英国王室。ブラックモアズ・ナイト。リッチー・ブラックモアさん。エルガー「威風堂々」「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory)」。佐藤しのぶさん、秋川雅史さん。エリザベス女王・エディンバラ公(フィリップ殿下)と英国の歴史。イギリス。王位継承。ディープ・パープル。レインボー。中世の騎士マクシミリアン。

 

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各コラムで紹介した曲目リストは、「目次」で…

  

あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品

 

*今後の予定曲

 

音路(26)より暗い夜…でも希望と栄光、そして威風堂々



◇エディンバラ公、御逝去

先頃、2021年4月9日、英国のフィリップ殿下が99歳で逝去されたニュースが世界を駆け巡りました。
私は「フィリップ殿下」と耳にして、誰のことと一瞬考えてしまいました。

昭和生まれの世代にとって、それは紛れもない「エジンバラ公(エディンバラ公)」のことです。
彼のことを「フィリップ殿下」などとテレビ放送で耳にした記憶がなかったからです。
昭和の時代は、敬意を込めて、「エジンバラ公」と呼んでいたように記憶しています。

「フィリップ殿下」で確かに間違いはないのでしょうが、「エジンバラ公」という名称は、特別中の特別です。
日本の「○○殿下」や「〇〇公」という名称とも少し意味合いが違う気もします。
この場合の「公」は「公爵」の「公」で、英国爵位のトップで、さらに特別な「公」です。

* * *

逝去された「エジンバラ公(フィリップ殿下)」の、父方の祖父はギリシャの王様、さらにその先代は、デンマークやノルウェーの王様、母方はもともとドイツの王族系の名家、高祖父(祖父母の祖父)はロシア皇帝であり、高祖母(祖父母の祖母)はイギリス・ハノーバー朝の女王であり、インド初代皇帝であった「ビクトリア女王」です。

日本史の中の天皇家や将軍家、摂関家、有力大名家の血筋のつながりは、日本国内で完結しますが、ヨーロッパは、各国の間でそれがつながっています。
ある時は、それが国どうしの戦乱の火種になったり、戦乱を防ぐことにつながったりもします。

第一次世界大戦から第二次世界大戦、軍事クーデター、民主化などに絡んだヨーロッパの王族や貴族の方々の運命は、まさに劇的で衝撃の連続…、あまりの複雑さに、日本は遠い地にあってよかったと思ってしまいます。
特に戦争の戦勝国と敗戦国の差は歴然でしたね。

* * *

今も、英国には貴族制度や爵位が残っていますが、フランス革命やロシア革命など、貴族制度そのものを廃止した国もあれば、戦争をきっかけに民主化の中で消えていった貴族制度も少なくありませんでした。

同じようなかたちの日本の数先年におよぶ貴族制の歴史は、昭和の太平洋戦争の終戦による日本国憲法の発令で、天皇制を残して消滅しました。
エジプト王室が大昔になくなった今、これほど長い、特定の名家(天皇家)の数千年の歴史を保持し、今でもその歴史が継続中の国は、世界に日本しか残っていません。
さすがに米国は、数千年の歴史ある天皇家を、歴史から消滅させていいのか躊躇(ちゅうちょ)したのかもしれません。
理由はさまざまにありましたが…。

* * *

それにしても、英国の「エジンバラ公(フィリップ殿下)」の血筋のすごさには、頭がクラクラ・バラバラ…になりそうです。
近現代の民主主義、平等などの思想が、数千年の貴族の歴史に立ち向かうのは、相当にたいへんなことなのかもしれませんね。
英国の王室も、日本の皇室も、今の時代にあわせた姿に変容し残っています。

ヨーロッパの一部の国では、庶民よりも先に、王族や貴族は先頭にたって戦場に赴いたり、さまざまな経済支援やボランティア活動の先頭に立つのがあたり前という思想が、今でも息づいていますから、それを逸脱拒否するような者たちは、批判の的となり、現代を生きていくことはできないのかもしれませんね。
厳しい国民の目にさらされています。
今現代でも名門王族や貴族と呼ばれ、尊敬を集めるかわりに、義務もしっかり課されているのかもしれません。

今回のコラムは、まずは「エジンバラ公」について、少し書いていきたいと思います。


◇連合王国である英国

「エジンバラ公」という爵位は、1726年に、それまでのイングランド貴族とスコットランド貴族を廃止し、「グレートブリテン貴族」制度を創設させた際に生まれた爵位で、その公爵位は国王になることを意味していました。

