住吉大社の反橋。隅田川の珍風景。隅田川と墨田区。住吉と墨江。白鬚神社と「白鬚の翁」。信玄堤と霞堤。東京・橋と土木展

 

よどみ…(7)隅田と墨田・住吉の反橋・白ひげの翁


コラム「よどみ…(6)牛とヨドバシ」では、「淀橋」と「ヨドバシ」、「早牛は淀」のことわざ、「淀」や「よどみ」について書きました。
この「よどみ」のシリーズは、今回で第7回ですが、ここまで、さまざまな橋が登場してきましたね。

姿見ずの橋、姿見の橋、面影橋、猿橋、桜雲橋、平川門橋、淀橋、淀屋橋、常安橋、ヨドバシ。
そして それらは、遠すぎた橋、運命を分けた橋、伝説の中の橋、亡き人を偲ぶ橋、歴史の中のままの橋、栄光の橋…など、みな、何かの「よどみ」の上に架かっており、何かにつながっていた橋でしたね。

今回も、よどみと橋のお話しを書いていきます。


◇東京・橋と土木展

今年2019年の8月の終わりに、たまたま、東京のJR新宿駅で、あるイベントに出くわしました。
普段は、物販などが行われている新宿駅西口の地下にある広場で、「東京・橋と土木展」というイベントが開催されていました。
主催者は東京都建設局です。
橋の頑強さを思い起こさせるような、シンプルでストレートな、イベントタイトルですね。

東京を中心に、江戸時代以降に架けられた多くの橋の歴史を、パネル写真等で紹介していました。
それはたくさんの写真で、多くの橋が紹介されていました。

東京の隅田川に架かる有名な橋である、勝どき橋、清洲橋、永代橋、蔵前橋の模型展示もありました。
中でも、勝どき橋の模型は、橋の中央部のせりあがり(開閉)と、その間を船が通過する様子を再現できるようになっていました。
実際の「勝どき橋」のせり上がり(開閉)橋は、とっくの昔、1970年に終了しています。

コラム「よどみ(6)牛とヨドバシ」で、「東京市」のことを書きましたが、関東大震災からの復興計画を示す「東京市模型」という巨大展示物もありました。いわゆる「帝都(ていと)」と呼ばれた頃の東京の街です。
また、明治時代の、新大橋と両国橋の本物の「橋名板」も展示されていました。
明治時代頃に造られた大きな橋は、橋の高い位置に、橋名の額がしっかりつけられていましたね。
他に、各分野の専門家による講演会や、映像紹介なども行われていました。

なんと、入場無料のイベントです。
入場者が大勢いて、写真を撮っている人もたくさんいました。
それは皆、熱心に見ていました。

私は、仕事がら、橋に関する映像にたずさわった経験が何度かあったので、橋はとても好きです。
映像の撮影対象としても、最高の被写体のひとつですね。

* * *

この「東京・橋と土木展」のパンフレットが、これまた、興味をそそる内容でした。
東京周辺の有名な橋を、ひとつひとつ、江戸時代から現在まで、その変化を写真で紹介しています。

お役所のイベントのパンフレットというと、とかくお堅い不愛想な表紙か、妙に流行を気にして、奇をてらったような表紙が多かったり、内容も総花的で表面的、的を射ているようで射ていないものが多いのですが、この「東京・橋と土木展」のパンフレットは、なかなか骨太のように感じます。
説明文は非常に少ないですが、結構、時間をかけて楽しめる内容なのです。
インスタ時代にふさわしい、写真や絵を楽しむパンフレットですね。
橋の写真や絵のチカラで十分な内容なのです。

* * *

会場の係の方にお聞きしましたら、毎年一回、開催期間は変わるそうですが、この新宿西口の地下広場で開催しているそうです。
展示内容も、毎回変えていると聞きました。
普段は、東京都内の各場所で展示されていたり、紹介したりしているものだそうで、それを新宿のこの会場に、一定期間、集めているそうです。
前述のパンフレットの中身は、毎年変えているのかもしれません。

「東京・橋と土木展」につきましては、コラム「橋と土木のイベント」で続きを書いています。よろしければご覧ください。

 

