USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」、プリンス「パープル・レイン」、ハリー・ベラフォンテ「バナナボート・ソング」、ジェーン・フォンダの番組、アメリカン・ミュージック・アワード、グラミー賞、映画ビートルジュース、米国三大ネットワーク、バナナのお話し、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ケニー・ロジャース、クインシー・ジョーンズ、ロック・洋楽・ダンス音楽。
各コラムで紹介した曲目リストは、「目次」で…
あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品
音路(38)世界は何が支えてる【6】
ひとつのバナナボートに… そんな○○○!
◇ここまでの概要
ここまで、楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の誕生までを書くコラムシリーズ「世界は何が支えてる」の第1回から第5回まででは、
「(1)ふたつのエイド」で、英国・アイルランドを中心とした「バンドエイド」と、世界的な慈善イベント「ライブエイド」のこと…、
「(2)USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」で、米国の巨大慈善プロジェクト「USAフォー・アフリカ」の始動と、招待状のこと…、
「(3)~(5)マイケルとクインシー(1~3)」で、「USAフォー・アフリカ」の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」の支柱となった、マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの関係のこと、プリンスのことなどを書いてきました。
これらの内容をふまえて、いよいよ「ウィ・アー・ザ・ワールド」のスタジオ収録のお話しを書いていきたいと思います。
* * *
コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」では下記の内容を書きました。
概要を書きます。
この米国の巨大プロジェクトの「言い出しっぺ(発起人)」がミュージシャンのハリー・ベラフォンテで、1984年の年末頃に、彼から相談を受けた米国
音楽業界の超大物ケン・クレーゲンが、自身の秘蔵っ子である ライオネル・リッチーとケニー・ロジャースにすぐに連絡し、快諾を得、さらにスティービー・ワンダーにも協力を頼み承諾を得ます。
ライオネルとスティ―ビーが共同で作曲しようとしますが、多忙なスティ―ビーは、なかなか来ることができません。
そこで、ケン・クレーゲンとハリー・ベラフォンテは、すでにマイケル・ジャクソンなどの大物ミュージシャンらとの共同作業で大成功していた、音楽界の大物ミュージシャンのクインシー・ジョーンズの元を訪れ、協力を頼みます。
すぐに快諾を得られ、マイケルも加わり、マイケルは作曲にも参加したいと切望してきます。
これで、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ケニー・ロジャースという中心的なメンバーが固まり、ケン・クレーゲンは、さらに大物ミュージシャンたちを集め始めます。
壮大なプロジェクトのメンバー選びが始まります。
* * *
意欲満々で待ちきれないマイケルは、自身の手で「ウィ・アー・ザ・ワールド」のデモテープをつくりあげ、それを持って、クインシーとライオネルのもとを訪れます。
クインシーとライオネルは、そのデモテープをベースに、修正を加え、パワーアップさせます。
クインシー、ライオネル、マイケル、スティービーが、参加する各ミュージシャンたちに聴かせる音楽テープを、1985年1月22日に、ケニーのスタジオでつくり上げます。
1月24日には、そのテープが、今回の楽曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」スタジオ収録に招待されたミュージシャンらに送られます。
1月28日が、スタジオ収録の予定です。
最終的に、どの程度の人数に、このテープが送られたか、私は知りません。
* * *
その音楽テープは、招待状とともに送られることになります。
その招待状には、「(略)to accept this project with the pride and spirit of checking your ego at the door.」…、直訳に近く和訳すると、「スタジオの入口で、自身のエゴイズム(エゴ)を預けるスピリットとプライドを胸に、今回のプロジェクトを受け入れて…」というような文章が添えられていました。
この米国ミュージシャン中心のプロジェクトに、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、フランク・シナトラ、プリンス、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ダイアナ・ロス、レイ・チャールズ、ポール・サイモン、ビリー・ジョエル、ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、マイルス・デイヴィス、ハードロック界の面々、AORの面々などのミュージシャンたちは、はたして参加してくれたのでしょうか…。
* * *
収録スタジオでの役割は、クインシー・ジョーンズが総司令官で、彼の「オーケー」が出なければ収録は終了しません。
全体を進行させるのも彼です。
クインシーとライオネル、補佐役でボーカル専門アレンジャーのトム・ベイラーが、各ミュージシャンへの歌唱アドバイスやフォローを行います。
大物ミュージシャンたちのドタキャン用のバックアップには、クインシーの「懐刀(ふところがたな)」であり「秘蔵っ子(ひぞっこ)」たちのミュージシャンを、本人たちに伝えた上で、用意しておいたと思います。
* * *