1726年は、日本史でいえば、江戸時代の8代将軍吉宗の頃です。
英国の「ガリバー旅行記」は、この年に生まれました。

この貴族制度は、1804年に、いわゆる「英国(グレートブリテン及びアイルランド連合王国 )」が誕生し、それによる「連合王国貴族」の制度に引き継がれます。
日本人が、「イギリス・英国」でイメージする、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4か国連合体制の国のことです。

* * *

1804年の日本は、ロシアから外国船がやって来た時期です。
1808年には、英国軍艦が長崎にやって来ました。
江戸の近くの浦賀に英国軍艦がやって来たのは1817年。
米国のペリーのいわゆる「黒船来航」で、米国艦隊が浦賀にやって来たのは、1853年です。
西洋各国の大型軍艦が、世界に領土やビジネス覇権を求めて進出していた時期です。

英国とフランスが、幕末の動乱に乗じて、日本の覇権の取り合いを行ったのですが、結局、日本はどちらにも領土を渡さないという見事な戦術でしたね。
さすがにその頃のロシアに極東からの南下は難しい状況でした。

日本の明治の戊辰戦争は、米国の中古武器の格好の販売先であり、新兵器の試験場所となりました。
こうした武器ビジネスと、実際の戦争は、今も昔も絡んでいますね。

* * *

今の英国の女王「エリザベス2世」は、その前の国王であるジョージ6世(1895 ~ 1952)と、その王妃である、スコットランドともつながりが深い「エリザベス1世」の間に生まれた長女で、ジョージ6世の死去にともない、25歳で女王に即位した方です。
ジョージ6世とは、前述の英国連合王国の王であり、最後の英国領インドの皇帝です。
インドは1923年に独立しました。

後でご紹介します、楽曲「希望と栄光の国」の音楽動画の中に、英国の世界進出の地域が描かれています。

日本は、1867年に、江戸幕府が大政奉還を行い、1868年から明治の代になりましたが、それまでに欧州列強国の支配地になることはありませんでした。
その頃、日本は、西洋列強からの軍事的脅威という、かなり危うい時期を無事に乗り越えました。
欧州の地からはるか遠くにある、大陸につながっていない島国だったことも、大きな要因だった気もします。
日本のどこかの都市が「香港(ホンコン)」になっていても、おかしくはなかった気もします。
今は逆に、「中華街」が世界中に広がっていますが…。


◇フィリップ殿下

日本での、「フィリップ殿下」の名称は、「英国王配エディンバラ公フィリップ殿下」と記されるようです。

「王配」とは、王と同じ共同統治権を意味する場合は「King Consort(君主の配偶者たる王)」となります。
フィリップ殿下の爵位は「Prince of the United Kingdom」で、「Prince Consort(君主の配偶者たるプリンス〔prince・公〕」です。
「プリンス」は王族のみに与えられる称号ですが、実際の英国では、彼に共同統治者としての王の権限は与えられていません。

女王誕生と配偶者の地位に関する、当時のさまざまな政治的事情のお話しは割愛しますが、相当に複雑な内容でしょう。

今の日本の皇位後継者問題を考えると、いつか日本の皇室にも「女性天皇」が復活するかもしれません。
女性天皇の配偶者である「皇配」が生まれた場合に、どのような扱いにするのかも大きな課題にはなりますね。

* * *

エジンバラ公(フィリップ殿下)は、数々の歯に衣着せぬ発言や失言、恋愛遍歴でも有名で、その率直なもの言いは、まさに独裁国家の国王級でしたね。
国際問題レベルの内容も多く、ヒヤヒヤものでしたが、最高権者の国王は奥様のほうです。

さまざまな歴史があったにせよ、エリザベス2世女王と、エジンバラ公というカップルの夫妻は、英国やヨーロッパに安定と発展をもたらしたのだろうとも感じます。

* * *

彼は青年期の1922年に、祖国ギリシャの軍部クーデターで、ギリシャ王の弟であった父を処刑され、自身は英国軍の軍艦に救出されます。
その後、転々。

彼は、英国国王のジョージ6世とその娘であった「エリザベス2世」と出会い、後のエリザベス2世女王とエジンバラ公は、恋愛関係となります。
エリザベス2世が13歳、フィリップ殿下が18歳だったそうです。

