NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回について。「本能寺の変」成功の条件。織田信長親子を京へ。帰蝶はどこへ。備中高松城で待つ。甲斐をわが手に。公家の底力。是非に及ばず。明智光秀の甘さ。水色桔梗。彼にしかできない。

 


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麒麟(54)麒麟がくる・最終回 / 本能寺の変



◇麒麟を待つ

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送が、2021年2月7日に最終回をむかえました。

この「麒麟シリーズ」のコラムを書き始めたきっかけが、この「麒麟がくる」の大河ドラマのスタートでした。
最初は、数回書いて終了かと考えていましたが、多くの方々が、テレビで大河ドラマを見る際の「おとも」として読んでくださるようになり、そのうち、これは止められないという状況になり、さらに放送内容にあわせて丹念に書くようになり、いつしか放送回に追いつけなくなってしまいました。
多くのご感想を頂戴し、誠にありがとうございます。

「麒麟がくる」の放送は終了しましたが、このコラム「麒麟シリーズ」は継続し、明智光秀の最期までを書こうと思っております。
よろしければ、引き続きよろしくお願いいたします。

* * *

皆さまは、最終回にどのような感想をお持ちでしょうか。

私の周囲には、歴史通や映像通が多いということもありますが、内容に満足はしたが、何か「消化不良」と言われる方が少なくありません。
主人公は明智光秀なのに、主人公ではない織田信長の最期が入念に描かれ、当の本人の光秀の最期がまったく描かれていませんでした。
主人公は「麒麟」だというのなら、仕方がないですが…。
これが「消化不良」の、大きな要因なのかもしれません。

* * *

大きな役目を終え、何か時代の中に、静かに消えてゆく光秀というのも、カッコいいドラマの最後だとは思いますが、この光秀のドラマの退場シーンから想像するに、今後、数回での「スピンオフ・ドラマ(派生した関連ドラマ)」などのかたちで、「本能寺の変」後から、「山崎の戦い」、そして明智藪(あけちやぶ)での最期のシーンまでが、別に描かれるのではないだろうかという気も少しします。
今後、しっかりと光秀の死の瞬間が描かれるのかもしれません。

私は個人的に、このドラマのエンディング映像内容といい、俳優さんたちの表情といい、これはドラマが終了していないのでは…と感じてしまいました。
光秀も、駒ちゃんも、義昭も…、みな何か不敵な笑みでドラマから消えていきました。
これは戻ってくる…、そう感じた方も多いかもしれません。

今のテレビ業界は「スピンオフ・ドラマ」が大流行ですね。
続きはネットドラマで…、あの脇役の別の物語…など多くの関連ドラマが作られます。
この「麒麟がくる」では、はたして作られるでしょうか…。

まさかの駒ちゃんが主人公のスピンオフ…、義昭将軍が主人公のスピンオフ…、ひょっとして近衛前久が主人公のスピンオフ…、まったく不思議はありません。
久しぶりの大河のヒット作ですし、むしろ楽しみにしたいです。

* * *

最終回では、「本能寺の変」後の光秀の状況が、なんとナレーションだけで語られました。
ここまでの「完全削除」には何か理由がある…、空白の三年間には何か理由がある…、私はそう感じましたが、皆さまはいかがでしょうか…。

* * *

今回の「麒麟がくる」の主要な脚本家は、有名な巨匠の池端俊策(いけはた しゅんさく)さんです。

池端さんはこれまで、NHKでも、2~3回の連続ものの歴史ドラマをたくさん作られてきました。
長編の大河ドラマも、今回で、おそらく2回目だと思います。
みな見応えのある、充実した歴史内容の作品ばかりでした。

どうぞ池端さんとNHKのチカラで、「本能寺の変」の後の光秀のドラマを、ぜひ描いてほしいと思っています。
今は、制作スタッフも、俳優さん方も、コロナ禍での異例の制作作業で、疲労困憊だと思いますが、落ちついたら、どうかお願いしたいです。

* * *

歴史を熟知した池端俊策さんでなければ描けない「光秀の死」があると私は感じています。
表面的なドラマ性のみを追求した「光秀の死」ではなく、戦国武者の生き様をしっかり盛り込んだ「人間の死」を、池端さんの視点で、ぜひ私たちに見せていただきたいと思っています。

「池端ワールド」が大好きな私としては、何年でも待ちたいと思います。
いつまでも、麒麟を待つ…。


◇感謝

今回の大河ドラマは、もともと放送回数が減らされただけでなく、新型コロナの影響で制作と放送が中断しました。
おそらくドラマ内容に、新型コロナの影響は相当にあったと思います。
俳優陣にも感染者が出ましたね。
制作スタッフ、俳優さん方、みな相当にご苦労されたのだろうと思います。