そして、「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預けてください)」と入口に貼り紙された収録スタジオで、当日をむかえることになります。
この言葉が、ミュージシャンたちに届いたでしょうか…。
ここまでの話しや、各ミュージシャンの事情についてを、コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」で書きました。
コラム「音路(35)世界は何が支えてる【3】マイケルとクインシー【1】」からは3回に渡って、マイケルとクインシーの関係、マイケルとプリンスのライバル関係のことを書きましたが、周囲やマスコミは、プリンスが、このスタジオにやって来るのかどうか、大注目でしたね。
* * *
今回、スタジオ収録に招待されたミュージシャンたちは、民意を反映した人気投票や、何かの数値の実績で、選考されたものではありません。
クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティービー・ワンダー、ケニー・ロジャースらだからこそ、集まったメンバーともいえます。
ちょうどその当時の米国音楽界で、ヒット曲を連発していた旬のミュージシャンたちも含まれています。
ミュージシャンどうしのつながりや、親密度、運のいいタイミングなど、まさに運命的な集結が実現したのかもしれません。
まさに奇跡の集結だったと感じます。
次回コラムで、そのメンバーのことは書きます。
◇その日、その場所
これまでのコラムで、この「USAフォー・アフリカ」では、エゴのかたまりのようなスターミュージシャンたちを集め、コントロールし、成功させるためのビジネス上の秘策がたくさん行われたと書いてきました。
前述の招待状や、スタジオ入口の貼り紙もそうでしたね。
収録スタジオでの指揮命令系統の確立や、クインシーやライオネルらの役割、マイケルの存在感も、もちろんそうしたものに含まれると思います。
秘策について、ここからは収録スタジオの日程と場所について書きます。
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スタジオ収録当日の1985年1月28日は、米国ロサンゼルスで、米国4大音楽賞のひとつである「アメリカン・ミュージック・アワード」の授賞式が、劇場「シュライン・オーディトリラム」で行われました。
ちなみに、この劇場は、フリーメイソン系の劇場で、この授賞式は、テレビ放送局「ABC」が、「ABC」の元を離れた「グラミー賞」に対抗して創設した音楽賞です。
この1985年の、男性最高賞はライオネル・リッチーで、女性最高賞はシンディ・ローパーです。
この1985年の「アメリカン・ミュージック・アワード」のときに、ミュージシャンとして、あるいは楽曲が、各部門で最高賞をとったミュージシャン名を下記に書きます。
ライオネル・リッチー
シンディ・ローパー
ブルース・スプリングスティーン
プリンス
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
ティナ・ターナー
ポインター・シスターズ
ホール&オーツ
ケニー・ロジャース
などです。
他にも多くのミュージシャンたちが、授賞式に集まりました。
1985年の授賞式の映像
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「ビルボード」は、近年、アメリカン・ミュージック・アワード受賞式での過去のミュージシャンのパフォ―マンスをランキングしました。
その中で、1985年のプリンスの「パープルレイン」を1位に選出しています。
♪パープル・レイン(1985年 AMA)
ちなみに「ビルボード」とは、「ラジオ&レコーズ」とともに、米国の二大音楽ランキングチャートのブランドのひとつで、ランキングのほか、音楽誌、イベント、コンサートなどを行うブランドです。
米国には1970年から、「アメリカントップ40」という有名なラジオ番組がありますが、この番組のチャートは、ある時期まで、ビルボードの音楽ランキングチャートを使用していました。
2020年から、ビルボードは、世界の数百ヵ国に向けた、音楽ビジネス「ビルボード・グローバル200」を展開しています。
日本人ミュージシャンも一部、この中に組み入れられていますね。
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さて、上記の受賞メンバーの中で、授賞式と同じ夜に行われた「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオにやって来なかったのは、プリンスのみです。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオにやって来たミュージシャンたちは、その年ではなくとも、過去やその後に、この「アメリカン・ミュージック・アワード」で受賞した者たちばかりでした。
ちなみに、翌年の1986年の「ソング・オブ・ザ・イヤー賞」は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」になります。
♪1986年の授賞式での「ウィ・アー・ザ・ワールド」
マイケルの隣にいる、水色のドレスの女優エリザベス・テイラーは、マイケルの呼称「キング・オブ・ポップ」の名づけ親です。
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さらに ちなみに、1986年のグラミー賞の「レコード・オブ・ザ・イヤー」も、「ウィ・アー・ザ・ワールド」になります。
1986年のグラミー賞授賞式での受賞シーン
有名な「グラミー賞」のほうの放映権は、「NBC」から「ABC」へ、そして「CBS」へと、「アメリカ三大ネットワーク」を渡り歩きます。
アメリカには、あと「FOX(フォックス)」と、CBSとワーナーがつくった「CW」という巨大ネットワークがありますが、さて今後は…?