「エリザベス2世」が25歳で女王に即位する1952年より前に、フィリップ殿下はデンマーク王子、ギリシャ王子の資格を放棄し、英国に帰化します。
名前を母方の「マウントバッテン」とします。
「フィリップ・マウントバッテン」です。

彼は、何かの長い暗闇から、やっと抜け出したのでしょうか…。

* * *

ドイツにあった「ヘッセン大公国」の「ヘッセン・ダルムシュタット家」の流れにある「バッテンベルク家」の王族の一部が、英国に帰化したときに「マウントバッテン」と名乗ります。
フィリップ殿下の母はバッテンベルク家の出身です。
彼の4人の姉は、すべてドイツ人の王族や貴族と結婚したそうです。
母方の身内にはスウェーデン王妃もいます。

彼は、英国だけでなく、ドイツ、ギリシャ、デンマーク、スウェーデン、ロシア、ノルウェーなどとつながっています。

そして王位継承が決まっていた「エリザベス2世」と結婚、自身は英国連合体制の「エジンバラ公」となります。
エリザベス2世の実父のジョージ6世には男子がおらず、当時の法にからめて、女性国王の「エリザベス2世」が誕生しました。
実子である娘に王位を継がせたということですね。

エジンバラ公の人生が、思惑通りの「バラ色」だったのかどうかはわかりませんが、国王夫妻が大きくもめていたら、その国も安定しにくい気もしますね。
彼は、自由奔放な一面は持っていても、その生い立ちから、国の安定を強く希望するようなタイプの人物であったのかもしれません。

* * *

エリザベス女王は、フィリップ殿下の逝去にあたり、彼に最大級の感謝の言葉を述べていましたね。
ジョンソン首相の追悼声明の中に、「女王陛下は、我が国がフィリップ殿下に対して『彼が決して主張しないほどの、すなわち私たちが知り得ないほどの大きな借りがあるのだ』と述べられました。私は陛下のご賢察は正しいと確信します。」という内容がありました。

英国らしい、奥深い表現にも感じます。
おそらくは永遠に表には出てこないような内容も含め、彼への感謝が込められているのだろうと感じます。

少しの脱線はあっても、英国王室「ウインザー家」に来た、素晴らしいお婿さん「マウントバッテン」殿として、生涯をまっとうしてくれたということですね。
ウインザー朝は、これからも続きます。

* * *

今の女王「エリザベス2世」の後継者は、チャールズ王太子に決まっていますが、フィリップ殿下が亡くなり、すぐに「エジンバラ公」の爵位はチャールズ王太子に受け継がれたそうです。
いずれは、チャールズ王太子が国王になり、その際に「エジンバラ公」は、エリザベス女王の三男のエドワード王子に引き継がれる予定だそうです。
「エジンバラ公」という爵位は、非常に慎重に扱われている気がしますね。
今のところ、これまでの英国王室の王位継承順位に変化はないようですが、さまざまな事柄が起きていますので、これからどうなるでしょうか?

いつの時代でも、どの国の王室でも、発言や行動、結婚、王位継承は、相当に難しい問題ですね。
愛だけでは解決できない問題も多くありますが、愛や信念がなければ実現できないようなものもあるのかもしれません。
女性でも、男性でも、王族の配偶者という立場は、相当に苦労の多い地位なのでしょうね。


◇名前の意味

「エジンバラ公」という地位は、実は他国から見て、相当に重要な意味を持つ、気になる存在なのかもしれませんね。
普通の「〇〇殿下」「○○王子」ではありません。
爵位創設時は、国王を受け継ぐ権利を有している「王子」「皇太子」を意味していました。
でも、「フィリップ殿下」の場合は、複雑な事情や国際関係が絡んでいましたね。

さまざまな時代の変化や、国際関係の状況を考慮して、日本のニュース報道で、「エジンバラ公」を省いた「フィリップ殿下」のみの呼称が使用されるようになったのでしょうか?
今は、「エジンバラ公」の爵位は、チャールズ王太子に受け継がれ、いずれは国王になられ、その爵位は今後も慎重に扱われるはずです。
それを見越したことなのでしょうか…。

忖度(そんたく)は、国家間にこそ、たくさん潜んでいそうですね…。

* * *

日本の室町時代から江戸時代にかけての多くの武家でも、君主の後継者にしか使用しない名前や、特定の漢字、特定の官位や役職が多くありましたが、こうした名前や漢字、官位や役職名の表記などが、一族内でさまざまな問題を引き起こしましたね。