どうして、よりによって新型コロナ蔓延が「麒麟がくる」と重なってしまったのか…、信長の呪いか…。
悔しさが残ります。

* * *

「麒麟がくる」の放送内容の前半期の時代展開と比較すると、後半は猛スピードで時代が展開しました。
私が期待していた多くのシーンがなく、少し残念な面はありましたが、たった44回しか放送回数がないですし、新型コロナで撮影もままならないのでは仕方がありません。
ともあれ、最終回までたどりつけただけでも、ありがたいことのように感じます。

制作スタッフ、俳優さん方、皆さまお疲れさまでした。
素晴らしいドラマを届けていただき、ありがとうございました。


◇帰蝶はどこへ

さて、テレビ時代劇ドラマでは、時間が短いせいもあるでしょうが、「本能寺の変」での明智光秀は、たいてい相当に単純な描かれ方をされてしまいます。
今回の大河ドラマの一年間の放送でさえも、歴史ファンからしたら、まだ少し足りない部分も感じはしますが、それでも、これまでのドラマの描かれ方から比べれば、十分満足できる内容でした。
少なくとも、光秀の「悪い裏切り者」としてのイメージは払拭できたのかもしれません。

ここからは、「本能寺の変」に関する、歴史の史実や言い伝えとドラマの違いを少しだけ書きます。

* * *

どの大河ドラマでも、「本能寺の変」といえば、信長の隣に帰蝶(きちょう)がいて、帰蝶も槍を持って奮戦し、信長と最期の別れをするという名シーンが描かれます。
たいてい帰蝶役は、その時代の人気有名女優が演じますので、史実はどうあれ、視聴者が、「本能寺の変」で、どれだけ帰蝶の登場を期待しているか想像できます。

ただ歴史的には、帰蝶の消息や最期は、はっきりとは判明できていません。
「本能寺の変」の時には、すでに死亡していた…、安土城にいた…、美濃国で暮らしていた…など諸説あります。
伝説のような話しもたくさんあります。
信長と帰蝶のあいだには、一応、実子がいなかったとされています。

大河ドラマの中で、帰蝶は「信長様に毒を盛る」という言葉を言いましたが、盛られたのは本人のほうかもしれません。

個人的には、史実はどうあれ、今回の大河ドラマの「本能寺の変」には、帰蝶には本能寺にいてほしかった…。
特に、今回の光秀と帰蝶の深い関係性を考えると…。
そして光秀に、何か最後の言葉と別れをしてほしかった…。
遠い空から、何か思いのこもった帰蝶の声だけでもほしかった…。

「目が悪くなってきたので…」では、あの道三仕込みの「マムシの娘」の濃姫(のうひめ / 帰蝶)の最終シーンには、個人的に少し物足りなさを感じました。
個人的には、もう少し「濃い」最終シーンを期待していました。
とはいえ、着物がたいへんよく似合う、美しい「マムシの娘」でしたね。


◇成功の条件

これまでのコラム「麒麟シリーズ」でも書いてきましたとおり、この「本能寺の変」は多くの人間が絡んだ壮大な陰謀襲撃計画で、あの信長でさえも見破れなかった計画です。
そして、中心にある本能寺への襲撃計画に、さらに加えるような別の陰謀計画が複数存在していたであろうと、個人的には思っています。

個人的な想像ですが、追加計画には、秀吉の計画、家康の計画、毛利の計画が、少なくともあったであろうと感じます。

* * *

信長と信忠(信長の嫡男で後継者)の親子以外の、主要な武将たちは、この襲撃計画を知っていたのは間違いないと思います。
ここからは、証明されてはいませんが、私の想像を含めて書いていきます。

まず「本能寺の変」を成功させるのに必要な条件について書いてみます。

◎信長と信忠の両者を同時に抹殺すること。
◎信長と信忠が、同じ京都内に、同じ時刻に滞在していること。
◎信長が、前日の晩からその日の朝まで確実に本能寺にいること。
◎信忠が、信長のすぐ近くではない場所の京都内に確実にいること。
◎信忠を京都から脱出させないこと。
◎本能寺は普段、火薬や鉄砲の大規模倉庫ですが、その日は、それらの武器がないこと。
◎本能寺周辺の地域に光秀の味方を配置させてあること。
◎当日の本能寺の防衛体制をしっかり把握しておくこと。
◎京都周辺に、すぐに駆けつけるような別の大軍勢がいないこと。
◎直前まで、明智軍が京都に向かうことを信長に悟られないこと。
◎京都内はもちろん、安土城内にスパイを相当に侵入させ、信長の情報網を遮断してあること。
◎明智軍の内部から裏切者が出ても、彼らの行動が間に合わないこと。