* * *

前述のパンフレットは、東京の橋の歴史の写真紹介でしたが、この会場では、「日本橋梁建設協会」が発行している、別の1枚もののフライヤー(チラシ)もありました。
日本を地区別に分け、有名な橋の写真と場所を紹介するものです。地区別のフライヤー(チラシ)です。
前述の東京の橋のような歴史を追う写真はありませんが、なかなかどうして、これも楽しめる内容です。
私は、すべての地区のフライヤーを無料で入手してきました。

小学生などの子供たちにも、ぜひ見せてあげたいものです。
実は、大の大人のほうが楽しめるかもしれませんね。
橋マニアはもちろん、歴史ファンにも楽しめます。

* * *

こうしたパンフレット類の橋の写真を眺めていると、本当に、その種類の豊富さや、デザインのバラエティさに驚かされます。
私は、橋の映像制作に関わった経験もあるため、橋の建設工法も少しだけ聞きかじっていますが、その建設工法の進化には目を見張るものがあります。
こうしたことを、小学校でも教えてあげたら、それは子供たちの目の色が変わると思いますね。
将来、橋づくりを目指す人間も、増えるような気もします。


◇隅田川の珍風景

実は、東京は新旧の橋の宝庫です。
東京には、京都や奈良などにあるような、歴史的な姿のままの橋は少ないですが、明治期以降の橋や戦災復興期の橋はかなり残っています。
東京では、いわゆる「復興小学校」という建築遺産は非常に少なくなっており、橋は非常に貴重です。

東京の下町を流れる「隅田川(すみだがわ)」に架かる、いくつもの大きな橋は、姿や色が みな異なっており、個性的で歴史もあります。
関係する施工業者もたくさんいるでしょうし、それは橋の競演の様相です。
もちろん、一部の橋は、夜にライトアップもされています。
隅田川を巡る船である「水上バス」で、橋を川面からも眺められます。
水上バスは、観光や通勤通学で使われていますが、眺めも風も、それは最高です。


 

上の写真は、台東区(たいとうく)の浅草側から、隅田川をはさんだ墨田区(すみだく)側を見た風景で、隅田川の水上バスと首都高速道路、背景の建物は、左から墨田区役所、東京スカイツリー、アサヒビール本社(旧ビール工場)、高層マンションです。

明らかに、泡があふれそうなビールジョッキですね。
隣の金色の妙な形のオブジェは、世間では、ビールのおつまみ、ウン〇、金の雲などと呼ばれていますが、実は「聖火台」だそうです。
金色の炎が川下に向かって、たなびいているということなのでしょうか。
でも、このあたりの子供たちは、「ウン〇ビル」と呼んで大騒ぎしています。

子供たちの「ウン〇人気」を、かなり早くから先取りしていましたね。
大人も、そう思いながら、なるべく、その部分を避けるようにしているのかもしれません。
観光で来日した外国人も、きっとそう思っているはずです。
それを聖火だなんておっしゃって…もう。
みんなをニヤッと笑顔に…、見事な東京の「おもてなし」です。

それにしても、このデザインは勝負をかけましたね。
近年、子供たちの間で大ヒットしたあの本「ウン〇ドリル」も、勇気ある決断でしたね。

墨田区役所ビルも、映画スターウォーズに登場しそうな、奇妙なロボットの雰囲気があります。
「宇宙と、ビールと、ウン〇と、つまようじ…」
いったい、この風景は何なのでしょう?

このぐちゃぐちゃさは、東京らしいですね。
昔から変わらないのは、川の流れだけ…。
ちょっと笑えそうな、浅草と隅田川観光の珍風景です。
浅草寺から徒歩すぐです。

* * *

隅田川や東京湾を巡る「水上バス」は、コラム「ダンボみたいに(前・後編)」で書きました浜離宮や、国技館、スカイツリー、浅草、お台場、葛西臨海公園など、有名な観光地を巡っていますので、観光にも最適です。
途中の隅田川の川岸で、松尾芭蕉さんにも出会えますよ。

水上バスが通過する多くの橋は、橋マニアの方々には、まったく飽きない風景だと思います。
次回のコラムで、隅田川に架かる橋たちをご紹介します。


◇江戸・東京の隅田川

この「隅田川(すみだがわ)」ですが、現在でも、「すみだがわ」の名は知っていても、漢字でいざ書こうとすると悩んでしまう東京人は多くいます。
「すみだ」は、「隅田」と「墨田」のどっち?