米国はさすがに、自由と競争のビジネス大国ですね。
日本の「レコード大賞」は、TBSでずっと安定…、「紅白」はランキングや賞はないものの、その権威はNHKのもの…。
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話しを戻します。
ようするに、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録は、この授賞式の後に、その流れで各ミュージシャンが、同じ市内のスタジオにやって来れるようにしたのです。
ドタキャンしにくいようにし、気分よく、ある意味 興奮状態で、収録スタジオに来させる工夫だったと思います。
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もちろん、プリンスにも、事前に音楽テープと招待状は届いています。
マイケルとプリンスのライバル関係や確執については、これまでのコラムで書きましたが、プリンスは、もっともらしいトラブルを理由にスタジオには来ませんでした。
そのかわり、プリンスファミリーのひとりである女性ミュージシャンの「シーラ E」を代理としてスタジオに行かせました。
そして、専用アルバムのほうに、楽曲を提供します。
プリンスは、ある意味、微妙な場所には、「シーラ E」を送り込むという上手い戦術(?)をとっていましたね。
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授賞式の終了後、この「ウィ・アー・ザ・ワールド」の収録スタジオに、高級車が続々とやってきます。
おそらくは、ボディガードたちも山ほど集結し、ボディガード界のサミット会議でも開けそうな状況ですね。
気分を良くしたミュージシャンたち、お祝い気分で駆けつけてきた音楽仲間などが、続々とやって来ます。
ここで、ひとつ ふたつ問題が…。
みな、この慈善活動「USAフォー・アフリカ」の大前提である、「アフリカの深刻な飢餓状況」について理解しているのかどうか…?
そして、スタジオの入口で、「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預けてください)」という貼り紙を目にしてはきたでしょうが、はたして、だいじょうぶでしょうか…?
スタジオ内は、当初、何か緊迫感が少なかったともいわれています。
そこで、次の秘策です。
◇目的意識を持とう!
前年の1984年に行われた、英国・アイルランドでの「バンドエイド」の仕掛人である、ミュージシャンのボブ・ゲルドフが、集まったミュージシャンたちの前にあらわれます。
そして、アフリカの深刻な状況を語るスピーチを行います。
このために、英国から招待されたのは間違いないと思います。
このスピーチ内容をご紹介します。
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下記の映像は、米国のテレビ番組の一部ですが、女優のジェーン・フォンダが案内役を務めています。
有名な俳優一族のフォンダ一族のひとりで、名作の多い女優さんですが、俳優というだけでなく、筋金入りの社会活動家としても知られた人物でしたね。
この楽曲のドキュメンタリー番組の案内役としては、まさに適任の配役です。
下記の映像には、スタジオにやって来るミュージシャンたちの映像の後に、前述のボブ・ゲルドフのスピーチ映像が入っています。
「アフリカの彼らの命の値段は…、(略)皆さんの想いを、この歌に表現できる」…すごい言葉ですね。
下記映像の7分あたりからが、ボブ・ゲルドフのスピーチです。
スタジオ収録冒頭映像
このスピーチで、特に、ブルース・スプリングスティーンと、ダリル・ホールの眼の色が変わったそうです。
この二人なら、わかる気がしますね。
こうした、ちょっとした事前の取り組みが、いかに大切かがわかりますね。
このスピーチにより、お祭り気分で集まって来たミュージシャンたちに、目的意識がわき、共通の目標ができ、音楽家としてのスイッチが入ったのだろうと思います。
もちろん、これには、英国・アイルランドの「バンドエイド」の功労者への尊敬とねぎらいの意味もあったものと思います。
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この映像からは、クインシーの指揮官ぶりも、よくわかります。
「業界用語」で、人間の立ち位置を決め、床に印をつけておくことを「バミリ」と言いますが、スーパースターたちではあっても、しっかり「バミリ」が行われています。
指揮官のもとでは、特別はないということですね。
◇発起人に敬意を
ボブ・ゲルドフに続き、米国の「USAフォー・アフリカ」の発起人であるハリー・ベラフォンテにも、敬意を示すことは忘れていませんでした。
