「悪魔の暗殺者」…、サリエリ本人も、そうした誹謗中傷に相当に苦しんだようです。
* * *
モーツァルトに「レクイエム」の作曲を依頼した人物が、当初不明で、その人物が、なにやら陰謀を考えていたことが、謎めいた話を増幅させたのかもしれませんね。
「レクイエム作曲」の本当の依頼人と、未完成だった作品がどのように完成するのかの解説の動画です。
車田和寿さんの解説です。
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当時は、ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスなどの国々は、音楽界の覇権をめぐって争っています。
もちろん、軍事的勢力争いや、王室どうしの争い、民族間争いの影響です。
ドイツを中心とした「神聖ローマ帝国」の一部であるオーストリア出身のモーツァルト本人と、彼の父親の側から、イタリアの音楽家サリエリに向けて、さまざまな誤解による「恨み」が生まれ、両者の関係性は悪化していました。
サリエリは、後の多くの大作曲家たちからも尊敬を集めた、音楽界の有力な人物でしたが、モーツァルトの父親には、息子のモーツァルトの出世や成功に立ちふさがる、邪魔な人物だと見えていたのかもしれません。
サリエリ自身が、どのような思いであったかは、よくわかりません。
モーツァルトが亡くなる直前には、両者の関係が修復したともいわれています。
サリエリは、モーツァルトの葬儀に参列した数少ない人物のひとりでした。
* * *
モーツァルトの死後も、イタリアの音楽家サリエリを おとしいれる陰謀や、イタリア・フランス・ドイツ・オーストリアなどの国どうしによる音楽界の覇権争いがたくさん行われたようです。
そうした中で生まれてきた、サリエリによる「モーツァルト毒殺」の流言だろうと思います。
覇権争いの時代ですから、国どうしの対抗意識や争いの中で、このような刺激的な流言が大流行しないはずがありませんね。
こうした流言が、まさか今現代にまで残されるとは…。
とはいえ、サリエリの名が、今現代の、音楽に興味のない方にまで知られているのは、この流言のおかげ…。
現代のミュージカルや映画でも、モーツァルト毒殺説の内容は、史実とは少し違う、面白く 怖く脚色されたものですね。
車田和寿さんによる、サリエリの人物解説です。
◇レクイエム
まさに、サリエリが悪魔のように描かれた、1984年(昭和59)の映画「アマデウス」でしたね。
米国ブロードウェイの同名ミュージカルをもとにして、映画化された内容でした。
サリエリの苦悩を中心に、彼の目線でモーツァルトを描いた妄想の世界です。
謎の人物が「レクイエム」の作曲依頼に来て、半金を置いて去る場面…。
病床のモーツァルトが作曲しながら、譜面書きをサリエリに指示する場面…。
レクイエムの中の楽曲「コンフターテス(呪われしもの)」です。
下記は、和訳付き動画です。
楽曲「レクイエム」を作るにあたり、前述のとおり、モーツァルトは、悪魔や死神にとりつかれたと信じ込み、さまざまな妄想の中にいましたが、そうしたことが反映している音楽のようにも感じさせます。
♪コンフターテス
* * *
「レクイエム」は日本語で「鎮魂歌」などと呼ばれることがありますが、もともとは、「死者の罪を許し、彼らに安息の地が与えられるように神に祈る」という内容を表現した音楽曲のことです。
「死者に、罪を許し、永遠の安息の地を…」という意思が込められた音楽です。
まさか、モーツァルトが最後に手がけた作品が「レクイエム」だったとは…。
そして、絶筆となる8小節が、まさか「レクイエム」の中の楽曲「ラクリモーサ」になろうとは…。
和訳付きです。
♪ラクリモーサ
映画「アマデウス」の場面です。
* * *
映画「アマデウス」は、史実とは少し異なる部分がありそうですが、楽曲「レクイエム」作曲中での、モーツァルトの あまりにも若く、早い旅立ちに、今も昔も、何か未知のチカラがはたらいたのではないかと、多くの人々が考えてしまっても不思議はありませんね。
いいえ、やはり、ひょっとしたら…。
それにしても、大胆不敵に、あのモーツァルトをゴーストライターに使おうとした貴族…とんでもない!
モーツァルトが亡くなった「涙の日」である12月5日は、もうすぐ…。
あなたが、家のドアを開けると、そこには、仮面をつけた… キャ~!
レクイエム全曲(和訳付き)
♪レクイエム
かえすがえすも、生きていれば モーツァルトが完成させたであろう「ラクリモーサ(涙の日)」を、耳にしたかった!
◇ zart(ツァールト)
35歳の若さで亡くなったモーツァルトです。
当時でも、健康な男性であれば、70歳台くらいまでは生きられたでしょう。
あと30~40年の年月が、彼に与えられていたら、どのくらいの数の名曲が、世の中に生まれたことでしょう。
* * *
「zart(ツァールト)」はドイツ語の音楽用語で、「そっと・繊細に・やさしく・やわらかく」などの意味です。
ラテン語「Lacrimosa(ラクリモーサ)」は、「涙ぐむ・悲しむべき・すすり泣き・むせび泣き」などの意味です。
「ラクリモーサ」には、罪を背負った者たちが、神に許しを請う(乞う)という意味合いもあるようです。
日本語の「鎮魂歌」とは、死者の魂を鎮めるための音楽。
祈りや願いを込めた「鎮める」ためのもの。
一方、ラテン語「Requiem(レクイエム)」は、死者の魂が安らかに眠ることを祈る音楽。
その意味は「安息(あんそく)」です。
ゴーストでもいいので、安息の眠りから "zart(ツァールト)"に、そっと戻ってきて!
そう、ハロウィンの日に!
Mooooo… zart!
♪ラクリモーサ
連載「恐怖の向こう側.12」につづく…
2025.10.26 天乃みそ汁