地方から観光でこの辺りに来られた方は、両方の漢字表記をたくさん目にすることと思います。

隅田川の東側には「墨田区(すみだく)」という漢字表記の区があります。
スカイツリーも、両国国技館も、討ち入りがあった吉良邸も、墨田区です。
ですが、すぐ横に流れる川の漢字表記は「隅田川」です。
川沿いの両側の公園は「隅田公園」です。

でも、隅田川の東側の墨田区内の公共施設の「すみだ」は、たいてい「墨田」です。
ですから「墨田川高校」という学校名もあります。

浅草寺などがある川の西側の台東区(たいとうく)は、JR貨物の「隅田川駅」、○○会社の「隅田川支店」です。
ちなみに、「台東」の「台」は上野の丘陵地のことで、「台東」とは上野の東の地域という意味です。

川岸の堤防である「堤(つつみ)」は、「隅田堤(すみだづつみ)」と、「墨堤(ぼくてい)」の両方の表現があります。
「墨堤通り」があるのは、隅田川の東側の墨田区です。

ややこしいですが、江戸っ子の酒の肴には、ちょうどいいくらいの話しです。

実は東京には他にも、大田区や葛飾区も漢字を間違えやすい区名です。
東京人の中には、それぞれ自分なりの方法で、漢字表記を覚えている人が多いですよ。
私の個人的な憶え方は、「やせた大田区、人がいる葛飾区、筆で墨田区」です。あしからず。


◇隅田と墨田

「すみだ」の、この二種類の漢字表記が生まれた原因は、コラム「よどみ(6)牛とヨドバシ」で書きました、戦後すぐの1947年(昭和22)に東京が35区から23区に変更されることに、さかのぼります。

本所区と向島区を合併し、ひとつの区をつくる際に、地元の方々にアンケートをとったところ、隅田川にちなんだ「隅田区」が、圧倒的一番人気だったそうです。
ですが、この「隅」という文字は、当用漢字ではないという理由をとりわけ強調され、「墨」に変えられます。
「隅」は、現在も、常用漢字の準2級のようです。
たしかに、他で頻繁に目にする「隅」という漢字ではありませんね。
こうして「墨田区」が誕生しました。

このことで、隅田川の「隅田」と、墨田区の「墨田」という二つの「すみだ」が、同時に、近い地域に存在することになりました。

* * *

これは漢字表記の変更のお話しでしたが、漢字表記を理由に名称そのものを変更された区は、東京では他にもあります。
春日区を文京区に、飛鳥区を北区に、愛宕区を港区にしています。

どの区も、区名でおおもめだったようですね。
地元住民にアンケートをとっておきながら上位の名称を採用しないとか、両者の旧名称から一文字ずつとって区名にするとか、現代でもまったく同じですね。
ちなみに、前述の大田区は、大森区と蒲田区が合併して、大田区という区名になりました。
だから「太っている」こととは無関係です。汚点は残させませんでした。

隅田川沿いの台東区、墨田区、江東区は、とにかく隅田川関連名称の取り合いだったようです。
江東区の「江」は、もちろん隅田川を意味します。隅田川の東側という意味です。
「すみ」をとられた台東区は、結局、「台」である有名な上野という名称のほうに向かいました。
台東区の北側にあって隅田川流域の荒川区は、逆にもうひとつの大きな河川である荒川のほうに向かいました。
同じ隅田川流域の中央区は、江戸や銀座という派手な名称のほうに向かいましたが、結局、東京のど真ん中、中心部であることを目立たせる名称になりました。


 

歴史的な区名、地理的な区名、機能的な区名、政治的折衷案の区名など、東京23区にはさまざな区名が戦後すぐに誕生しました。

大阪でも、いつか同じような論争が起きるでしょうか?
ちょっと楽しみです。

東京の戦後すぐの、かなり昔のお話しでしたが、おそらく東京の各区民は、それぞれの地域で、この話題で持ち切りだったのではないでしょうか。
「おめぇんとこの区名は、いったい何に決まったんでぃ…?」(江戸弁)