少なくとも、これらをクリアしたのだと思います。


◇信長親子を京へ

まずは、どうやって信長親子を一緒に京都に来させるのかが問題です。
それも大した軍備をさせずに。

戦国武将の通常の軍事行動では、当主と、その後継者は離れて行動するのが常です。
非常時、緊急時への備えです。

このことからも、信長親子が、京都内での軍事行動や防衛行動を想定していなかったことがわかります。

まず、これには秀吉の言動が大きかったと想像します。
「麒麟がくる」の中でも、信長は秀吉に請われて、安土城を出立し、まず京都に向かいました。

秀吉の援軍に向かう主要軍勢は光秀などが連れていき、比較的少数の信長親衛隊と、信忠周辺の小規模軍勢だけで京都に入ります。

* * *

では、信長の息子の信忠は…なぜ京に。
ここは近衛前久(このえ さきひさ)などの公家の工作で、信長親子を、ある目的のために同時に京に呼び寄せたとも考えられます。
そして、あの用心深い信長でさえ、息子のことを思って、父親として行動してしまった…。
まさに一生の不覚…、やはり信長も父親であったか…。

 

信長は、これまでの自身の陰謀の中で、相手の親子、兄弟、夫婦の愛情や心情などを巧みに利用し、さまざまな陰謀を行ってきましたが、今回は、まさに敵側にその部分をつかれたかたちですね。

とにかく、この信長親子の動向と、光秀軍の動きに、日程のズレがあっては「本能寺の変」は実現できません。
この日程の連動は、偶然の一致などでは生まれるはずがありません。


◇備中高松城で待つ

個人的な想像では、この頃はすでに、秀吉、毛利家(小早川・吉川の毛利両川を含む)、宇喜多家は、相当に手を組んでいる気がします。
秀吉の「備中高松城の水攻め(本能寺の変の時に秀吉が行っていた戦い / 岡山県岡山市)」は、光秀による「本能寺襲撃」待ちの、壮大な時間稼ぎ作戦のようにも感じます。

もちろん戦国時代ですから、手を組んだといっても、裏切りも想定しなければなりません。

「麒麟がくる」の中の秀吉も、そうした陰謀を匂わしていましたね。
これまでの大河ドラマでは、私は、このような秀吉は記憶にありません。
今回はそれが描かれていて、ちょっとうれしかったです。

秀吉の「中国大返し(岡山から京に短期間で戻る軍事作戦)」は、相当前から準備されていたと感じます。
これを周囲に悟らせないところが秀吉のすごさです。
秀吉が、毛利軍の間者(かんじゃ・スパイのこと)を捕獲し、それにより「本能寺の変」を知ったなど、私はありえないと感じます。
おそらく、この頃に日本最高の情報収集能力を持っていたのは秀吉だと思います。

もちろん、この「中国大返し」計画は、明智光秀には伝わってはいなかったと思います。

* * *

ようするに、光秀が、本能寺で信長を討つ計画までは、秀吉、毛利、近衛前久(このえ さきひさ)、そして細川藤孝、家康も、その他の主要武将たちも知っていたものと思います。

個人的な想像ですが、秀吉は、信長を討った後の光秀を討つ計画も、光秀が襲撃に失敗した場合の計画も作ってあったと思います。

もし光秀が信長襲撃に失敗した場合でも、秀吉は、毛利や宇喜多と手を組んで、信長を中国地方におびき寄せてから、討ちとったかもしれません。
信長が、チカラをつけた秀吉に用心し始めたことを、秀吉が察知しないはずがありません。

秀吉にとって、光秀のいない織田軍でやっかいなのは、せいぜい滝川一益くらいですし、彼は遠い関東の地に遠征に行っていました。
後に、秀吉は、「清須会議(信長の後の織田軍統治に関する確認調整会議)」に、自身に不利になりそうな一益を清洲に来させません。
柴田勝家と滝川一益には関係性があります。

織田軍団で、実質的に秀吉の障害になりそうな光秀と一益は、これでいなくなりました。
秀吉にとって、柴田勝家や丹羽長秀など、敵にもなりません。

秀吉のことですから、光秀の本能寺襲撃に対して、成功と失敗の「両にらみ」の作戦を立て、毛利と話しをつけてあった気もします。
ただ、この計画は、京都の公家たちに事前に話したら、絶対にオーケーはもらえなかったと思います。
あくまで、個人の想像です。


◇甲斐をわが手に

「本能寺の変」後、家康は命からがら、堺から三河(愛知県岡崎市)に戻ったといわれています。
歴史の一部で語られるような、光秀軍が家康の命を狙うとは思えません。
狙ったとしら秀吉の間者でしょうか…。

家康は家康で、三河への逃亡の際に、元武田軍の重要家臣で武田一族の穴山梅雪(あなやま ばいせつ)と途中まで同行します。
個人的な印象ですが、穴山梅雪は、甲斐の武田軍を再興させる腹積もりであったような気がします。

家康は、信長に敗北した武田軍の残党兵力とその金銀を自身のものにしたかったのは間違いないと思います。
ここで梅雪を成敗(殺害)し、莫大な金銀を手にしたのは家康だったのかもしれません。
この金銀が、伊賀や甲賀、伊勢衆の買収にも回った…?

