母の呪縛からの解放はいずこ | 白クマの妻は今

白クマの妻は今

外国の白クマを夫にしたら予想外のイケメン子グマが2匹も出てきた。どぉする?

一昨日、引越しの片付けが九分七厘ほど終わり、

実に3週間ぶりに、母、クマ姑に会いに、

特別養護老人ホームに面会に行って参りました。

 

母は特養入所から3週間。

初めての面会でしたが、これほど足の重い面会は

ありませんでした。

 

最後に会ったのは入居翌日にテレビや家具を運んだ時で、

その時にはさんざんなじられ、怒鳴られ、罵られ。

あまりのことに私は心がずたずたになってしまい、

トラウマとなっていたわけです。

 

ですから一昨日も行くと決めていたものの、

連日の引っ越し片付けで身体も疲れ切っていて、

行きたくなくて行きたくなくて、まるで小さな子供が

学校に行きたくなくてぐずるような気持ちになりました。

 

面会は義務ではありません。

あくまで努力目標です。

行かなくてもペナルティは何もありません。

 

今日はやめて明日にしようか。

 

でもそこは大人ですから、明日にしたってきっと同じ。

今日行っておかなければ翌週はきっともっと怖くなる、

と思って自分を鼓舞し、シンピジュームの切り花を持って

出かけました。

 

母の機嫌は悪くはなかったと言えるかもしれません。

 

私のことは、名前は言えなくても思い出したようで、

「死ぬ前に会えて良かった」と泣いていました。

 

母に会う前に話をした職員さんは、

最近は朝も起きられて朝食も食べられるし、

スケジュールにも慣れたようだ、と。

食事量も普通だし、夜も眠れている。

先週はみんなで裏の桜が数本ある公園へお花見に行き、

花が好きだと喜んでいたとか。

 

ところがご本人様は恐ろしくボケが進んでいて、

ここ数年分の記憶がごちゃごちゃになっており、

まともな会話は成り立たないレベルになっていました。

 

丸1時間、そんな母の話に、ただもう意味もない相槌を

打ち続けて話を延々と聞いてきましたけれど、

それはどうしようもない内容でした。

 

**

 

ここは最低だ。人間だと思われてない。

こんなところで死ぬなんて。

 

さくら?お花見?そんなの今年はしてない。

(どうも昨年の私と行ったお花見は覚えているようだが

つい先週のことは何も覚えていませんでした)

 

薬を飲ませてくれないから身体がつらくてたまらない。

(ショートステイの時からずっとこればかり言いますが、

もちろん朝昼晩と薬は出ています。

どうして私が飲ませないと服薬を覚えていられないのかは

永遠の謎のひとつでしょう)

 

食べ物は何の味もしない。

(そりゃあ私の料理と比べてもしょうがない)

 

朝は4時に叩き起こされるから睡眠時間が足りない。

(夜勤の職員さんは、入所三日目から普通に眠っていますと

言っておりましたが)

 

歯が虫歯になって、平らに虫に食べられて、

歯がないけどそこが平らになって、角が尖ってるから

食べたり話しすると口が切れて血が出る。

(それは虫歯ではなくて、ここへ来る前に差し歯が取れて、

治療したあとでしょう)

 

NHKが映らない。

(一緒に付けてNHKも視聴しました。普通に映ってました)

あなたが来たから慌てて映るようにしたのよきっと。

(そんな器用なこと誰もできません)

 

昨日から暑いのにエアコンは電気代がかかるから

つけてくれない。

(部屋のエアコンは25度設定になっていたので、

22度にして帰ってきました)

 

夜中に男の職員がたくさん集まって会議をしてて、

みんな辞めていったから、もう誰もいない。

(過去のショートステイでも夜になると男の人が集まる

せん妄を見てましたから)

 

2月から便が出てないから、全員あつめられて

浣腸されたけど、やっぱり出なかった。

(どういう記憶と妄想なんだか。

2月には私と住んでましたが。

どうも私と同居する以前の、3年間いた施設の記憶も

かなり混ざっている内容の話が多かったです)

 

最たるせん妄は、ものすごい話でした。

 

日本の政府は頭のボケた老人を1週間で死なせるという

政策が決まったから、帰れる家がある人はみんな帰った。

(それは週末なので普通に外泊に行ったんだと思います)

 

だからここは10人いたのにもう3人くらいしかいない。

この政策は大騒ぎになっててNHKのニュースでやってる。

見てないのか?

(テレビないです。でも、あってもそのニュースは知らないわ)

 

だから自分もあと何日かで死ぬから会えて良かった。

もう来なくて良い。もうここで死なせられる。

あなたはここの職員にだまされたんだ。

みんな嘘ばっかり上手だから。

(あなたの妄想ほどに強烈ではないと思います)

 

**

 

私とふたりきりの生活は変化も少なかったせいか、

記憶ももう少し安定していたのかもしれません。

 

今は何人もの職員さんや同じユニットの他の方々も

いるので、刺激とストレスのレベルがまったく違うのでしょう。

妄想の内容のめちゃくちゃ度合いが膨れ上がっていました。

 

もうどうしようもないんだな、というのはわかったし、

ご本人様が「今」どう感じて何を言っていようと、

それは1時間後、明日、来週、どうなっているのかと

まったく何の関係もないのです。

 

少なくともここにいる限り、この人は最低限の安全を

確保できていることに間違いはありません。

 

食事もできていて、入浴も喜び、お花見までさせてもらえて、

それでもこの人はもう何も覚えていられないのです。

 

口から出るのは悪いことばかり。

何でこんな風にボケたのでしょうか。

もっと穏やかに、ゆるやかにボケられなかったのでしょうか。

 

私の心臓は、ここへ向かう用意をする時から

ばくばくと脈が飛び、きゅうきゅうと締め付けられる

ばかりでしたが、もう来るなと泣く母を置いての帰り道、

鼓動は通常に戻りました。

 

どれだけ神経性のストレス性不整脈なのでしょう。

私はこんなにもメンタルの弱い人間だったのかと思うと

情けない気持ちでいっぱいになりました。

 

帰り道で通り過ぎた公園ではライラックが咲いていて

甘くなつかしい香りにため息が出ました。

 

遠い遠い昔、ぴったり40年前の今日、

はじめて行ったアメリカの田舎町は市の花がライラックで、

春になると町中にありとあらゆる種類と色のライラックが

咲き乱れ、この香りに包まれたものです。

 

私はまた、再来週、母に会いに行きます。

その時に母が何を言うのかはわかりませんし、

どんな状態にあるかもわかりません。

 

何か少しでも喜ぶものを持って行ってやりたいです。