心、頭、胃を休める年。
年が明けてから身体が怠く、
頭もボーとしたまま。
月のものが終わっても変わらず。
じんわりとくる幸せが身体にしみわたる。
ふと、『気がついちゃった。』と思った。
私が欲しかったもの、手に入れたことに。
とても平凡。
苦しみを癒す先には、キラキラとした魔法のような世界が待っていると思ってた。
娘のぐずりに心乱される自分を諦めた。
息子の後遺症に苦しむ自分を諦めた。
苦しまない日なんて来ない。
魔法なんてない。
それでいい。
私は幸せも苦しみも、私という個性も、とてもありふれたものなんだ。
約束されたものもなく、明日、消えるかもしれなくて。
当たり前の日。
自分の眼に映る、今だけを信じる。
~心休めるつもりが、気がつくと考えている。そして、メモに残したくなる。~
あまり嫉妬をしない私が、我が子に嫉妬していることに気がついた。
嫉妬が少ないというと語弊があるが。私は嫉妬ではなく、そんなときは憧れと感じる。
なぜ、娘のぐずりのときの私の苦しみをこんなにも取り除きたいと思うのだろ、、、と考えたとき、ふと、思った。
あ、私は娘に嫉妬してるのだ。
私が欲しかったものを手に入れている娘に。
しかし、きっと娘は私からもらってるものは恐らく欲しいと思ってないだろう。
私が気がつかない何かを無いと感じているだろう。
子どもってそんなもの。
必ずないと感じる。
そして、親ってそんなもの。
必ず自分が欲しかったものをあげている。
そう思ったら、私の娘への苦しみは私のもので、私が私に話しているメッセージなだけなのだと、腑に落ちた。
なら、苦しんで当然、気がつくまで。
そう感じ苦しみに対して、不安になることが少し和らいだ。