* * *

「麒麟がくる」の中でも、光秀は家康に、菊丸を通じて、襲撃計画を事前に伝えていましたね。
ドラマでは、ここまでの匂わせでした。

「本能寺の変」の陰謀の中で、家康がどの程度関与していたかは、よくわかりません。
ともあれ、そのような証拠を、徳川家や江戸幕府が残すはずもありません。
命からがら三河国に逃げ帰り、それを伊賀者も、甲賀者も、堺も、伊勢も助けた…、その事実だけで十分ですね。


◇秀吉と光秀の、どちらが…

細川藤孝も、相当に計画を知っていたはずです。
信長死後に、光秀と秀吉が争うのは、当然わかっていたはずです。
もし毛利勢が間接的に秀吉につくことを知っていたとしたら…。

「本能寺の変」直後に、京都周辺の畿内の有力武将たちが一斉に沈黙したのは、この両者の状況を見定めることが重要だったのだろうと思います。
秀吉が、「中国大返し」にあわせて、各武将にばらまいた文書や金銀などで、それぞれの武家が「生き残り」を判断したとは思えません。
秀吉と光秀それぞれの行動自体を、周囲は観察していたと思います。

そして、「勝ち馬」に乗らない武家など、どの時代でも、まず生き残れません。

* * *

光秀は、「本能寺の変」直後の自身の行動が、相当に重要であるのはわかっていたのでしょうが、軍事力アピールが足りなかったのかもしれません。
文書での外交をやっている場合ではなかったのかもしれません。
このあたりが信長や秀吉とは違います。

ここが、ナンバー1になる人間と、ナンバー2でとどまる人間の違いと言えばそれまでですが、「本能寺の変」直後に、光秀は、チカラづくででも、圧倒的な武力の優位性を周囲に示す時だったと感じます。
そのあたりを、光秀は、どのように考えていたのでしょうか。

戦国乱世に、上手な「まとめ役」を、主君として ついていく武将など、誰もいません。
ついていくのは、戦に勝てる主君です。

光秀に甘さがあったとしたら、信長を討った後の計画と行動でしょうか。
すでに手をうっていた秀吉のほうが、一枚も二枚も上手でした。
前代未聞の「中国大返し」と、毛利家との調整という大軍事行動にまさるアピールはありませんね。

光秀は、その間、ほぼ何もできていませんでした。


◇公家の底力

実際問題として、信長を手にかけるのは、どの武将も自身では行いたくはないと思います。
失敗は許されません。
いったい誰が実際に手にかけるのか…、ここが問題ですね。

気概を持ち、軍事力も備え、足利将軍とのパイプもあり、公家とも上手くつき合っている…、何より源氏の名門武家。
そして織田軍の畿内方面軍の総司令官。

光秀しかいない…、周囲が、どのように光秀をその気にさせたかはわかりませんが、これほど条件に合う人物はいません。
実質的に、織田軍の政治的実力ナンバー2です。

* * *

このあたりの陰謀は、おそらく、近衛前久(このえ さきひさ)などの、天皇周辺の公家が相当に動いたであろうとは思います。
公家の陰謀は、歴史には残りにくいので、このあたりは なかなか実証できませんね。

どの時代もそうですが、各武家間を取り持つ役目を果たすのは、たいてい公家です。
たいていの武家には公家出身のお嫁さんがいましたね。

公家は、多くの武家と姻戚関係をつくることで、武器を持たない自身の本家を守っていました。
実際に戦闘をさせるのは武家たちです。
そこらじゅうの武家と姻戚関係を作っておけば、一族全滅はありません。
公家は、寺社とも関係性をつくり、多くの利権や経済的支援も受けています。

「麒麟がくる」では、天皇や公家の動きも、相当に匂わせてくれました。
ただ、ここは確信はつけませんね。

* * *

この時の近衛前久の邸宅は、もともと秀吉の邸宅でしたので、しっかりとした武家屋敷の構造をしています。
この流れも相当に不可解です。
そして、この邸宅は、本能寺のすぐ近くにありました。

