正月の気づきがヤバすぎる | 星にねがいを(by.ふーちゃん)

星にねがいを(by.ふーちゃん)

母が統合失調症。
子育て中。
子どもの幸せを日々願う。
私ももう少し楽に生きたい。

夫の義母の連絡を取らないと、夫に宣言してから約半年。心の中では葛藤あり。


夫から責められてると感じることもあれば、夫から許してもらえてると感じる日もあり。


夫から賛同を得ているが強くなってる日々。

正月、夫と過ごすことが増え。

今日は私は仕事。

夫は休み。

夫は主夫となり。


今日、義母からの電話が私の方へ鳴り止まず。

私は頑として出ず。

夫の携帯からかけ直してもらい。


夫から得た言葉が

「ふーさんの言ってた意味が少し分かった。

今までも言葉では分かってた。でも、今回、気持ちで感じた。ん?って違和感。ふーさんの言う、物のように扱われてる感じがする、監視されてる感じがする。息子の自分でもその違和感を感じた。これが、息子でない貴方に向けられたら、そりゃ、おれだったら〝あぁ?!クソバァァなんだ?!ってなるよ。」って。「違和感を感じた。初めて、感情で嫌だと感じた。」 

と。


なんかね。それで、もういいや、と許せた。

人は変われない。

そりゃ、正直、義母が変わってくれりゃ嬉しい。

でも、私も夫も変わらないように、人は変わらない。

なら、合わない相手とは接しないのが1番。そう思った。大事な夫の母。本来なら大事にしたい。でも、私はそんなに出来た人間ではない。


そう言ったら夫は「それでいいよ。関わらなくていい。」

自分も嫌われてもいいって思って生きてきたって。


へ?!って。

私はそれは親以外を指すと思ってた。

それは、夫の親以外を指すと思ってた。

でも、夫は自分の親でさえ、それでいいと。

今回、わかった。ふーさんの言ってたことが。息子のおれでも違和感を感じたと。


まぁ、昔と今とでは変わってきたらしい。

そんな話から、私たちの出会いの話をからして、楽しい話をした。


私は今回、気がついたのは。

自分の親でさえ、大事にしたい親でさえ、自分が嫌だと思うこと、無理だと思うことを知った。

だから、大事な夫の親を大事に出来ないのは仕方ない、そんな不甲斐ない私なんだと、そんか出来損ないの私なんだと、まず自分の出来ないぷりを受け入れたのだと話した。


嫌いなものは嫌い。

仕方ないのだ。


そんな話をしたら夫が「嫌われてもいい。って思って生きてきた。」って話すから驚いた。

私がその言葉を知ったのはほんとここ最近。

私にとって、その言葉は全てなほど大きく。

それを夫は当たり前に自分の中に存在していた。

たしかに、夫の揺るぎない自己肯定感はそこもあるのかもしれない。

すごい。

で、ね。

なんだかんだと、そう言えども大事な親。


親を思う気持ちもやはり私と夫と似ていて♡

で、親を疎ましく思う気持ちも似ていて、親を尊敬もしていて。


私が思ったのは、子を見ていて。

この子達に何も求めない。

なぜなら、今、全てをくれているから。

私は今、目の前でこの子達が笑い、悪さをし、泣き、怒られる、それが私への宝であり親孝行なのだ。

大人になってからするのではなく、今、この子達がここに存在することが親孝行なのだ。


この先、この子達が大人になり一度も会いに来なくても、この子達が自分の道を歩んでるのであればそれでいい。


夫と日々、過去や未来や今の話をするのが楽しくて、なによりも夫に私の気持ちを理解てもらったり、寄り添ってもらったり、賛同してもらったり、、、それが私の楽しみなのだ。


でね。

夫が言った。

「人に嫌われてもいい。だからこそ、何でも一人で出来ないと、人に依存しないで生きないと、と思って生きてきた。」と。


なので、私は

「貴方は1人で生きなくても、人に嫌われてもいいと思って、自分勝手に生きても、大丈夫。1人で生きなくても、勝手に周りが助けてけくれる。私は、損得勘定は一切ない。助けたいから助ける、助けくないから助けない、気分で決める。損得じゃない。貴方の周りにはただ助けたい人ばかりが集まるから大丈夫。」と。

夫は「ふーさんは本当に損得勘定がない人だよね、たしかに。今の仕事も下手したらお給料がなくても、楽しそうにやってそうだもんね。」と。


そう。

私は前は時間=お金、で。全てをお金に換算して、効率よく稼ぐことで生きてきた。

今の仕事に出会い、変わった。


今日もルンルンで仕事に出かけた。

なんなら、遊びに行った気分。

なんなら、学ばせてもらってる。

お金が発生しなくても、行きたい場所、それが今の仕事。


でも、基本的に私の行動は全てそれだ。

やりたいからやる。

損か得か?安いか?高いか?

ではなく、好きか嫌いか?

これは確かにずっと昔からもっていた感覚。


基本、何もないところに生きてきたからか、何も基本的には持ってない。

だから怖いもの無し。


大事な家族を得た今でもそれは変わらない。


今回の話でも。

子どもの寂しい思いをさせないよう、とかない。

寂しい思いを経て幸せを倍増する人生か、初めから幸せを経てずっと薄味の人生か。

それは私が決めるものではないし、子どもがたまたまた経ていく人生で。

どこを辿っても私が介するものではなく。

また寂しい思いをした私も今は幸せなのだから、これも恐れなし。


私が得たものは、

子にとって、親が笑って幸せな顔でいること、そして、親でなくても親身な親しみの大人の安心した環境を子に与えることが

親の役目かなと。


親が子の世話をしたり、安心を与える必要はなく、親は子が安心する環境を提供する必要があり、それは親でなくても他の大人のでも良い。当の親は笑ってることが子のためである。

そう、私が平日は保育園に子の世話をお願いし、週末は夫に子の世話をお願いし。

それに対して、それでいいと思ってる。

私は夫の子育てを尊敬しているし、夫の元で育つこの子達は幸せだと思う。そうした、子が安心して生活できる環境を私は提供したと自負している。

私の役目はそれでいいのだ。


そこに落ち着いた。

まぁ、これは私の価値観の幸せだけど。





りっちゃんオススメの男梅、いい塩梅で。
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