現代では、あまりこんな話題で盛り上がりませんね。
知らないうちに、どこかで勝手に決まっていることも多いです。

近年の東京ですと、スカイツリーの取り合いと名前の決定、山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」駅名論争などは、結構 楽しめました。
「スカイツリー」って、これは「木」だったの…と当初は驚きましたが、たしかにクリスマスツリーの電飾のように、頻繁に色が変わりますから、それもいいかもしれません。
「てやんでぃ。木なら、空に向かって、もっと伸びてみろってんだ…」、江戸っ子親父たちが言いそうです。

近年は「ネーミングライツ(命名権)」が売買されるので、結構、頻繁に、大型施設の名前が変わってしまいます。
来年の東京オリンピックのメインスタジアムである「新国立競技場」は、五輪後に、どんな名前になるのでしょうね?


◇住吉と墨江

さて、隅田川の「隅」という文字…。

まずは、右側の「禺(ぐう・ぐ・おながざる)」は、動物の猿の姿を表現した象形文字です。
意味としては、似ているもの、本物と対になるような、もうひつのものだそうです。

音符のような形の部首は、左側なら「こざとへん」で丘のような盛り上がった形状の意味、右側なら「おおざと」で村や里のような集団地域を意味します。
「おおざと」は「邑(むら)」を簡略化したものです。

「土偶(どぐう)」の「偶」は、人に似たもの、もうひとつのものですね。
「隅田(すみだ)」の「隅」は、川の両側の盛り上がった形状を意味しているのかもしれません。

「隅」は、当時の日本の端っこである九州の最南端の大隅半島(おおすみはんとう)の「隅」、映画「この世界の片隅に」の「隅」、医療分野でよく使われる 身体のある部分の「隅角(ぐうかく)」の「隅」など、端っこを意味しますね。「角(かど)」も「すみ」と読みます。
端っこにある、丘のように盛り上がった形状をもつ部分という意味でしょうか。

初期の江戸の街では、街の端っこの「隅(すみ)」にある川なので、「隅」という漢字だと思い込んだ人も多かったのかもしれませんね。
ある意味、江戸の街こそが、武蔵野台地の「端っこ(隅っこ)」かもしれません
漢字の意味から、誰かが、この漢字を当てはめたのかもしれませんね。
はっきりは、わかりません。

* * *

さて、墨田区の「墨」という文字は…。

次回以降のコラムで、隅田川河口域にある地域「佃(つくだ)」の住吉神社のことを書きますが、この住吉神社の総本社は大阪府大阪市住吉区の「住吉大社(すみよしたいしゃ)」です。

コラム「神話のお話し(前・後編)」でも書きましたが、イザナギノミコトが、地下の黄泉(よみ)の国から、地上の人間界にやってきた際に、川で禊(みそぎ)を行いました。
その禊(みそぎ)を行った川の瀬の、深いところ、川面、その中間の流れの場所の三か所で、三者の神様が生まれます。
これが住吉三神です。
「日本書紀」では「住吉大神」、「古事記」では「墨江三神」といいます。

「住吉」の古代の読み方は、「すみよし」ではなく「すみのえ」です。
古代の「万葉集」では、「すみのえ」は、住吉の他にも、住江、墨江、清江、須美乃江という漢字表記があったそうで、「住吉」の文字が、後世の一般社会に主流として残ったようです。

大阪市住吉区のお隣の海側には、「住之江区(すみのえく)」という行政区もあります。
漢字の意味でいうと、厳密には、「住吉」と「住江」は意味が違うようです。

その後、住吉三神は、歴史の中で、航海の神様、禊(みそぎ)の神様、和歌の神様といった側面も生まれてきたようです。
いずれにしても、日本全国の水辺の近くに、住吉神社がたくさんありますね。


◇墨田川?