今現代の日本でも、特定の個人名である「名跡(みょうせき)」が受け継がれていく名家も残っていますね。
「本家」「元祖」「宗家」「宗本家」などもあります。
お名前の意味するもの…、みな相当にたいへんなようですね。


◇王室の存在

ヨーロッパの貴族制度や爵位、その名残りが、そうそう簡単に消滅するとは思えません。
一部の国に今も残る多くの王室は、国際結婚を行い、いつかは中東やアジアの王室、日本の皇室と、何らかの姻戚関係をつくる可能性もないとはいえません。

日本史だけでなく、世界史においても、婚姻関係などで国どうしをつないでいた重要な貴族などの人物が死去したとたんに、国どうしの関係や、国際バランスが、急に変化し始めることはめずらしくありません。
米国はまだ歴史が浅いですが、すでに政治家名門家や、絶大な実業家一族や移民一族は、すでに存在します。
重要なひとりの人物の存在いかんで、友好国になったり、敵対国になったりもします。
現実に、世界各地のさまざまな大規模テロ行為の背景に、そうした関係性があったりします。

「エジンバラ公(フィリップ殿下)」のような、世界各国につながる華麗な血筋で、国家間の重要な要(かなめ)にあった人物がいなくなることは、何かの変化をも想像させます。
エリザベス女王という、絶対的な存在が元気でおられますので、まだ大きな動きはないかもしれませんが、歯止めを利かす王室貴族を持たない西洋と東洋の二大超大国の動向は、逆に心配でもあります。

日本でも皇位継承問題や皇室問題が大きな課題になってきていますが、国際関係にも重要な意味をもつ皇室ですので、さまざまな方向からの視点は欠かせない気もしますね。

* * *

敵対し戦争を起こすのも人間であるのなら、それを防いだり止めたりするのも人間ですね。
主権が国民民衆のもとに移っても、そうした役割を果たせる人物や王位を、政治的なトップとは別に残しておくことは、さまざまな変事に備えた、人間たちの上手な知恵だともいえるのかもしれませんね。

国民から尊敬と信頼を持たれる…、国民に希望や栄光を感じさせてくれる…、そんな王室や皇室の存在が、その国を安定に向かわせるのは、昔も今も変わりないのかもしれませんね。


◇威風堂々・希望と栄光の国

今回のコラムは、まずは英国に弔意を表し、第二の英国国歌を…。

英国の作曲家エドワード・エルガーが作曲した、第1番から第5番までの行進曲集を、日本では「威風堂々(いふうどうどう)」と呼びます。
6番は未完成です。

第1番の中間部分を、「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory )」と呼び、英国では第二の国歌、愛国歌として親しまれています。
日本の英語学校の卒業式などでも、この楽曲を流すことが非常に多くあります。
世界的にも、その雄大なメロディで人気の楽曲ですね。

* * *

この行進曲集は、主に1900年代初頭に作曲されましたので、前述のジョージ6世の父である「ジョージ5世」が、「英国(グレートブリテン及びアイルランド連合王国 )」の国王であり、インド皇帝、ウインザー朝の初代君主として君臨した時代です。
ジョージ5世は、昭和天皇とも親しかったですね。
昭和天皇が皇太子の時に、ジョージ5世が昭和天皇(皇太子時代)に贈った言葉「君臨すれど統治せず」は、新しい時代の立憲君主制をあらわす有名な言葉ですね。

ジョージ5世の父は、「エドワード7世(エドワード朝)」で、日本史にも多くの関わりを持ちます。
「プリンス・オブ・ウェ―ルズ」という名称は、彼に由来したものが多くあります。

エドワード7世、ジョージ5世、ジョージ6世、エリザベス2世で、歴史の大きな荒波の変革期を乗り越えたようにも感じます
エドワード朝と、ウインザー朝の英国時代は、日本の明治の近代化の時代と重なり、日本が英国から受けた影響は絶大でしたね。

* * *

まさに、この楽曲「威風堂々」と「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory )」は、今の「エリザベス2世」につながる「ウインザー家」を象徴するような、強力で雄大な雰囲気の、行進と称賛の楽曲です。

本来は、多くの敵と戦い続けてきた王族や貴族なのかもしれません。
国民のために戦わない王族や貴族は、君臨する資格がないのかもしれません。

今現代でも、英国が動き始めるとき…、そこに世界の変化が始まるのかもしれませんね。

♪希望と栄光の国(Land of Hope and Glory )