彼の大ヒット曲「バナナボート・ソング」を、皆で合唱するのです。
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ハリー・ベラフォンテは、ニューヨーク生まれの黒人歌手です。
1956年に楽曲「バナナボート・ソング」を、世界中で大ヒットさせました。
その後も「マチルダ」、「ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)」など、昭和世代で、耳にしたことがない人はいないような楽曲がたくさんあります。
今回の「USAフォー・アフリカ」では、ハリー・ベラフォンテと、ケン・クレーゲンの二人が、初期段階から重要な人物でしたが、この時期は音楽人というよりも、政治色や社会活動家としての印象が、この二人には強く感じられました。
慈善プロジェクトという意味では、このプロジェクトの最前線にあまり顔を出さず、陰で支えていたことも、いい判断だったと思います。
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楽曲「バナナボート・ソング」を全員で合唱したことは、ボブ・ゲルドフに敬意をあらわすのと同じように、ハリーに敬意を強くあらわしたものだと思います。
この合唱では、特に、彼と同じ黒人ミュージシャンたちが盛り上げてくれます。
私の勝手な想像ですが、この合唱を仕切った、ミュージシャンのアル・ジャロウには、事前に、クインシーあたりから何か話しをしてあったような気もします。
ポップス界とジャズ界をまたにかけて活躍した、特別な美声のアル・ジャロウに仕切られたら、誰も文句は言えない気がしますね。
スゴ腕指揮官のクインシーなら、こうした細かな配慮の大切さをわかっているような気がします。
* * *
ハリーは、その合唱の団体の最後列で、感極まったような表情を浮かべていますが、こうした光景を見るたび、音楽は言葉を越えるときがあると感じます。
「皆で一緒にがんばろう」などの掛け声よりも、一緒に歌えば、言葉よりも強い団結力が生まれてきそうな気がしますね。
皆で、ひとつの「バナナボート」に乗船したような気持ちになります。
私は、これまで耳にした「バナナボート・ソング」の中で、最高のボートだった気がします。
♪バナナボート・ソング
◇エチオピアからの言葉
まだまだ趣向は続きます。
このプロジェクトの中心メンバー(ホスト)であるスティービー・ワンダーも、特別ゲストをこのスタジオに連れてきます。
現地のアフリカから、女性たちを呼び寄せ、言葉を述べてもらうのです。
おそらくはスティービーの私費でしょう。
彼女らの隣にスティ―ビーが立ち、彼女の話しをミュージシャンたちが聞いたのです。
彼女の言葉は、まるでスティービーが語っているのと同じですね。
さすがスティービーです。
ミュージシャンたちは、涙を流します。
やはり、現地の人たちの顔を直接見るのと、見ないとでは、何かが違う気がします。
ミュージシャンたちに、強い使命感が生まれたかもしれません。
これで、自身たちの中の「エゴ」は吹き飛んだかもしれませんね。
下記動画(前述のジェーン・フォンダ番組)の20分あたりに、その女性が登場するシーンがあります。
ゲストの女性の映像
* * *
コラム「音路(33)世界は何が支えてる【1】二つのエイド」で書きましたが、特に、エチオピアの飢餓はひどく、干ばつ、内戦、国策の失敗などが原因とされています。
下記の映像には、道路で倒れ込む人々がたくさん映されています。
ここまでの惨状は、アフリカの歴史でも、そうそうありません。
自然災害というよりも、人災に近いものです。
もし、今の日本に生まれた私たちが、その時代のエチオピアに生まれていたらと思うと、言葉になりません。
1984年のアフリカ・エチオピアの映像(NHKアーカイブス)
◇細かな配慮
この収録スタジオには、盲目のミュージシャンが二人いました。
スティービー・ワンダーと、レイ・チャールズです。
しっかりと、点字譜面の機器が用意してありましたが、彼らには、常人を越えるすごい耳がありましたね。
この二人には、盲目は何の問題にはならないと思います。
とはいえ、盲目の二人への配慮は、周囲の多くのミュージシャンたちの心に強く響いたと思います。
前述しましたが、招待状の文面といい、スタジオ入口の貼り紙といい、バミリのセッティングといい、収録場所や日程といい、さまざまなスタジオ内での趣向といい、裕福で身勝手な者も多いスター・ミュージシャンたちへの特別な配慮として、彼らの心にしっかり響いたかもしれませんね。
