富士山の噴火の歴史。箱根と芦ノ湖。早川と深良用水。酒匂川と黄瀬川。山中城と三島スカイウォーク。三保ダム、マジでやばい。

 

 

よどみ…(8)芦ノ湖のよどみ?


コラム「よどみ…(7)隅田と墨田・住吉の反橋・白ひげの翁」では、隅田川の名前、白ひげの翁、住吉大社の反橋のお話しなどを書きました。

さて、今年2019年の夏から秋は、全国各地で、台風や大雨による、洪水、土石流などの大災害が幾度もおこりました。
いたるところで自然災害が発生し、もはや絶対に安全な場所はないとも思ってしまいます。
自分が暮らす場所が、どんな地域なのか知っておくことは、無駄にはならないような気がします。
この「よどみ」のシリーズでも、しばらく水害や治水について考えていきたいと思います。

今回から数回にわたり、関東南部の大きな川についてご紹介していきます。
もちろん、歴史や関連話、よどみのお話しも盛り込んでいきます。
今回は、富士や箱根周辺の川についてご紹介いたします。


◇いざ、江戸へ

西日本の武将になった気分で、東海道を、江戸に向かって攻め上りながら、話しを進めたいと思います。
それも、馬ではなく、現代の新幹線「のぞみ」に乗って、現代の江戸東京に攻め上りたいと思います。

今、ユーチューブで、新幹線の車窓映像をノーカットでたくさん見ることができますね。
大阪や名古屋あたりから東京に向かって、左側車窓、右側車窓、それぞれ見ることができます。
あまりの速さに、この車窓動画が、F1のレーシングカーを越えて、まるでタイムマシーンのように感じてしまいます。

今回のコラムに登場する川も、大きな川なのですが、あまりにも瞬時に通過してしまうため、何か ひ弱な川かと見誤ってしまいます。
本当は、武将たちにとって、強力な難関の川たちでした。


◇早川と芦ノ湖の、よどみ?

太平洋側の東海道を進み、左手の車窓に富士山を見ながら、急峻な箱根の山々に向かいます。
箱根あたりでは、新幹線はほぼトンネルで、周囲の風景は見えません。

いくつかのトンネルを越え、熱海駅を瞬間的に通過すると、また長いトンネルです。
トンネルですので、車窓風景はありませんが、すぐ右側には相模湾の海が広がっています。

トンネルを出た瞬間、箱根駅伝で有名な早川と箱根登山鉄道をわたります。
新幹線「のぞみ」ですと、名古屋から1時間7分の地点です。
スピードは220キロほど出ています。

下の写真の白色の線が、新幹線とJR東海道線のルートです。
オレンジ色の線が、江戸時代の旧東海道で、今の国道1号線のルートです。
箱根の向こう側の水色の川のルートが、東名高速道路、JR御殿場線のルートです。


 

富士山の裾野には御殿場市(ごてんばし)があり、そこから始まる「黄瀬川(きせかわ)」は、裾野市(すそのし)や沼津市(ぬまづし)を流れて、狩野川(かのがわ)と合流して、駿河湾に出ます。
狩野川は伊豆の修善寺のほうから流れてきます。

源頼朝と義経の兄弟が、平家討伐前に、初めて対面した場所が黄瀬川でしたね。
黄瀬川は、富士山の噴火の溶岩が、駿河湾に向かって大量に流れた地域で、見ごたえのある奇岩や滝などが多くあります。
沼津市の「鮎壺(あゆつぼ)の滝」や、裾野市の「五竜の滝」なども、見ごたえ十分ですね。

わずか1.2キロの奇跡の川、「柿田川(かきたがわ)」の美しい映像を、皆さまも一度はテレビでご覧になったことがあると思いますが、この柿田川は、黄瀬川と狩野川が合流する近くにあります。

同じく御殿場市から始まる酒匂川(さかわがわ)は、箱根の北側を回り込んで、神奈川県の小田原市に向かい、相模湾に出ます。
富士山の水は、沼津方面の駿河湾と、小田原方面の相模湾の、両方に分かれて流れていきます。