後に、秀吉は、前久に「光秀が近衛前久の邸宅から本能寺に向けて攻撃した」と、クチで口撃しますが、個人的には、案外そのとおりであったのかもしれないと感じます。
実は、本能寺の襲撃は、テレビドラマのような大掛かりな規模ではなかったという説もあります。

* * *

近衛前久は、光秀が政治の実権を長く握るとふんでいたのでしょうが、すぐに秀吉が光秀を倒してしまいます。
秀吉による、前久へのこの口撃は、本能寺襲撃計画のクチ封じなのかもしれません。
ただ、前久の殺害計画というよりも、秀吉の今後のことを考えた圧力だったのかもしれません。

農家出身の秀吉は、将軍になって幕府をつくることは相当に難しい道ですから、ある意味、平清盛のような政治的高位の権力者しか目指せない気もします。
その時に、関白の近衛前久のチカラは絶対に必要です。
前久は、秀吉を猶子(養子)にしてあげて、関白の地位まで引き上げてあげます。

野心家の前久ですから、後に豊臣家不利と見るや、彼は徳川家康を頼ります。
最後は、京の銀閣寺で将軍のように悠々自適生活…。

結局、公家の最高権力者の近衛前久は、上杉謙信、三好長慶、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康の順番で、乗り換えていったと考えていいと思います。
まさに、自身では刀や弓矢を手にしない、公家の底力を見るようです。
ようするに、藤原系の公家一族です。

* * *

個人的には、本能寺襲撃計画の中心人物のひとりに、この近衛前久がいたのではないかと感じています。
この襲撃計画を知っていた人間は、各武将軍団の中でも、トップら一部だけでしょう。
公家や寺社でも、ほんの数名だったとは思います。

こんな極秘内容を漏らす公家や武家がいたとしたら、二度と信用されませんし、自身への攻撃材料を公(おおやけ)にさらすことになりますので、絶対に口外しなかったはずですね。
歴史から消滅させたのだろうと思います。


◇光秀の甘さ

個人的には、まだまだ光秀には、秀吉に対抗できるチャンスはあったと思っています。

もし、光秀が京都から一時的に離れ、家康や、いずれ信長に捨てられたであろう柴田勝家、その柴田の配下の天才軍略家の滝川一益、浅井・朝倉の残党、近江の六角勢、西美濃勢などが光秀に協力したら、秀吉は勝てなかったかもしれません。

その動きを知れば、細川も、足利将軍も味方したでしょう。
もしあと数年我慢できていれば松永久秀も、荒木村重も光秀側に加わったでしょう。

光秀は、自身の最後の敗北である「山崎の戦い」で、自身の明智軍の統制にも手を焼くくらいですから、全国の武将たちを「反秀吉」でまとめるには、かなり難しいとも感じますが、実現不可能ではなかった気もします。

でも、なぜ、あそこまで京都にとどまることに、こだわってしまったのか…。

* * *

平安時代でも、鎌倉時代でも、室町時代でも、後に覇者になる者たちは、不利と見たら京都を離れ、もう一度 軍勢を立て直し、京都に戻ってきます。

明智光秀と滝川一益が組めば、おそらくその頃の最強鉄砲軍団が組織できたと感じます。
そうなれば、大軍艦「鉄甲船」を持つ「九鬼水軍」も光秀に味方したでしょう。
毛利水軍に負けるはずはありません。

秀吉は、「本能寺の変」直後のほんの一瞬しか生まれない期間に、自身の命運をかけたのかもしれません。
まさに信長仕込みの「瞬間戦術」ですね。

光秀が、秀吉のチカラを甘く見たといえば、それまでですが…。


◇謎のベール

この「本能寺の変」が、光秀の個人的な野心や恨みなどで起こされたものでないのは明らかだと思います。
そして、個人の突発的な行動ではないことも明らかだと思います。

信長の周囲の多くの人物たちが、入念に計画を立て、しっかり準備し、信長にワナをかけた作戦だったと感じます。
信長も、直前の頃は、何か察知したかのような動きも見せますが、ここまで近い人間たちに、監視され、誘導されてしまっては、もはやあの信長でさえ、ワナにかかってしまったように感じます。

「本能寺の変」直前の安土城内は、まさにスパイたちの巣窟だったようにも感じます。
その頃に、信長による安土城内の「スパイあぶり出し処刑事件」が起きます。

私は、この「本能寺の変」の前後は、複数の陰謀計画が交錯していたのではと考えています。

帰蝶が、いつ頃、どのような理由で、歴史の表舞台から消えていったのか…、私はわかりません。
毒を盛ったのか…、盛られたのか…。

「本能寺の変」と同様に、「帰蝶」の動向も…、多くの「陰謀計画」も…、謎のベールに包まれています。


◇演出

さて、今回の大河ドラマでは、何かアニメにでも出てきそうな、奇抜な演出がたくさん登場し、楽しめました。

そして、今回の大河ドラマの衣裳担当は、映画監督の黒澤明さんの娘の黒澤和子さんが行っておられました。
黒澤映画を彷彿とさせるような、衣裳の色あいと豪華さも楽しめました。
ですから、映像のあちこちに、「黒澤映画」の香りが感じられました。