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先ほども書きましたが、下記動画(前述のジェーン・フォンダ番組)の20分あたりのエチオピア女性のシーンの後に、ライオネル・リッチーが、ミュージシャンたちに細かな指示を言います。
さすが、ライオネル…、映像のこともよく考えてくれています。
下っ端のスタッフではなく、あのライオネルに直接言われたら、言うことを聞くしかありませんね。
このプロジェクトの中心メンバー(ホスト)である、クインシー、ライオネル、マイケル、スティービー、ケニーの牽引力は大したものです。
若干 強めの総司令官クインシーは、言葉も時折強めです。
おそらくは、現場の緊張感の維持と、最終権限の明確化が理由だと思いますが、スティービーがすかさず、「クインシー、そう怒るなって…」なんて言葉を吐きます。
スティービーは、盲目でありながら、見えているかのように、ライオネルやクインシーを補佐しています。
スティ―ビーの言動を、ライオネルもすぐに理解していますね。
大した連携プレーです。
次回コラムで、クインシーやライオネルらによる、個別のミュージシャンへの歌唱指導のことを書きますが、ここでも、すばらしい連携プレーを見ることができます。
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中心メンバー(ホスト)のひとりで、白髭のケニー・ロジャースは、白色の、このプロジャクトのロゴ入りトレーナーを、かわいらしく着ています。
さすが年季の入ったベテランです。
ダイアナ・ロスも、女性スターでありながら、このトレーナーを着ています。
マイケルの精神的なお姉さんとして、彼を強力に支えようという姿勢であることが、よくわかります。
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マイケルは、他のミュージシャンたちよりも、少し派手めの衣装ですが、このプロジェクトの意義と大きさを考えると、この楽曲の作者として、また、この楽曲の精神性を示す意味で、マイケルの存在感たっぷりのふさわしい衣装だと、私は思います。
さすが、映像作品「スリラー」をつくったマイケルです。
映像作品になったときの効果を、すべてわかっていたと思います。
「バンドエイド」の素朴な映像づくりからくらべると、非常に計算された、さすがエンターテイメントの国「アメリカ」を感じますね。
下記動画の20分あたりから、今 書きました一連の光景を見ることができます。
スタジオ内の映像
こうしたひとりひとりに行き届いた細かな配慮が、各ミュージシャンたちの心に響かないはずはないですね。
これほどまで、いろいろなものを目の前で見せられて、その気にならないミュージシャンはいないかもしれません。
* * *
コラム「音路(34)世界は何が支えてる【2】USAフォー・アフリカの始動 ~ エゴは預けて」では、人間の「エゴ」のことを書きました。
スタジオの入口で、「Check your egos at the door(入口であなたのエゴを預けてください)」という貼り紙のこともご紹介しました。
スタジオ内のある段階から、ミュージシャンたちは、自分たちの「エゴ」を預けるどころか、それぞれができる範囲で、できる何かの役割を果たそうという気運の中にあったようにも感じます。
そんな空気感がスタジオを包んでいたとしたら、名曲に仕上がらないはすがありませんね。
最後の決定打は、あの名歌詞です。
歴史がつくられる瞬間というのは、こうしたものなのかもしれませんね。
決して偶然ではないのだろうと思います。
そこに、スーパースターたちの強い意志が存在し、それが上手に引き出され、そのチカラが惜しみなく発揮されたのだろうと思います。
* * *
すでに長文になっていますので、次回のコラムで、クインシーやライオネルによる、各ミュージシャンたちへの指導ぶりや、歌詞については書きたいと思います。
名指導者と、名生徒(各ミュージシャン)にかかると、あっという間に名曲が生まれるということが、よくわかります。
◇皆で、ひとつの「バナナボート」に…
さて、あの黄色の「バナナボート」は、海の上で、自力では走行できませんね。
それだけでは、ただの浮き輪と同じです。
強力なモーターボートなどに、けん引してもらって初めて、大冒険ができますね。
モーターボートは、さまざまな動きをしながら、バナナボートにたくさんの刺激を与えます。
モーターボートに乗るミュージシャンたち…、バナナボートに乗るミュージシャンたち…、「USAフォー・アフリカ」がすごい「乗合いボート」だったことがよくわかりますね。
◇歌詞にある「バナナボート」
今回のコラムの最後は、さまざまな面白い「バナナボート」の音楽動画をご紹介します。
浜辺にある黄色のレジャー用の「バナナボート」…、それを目にすると、何か、自然と高揚感がわいてきませんか…?
