私は自分の中の男性性の役割を知りたいと思っていた。
まず、私の日頃思ってる「私って女性らしくないな。男っぽいな。」とか、「私って男性からしたら素敵な女性じゃないよな?」というのは、社会から求められている「女性らしら、男性らしさ。」そして、その社会から求められているらしさは、私の中の常識。
みかりんの講座では『らしさ』ではなく、自分の中にある『女性性と男性性』
女性だから女性性とか、男性だから男性性とかではなく、女性でも男性でも、1人の中に存在する「女性性・男性性」どちらかに偏ることが良いことではない。
まず思ったのは私はとても女性性が強い。10代、20代の頃は男性性がとても強かったように感じる。
今、夫に頼ることが出来るようになり、自分の女性性が出てきているのだと思う。
前に性のズレで書いた『性欲がなくなった。』
みかりんの言う男性性の性欲とはセッ.クスをしたい、女性性の性欲は好きな人と一緒にいたい。
それを聞いて、あぁ私の最近のこの感じは女性性の性欲になるんだっ。と腑に落ちた。
(これを帰ったらまず夫に報告した。私の性欲は無くなったわけじゃなかったよ!女性性の性欲は好きな人と一緒にいたい、なんだってと。夫は良かったー!ってすごく喜んでいた。)
そして最近感じる、鬱々とした感じや、動けない感じ、そして『目標を達成できない。』コンプレックス。
で、男性性はやる気であったり、ドーパミンであったり。
私ね、休みたい気持ちと、少し鬱々してる感じが重い感じもして、少しはやる気というか湧き出る意欲というかそういうのが、少し欲しいな、最近無さすぎて少し怠く感じてた。
その男性性を出すには簡単で目的や目標を作ればいいこと、そして、その目的や目標に疲れたら休めばいい、そうして、前に進んだり休んだり性のバランスを取るといい。
と、とてもシンプルだった。
そして、男性性の偏りも女性性の偏りもバランスを保つのに必要なのは女性性をまず出すこと、まず休むこと。
そして、女性性の湧き出る満ちたりるために、小さな幸せにも満ちるために、湧き出る上の蓋を取る。
怒りの蓋を。
怒りを出す事。
私の課題の
怒りを出す(夫、娘以外に)
母に、過去に怒りを出すこと。
そして、許しのワークで気がついた。
私は娘に怒る私が好きではない。
娘に怒ることが申し訳ないのではなく、娘に怒る私に疲れることが好きではない。そして、娘のことより自分が疲れることを嫌だと思ってることに、母親として情けないと思っているし、娘に怒ることはもういいと思えても、そのときの私の疲れに対して、なんとかしたいとしたいと思っていた。
みかりんが話してくれた、娘さんが遊び食べをして、その怒りを物にぶつける私が嫌いなんです、今でも嫌です、「でも、許す。」
これを聞いて、分かった。
私は娘に怒りをぶつける自分を何とかしたいとは思っていない、それはもうとっくに手放した。
私は、怒りをぶつける私が嫌い。
だから、怒らないようにしようではなく、
怒る自分を好きになろうとしていた。
嫌なままでいい、嫌いなままでいい、
ただ存在することを許す
嫌な私も存在していい
私は娘に怒り、その時、疲れる私が嫌い
そんな私を好きになる必要はない、
嫌いなままでいい、
でも、許す
嫌いな私が存在することを許す
それが無条件の愛
嫌いな人や物の存在する事を許す
好きになったり、受け入れるのではなく、その必要はなく、
ただ許す
存在することを許す。
私は講座を受けてとても分かりやすかったけど、それを言葉にするって難しいな。
だからこそ、実際には足を運んで講座を聞きに行く意味があるんだろうな。