以前のコラムで、黒澤明 監督の「蜘蛛巣城(くものすじょう)」の話しを書き、その中のラストシーンで、主役で俳優の三船敏郎さんが弓矢の大量攻撃を受け絶命するシーンのことを書きました。

今回の最終回で、本能寺の信長への大量の弓矢攻撃も、まさにそのシーンを思い起こさせます。
最後に、もう一度「黒澤映画」を感じることができ、うれしかったです。

テレビドラマで、これだけのクオリティの豪華衣裳と「黒澤映画」を感じることができたことは、本当に幸せだったと思います。

* * *

また、秀吉が陰謀を語るシーンでは、その傍らに黒田官兵衛がいました。
その衣裳は、2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の官兵衛にそっくりです。

この「軍師官兵衛」で、官兵衛の重要な家臣の栗山善助を演じたのが、俳優の濱田岳(はまだ がく)さんでしたね。
今回の「麒麟がくる」の最終回では、その濱田さんが官兵衛役として登場しました。

ということは、もともと この官兵衛役は、NHKに出ずっぱりのあの俳優の岡田准一さんだった…?
いっそのこと、このシーンに、高橋一生さん、速水もこみちさん、松坂桃李さんら、官兵衛軍団が勢ぞろいしていたら、相当に華やかなシーンだったのに…。
でも、濱田さんの一瞬の登場は、大河ファンには、うれしかったですね。

* * *

もうひとつ、うれしかったのが、明智左馬助が、あの「ウサギちゃん兜」をかぶっていてくれたことです。
先般の朝倉義景の「サザエ兜」といい、こういう細かい演出が、歴史ファンにはたまらない…。

* * *

ちょっとだけ物足りなかったのは、本能寺の塀越しに見えた、明智軍の水色の軍旗の群れです。
塀の向こうが、水色一色になっている光景を、私は期待していました。

今回の大河ドラマの視聴者の中には、最後まで、その水色の意味を知らなかった方も多かったようです。
ドラマでは、最後まで、これでもかと「水色桔梗(みずいろききょう)」の誇りが貫かれていましたね。
光秀は、「水色桔梗」にふさわしい武士でした。


◇名シーン

今回の「本能寺の変」のドラマシーンでは、通常入ってくるような名シーンが、さほど登場しませんでした。
史実として確実に判明していない内容は避け、重要なポイントに絞ったのかもしれません。

まずは名言です。

光秀のあの「時は今…」の名句が登場しませんでした。
世の中の、俳句、短歌、川柳のファンの方々は、この一瞬をどれほど楽しみにしていたのかと思うと、ちょっと可哀そうな気もします。
きっと、家庭内で、多くの「ウンチク」を用意していたことでしょう。

神社のおみくじ「凶」三連発もなし。

* * *

他にも、おそらく実際の歴史では、ドラマの中の光秀のように、自身の襲撃計画を重臣に冷静に語ったのでしょうが、時代劇ドラマではやはり、甲冑を身に着けた光秀が軍団に大号令する、あの「敵は本能寺にあり」の台詞を聞きたかった気もします。
きっと多くの視聴者が、この瞬間を待っていたと感じます。

まるで、水戸黄門様が、印籠を相手にチラッと見せて、「これだから…」という風にも感じなくもありませんでした。
演出に、好き好きはあろうかと思いますが…。

とはいえ、光秀と重臣たちの誠実さと団結力は、しっかり伝わってきました。

* * *

細川藤孝の「本能寺の変」後の、心の葛藤や、光秀への思いも描かれませんでしたが、ちょっと池端さんの思うところを見てみたかった気もします。

私は個人的に、昔から、光秀の娘の「たま(細川ガラシャ)」は、「本能寺の変」の女性版でもあるので、大河ドラマの主人公で見てみたいとずっと思っています。
単独でダメなら、この戦国時代で、男性よりも勇ましい女性たちを共同主人公にしてもいいと感じています。
細川親子とガラシャのお話しでも面白いですね。

この時代は男尊女卑の時代ではなく、男性武将よりも強力で勇敢な姫君たちは山ほどいました。
性別など気にしている、悠長な時代ではありません。
今回、「たま」を演じた女優の芦田愛菜さんは、将来、同じ役で戻ってきてくれるでしょうか…。
期待しています。