* * *

早川は、箱根の山々や芦ノ湖あたりから、小田原近くの相模湾に流れていきます。
早川は、箱根駅伝で選手たちが苦しむ、あの急坂の谷あいを流れています。

箱根から流れてくるわりには、水量が少ないと感じた方も多いはず…。
箱根の芦ノ湖の水は、早川に流れて相模湾にやってくると思われがちですが、実は静岡県側の駿河湾に流されています。

芦ノ湖の水の水利権は、静岡県にあり、神奈川県にはありません。
ですから非常時でなければ、早川には水を流しません。
基本的には、芦ノ湖の水は静岡県のものです。

芦ノ湖の大半の水は、湖底からの湧き水で、湖の水は、1200メートルほどの人造のトンネル「深良用水(ふからようすい)〔箱根用水〕」によって静岡県の裾野市に送られます。
江戸時代の1670年に、この用水は完成しました。
用水がなければ、早川に流れているはずの水なのです。


 

静岡県の黄瀬川はかなり低い土地を流れており、というよりも、前述の写真のとおり、芦ノ湖のある箱根の火山と、富士山の南側にある古い火山の愛鷹山(あしたかやま)との間にある、富士山の溶岩が大量に流れた狭い場所を、黄瀬川が相当に削って掘り下げていったようです。
ですから、裾野市や三島市の農作地に、黄瀬川の水を利用することができません。
高い位置にある箱根の芦ノ湖の水を引き入れるほうがよいと考えたようです。

もともと、この地域と小田原の両地域は小田原藩でしたので、酒匂川と深良用水を使って、富士山の水は小田原市に、箱根の水は裾野市にと、それぞれの地域に水を上手く分けたとも感じます。
現代は、神奈川県と静岡県に分かれ、水の権利と、土地の管理という、ちょっと複雑な「よどみ?」の関係性に…?

「芦ノ湖」の水は、温泉の成分は含まれているのかもしれませんが、よどんでいることはないでしょう。
水利権の問題で、よどみが加わわってしまったのか、むしろ、よりきれいに浄化調整され、人間社会で上手に利用されているのか、私にはわかりません。
富士や箱根周辺の水問題のよどみを、用水で解消したのかもしれません。
そこは「深い意味で、良い」のかもしれませんね。

何か妙な関係性にある、富士や箱根の水です。
これも、地球規模の壮大な自然がつくり出したことですから、自然と上手につきあうしかありませんね。

とはいえ、この「深良用水」を、江戸時代の前期につくり上げたとは、すごい技術ですね。
甲州あたりの金鉱堀りたちが集められたのでしょうか。
相当な難工事だったと思います。

* * *

神奈川県から東京にやってきた世田谷区や蒲田あたりも、たしか水利権がらみでしたね。
水源や川を持っているかどうかは、実は現代でも、たいへんなことです。
昔から、誰かが、何処かで、苦労して話しをつけてきたものですね。


◇酒匂川

新幹線「のぞみ」で、早川を渡るのが、名古屋から約1時間7分の地点です。
その直後のトンネルの上には、小田原の街と小田原城があります。

早川から1分かからずに、小田原駅をあっという間に通過します。
スピードは270キロほど出ています。

小田原の街を見ながら進み、フジフイルムの工場を左手に見た直後に、酒匂川(さかわがわ)の水色の鉄橋を渡ります。
名古屋から約1時間8分の地点です。
ここでもスピードは270キロほどあります。
ですから、早川から小田原駅を通って酒匂川まで1分ほどでやってきたことになります。

この酒匂川を渡るとき、左手に酒匂川ならではの光景を見る事ができます。
私は、今回のコラムのために、新幹線の車窓動画を見て、初めて気がつきました。
新幹線のスピードでは見ることができなかったものを、車窓動画を停止させることで見つけることができました。
このことは、次回のコラムで書きます。

* * *

箱根駅伝でも渡る酒匂川ですね。
この時のテレビ中継では、河口付近なので、おだやかな川に感じてしまいますが、中流域の山のほうはたいへんな流れです。
何年か前に、谷川の中州のキャンプ場でおきた大きな水難事故は、酒匂川の支流です。
大雨や台風のときは、いつも、酒匂川流域は危険にさらされていますね。

