特異なイベントを多用してはならない理由 | 小説の書き方教えます

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今回は、特異稀なイベントについてお伝えします。




小説が人間を描くものである以上、描く場面は日常

の中である必要があります。


しかし、多くのアマチュア作家は、特異稀なイベント

を多用して描こうとします。


それがなぜダメなのか。


順を追って説明してゆきましょう。




あるイベントを用いて、それがきっかけで主人公が

真面目に生きようと決心したとしましょう。


それほどに衝撃的で大きなイベントですね。


でも、多くの読者は、作者のご都合主義と受け取る

でしょう。滅多に発生しない特異稀なことだからです。




そして、特異な状況下では、人物も特異な心理を抱

えたり行動に走ったりします。日常とは違います。


たとえば、真夏の海辺ではスーツ姿に違和感を覚え、

水着姿が馴染みます。でも、日常では水着姿は異様

です。街中でそんな格好はできませんよね。


さらには、夏のビーチでは誰もが開放的な気分にな

りますから、普段の人物とは違います。


夏のビーチで出会ったカップルは長続きしない、とい

われる理由なのです。




イベントを用いる際にもっとも警戒すべきは、特異な

設定と日常の設定とが相反してしまう点です。


ファンタジー小説で例を示しますが、あるイベントで凄

い魔法を駆使して問題を解決したとします。


ところが、読者としては、日常の様々な問題でも凄い

魔法を使えばいいのに、と思ってしまいます。


一時期、人気テレビ時代劇の水戸黄門のお笑いネタ

で、最初から印籠を出せよ、という指摘がありました。


最初から出していれば、事件にも騒動にもならなくて

済むのです。


しかし、水戸黄門の時代劇がちゃんと成り立っている

理由は、印籠を出すまでに人物たちの日常の姿をちゃ

んと描いているからでして、印籠を最初から出しますと

日常を描けないのです。




もしも、イベントを用いないとつまらない物語になって

しまうのではないか、とお考えならば、大きな誤解で

すよ。


つまりは、日常的なことを感動的に面白く描くだけの

力量が不足しているだけのことです。


不足している力量をイベントで補うのは感心できませ

ん。プロの作品にイベントが多用されているのは、人

物たちの日常をしっかりと描いた上でのことなのです。


もちろん、日常の設定との相違に違和感がないよう、

最大限にまで配慮してのことなのです。


形だけを真似てはいけません。




まずは、イベントなど一切用いずに、日常の喜怒哀楽

のみで書いてみましょう。


その上で、イベントを用いるのはいいですが、日常との

設定の相違には配慮しなくてはなりません。


イベントが多ければ多いほど相違部分も多くなって、成

り立たない物語になってしまう危険性が増大します。


イベントとはあくまでも付け足しであって、イベントを成立

させるために日常の設定を変更させるのは本末転倒と

いうものです。