”★叩かれるために生まれてきた???!!!” | 星にねがいを(by.ふーちゃん)

星にねがいを(by.ふーちゃん)

母が統合失調症。
子育て中。
子どもの幸せを日々願う。
私ももう少し楽に生きたい。


私もこの言葉に救われた1人。


子どもを殴ってもいいよ


私も心屋に出会う前なら、出会った直後なら、理解できず、酷いと思っていたな。


この言葉に出会った頃。

息子の病に私は自分を責めて責めて、苦しくて。

気が狂っていて、娘に手を挙げ、娘と夫に暴言を吐き、息ができず、死にたくて、全てを終わらせたかった。


でも、子ども達をおいて死ねず、私が死ねば子ども達に余計に苦しみを背負わせるから死ねず。


この言葉に出会って、初めて私は自分の感情に許可を出した。


子どもを叩いてもいい

自分も子どもみたいにワガママを言ってもいい

義母が嫌い、会いたくないと言っていい

両親を助けなくていい、会いに行かなくていい

家事をしなくていい

育児をしなくていい

ダラダラしていい

仕事から疲れて帰ってきてる夫に甘えていい

暴れていい


それを始めたときは、凄く怖くて

初めは凄く責められた


でも、もう自分に嘘はつきたくない、

私は私を信じて貫いた


そしたら、自分の奥底の

子ども達への愛や

夫への寂しさや

に気がついた

そして、それを素直に言った

そして、子ども達に笑顔が戻って 

夫とは凄く仲良くなった


これって

本当、当の本人しか分からない


子どもを叩いてもいい


これがなぜ救いになるのか

当の本人にしか分からないんだ


で、この言葉が酷いって思う時って

当の本人じゃない

心配性になってるとき、

人のことが心配で心配で、

自分が助けないと、とか

人を見張って、人の立ち直る力を信じてないとき


救われてる人がいる


正しいことで救われるのか、

過ちで救われるのか、

そんなジャッジはいらない


救われた


これが全てだと思う


私はこの言葉で救われて、結果、子ども達め夫も含めて家族の中に平和が訪れたけど、

それはあくまで結果。

私がこの言葉で楽になった、救われた

これだけでいい

結果はおまけ

なぜなら、子ども達も夫も私が幸せにする必要はない

それぞれの人生を生きていて、それぞれ素晴らしい日々を送ってるから、私から見える世界がどうであろうと。

子ども達や夫の世界を私が決めることはできない


世界の平和を願うなら、

自分から

自分の中の平和から

世界は自分の中から始まるから



で、

子どもを叩いてもいい

って言葉を酷いって言う人を責めたいわけでも、否定したいわけでもない、

私も前なら絶対そう思ったし、そう思うことは悪いことはないし、


なぜ、

子どもを叩いてもいい

って言葉が無くならず、これからもひとに届いて欲しいと思うのは


きっと、

あの頃の私のように

息ができず苦しくて、子どもに手を挙げて苦しんで、手を挙げてなくても子育てに苦しんで、自分を責めて、でも助けを求められない人に届いて欲しい


そう思うから