「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory )」の歌詞和訳


◇日本の威風堂々の歌唱

ここで、この楽曲のメロディに、まったく別の日本語歌詞をつけた音楽動画をご紹介します。

惜しくも2019年に亡くなられたオペラ歌手の佐藤しのぶさんと、秋川雅史さんが歌う同曲です。
泣きそうになるくらい、素晴らしすぎるデュエット歌唱です。
歌詞も素晴らしい。

コロナ禍の今だからこそ、この歌詞が心に響きます。
♪Pride ~ 威風堂々

 


◇リッチー・ブラックモアさんの「希望と栄光の国」

ここで雰囲気を変えて、別の同曲を…。

英国出身で、70年代、80年代を代表するハードロックバンドの「ディープ・パープル」と「レインボー」の中心人物として、ロック音楽界をけん引したギタリストのリッチー・ブラックモアさんが演奏する「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory )」です。

彼は昔から、クラシック音楽を演奏することが多く、さまざまな楽曲を残しています。
彼のレインボー時代の「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory )」演奏も、とてもいい味です。
もちろん、彼は英国出身です。

♪希望と栄光の国(Land of Hope and Glory )

 


◇ブラックモアズ・ナイト

ハードロックバンドの「ディープ・パープル」と「レインボー」という名前を聞いただけで、眉をひそめる方もいるかもしれません。
確かに、リッチー・ブラックモアさんは、ステージでギターは壊すは、スピーカーは壊すは、気分を害して演奏中のステージから帰ってしまうは、コンサートツアー中にバンドを離れるはで、そのやりたい放題、自由奔放さは、ギター演奏だけではありませんでしたね。
ある意味、この奔放な生き方が、ギター演奏にそのままあらわれており、それが多くのファンをとりこにしました。
その演奏テクニックは超一流ですね。

彼は、ディープ・パープル脱退後に、レインボーをつくり、その後ディープ・パープルに戻り、また脱退し、レインボーに戻ります。
近年でも、再結成や臨時集結に参加したり離れたり…やはり好き放題の彼ですね。
「何か懐かしく思い出し、ハードロックをなんとなく演奏してみたくなった…」ということなのだそうです。

52歳の1997年からは、ハードロックからは少し離れ、「ブラックモアズ・ナイト」という音楽バンドユニットをつくり、今に至っています。
そこは寄る年波…、彼も年齢を重ね、ある年齢の頃から、それまでとは別の姿を見せ始めます。

* * *

有名なロックギタリストにエリック・クラプトンさんもいますね。
彼も、若い頃から、ハードロック界のスーパースターでしたが、その演奏内容や雰囲気、生き方は、年齢とともに相当に変化していきました。
エリック・クラプトンさんも、リッチー・ブラックモアさんも、70年代頃の過激でイケイケの時代のファンからしたら、今は別人のようにも見えてきます。
ですが、本来は、彼らの中に昔からあった才能であり、魅力であったのでしょう。
年齢相応の魅力が、自然と表にあらわれてきたということかもしれません。

「ディープ・パープル」と「レインボー」で、リッチー・ブラックモアさんの音楽を聴くのを止めてしまった方には、今のブラックモアさんの姿や音楽に驚愕するはずです。

* * *

「ブラックモアズ・ナイト」は、女性ボーカルとしてキャンディス・ナイトさんが参加しています。
実は、ナイトさんは、ブラックモアさんの奥さんですので、この音楽バンドユニットは、夫婦仲良しバンドユニットということです。
ステージでは、サービス精神いっぱいで楽しそうな笑顔のブラックモアさんの姿があります。
昔のブラックモアさんからは、想像もできません。

その音楽スタイルは、古くからの英国民謡を取り入れるなど、16世紀までの中世の英国時代を彷彿とさせるような一面を持つ、ポップなサウンドです。
ギター演奏は、エレキギターに加え、アコースティックギターが中心になっています。
彼は昔から、中世の騎士のような衣装が好きなようで、現代風騎士衣装を着ています。
なんとなく、髪型もヒゲも表情も中世の騎士を感じさせてくれますね。

* * *

実は、近年の若い世代は、この「ブラックモアズ・ナイト」から彼のファンになる人も相当におり、逆に「ディープ・パープル」の音楽に驚きます。
きっと、ハードロック音楽を聴かない中高年世代でも、この「ブラックモアズ・ナイト」の魅力にはまる人も少なくないと思います。