* * *

古くからの芸能ファンには、坂東玉三郎さんの天皇役にも、しびれましたね。
ここまで気品ある天皇役もめずらしいです。
名シーン続出で、みな高貴な香り…。

そういえば、「蘭奢待(らんじゃたい・最高級の香木のこと)」の登場も意表をつかれました。

個人的には、吉田鋼太郎さんの松永久秀も、滝藤賢一さんの足利義昭も、本木雅弘さんの斎藤道三も、忘れられない記憶になりそうです。
駒ちゃんを演じた門脇麦(かどわき むぎ)さんも、私のお気に入り女優さんになりました。


◇是非に及ばず

今回の最終回の信長の「是非に及ばず」は、個人的に相当によかったです。
私は、今回の最終回で、もっとも気に入った台詞シーンでした。

信長の台詞です。

十兵衛(光秀)、そなたか…。
そうか…ハハハハハ。
十兵衛か…カカカカカ、ウヮハハハハハ。
ハァ~。
(自身の血をなめ)
であれば、是非もなし。
(自身に刺さった矢を折り、刀を手に持ち)
蘭丸!

染谷将太さんが演じる、見事な信長のシーンでした。

それが十兵衛であるのなら、是非に及ばず…。

おそらく、相手が秀吉だったなら、是非に及んだ気がします。

* * *

信長を演じた染谷将太さんの、長時間の迫力の戦闘シーンも、とてもよかったですね。
史実はどうであれ、この姿こそが、本能寺でこうあってほしい信長だと感じます。

あの弓矢の大量襲撃も、敵兵の兜で槍が折れるシーンも、見事でした。
最終回で、このようなアクションシーンは、やはり主人公の主役が行うのでは…。

私は個人的に、今現代の「本能寺の変」のドラマシーンであれば、信長に、あの「人生50年…」の敦盛を舞わせることは、何かそぐわないと感じていますが、今回の大河ではありませんでしたね。

ともあれ、染谷信長の「是非に及ばず」は、是非に及ばず…素晴らしい。

自刃後のあの格好も含めて、最後まで染谷信長が貫かれていて、素晴らしい内容と演技だったと思います。

* * *

さて、一応、歴史の中には、信長の首は、ある僧侶が持ち出したという説があります。
光秀は、入念に信長の首を探しましたが、見つけることができなかったようです。

別人の首を、信長の首だと言わないあたりが光秀らしい…。

「本能寺の変」では、女性や下人たちは脱出させ、信長の家臣の一部も生き残ったとされています。
もともと、寺の僧たちは寺にはいませんでした。

後に、秀吉の手で、本能寺は場所を移転しました。


◇彼にしか、できない…

以前のコラムでも書きましたが、戦国時代を振り返ると、軍団の二番手の実力者には、大きく3パターンがあるような気がします。
裏方の悪役に徹し、ナンバー2として最終的に責任のない安定的な地位をつくろうとする人物…、主君の言動を戒め、あくまで主君を立派に支えていく人物…、いつかは主君にとってかわろうと画策する人物…などがあるように感じます。

今回の「麒麟がくる」の光秀を見る限り、どの人物像かは明らかなようにも感じますね。

* * *

明智光秀は、天下の「裏切り者」とよくイメージされますが、実は、光秀側からすれば、天や民衆、多くの武士を裏切ったのは信長のほうだと感じたかもしれません。
光秀は、当初、信長にたいへん期待していただけに、「裏切られたのは、私のほうだ」と言いたいかもしれませんね。

私は個人的には、周囲の一部はすでに信長排除の動きを早くから始めてはいても、光秀はまだ迷いの中にあり、その後の武田家滅亡と恵林寺焼き討ちが、光秀だけでなく、世の中すべてが、「信長ではもうだめだ」と最終判断をくだしたのだろうと思っています。

「麒麟がくる」の中では、信長が光秀に、将軍の足利義昭を討てと命じていました。
これも よくわかりませんが、光秀と義昭の関係性や、これまでの光秀の生き方を考えると、まず無理な命令ではありますね。

これは、信長が家康に、家康の妻子の殺害命令を行ったことに、よく似ています。
家康の場合は、お家存続と自身の生き残りを選択したのでしょうが、光秀に同じ手法は無茶だと感じます。

秀吉も、家康も、毛利も、上杉も、公家たちも、自身で信長を手にかけることはしません。
彼らは自身では行動しませんが、その後の自身の行動はしっかり準備していたであろうとは思います。

実際にそれを決行できる人物は…、それを任せることができる人物は…、その気概を持っている人物は…、あの実質的な「ナンバー2」しかいないであろうとも感じます。
光秀は、戦国時代にあまりにも大きな実績を残した、偉大な「ナンバー2」だったのかもしれませんね。

