人からの否定なんて捨ててしまえ | 星にねがいを(by.ふーちゃん)

星にねがいを(by.ふーちゃん)

母が統合失調症。
子育て中。
子どもの幸せを日々願う。
私ももう少し楽に生きたい。

夫に相談してみた。
「人の言葉を否定的に捉えてしまう。」「相手が悪意を持ってる時も、相手が良い意味で言っていて私もそれを分かっている時でさえ、相手の言葉に傷ついてしまう。」「気にしなければいい、受け取らなければいいと分かっていても、すり抜けて入ってきてしまう。」「人と関わるのが怖い、直ぐに傷ついてるしまう。傷つかないようになりたい。」と。

夫は一点の曇りなく、相手の意見を受け入れたくない時や相手が自分のことをそれほど思って言ってるわけではないことを罪悪感なしに受け取らずに気にせずにできる人だ。
ほんとに。
私でさえも、懇々とあなたのこれが嫌だと切実に訴えても、寝てしまう(話してる最中に寝てしまう。)。夫は必死に起きようとはするが、恐らく本心では全く悪いと思ってないことを私にお説教されても、全く興味がないのだろう。この話しは新婚当時のことだが、あの衝撃というか、暖簾に腕押しとはこのことと思った記憶がある。

夫に私は「繊細さと大胆さを持ち合わせた人。」だそうだ。それは私もそう思っている。以前は人付き合いが結構 うまかったのだ。
人徳があるとも言われた。繊細な分、よく気がつくのだ。でも、いいように利用されることもよくあり、それを私が気にしないものだから更にバカにされる。それでもう、人付き合いが嫌になり、周りに気を使わなくなった。繊細さは傷つきやすいけど、人付き合いが上手がなくなり、ただ傷つきやすいだけが残った。
大胆さはいつも私の傷つきやすい心を守ってくれていた。
私はどんなに悲しいことも寝たら忘れるのだ。記憶をなくすわけではなく、悲しい気持ちがどっかにいくのだ。
この間、夜中に全人類から否定されている気持ちになり、苦しくて苦しくて泣いて泣いて。心の底の「お母さん、助けて。」を感じたり。なのに、起きたら昨日の悲しみが何も残ってない。何なら爽やかな風さえふいている。でも、ポツンとあ、私弱いな、、、と残存のように残っている。

私はこの大胆さは、私のことを何も知らない人から「傷つかない人。」と馬鹿にされているという思い込みが発生する。

夫は「ふーちゃんは、臭いものに蓋をしないタイプだよね。臭いものを一つ一つ丁寧に取り上げて、丁寧に考えて処理をして、ちゃんと流すんだね。」「俺は臭いものに蓋をして、ポイッて捨てちゃう。」
って。

これだーーー!って。
夫は私の「傷つかないためにはどうしたらいい?」の答えをくれた。「蓋をして捨てちゃいなさい。」そんな自分を傷つける言葉なんて捨ててしまえばいい。

で、私はそれでも続けるわけです。
「そうなの、蓋をするの好きじゃないの。臭いからって。だって私、幼い頃は私が腫れ物のように、私が臭いもののように蓋をされてきたから、私は臭いものをみると自分の幼い頃のような気がして捨てれないの。」って言ったら、
夫「過去でしょ?今は違うでしょ?大丈夫だよ、捨てて。」
あー、ほんとにそうだ。
そして、私はまだ言う。
「そのゴミ箱から息子が顔をだしたら、私が顔を出したら?私のゴミ箱からは私の大事な人や物の仮面を被って出てくるの。」
夫「息子なら取り上げちゃうな。ふーさんなら、チュってして蓋して捨てる。」
私「ひどーーい。」
夫「ふーさんを捨てるわけじゃないでしょ、ふーさんの臭いところだけ、いらないところだけ捨てるだけだよ。いらない物を捨てたからって、ふーさんが無くなるわけじゃないじゃん。」
そう、だから夫は平気なのだ。
大事な相手の事だから聞かないと、とかないのだ。
大事な相手でも、内容が聞きたくない事なら聞かない、それは相手を否定することではない、内容だけを受け入れませんと返答するだけのことなのだ。

むむ、むむ。と思い、あー!これはまさに!
ぢんさんの『ハヤシライスのルーでカレーを作ろうとしている人の話しじゃないか!』と(笑)
ハヤシライスのルーでカレーを作り、カレーが出来ない、どうしたらカレーが出来るか相談して。
カレーのルーを使えばできるよ、と教えてもらうと「カレーのルーは使っちゃいけないって昔言われたんです。カレーを作りたいです!でも、ハヤシライスになっちゃうんです!」って話し。

夫から捨てちゃえばいいよ、って傷つかない方法を教えてもらっても、捨てれない!という私。
夫もこの例えを聞いて「まさにふーさんじゃん!」