* * *

酒匂川は、東名高速道路と並行している箇所もあります。
東京から東名高速道路を西に進むと、このあたりで右ルートと左ルートの2線に分かれて、急坂に差し掛かります。
交通情報でいつも登場する「つぶらのトンネル」という有名なトンネルもあります。
ここを越えたら、富士山はもうすぐ、関東ともおさらばという気分になります。

自動車から見える谷川が酒匂川の上流域です。
新幹線は河口付近です。

* * *

酒匂川は、静岡県の御殿場市をスタートし、最初のうちは、富士山の雄大な裾野をゆったり流れてくるのですが、箱根の北側の山域に来たとたん、目の色が変わります。箱根駅伝の「山の神」たちと同じですね。
ものすごい蛇行を繰り返し、一気に小田原の扇状地に出てきます。
わざわざ、箱根を越えて相模湾にこなくても、駿河湾のほうが近いのに…、自然の気持ちはわかりません。
富士山と、箱根の山の位置関係と標高が成せる業です。


◇この土塁…マジで、やばい!

丹沢湖の水も、酒匂川にやってきます。
丹沢湖は三保ダムによってできた人造湖です。

お城ファンの皆様、これは戦国時代のお城ではありませんが、三保ダムでは、現代の土塁の王様のような巨大土塁(ロックフィルダム)を見ることができますよ。
まさに三保城です。土塁のてっぺんに、櫓(やぐら)のひとつも建ててほしい気がします。
歴史ファン、城ファンの私は、コンクリート製のダム部分ではなく、隣の巨大土塁に、どうしても目が向いてしまいます。

江戸時代の人が、これを見たら叫びますよ。
「この土塁…マジで、やばい!」
この言葉…、江戸時代のエンタメ業界用語から広まったものです。


◇富士山の、宝永の大噴火

江戸時代の宝永4年(1707年)、富士山の「宝永の大噴火」の際に、火山灰が大量に堆積し、その後の大雨で、大土石流や洪水、泥流が何度も発生し、街が壊滅したというのは、酒匂川流域でのお話しです。

断続的に2週間ほど噴火を繰り返したようで、その少し前に東南海の巨大地震が起きています。
想像もできないくらいの洪水、泥流被害でした。
今の静岡県の御殿場市と小山町、神奈川県の山北町と南足柄市あたりが、特に被害が大きかったようです。
この噴火では、江戸にも火山灰が大量に降り、昼でも、かなり暗くなったようです。

* * *

もともと、富士山は、休むことなく断続的に噴火を繰り返す大火山です。
日本史に残っているだけでも、10回以上の噴火を起こしています。
482年、781年、800~802年、864年、937年、999年、1033年、1083年、1435年、1511年、1707年です。
最後の噴火である1707年から、312年経っていますから、もっとも間隔が長かった平安時代の1083年から室町時代の1435年の350年に近くなってきました。

西日本の方々は、あまり関心がないかもしれませが、現代でも、富士山の山体が膨らんだり縮んだり、富士五湖の水が減ったり増えたり、火山性地震が起きたり、まさに活動中の火山です。箱根の火山も、しょっちゅう活発になったりしますね。
巨大地震とも関係性が深そうです。

この富士山や箱根あたりは、とにかく火山だらけで、太古の昔から、地形が大きく変わってきた地域です。

現代は、箱根が活発に活動中ですが、噴気ガスが充満したりする谷や、魚が住めない湖など、江戸時代でもたくさんあったようです。

前述の古い火山、愛鷹山(あしたかやま)を二等辺三角形の頭とすると、富士山と箱根で、火山の巨大三角形地帯を形成しています。
愛鷹山は、富士山よりは少しだけ小さく見えます。とはいえ、信越地方にある浅間山ともひけを取らない気がします。
箱根の火山の全体の山域は、もしかしたら富士山と同じか、それよりも巨大なのかとも思ってしまいます。

富士山は、今は、きれいな円すい形をしていますが、もしかしたら箱根も、富士山に似た、それ以上高く大きい火山だったのかもしれません。
前述の芦ノ湖周辺の写真は、箱根の一部を写していますが、芦ノ湖の左側の山の稜線は、箱根の火山の外輪山の一部です。
芦ノ湖と、その右側の活動中の火山群を真ん中にして、周囲を取り囲んでいます。
こうした形状は、九州の阿蘇山も同じですね。

