小布施のまちづくり 市村良三さん、市村次夫さん。「二人の市村」。 | 白鳥まさのりのブログ

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文屋から「小布施 まちづくりのセンス -二人の市村」が発刊されました。

 

著者は、高山村出身で自然電力(株)代表取締役の磯野謙さん。

 

全国的にも町並み修景事業のモデルとして注目され、多くの観光客が来訪する小布施町。

そうした小布施のまちづくりに力を尽くした市村良三さん、市村次夫さんの物語です。

二人は同じ年のいとこ同士。

お二人のルーツ、学び、行動がまとめられた一冊でした。

 

多くの皆さんんが小布施を訪れたことがあるかと思いますが、

小布施町は、長野県の北部に位置する人口1万1000人の町。

町のシンボルは、栗と北斎と花。

認知度も高く、北信地域有数の観光地。

北斎館、高井鴻山記念館など博物館、美術館が多数。

先進的な町づくりが行われ、現在では、年間120万人が訪れる町。

 

 

まちづくりの経過が詳しく書かれています。

次夫さんの父、市村郁夫町長による北斎館の建設、

30代で小布施堂を継いだ二人が主導した町並み修景事業、

景観を大事にした唐沢彦三元町長による花のまちづくり、

民間主導のまちづくり、

 

最近では、

「小布施見にマラソン」から若者中心のスポーツのまち、

小布施牧場やおぶせファーマーズの取り組み、 など。

 

著者によると、

こうした小布施のまちづくりを牽引してきたのが市村良三、次夫の「二人の市村」だという。

二卵性双生児とされるいとこ同士はいつでもどんなことでも相談できる間柄。

地元へ戻った二人が町並み修景事業を民間主導で行った。

 

栗菓子や酒の販売だけでなく、心地よい町並み、小布施文化を創り外と交流を進めた。

私には、長野オリンピック時のセーラ マリ・カミングスさんの活躍も記憶にあります。

その後、小布施ファッションや見にマラソンなどの文化事業が生まれていきました。

また、市村良三さんは、町長就任後、図書館建設、大学地の交流、若者会議など共働事業が生まれていきました。

 

 

 

この書の筆者は、以上のような成果が生まれた理由を二人の「センス」だという。

 

例えば、二人の言動や行動から、

(いくつかを紹介すると)

 

〇「小布施堂は地域密着というより、地域と運命共同体で行こうと決めた。」

〇「合意形成は、その地域に何回同じ話をしたかに尽きる。大切なのは、熱量と頻度です。」

〇「地元の木や土、石を使えば、町並みは美しくなる。」

〇「道は真っすぐよりも、曲がっていて先が見えないほうがいい。曲がった道のほうが楽しいし、気持ちいい。」

〇「外からの評価は、批判を溶かす特効薬。そのためには、どんなに小さいことでも日本で初めてを目指さないと駄目なんだ。」

〇「本物の観光とは、生活文化の交換である。」
〇「信頼を築くためには、「何人の観光客が来て、いくらのお金を町に落とした」みたいな話はしないでほしい。よそから来た人は必ずいいことをもたらす。よその文化を体内に取り込んでいくことこそ、小布施らしさなんだ。」
〇「元々の住民が気をつけたいのは、きのう引っ越してきた方も原住民も同格であるということ。「3代住まないと小布施人ではない。」とか、馬鹿なことを言ってはいけない。もっと言えば、小布施に住んでいなくてもいい。たとえ、1週間の会議を仕切ってくれただけでも、小布施に大変な貢献をしてくれているという敬意を持つことが小布施らしさだ。」
〇「同い年で同じ所に生まれ育って、人生の重大な相談ができる人間が身近にいるというのは楽だよ。二人いたから精神的に楽だったね。」
 

 
 
(感想)
・二人の市村さんの生き方、考え方をわかりやしく説明してくれている。
・市村良三さんは、町長であり、県町村会の副会長を務めた方であるが文化人を感じさせた方でした。
・前職で県の審議会の会長をお願いにあがったことを思い出しました。
・協力するという人より協働する人が増えればまちづくりが進むのになあ。
・小さな町でも世界に通じる町ができることに、そわそわ。