罵りに打たれ強くなる意味とは | 白クマの妻は今

白クマの妻は今

外国の白クマを夫にしたら予想外のイケメン子グマが2匹も出てきた。どぉする?

ああそうか。

子供の日が来るのか。<大ボケ

和菓子屋に行き、柏餅を見てそう思い出した。

 

祭日の金曜の午後、母、クマ姑の面会に行った。

 

*「老人ホーム面会ブログ」注意報発令中*

(本日は認知症加速中のクマ姑との面会ブログです。

「哀しい話はもう嫌」な皆様方は1回休みをお勧めします)

 

前回の面会から2週間、クマ姑が好きな、

こしあんの柏餅をひとつと、梅干しの種を抜いてたたいたものを

小瓶に詰めて持って行くことにした。

同居中、どんなに食欲がなくても、

母はこれとおかゆは食べてくれたのだ。

 

前回はなかなかに衝撃的な内容の妄想の愚痴ばかりを

延々と訴えながら泣いており、それでも比較的穏やかな感じで、

「死ぬ前に最後に会えて良かった」などと言ってくれた。

 

その前に引っ越しの家具や荷物を届けた時は

散々に叱責、罵倒、ののしられて心が折れた。

 

今回はどんなご機嫌だろうかと、とても重い気持ちで、

それでも多少の希望は持って出かけたのだが、

ほぼ最悪だった。

 

フロアのユニット長さんに梅干しを預け、

それは毎食、添えていただくことになったのは良かったのだが、

柏餅を差し入れに持ってきたと言うと、

それはお三時に小さく切って出すからと言われ、

預けさせられた。

 

施設の入居案内には、差し入れの食べ物はお部屋で一緒に

召し上がってくださいと書いてあったのだが、

どうもそうではないとわかった。

 

これは、今後の計画に有効な学びだった。

 

部屋に入って声をかけると私を誰だと思ったのだろうか?

多分、娘だとわかったのではないだろうか?

 

車椅子に座ってテレビを見ていたのだが、

何をしに来たのかと激昂しはじめた。

 

言うことはすべてが支離滅裂なので、どの時のどの部分の

記憶がつぎはぎになっているのかわかりようがなかったが、

「迎えに来たんだと思ったら何も言わないでいなくなっていて、

他の人は家に帰ったのに自分はとても情けなく恥ずかしく

悔しかった」と繰り返し叫んでいた。

 

「ああそう。そうだったの」

取り合っても仕方がないので、そんなふうに相槌を打ちながら

「もう五月なんだよ」「さつきが咲いていたよ」と

話題を変えると、ほんの20秒くらい頭が切り替わるのか

「咲いてるだろうね」などと返答するのだが、

次の瞬間にはまた

「どれだけのことをしてやったかしれないのに

こんなしうちをして、こんなところで死ぬなんて悔しい!」

というようなことを何十回も繰り返し叫ぶ。

 

右腕を振りまわし、「棒でもあったらぶち殺してやる!」と

連呼し、顔を真っ赤に歪めていた。

 

「この間もってきたシンピジュームがまだ咲いてるけど

もうそろそろ終わりだねえ」と声をかけると、

「これが来た同じ日に、食事をするところにも

誰かが同じのを届けたのよ。でもそれはずっと小さい花で

次の日には枯れたの」

「あらそう。水切りをしないと持たないよねえ」

などという会話にすこんと切り替わるのだが、

次の瞬間には

「そんなことを言ってる場合じゃない!悔しい!

私はあの、よそに女を作って逃げた男の名前は大っ嫌い

だったのに、子供の名前を変えたらひどいと思って

変えなかったのに!悔しい!悔しい!悔しい!!」

と叫ぶ。

 

どういう思考回路になっているのだろうか?

 

確かに私が中学生の時に離婚した母は、

私が母の旧姓になってもかまわないと話したのに、

いかに自分の旧姓は画数が悪く、クソ親父の苗字だと

自分の名前は最強の総画数になると言われたかと喜んで、

高い印鑑まで作り、自分の店を開いたのだ。

 

「ここはひどい。毎日、男の人に虐待されている。

体がこんなに痛いのに手や足を掴んでぶん回すんだ。

痛くて痛くてがまんができない!」

「それはひどいねえ」

 

「何しにきたんだ!」と言うので、

「梅干しの叩いたのと柏餅を持ってきたよ。

あとで食事の時に出してくれるって言ってたよ」と言うと、

「そんなものは絶対に食べるもんか!」と罵った。

 

20分弱そんなやりとりをしていたが、

改善の余地がないなと判断して部屋を辞した。

 

入居直後に「親を捨てるのか!」と罵倒された時の

心の痛みに比べたら、今回のダメージはその67%くらいで、

「ああ、こうして少しずつ慣れていくのかな」と哀しく思った。

 

理性的な会話はもう何もできないわけだし、

万が一その時にできたとしても3分後には残らない。

つまり、意味がない。

価値もない。

 

ただ残るのは私の心の痛みばかりで、

もうすっかり夏の日差しの暑さの中、

とぼとぼと駅まで2キロの道を歩いた。

 

そうだよね。悔しいよね。

何を期待して何を望んでいたのかは何となくわかるけど、

それはもうあなた自身が無理なんだよ、としか思えない。

 

そして、本当に悔しいのはあなたじゃなくて私なんだよ、

と思う。

 

電車に乗っても心がずうんと重いばかりで困った。

 

自分の駅で降りて自宅に向かいながら、

ふらふらと初めてドン・キホーテに入ってみた。

 

良くわからないものが色々ある中をゆるゆると歩き回り、

マルサンの豆乳とオリーブオイルと、ほろよいを4缶買った。

 

面会で傷つく毎に、私は帰り道でほろよいを買うのだろうか?

次回は2缶か3缶で済むと良いな。

4缶以上買っても重いだけで、なかなか減らないしな。

 

再来週もまた、面会に行くのだろうけれど、

今回以上に足が重くなりそうだ。

 

この面会の意味って何なんだろう? <修行か?