依口ちえさんの言葉とえいみーの個人カウンセリング
ちえさんから「ふーちゃんは、一度ちゃんと人を嫌った方がいい!!!」と言葉をもらった。
ちょうどその直前に、私の1番解決したい悩みは人間関係やな。って思ってた。
結局、親のことに繋がってしまうんだけど、親のことを取り上げたらきりがなく出てくる。人間関係は、親への悩みを現実化した感じで具体的に出てくるから、人間関係の悩みは取り上げやすい、と思って。
やっぱり、人間関係をもっと楽になりたいがすごく大きい。どんなに親のことで悩んでても、友人関係や職場の関係が良ければ楽しい気がする。
それで、この言葉をもらって正にそれだな。と思った。
ちゃんと人を嫌えないからだ。
ちゃんと自分のドロドロを認めることなんだと。
ちゃんと人を嫌う
これを考えてると出てくるのは虐められていた内容。
小学校の頃、中学の頃、高校の頃、社会人の頃、
未就学の頃の近所の友達の親から虐め。
具体的に1つ1つ思い出す。
なによりも虐められていた内容も辛いけど、それを悲しんだ時、虐められて辛かった時に、「泣くな。」「教えてあげてるのに、悲しむな、悪者にするな。」「(虐められてるのに)謝れ。」と、虐められたのに、その事で悲しんだことを責められた記憶。
それがやってくる。
私が人を嫌うと、それを責められる。
私が間違ってると責められる。
それと、私は未就学と小学校の頃は虐められてることをあまり気にしてなかった。
それは、私の世界は母だけだったから。
まわりの雑音は必要なかった。
その感情。
私は母以外に興味がなかった。
誰のことも大事じゃなかった。
誰のことを好きではなかった。
みんなみんなみんな、どうでもよかった。
ただ母のことを悪く言う人だけは許せなかった。
母を正当化したくて、母を認めてもらいたいのに、私を見て「あの子があぁだから、親がいけないね。」と言われるのが辛かった。
私のダメさを見て、親をけなされるのが辛かった、苦しかった。
その後のえいみーの個人カウンセリングで、見つけてもらった私は辛すぎた。
認められないし、認めたくないし、誰にもやっぱり言われたくない。
私は子どものことを下になんて見てない。
私が子供に怒ることを責められたくない。
私は夫や子供をせいにして怒ってる。
私は人のせいにできる。
でも、下に見てるとか下とか。
言われたくないこともある。
思い出す。
私のお箸の持ち方を見て、友達のお父さんは言った「うちの嫁は娘に箸の持ち方だけはちゃんと教えた。」
私はお箸の持ち方が下手だ。
でも、これは母のせいではない。
それを言えなかった。
私を見て母を悪く言われたくない。
えいみーに子どもを下に見てると言われて、なんでそんな事を言われないといけないんだって、思った。
夫との関係は良いとか。
ジャッジされたくない。
そして、私は、、、
人のアドバイスが聞けない人だ。
傲慢なんだ。
自分の考え方を変えれないんだ。
ずっとこの考え方だから苦しんできたのに。
この頑固を握りしてめてるから苦しいのに。
私のためにアドバイスしてくれて、私のために殻を破って叩いてくれてるのに、私がお願いしたのに、
叩くなや!変えようとするなや!と逆ギレしてる。
もうなんなんやろ。
アドバイスされると、人に反発するこの感情。
全く素直に聞けない。
これじゃ変われない。
聞けるアドバイスだけ聞いて、聞きたくないアドバイスには腹が立つ。
それじゃ今までのままだよね。
私に今、必要なことは、
傷ついたことは傷ついたんだ
傷ついたのは自分のせいではないのだ
傷つけた人のせいなのだ
お母さんが私を守ってくれなかった!とお母さんを責めることなんだ
全部、全部おまえのせいなんだと
そして、認めることなんだ
私の中にはお母さんを恨むドロドロした気持ちがあるんだ
私を傷つける人を私は嫌いなんだ!
私は私以外、嫌いなんだ!
私は私を大事にしてくれない人は嫌いなんだ。
私は醜いんだ
私は傲慢なんだ
嫌われて当たり前なんだ
そんな部分も持ってるだけなんだ
これは1部分なんだ
そんな自分を無いことにしてるから、人と関わるのが怖いんだ
関わると、人を嫌う私に私が気がつくのが
人と関わると人の意見を聞かない私に私が気がつくのが
私は最低な人間なんだ
そして、それは1部分なんだ
最低なところが全てではないし、全く無いわけではないんだ
それでいいんだ
ありがとう、えいみー、ちえさん