クチでは説明できない、不思議なワクワク感を、私は感じてしまいます。
前述のハリー・ベラフォンテの楽曲「バナナボート・ソング」も、まさにワクワク感いっぱいの、不思議な魔力を持った曲ですね。
今でも、米国メジャーリーグの野球の試合中や、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」で、よく耳にします。
* * *
実は、この楽曲のテーマの「バナナボート」とは、レジャー用の黄色のバナナボートのことではありません。
中央アメリカのカリブ海にあるジャマイカ国にあるバナナ園の、バナナ出荷用のボートのことです。
当時、その船の色は、実は青色で、木像の小型運搬船といったところです。
歌詞内容は、バナナ園で働く農夫たちの苦労や気持ちを歌ったもので、昔からの労働歌だったそうです。
過酷で危険なタランチュラさえいる夜勤が終わった早朝に、早く家に帰りたいと叫ぶ、農夫たちの悲痛な叫びの歌詞内容なのですが、なぜか「ご陽気ソング」に聴こえてきます。
実は、青色のバナナボートは、自身たちを、重労働から解放してくれる使者なのです。
ワクワク気分になるのも、わかりますね。
後でそのことは書きます。
* * *
印象的な言葉「デ~オ(デーヨ)」は、労働作業時に気合いを入れる掛け声のように聞こえてきますが、実は意味のある言葉です。
もちろんこの言葉は、英語ではありません。
西アフリカのナイジェリア国やトーゴ国に暮らす、西アフリカ最大の民族「ヨルバ族」の言葉だそうで、意味は「喜びが来る」ということのようです。
ハリー・ベラフォンテはニューヨーク出身ですが、両親はカリブ海の国の出身です。
前述したバナナ農園で働く労働者は、同じカリブ海の国トリニダード・トバゴからジャマイカに連れてこられた者たちです。
トリニダード・トバゴ共和国は、トリニダード島とトバゴ島で形成されています。
「トバゴ」の語源は「タバコ(煙草)」です。
もともとこのカリブ海地域は、英国やスペインなどの欧州列強が植民地化で争い、各国が入れ替わり支配していた地域で、最終的に英国領になります。
ジャマイカは現在も、エリザベス女王を君主とする「コモンウェルス・レルム」16ヵ国の一員です。
そして、英国は大西洋を挟んだ西アフリカや、インドから、たくさんの労働者を連れてきました。
ハリー・ベラフォンテ、カリブ海のジャマイカ、トリニダード・トバゴ、西アフリカ、ヨルバ族の言葉「デ~オ」、アフリカ民族を起源とする労働者、バナナボートが、これでつながりましたね。
バナナを、早朝に「バナナボート」に積み終えたら、重労働は終わりです。
そうです…ヨルバ語で言う「デ~オ」という喜びの時がやって来ますね。
アフリカのヨルバ族に起源を持つ労働者が、トリニダード・トバゴからジャマイカに連れてこられ、バナナ農園で重労働を強いられ、バナナボートにバナナを積み終え、さあ朝日とともに重労働は終了、「デ~オ(喜びが来る)」ということですね。
「早く家に帰りたい」という歌です。
クイーンのフレディ・マーキュリーは、アフリカのザンジバル(当時英国領)の出身ですが、彼も、ステージでよく、「バナナボート・ソング」によく似た「デ~オ」の掛け声で客席と掛け合いをしていましたね。
「デ~オ」…私も、早く大声で叫びたい!
