NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。吉田鋼太郎さんの松永久秀。滝藤賢一さんの足利義昭。兵器による抑止力。物事を反対側から見る。

 

 

麒麟(9)反対側から見る風景


前回コラム「麒麟(8)最期のむかえ方」では、三梟雄(さんきょうゆう)のこと、松永久秀のこと、黒澤映画のことなどを書きました。

今回と次回のコラムでは、大河ドラマ「麒麟がくる」第五回に関連した内容を書きたいと思います。


◇吉田鋼太郎さん・滝藤賢一さん

「麒麟がくる」第五回では、松永久秀を演じる、俳優の吉田鋼太郎(よしだ こうたろう)さんの魅力が炸裂していましたね。
あの「オヤジ感」は、若い世代には、まず出せませんね。

「オヤジ感」という言い方は、ちょっと失礼ですので、言いかえます。

老練な男の、したたかさ、かけひき、強引さ、絶妙な間合い、直感などが、しっかり表現されていましたね。
まるで、現代劇ドラマのような間合いも、素晴らしかったです。
大河ドラマを普段見ない家族が、たまたま、笑いながら見ていました。

第五回は、私が期待していた以上の、松永久秀を見れた気がしています。

* * *

私は、近年の大河ドラマは、まるで「紅白歌合戦」のようだと感じています。
各世代の視聴者層に人気の俳優や、幅広い分野のタレントを登場させる、「オールスター・ドラマ」のようだと感じています。
それはそれで、いいと思いますが、時に、主役や主人公がわからなくなってきたりします。

「戦国もの」のドラマは、主人公クラスの登場人物が満載ですから、それもまたよしとは思っています。
視聴者によっては、私は光秀より信長…、だんぜん道三…、帰蝶に決まってるっしょ…、自分なりの主人公や主役がいていいと思っています。

私の場合…、光秀と同格で、吉田鋼太郎さんの松永久秀です。
実は、もうひとり…、足利義昭役の滝藤賢一(たきふじ けんいち)さんです。

* * *

「麒麟がくる」にはイケメン俳優が勢ぞろいの中で、この二人は特別な存在にも感じます。

個人的には、この二人には、視聴者に主役を忘れさせるほどに、大暴れしてほしいと思っています。

ある意味、足利義昭は、相当にめちゃくちゃな人物です。
滝藤さんお得意の、泣き・笑い・怒りの表情を、百面相で見せてほしいです。
髪を振り乱して悔しがる義昭を、私は見たいのです。

歴史ファンの私ですが、松永久秀と足利義昭には、武将の理想像や威厳なんて、まったく関係ないと思っています。

とんでもない悪オヤジと、めちゃくちゃなお飾り将軍…、楽しみです。
吉田さんと滝藤さん…、大河に深い傷跡を残していってください。


◇抑止力

さて、「麒麟がくる」第五回では、松永久秀の、鉄砲に対する抑止力の思想が語られていました。

現代社会では、一応、一定の意味を持つ思想ではありますが、戦国武将にとっては、はたしてどうだったでしょうか。

ドラマは現代社会への、「テーゼ(主張)」や「アンチテーゼ(反対意見)」の表現手段でもありますから、制作者の思想を盛り込むのは当然のことです。
久秀を使って、それを表現するのは、大いに結構かと思います。
そうしたものを盛り込んでくれたほうが、私にとっては、「大河」らしくて好感が持てます。

ただ、それが久秀の思想だったと思い込むのは、少しどうなのかとは思っています。
小和田先生、機会があったら、教えてください…。

* * *

戦国時代は、目の前に敵がいる時代です。
鉄砲は当初、戦闘場面での抑止力程度でしたが、そのうちに、たいへんな攻撃力を持つようになります。

信長の「長槍(ながやり)」はたいへん有名ですが、それまでの長さよりもはるかに長い槍をつくり、それを一定数の編隊に構成し、軍団の中に組み込みます。
ですから、それまでのような「突き」の使い方ではなくなります。
それにより槍の刃の部分の構造も変わっていきます。

こうした編隊を崩すには、槍の先が届かない距離から、鉄砲で、その編隊を崩すしかありません。
戦国時代の死傷者のたいはんは、槍での攻撃です。
実践刀で倒せる人数は、たかがしれています。