ひょっとしたら、光秀は、その先にあったかもしれない信長の暴走と、日本の崩壊を止めてくれたのかもしれません。


◇麒麟が、クルっと…

「麒麟がくる」の中では、家康に後を託すような台詞がありました。

私は、この番組当初から、岡村隆史さんが演じる「菊丸」が、光秀の最期のとどめをさすと勝手に想像していたのですが、何も描かれませんでした。
個人的には、菊丸であれば、是非に及ばず…。

ある意味、明智家は、後に家康によって名誉を守られたようにも感じています。
「麒麟がくる」でも、この二人の最終盤の関係性が描かれていましたが、信長にとって、この二人が結びつくことは恐怖以外の何ものでもないと思います。

* * *

個人的には、光秀が信長を討つにしても、本能寺ではなく、もう少し時期を遅らせても、機会はあったようにも感じます。

信長の嫡男の信忠が生き残ることを気にしたのかもしれませんが、ここで襲撃を思いとどまったら、少し遅らせたら、秀吉と毛利の連合軍が信長を先に討った可能性もあったと感じます。

光秀の本能寺襲撃のタイミングが、光秀にとって本当によかったのかどうか…。
秀吉には、これ以上ないタイミングに見えます。
家康は、まだ準備ができていません。

* * *

歴史の神様がいるのなら、光秀に与えられた役目は何だったのか…。
秀吉や、家康の役目は…。
戦国時代の名将たちは、順繰りに、その役目を果たしていったのかもしれません。

私は、光秀が、三英傑(信長・秀吉・家康)にも劣らない、大事な仕事を残した人物であったのだろうと感じます。
少なくとも、後の秀吉と家康を誕生させたのは、彼のこの「本能寺の変」があったからだろうと思います。

歴史の神様が、地上に「麒麟」を遣(つか)わせるのは、まだ少し先になったのかもしれませんね…。
ただ、この「本能寺の変」を、麒麟がどこかで感じて、麒麟が、その首をクルっと本能寺の方に振り向かせたというのなら、そのとおりなのかもしれません。


◇また会おうぞ…

私は、大河ドラマには、その制作者の作りたい方向性や内容、現代人の感覚だけでは、何か物足りません。
現代人とはまったく異なる、当時の人間の考え方や生き方、歴史観などが、しっかりドラマの中に描かれていてほしいと思っています。
その中に、日本特有の歴史がしっかり入っていてほしいと思っています。

新型コロナという魔物に襲われてしまった、大河ドラマ「麒麟がくる」でしたが、近年の大河ドラマの中では、もっとも充実した、しっかり歴史が描かれていた大河ドラマであったと感じます。
さすが「池端ワールド」であった気がします。

まだまだこれからも、「池端ワールド」を楽しみにしていたいと思います。
それに、「黒澤衣裳ワールド」も、ぜひ見続けていきたい…。

* * *

歴史はまるで水のようなもの…実体があり、感じることもできますが、実は、手では、つかみとることができません。
手で水をすくったとしても、それはわずかな時間。
光秀がつかんだ時間もわずか…。

歴史には、是も非もありません。
ただただ、歴史は水のように、流れるべき方向に、流れ続けるもの…。

麒麟という生きものが、その流れの中に立ちはだかったとしても、その流れを変えられるのかどうか…。
ともあれ、光秀は激流の中を、歩き続けた人物であったのは確かであったろうと感じます。

* * *

「本能寺の変」については、またあらためて、コラム「麒麟シリーズ」のほうで書きたいと思っています。
「麒麟シリーズ」では、信長や光秀、周辺の人物たちの歴史と人生を、これからも書いていきたいと思っています。
これからも、よろしくお願いいたします。

* * *

最後に、最終回の最終シーンの台詞を少しだけ…。

(足利義昭が駒ちゃんに向かって)
また会おうぞ…。
(駒ちゃんが、ニヤっと笑み)

(駒ちゃんは、街の雑踏の中に、光秀の姿を見つけ、追いかけます)
十兵衛さま、十兵衛さま…。

(見失った駒ちゃんが、誰もいない通りに向かって)
十兵衛さま…。

(大きいため息をひとつつき、涙ぐむような、笑みのような駒ちゃんの表情)
(水色の飾りをつけた馬に乗った十兵衛が、夕陽に向かって駆けていく…)

完。

* * *

また会おうぞ…。

「水色桔梗」がよく似合う、長谷川博己さん…、いや、十兵衛さま。

* * *

コラム「麒麟(55)麒麟を飲む / 大河のひとしずく」につづく。

 

2021.2.9 天乃みそ汁
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【追伸】
「音路(おんろ)シリーズ」が始まりました。

 

 

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