このような形状は、地中にあった溶岩が噴き出て空洞になったところに、上にあった山の部分が落ち込んでできる形状だと聞いたことがあります。
グーグルマップで、阿蘇山と比べてみましたら、同じくらいの規模のように見えます。
まさに、壮大なサークル(円)形状の山域です。

* * *

富士山の大噴火で流れ出た溶岩や土石流、大雨で発生した泥流などが、駿河湾に向かう場合は、富士山のすぐ南の愛鷹山の両側の低地を通ります。
その片方が、裾野市、三島市、沼津市などのある黄瀬川や狩野川流域。
もう片方が、富士川がある富士宮市、富士市などの地域です。
富士山や箱根は、壮大な地球のチカラを感じる、人の目の前に立ちはだかる最難関の地域ですね。

下の写真は、伊豆方面から眺めた風景です。
富士山の左にある山が、愛鷹山です。この山も、富士山のような形状だったのでしょうか。
太古の昔、この地域には、富士山がいくつもあったのかもしれませんね。
愛鷹山のふもとに見えるのが、裾野市、三島市、沼津市です。
動物たちがたくさんいる「富士サファリパーク」は、富士山と愛鷹山の間にある山麓にあります。



◇箱根八里

奈良時代から平安時代頃の東海道は、黄瀬川に沿って北上し、御殿場から、酒匂川に沿って小田原あたりにやってきました。
箱根に街道を整備することが、できなかったのかもしれません。
ですが、このルートは、噴火はあるは、大雨で泥流や洪水はおこるはで、何度も崩壊したようです。

鎌倉時代から江戸時代は、裾野市や三島市から、芦ノ湖畔の関所を通り、杉並木を通り、山を登り、須雲川(すくもがわ)に沿って進み、早雲寺のある箱根湯本で早川に出て、早川下流の小田原に出るというルートになります。
鎌倉古道というルートもすぐ近くです。

旧東海道の箱根の山道は、「箱根八里」、「天下の険(けん)」など、さまざまな呼称がありますが、小田原から三島まで、標高差約850メールを上って下りる、約32キロの山道でした。

箱根駅伝は、この旧東海道の北側の別の谷あいのルートを走って登り下りします。
箱根湯本から、芦ノ湖畔まで、早川に沿って、宮ノ下、小涌谷(こわくだに)などを通って、芦ノ湖までやってきます。

旧東海道の谷と、この箱根駅伝の谷のルートの間には、山塊があって、鷹ノ巣城がありました。
両方の谷を見下ろせる頂上に城はありました。
徳川家康も登っています。今は登山道しかありません。
木々に覆われて、何かの痕跡を見つけるのはむずかしそうです。
よくまあ、こんな高い山の頂上に城を築いたものです。昔の人たちの健脚ぶりには頭が下がりますね。
「駅伝…、俺たちのほうが、ずっとキツイよ」と、戦国時代の兵たちに言われそうです。

* * *

現在、東名高速道路とJR御殿場線は、酒匂川と黄瀬川に沿って通っています。
車道の国道1号線は、江戸時代頃の東海道と、おおよそ近いルートを通ります。
新幹線とJR東海道線は、東京から進むと、早川河口域をまっすぐ通り過ぎ、大温泉地の熱海まで向かい、そこから右に90度折れ、三島や沼津方面にまっすぐ進みます。
現代は、ようするに、箱根火山の北の外周、南の外周、中央部という3ルートがあるということです。
前述の写真の中で、色分けしてルートを紹介しました。

* * *

建設中のリニア新幹線は、富士山の北にある甲府盆地に東京からまっすぐ結んで、そのまま南アルプスの地下を突っ切って長野県の伊那谷に向かい、岐阜県の中津川あたりを通って名古屋に向かいます。箱根は通りません。
火山や川の影響を受けにくいですが、自然の地形をまったく考慮しない、ほぼ直線のルートが、日本の歴史の中に出現することになりますね。
ですが、地球の壮大なチカラに、何か挑み過ぎているような気がしなくもないです。

リニアの時代はもう少しでやってきます。
新幹線「のぞみ」の車窓に驚いている場合ではないのかもしれませんね。
だいたい、リニアには車窓などないかもしれません。
さて、何を見て過ごしましょうか?