槍に勝つ武器、それが鉄砲であったのは間違いありません。
弓矢の命中精度は使用者次第です。
おまけに、矢は、武器として、敵に逆使用もされます。
鉄砲の玉を再利用するには、かなりの時間と行程がかかります。
未熟な者でも、ある程度使用できて、その爆音をも、たいへんな武器になる鉄砲は、まさに戦い方を一変させたのは間違いないと思います。

* * *

騎馬軍団が相手の場合は、鉄砲をうつ前に、馬の脚を止めなければなりませんが、馬房柵、泥沼、音、火などで馬を止めてしまえば、こちらのものです。
敵が背中を向けて敗走でもしようものなら、背後から狙い撃ちです。
鉄砲の最大の長所は、その距離です。

小兵など無視して、各部隊の指揮官さえ倒してしまえば、その部隊はバラバラになります。
徳川家康が、大坂城の天守閣に届く大砲の入手に全力をあげたのは、そのためもあります。

お城の水堀は、鉄砲の能力とともに、ますます、その幅が広くなっていきます。
天守閣や櫓(やぐら)の壁に、鉄板を貼り付けた武将さえいます。

戦国時代は、油も武器として多用しましたが、もし、鉄砲隊にむけて消防ホースで油を噴射できたら、鉄砲隊を撃滅できたかもしれませんね。
当時はビニール袋もありません。
もしビニール袋があったら、油つめビニール袋攻撃が行われたでしょう。
太平洋戦争時の、米国による日本の都市への「焼夷弾(しょういだん)」攻撃と同じです。
油を流し込んだ堀はあったようでうすが…。

もはや雨でも、水攻撃でも、鉄砲(火縄銃)はびくともしなくなります。

* * *

久秀がドラマの中で、「戦争のかたちは変わる」という意味のことを言っていましたが、たしかに、この頃から、戦争は、荒くれ者たちの小競り合いや、その場しのぎのような作戦から、完全に大軍団の軍隊式の統率をもった、ち密な作戦に変わっていきます。

カリスマ軍人が率いる単独軍で勝利することは、まずできなくなります。
戦国時代後半は、単なる同盟ではない、役割分担された連合軍の形態になっていきます。
戦争は、一度始まると進化します。
職業軍人、役割分担、武器の開発と多様化、城などの軍事拠点の構築術、情報戦などが、ますます発展していきます。

戦国時代の中頃では、鉄砲を、大軍どうしの、バランスを保つ「抑止力」と考える思想は、まだ育っていなかったようにも感じます。
兵器による「抑止力」の思想は、核兵器などの大量殺戮兵器や、大陸間弾道ミサイルが生まれてくる時代ではとも感じます。
まずは、敵を圧倒する兵力…。

とはいえ、考えさせてくれる「きっかけ」になる台詞は、すばらしいと思います。

* * *

織田信長の優れていた点は、抑止力と攻撃力の両者のバランスを常に頭に入れていたことかもしれません。
もはや、この時代になると、武将は賢くなければ生き残れない時代であったのはたしかだと思います。

信長が、久秀よりも勝っていた点は、武器の使い方だけでなく、軍としての戦い方の思想にあったと感じます。
おまけに、彼は、大軍事力を支える経済力の仕組みさえ変えて、自身の経済力を周囲に見せつけます。
信長が、さまざま真骨頂を見せつけたことこそが、抑止力となっていたのかもしれません。

とはいえ、信長包囲網を軍事力で次々突破していった彼でさえ、最後に抑止力を突破されましたね。

今も昔も、武器だけで抑止力を維持しようとするのは、なかなか難しいことだと感じます。
現代のどの大国も、武器だけで抑止力を維持するのは、もはや難しい局面にきている気もします。
これからは、いったい何が、抑止力の支えになっていくのでしょうか…。


◇光秀の立ち位置

戦国時代を描くドラマというと、前回コラムでも書きました「信長ルート」の天下取りが、ほとんどですね。
(注:今回のコラムに出てくるルート名は、私が勝手に便宜上、書いている名称です。)

これまでの大河ドラマも、ほとんど そうだったと思います。
足利義昭は別として、他の後期足利将軍や三好家、松永家が、こんなに大きく登場してきたドラマは、私は記憶がありません。

私は、今回の大河ドラマの内容が数年前に公表されたときに、「また信長や光秀の戦国ものか…、また困ったときの戦国ものか…」と少しがっかりしたのですが、今、こうして実際にドラマを見てみると、その想像は間違っていたのかもしれません。