* * *
この「バナナボート・ソング」は、ジャマイカでは「デイーオー(Day - O)」という名称でも呼ばれますが、ジャマイカ民謡には「メント」という音楽スタイルがあり、「バナナボート・ソング」は、実はメント・スタイルの代表曲だそうです。
同じ中央アメリカのカリブ海には、トリニダード・トバゴ共和国に「カリプソ」という音楽スタイルがありますが、ジャマイカには当時「メント」がありました。
後に、ジャマイカを中心にカリブ海音楽からは、融合スタイルの「レゲエ」が生まれてきましたね。
* * *
1956年、ハリー・ベラフォンテがカバーしたバージョン曲が、世界中で超大ヒット!
もはや「バナナボート・ソング」といえば、ハリーの歌です。
日本では、ある時期まで、なかなか買えなかった、高級品の果物の代表がバナナです。
入院したときの高価なお見舞い品として、映画やドラマにも登場していましたね。
今の感覚でいうと、バナナひと房が、5000円から1万円くらいの感覚でしょうか。
60年代の昭和40年の頃から、急激に値下がりしていきました。
値下げともあいまって、そりゃ、楽曲「バナナボート・ソング」でウキウキしちゃいますね…。
今では、ひと房100円くらいのものでも、十分に「デ~オ」です。
果物の中でも、好感度・人気度・親近感が最上位級のバナナ…、ス―パーにもしバナナがなかったら… そんなバナナ!(怒)。
バナナ農園の農夫の方々… ありがとう!
バナナボート・ソングの歌詞和訳
◇バナナを片手に「デ~オ!」
最後は、皆さまもバナナを片手に、「♪デ~オ」で楽しんでください!
映画「ビートルジュース」の中で、険悪なテーブル会食の場で、バナナの魔法が…
♪バナナボート・ソング
映像作品「ザ・レディ・イン・ザ・トゥッティ・フルッティ・ハット」の映像にあわせて…。
奇想天外な映像展開にびっくり!
最近は、こういう壮大な面白映像づくりが少ないですね…。
バナナ娘とイチゴ娘の大ステージ…
♪バナナボート・ソング
元映像の、1943年のミュージカル映像作品はこちら…
THE LADY IN THE TUTTI FRUTTI HAT
1940年代の米国での、バナナの宣伝コマーシャルです。
なんと太平洋戦争の頃に、この映像が流されていました。
バナナCM映像
* * *
日米の野球界で大活躍した野茂英雄投手のテーマ曲でもありましたね…
歌は、ディアマンテス。
歌詞は野球にあわせて替えてあり、日本語バージョンもあります。
♪ヒデ~オ
合唱サークルでも定番曲ですね…
♪バナナボート・ソング
楽器「ウクレレ」もピッタリ…
♪バナナボート・ソング
ダンスサークルは「サンバ」で…
♪バナナボート・ソング
まさかの「ラップ・ミュージック」に…
♪バナナボート・ソング
1970年代に大人気だった「ゴールデンハーフ」…日本人と外国人のハーフの女性グループで、長野出身、札幌出身、神戸出身などなど…、獅子てんや・瀬戸わんやの名番組「家族そろって歌合戦」の映像です。
* * *
最後は、御大のハリー・ベラフォンテに…
♪バナナボート・ソング
* * *
今年の夏…、浜辺でバナナボートに出会えるでしょうか…。
最後に、昭和のギャグを言いたくて、書きたくて…、昭和の親父たちのメロディ付き定番ギャグ!
お父さんたちは、職場で、家庭で、ギャグを言いまくっていましたね。
♪ミセデ・ミセデ・ミセデ…、「見せて、見せて、見せて…」。
♪イデデ・イデデ・イデデ…、「痛(いて)て、痛て、痛て…」。
♪デ・ミセデ~オ…、「…で、見せて~よ」。
…そんなバナナ!
先を見通せない、これから数か月… そんな○○○!?
* * *
次回コラムも、「そんな○○○」の「ウィ・アー・ザ・ワールド」スタジオ収録のお話しです。
コラム「音路(39)世界は何が支えてる【7終】ウィ・アー・ザ・ワールド~君のもとへ」につづく
2021.6.26 天乃みそ汁
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あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品