1月の例会報告 | 新選組研究会「史誠会」

新選組研究会「史誠会」

1999年、新選組を学ぶために結成。以来、月に一度勉強会を開催し、年に数回、史跡見学会を実施してきた。勉強会は、西村兼文の『新撰組始末記』をテキストとして始まり、子母澤寛の『新選組始末記』を経て、現在は、木村幸比古の『新選組日記』をテキストとしている。

 史誠会は現在、木村幸比古編著/訳『新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記を読む』(PHP新書)をテキストとして、少しずつ読み進めています。今回は、永倉新八の『浪士文久報国記事』を読みました。

 以下、今回進めた部分の概要です。

 慶応4年1月3日、ついに、戊辰戦争が始まった。ただし、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍は新政府軍に敗れた上、戦争の指揮をとるべき、先の将軍徳川慶喜は、兵を置き去りにして江戸へと逃げ帰ってしまった。江戸に戻った慶喜は、新政府に対してひたすら恭順の姿勢を示すために寛永寺に謹慎。

一方、新選組は甲陽鎮撫隊と名前を変えて甲府城へ向けて進撃した。しかし、時すでに遅く、新政府軍が先に甲府城に入ってしまったため、勝沼宿の手前で戦争になり、敗れて江戸へ帰ることに。

 悪いことは続く。

永倉新八と原田左之助を中心に、今後どうするかを相談した結果をもち、近藤勇のもとに行ったのだが、近藤勇の振る舞いに立腹して新選組を離脱し、一隊を組織、江戸を離れた。ただし、原田左之助は隊を離れて江戸に戻り、彰義隊に加わって戦死したと伝わる。