* * *

今回の「戦国もの」のドラマで描かれる「天下取りレース」は、信長ルートだけではないのかもしれません。
三好や松永、細川が登場する畿内の「松永ルート」をしっかり描いていくのかもしれません。
そうでなければ、これだけの俳優陣を、こうした武将にあてるはずはありません。

光秀を、この両ルートの真ん中に置くことで、「本能寺の変」に結びつけようということなのでしょうか。

* * *

光秀は、たしかにこの両ルートに人脈がひろがっており、この時期に、こんな武将は光秀くらいしか見当たりませんね。
光秀の人脈の広さは、実はこのルートだけではありません。

よくよく考えてみると、光秀は、どのルートにでも溶け込むことができます。
たまたま、ある段階から、信長の家臣の位置にはいましたが、いつでもルート変更できたのは光秀だけだったかもしれません。
さらに、どのルートの中心人物からも、光秀は仲介役として非常に重要な位置にいます。

私は、そうした視点で光秀を考えたことがありませんでしたが、よくよく考えてみると、光秀という武将は、ある時点で、そうした立ち位置にあったと考えてもいいのかもしれません。

そうでした…、もともと明智家は、美濃源氏の土岐氏の家柄でした。
清和源氏のかつての仲間は、日本中にいたのです。
平氏を語る織田家とは、まさに源平合戦からの宿敵です。
そうなると、ますます、織田軍の逆賊者という汚名は、単に、織田軍からみた人物像となってきますね。

「信長ルート」が、天下取りレースの主流でなかったら、「本能寺の変」で、光秀は逆賊の汚名を着せられることはなかったのかもしれませんね。


◇反対側から見る風景

今回の「麒麟がくる」では、「本能寺の変」が、一般的な信長側の目線ではない、正反対の明智側の目線で描かれていくのは間違いないと思います。
それと同時に、天下取りレースも、「信長ルート」とは違う、「松永ルート(細川・三好・松永)」の目線で描き、光秀をその両ルートの真ん中に置くということなのかもしれません。

これは、現時点での私のまったくの想像ですが、そうであれば、過去に例のない「戦国もの」のドラマです。

今回の大河ドラマの「戦国時代」の描き方は、今までとは大きく違うのかもしれませんね。
何か、すべてを反対側から見るという視点なのかもしれません。

細川家・三淵家は、明智家と非常に関係性が深く、お互いにとって非常に重要な役割を果たしていくことになりますが、このあたりのドラマ化というのも、私は見た記憶がありません。
これまでの大河ドラマでも、そんな内容は、一度も描かれていないかもしれません。

今回、どのように描かれるのか知りませんが、非常に楽しみにしています。
だって、そこは、谷原章介さんと向井理さんですから…。
これは今後、女性ファンが泣いてしまうでしょうね…。

* * *

さらに、明智家と松永家のつながりの描き方、松永家と織田家の中間で明智家がどのような役割を果たすのか、さらに、皆さんよくご存じの信長ルートに登場する、織田家、徳川家、浅井家、今川家、斎藤家などの壮絶なできごと、そして帰蝶(濃姫)の存在です。

今回の大河ドラマは、相当に登場人物が多く、複雑で、幾種類もの人間関係を描くのかもしれません。
「応仁の乱」の複雑さや、アガサクリスティーの複雑なミステリー小説にも、似ているのかもしれませんね。
今回の大河ドラマを、私は、また「戦国もの」かと、ちょっと甘く見ていたのかもしれません。

本コラムでも、複雑な人間関係や歴史を、できる限り、わかりやすくご紹介していきたいと思っています。


◇だれ…

実は、歴史は、本流を反対側から見ると、ものすごく、わかりやすく見えてくることが多くあります。
本流だけを見ていると、誰かに都合のいい歴史しか見えてきませんし、その歴史の意味さえ見えなくなることがあります。

ものごとは、反対側から見ると、まったく違う風景がそこにあります。
主人公に同化し過ぎて、主人公の目線だけで歴史を追っていたら、実は何も見えなくなってしまいます。

今回の「麒麟がくる」は、実は光秀の目線ではないのかもしれません。
だとしたら、その目線はただひとつ…。
あれの目線…?

* * *

次回コラムは、「麒麟がくる」第五回にも登場した、あの剣術のことを書きます。

コラム「麒麟(10)本能寺門前の巌流島」につづく。

 

 

2020.2.18 天乃 みそ汁

Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.

 

 

 

  にほんブログ村 歴史ブログ 歴史ファンへ

 

 

ケロケロネット