「ブラックモアズ・ナイト」のステージでは、ディープ・パープルやレインボーの曲を演奏することもあります。
とはいえ、当時のハードロックとはまったく違った味わいの演奏です。
ですが、ブラックモアさん特有の、あの独特の神秘的な暗い雰囲気や、妙な切迫感は残してくれています。
それが中世ヨーロッパの雰囲気と混ざりあい、いい味わいをかもし出しています。
古くからのファンである私も、大納得、大絶賛です。
ディープ・パープル時代からのファンも年齢を重ね、このくらいの変化がちょうどよく、また新鮮に感じるのかもしれません。

* * *

「ブラックモアズ・ナイト」では、彼の本当に衰えないギター演奏力を聴かせてくれます。
70歳台後半にかかる年齢なのに、エレキギターとはまた異なる、アコースティックギターでのスゴ技演奏には驚くばかりです。

この演奏力で、ロック音楽ファン以外の、他の音楽分野のファンも、たくさんついたようです。
私自身も、「ディープ・パープル」、「レインボー」と聴いてきて、彼が、まさかこんなポップな音楽世界に向かうとは想像もしていませんでした。
こんなすごい能力が隠されていたとは…。
ひょっとしたら、奥様のキャンディス・ナイトさんが引き出した…?


◇ナイトたちは、すごい!

「騎士」は英語で「knight(ナイト)」といいます。

キャンディス・ナイトさんと「ブラックモアズ・ナイト」の「ナイト」は、「k」のない「night」です。

 

中世の騎士が現代にやって来て、女性のナイトさんを、ブラックモアさんのもとに連れていったのか、ブラックモアさんを、ナイトさんのもとに連れていったのかはわかりませんが、この二人の出会いも、先ほどの英国王室の夫妻と同じで、なんとも不思議に感じます。

よいか二人とも…中世の音楽を復活させるのだよ。
まさか「ヨーロッパ中世最後の騎士」といわれる15世紀の神聖ローマ帝国の大君主…芸術好きだったマクシミリアン1世が戻った…。

彼は、軍の遠征に音楽団を引き連れていきます。

ウィーン少年合唱団の前身をつくったのも彼です。
マクシミリアンは、最愛の妻マリーを25歳のときの落馬事故で失います。

嫡男はフィリップ王子…。

 

こんな彼なら、数百年後の後世でも、ナイトさんとブラックモアさんの二人を会わせることくらいは、やってしまいそうです。
「ナイト」たちはすごい!


◇もっと、より ブラックモア

「ブラックモアズ・ナイト」では、クラシック音楽の有名な旋律を組み込んだ楽曲がいくつかありますが、ここで、一曲ご紹介します。
J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番.プレリュード ハ長調」の旋律が素敵に取り入れてあります。
♪ナウ・アンド・ゼン

 

ブラックモアさんは、昔から、バッハ好きでよく知られており、ディープ・パープルの楽曲の中にも、その旋律やコード進行が使われていました。
ここで、「ブラックモアズ・ナイト」の「ドゥルヒ・デン・ヴァルト・ズン・バッハ・ハウス」という曲を…。
♪Durch den Wald zum Bach Haus

 

下記は、中世の衣装で、古城の演奏会場に向かうバンドメンバーを見ることができる音楽動画です。
冒頭のヒゲの男性と、隣の女性が、ブラックモア夫妻です。
♪ウィッシュ・ユー・ウェアー・ヒアー

 

1997年に、テレビ朝日の番組「ニュース・ステーション」に二人で出演し演奏した映像です。
ブラックモアさんの50歳台の姿ですが、司会の久米宏さんも若い。
♪スピリット・オブ・ザ・シー

 

* * *

今回のコラムは、このあたりで終わりますが、今回からおそらく4回連続で、リッチー・ブラックモアさんの「ブラックモアズ・ナイト」の楽曲をとりあげます。
次回は、「ブラックモアズ・ナイト」のクラシック風の他の楽曲を、別の「切りクチ」で書いてみたいと思います。

次回は、日本のゴルフ界の偉業である松山英樹(まつやま ひでき)選手の「グリーン・ジャケット」についても書きたいと思います。
「ブラックモアズ・ナイト」の中にある、「深い紫色(ディープ・パープル)」ではなく、「神秘の緑色」の世界について書きたいと思います。

* * *

コラム「音路(27)緑色の魔力 ~ グルーンスリーブス」につづく