前述しましたが、「住吉」の、もとの読み方は「すみのえ」です。
住江、墨江、清江、須美乃江などの漢字表記もあったと書きました。

「江」は、江戸の「江」と同じで、川や水がたまっている状態や場所を意味します。入り江の「江」と同じ意味です。
もうひとつの漢字は、その水の状態や水辺の状況を意味します。
「住江」は川に住むことや 川にある住まい、「墨江」は墨のように黒い川、「清江」は清らかに澄んだ川、「須美乃江」は大きく立派で美しい川といったところでしょうか。

須美乃江の「美」は大きくて立派な羊は美しい、「須」は願っている、必要としている、待っている、止まっている、使用するなどの意味のほか、顔にはえる鬚(ひげ)の意味もあります。
後で、隅田川周辺にある「白鬚(しらひげ)神社」のことをご紹介しますが、この「須」の文字は、「白鬚(しらひげ)の翁」にも通じます。
白鬚神社の「鬚」の文字をよく見てください。「須」という文字がしっかり入っていますよ。
水への畏敬の念を感じるような「須美」の文字表記です。

「住」という文字は、「主」という灯明台に灯る炎(最上部の点の部分が炎で、その下の「王」が灯明台)の横に人がいるという状況を表現しており、住んでいること、とどまっていることなどを意味します。バラバラにしたら「主人」です。
「住江」は、「江(水)」のところに「住」がある、「江(水)」のところにとどまっている、というような意味でしょうか?

* * *

「隅田川」の漢字表記は、江戸の街の端っこの「隅(すみ)」にある川なので、「すみだ」の「すみ」は「隅」という漢字に違いないなどと思い込んだということはないでしょうか。
江戸時代の壮大な勘違い?

隅田川の「すみ」は、本来、端っこの「隅」という意味や漢字ではなく、前述の「住」や「墨」、「清」、「須美」の意味ではないかという気もしてきます。
「すみのえ」の「墨(すみ)」や「住(すみ)」のほうが、元の意味に近いのかもしれませんね。
だからこそ、隅田川河口域の佃(つくだ)に、住吉神社が存在しているような気もしてしまいます。
「住吉(住江)」の文字のあるところ、それは神聖な禊(みそぎ)の場所であることは間違いありません。

隅田川が、「墨田川」や「住田川」という漢字表記になっていたとしても、不思議はなかったのかもしれませんね。

とはいえ、誰かが、あえて「墨」や「住」の「すみ」と、「隅」の「すみ」を区別させようと考えたとしても、それも不思議ではありません。
隅田川のよどみの中に、こんな論争があっても、悪くない気もします。

いつの時代も、地域や場所の名称や漢字表記の、さまざまな論争やもめごとは絶えません。
他所(よそ)の人から見たら、それが おかしな珍風景に見えるかもしれませんが、そこに暮らす人々には、願いや祈りを込める大切な名前ですね。

「隅」と「墨」の漢字表記の真相はともかく、禊(みそぎ)を行うのであれば、よどんでいない澄みきった水で行いたいものです。
よどんだ水で禊(みそぎ)をしたら、もっとよどみそうですよね。
「隅」でも「墨」でも、論争は水に流して、よどみなくいきましょう。

* * *

さて、隅田川河口域の佃(つくだ)にある住吉神社のお話しは、次回以降のコラムでご紹介します。
ここには小さな入り江がしっかり残っています。
風情のある小さな赤い橋もありますよ。
佃煮(つくだに)も、もんじゃ焼きも、すみには置けません。


◇住吉大社の反橋

冒頭写真は、大阪の住吉大社にある「反橋(そりはし)〔別名:太鼓橋〕」です。
今は池の上に架かっていますが、かつては海岸線の近くで、入り江になっていたそうです。
豊臣秀頼か淀君のどちらかの寄進で、天上界と地上界を結ぶ、虹のかたちの橋だそうです。

まさに、イザナギの禊(みそぎ)の反対ですが、実は、逆向きの橋も池の中に映ります。
池の水面に映る橋は、地下の黄泉の国につながっているということなのでしょうか?
「反」とはそうした意味なのかもしれませんね。
なかなか、よく考えて、演出された橋です。
秀頼と淀君の、その後の運命を考えると、なんとも感慨ひとしおです。