箱根の関所や街道のお話しは、また別の機会に…。


◇山中城と三島スカイウォーク

ふたつだけ…、書き加えます。
上の写真にも明記しましたが、三角の印のすぐ先に、お城マニアのあこがれの城、山中城があります。
コラム「旅番組とお城(3)馬と虎と犬と」でもご紹介しましたが、お城好きは、生涯に一度はここを訪れてみたいと感じる、そんなお城です。
歴史的には、見た目から想像するほどの強さを示すことはできませんでしたが、何といっても、この土塁の面白さは特別なものですね。
下の写真は、山中城のお堀です。


 

この山中城のすぐ近くに、下の写真のとおりの、「三島スカイウォーク」という見事な歩道専用の架け橋が、2015年に架けられました。
渡った先に、何かの目的地があるわけではありません。
橋自体を楽しむための橋です。

横も下も、まさに大絶景。
私には、絶景の「絶」は、気絶の絶です。
おそらく生涯、渡れません。

ここは、橋だけではありません。
さまざまな大型遊戯施設やショップ、フクロウとのふれあい、散歩コース、ドッグランなどもあり、大型レジャーランドの様相です。
サイトの中にある、この「夕日タイム」というのも、きっとすごい景色なのでしょうね。
11月は、一年で一番、夕日(夕陽)がきれいに見られる季節ですね。一度、ぜひ見てみたい。
下記のサイトです。

三島スカイウォークのサイト

サイトを見ましたら、2019年12月に、ミニオンがやってきて、「ミニオンズラン静岡」というイベントが行われるようです。
東京からはちょっと遠いですが、面白そうです。
箱根のレジャーランド化は、ますます続きそうですね。


もし、江戸時代の人たちが、この橋を見たら、きっと こう叫ぶと思います。

 

箱根の関所と街道、そして山中城…、箱根は歴史ファンも大満足の場所です。
山好き、歴史好き、地質学好き、温泉好き、写真好き、富士山好き、釣り好き、レジャー好き…、これほど多くの人たちを満足させる、こんな観光の聖地は、そうそうありません。

次回のコラムで、昭和時代の小田急、西武、東急による「箱根山戦争」のことを少しだけ書きますが、近代になって箱根争奪戦がおこるのも当然のように思いますね。


◇火山灰や洪水との戦い

さて富士山の噴火の話しに戻ります。

富士山の中腹あたりに、大きなくぼみがありますが、それが宝永の大噴火の時の噴火口です。
冒頭写真の噴火口跡がそれです。

酒匂川は、堆積した灰が雨で流れては洪水し、また堆積し流れては洪水するという繰り返しだったのでしょうね。
長い期間、恐ろしい惨状だったことでしょう。

実は、私は、こうした過去の災害を、さまざまに残された書物などの文章を読んで、その光景を想像しているだけだったのですが、ふとしたきっかけで、この目である光景を目にし、愕然となりました。

私は、ある意味、少し離れた東京で、次の富士山噴火の際の火山灰は怖いなあと感じていましたが、酒匂川流域に暮らす人たちの恐怖とは、おそらくレベルの違うものなのではないかと感じてしまいました。

酒匂川に限らず、火山灰と大きな川の組み合わせのある地域は、他所(よそ)の地域とは、だいぶ怖さの意味が異なるのかもしれません。
あまり軽々に書けませんが、次回のコラムで、そのきっかけを書きます。

* * *

宝永の大噴火の際、江戸幕府の将軍は五代将軍 綱吉でした。
小田原藩だけではまったく対応できないため、被災地を幕府直轄にし、復興作業にあたります。
相当な年月をかけて復興作業が行われたようです。

今、同じことが起きたら、神奈川県全域はもちろん、周辺の県、東京も機能がマヒするでしょう。
一時的な首都機能移転もあるかもしれません。
都市が高度化、精密化、複雑化し、ある意味、現代のほうが江戸時代よりも脆弱ですね。

次回のコラムは、相模湾に流れる酒匂川と戦った、二宮金次郎などについて書いてみたいと思います。
それでは次回に。

「三島スカイウォーク」の写真を見て、私の心に、動揺のよどみが…。

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コラム「よどみ…(9)」へつづく

 

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2019.11.5 jiho

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