さあ、自分は、どちら側の橋を渡ることになるのか…。


◇白鬚の翁

隅田川の近くには、「白鬚(しらひげ)神社」という名称の神社も、いくつかあります。
江戸時代の伝説やお話しの中に、「白鬚水(しらひげすい)」というものがあります。
この言葉は、特に東日本に残っているようで、白鬚水とは洪水や大雨といった現象を意味していたようです。

白い鬚をたくわえた老仙人である翁(おきな)が、洪水を人々に知らせたとか、洪水の水の先端に立っているとか、洪水を防ぐため立ちはだかったとか、この水を飲むと歳をとらないとか、いろいろな伝説が残っているようです。
現代であれば、洪水や大雨から、私たちを守ってくれる有難い神様です。
「住吉」と「白鬚」は、川や海の近くで多く見かける、有難い文字なのです。


◇大川

実は、江戸時代から現代まで、東京の一般庶民の一部は、隅田川の本当の名称や漢字表記など それほど気にせず、多くの人々は、「大川(おおかわ)」と呼んでいました。特に、隅田川周辺地域で。
シンプルで、ストレートそのものです。
「川の本当の名前なんて、江戸っ子にゃ、知ったこっちゃねぇや。でかいんだから、大川でいいじゃねぇか。炭だか、墨だか、何だか知らねえが、おととい来やがれ。」てな、ことでしょうか。江戸っ子風の言葉表現をしてみました。

今でも、東京の高齢者層は、「大川」という名称を使っています。
落語や時代劇ドラマでも、「大川」の名で登場しますね。

この呼称は、東京の下町では、おそらく、今でも、引き継がれている家が多いと思います。
観光で浅草やスカイツリーに来られた方々、地元に住む人が「大川」と言ったら、それは「隅田川」のことです。
銭形平次の「橋蔵 親分」でもありません。

* * *

実は、「隅田川」という漢字表記は、歴史ある正式な漢字表記ではなかったようです。
古い文献には、住田河、墨田川、角田川という漢字表記もあったそうで、「隅田川」という名称に正式に決定したのは1965年(昭和40)です。
結構、最近…?
これは川の流れを調整する、長年の治水事業のひとまずの行政的な区切りによるもののようです。
呼び名と、その管理域を調整したということなのでしょう。

この隅田川を含めた周辺河川の治水事業は、徳川家康の江戸の街づくりの時から始まっています。
もう少し後の回のコラムで、江戸時代から明治時代にかけて行われた隅田川の治水事業について紹介するつもりでいます。
実は、こうした治水事業や洪水対策事業は、現代でも続けられています。
そんな治水のお話しは、もう少し後の回のコラムでご紹介します。


◇え、信玄堤が…

先般、台風19号や、台風20号の影響による大雨で、東日本の各地でたいへんな被害が出ました。
戦国武将 武田信玄の甲州流治水技術である「甲州流河除法(こうしゅうりゅうかわよけほう)」は、「信玄堤(しんげんづつみ)」としてよく知られていますね。

先般の大雨で、信玄堤の機能のひとつである「霞堤(かすみてい)」が破られてしまいました。
この機能は、日本各地に普及しており、長年大きな役割を果たしてきました。

簡単に言うと、洪水を一定範囲で起こさせ、その水は、自然に川に戻るというシステムです。
ですから事前に計画された人家のない範囲で洪水をおこすというものです。

長野県長野市の千曲川にある巨大堤防の「霞堤」が、今回は機能しませんでした。
被災地域の方々は、霞堤があるからだいじょうぶと思っていた方々も多かったかもしれませんね。
破られたのか、水の量が多すぎたのか、堤の運用管理に問題があったのか、広範囲に洪水が広がった原因を調査中のようです。
日本各地にある、この霞堤です。調査結果を、他の地域も注目しています。

「信玄堤」とは、さまざまな種類の治水・洪水のための構造物を統合したシステムの名称です。
信玄堤のことは、また、あらためて、ご紹介します。

* * *


次回のコラムからは、関東南部にある大きな河川や、江戸の隅田川に架かる橋などのお話しを書いていきます。
もちろん、さまざまな「よどみ」も…。
それでは次回に。

コラム「よどみ…(8)芦ノ湖のよどみ?」へつづく

 

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2019.10.31 jiho

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