しろくまです。(・(ェ)・)
先日、友人にお会いして一緒に晩飯を食べたんです。
友人は私より一回りほど年上で、スポーツ系のお仕事をしている人。
何気ない会話から、彼の姪っ子と甥っ子の話になったんです。
友「この前の連休に、うちに姉の子供たちが遊びに来たんだよね。
姪は中3、甥は中1で、姉と3人で泊まっていったんだよ。」
私「にぎやかで楽しそうじゃないですか。」
友「うーん。楽しかったというか、義務的な感じなんだよ。そんなに頻繁に会っているわけじゃないし。」
私「頻繁に会っていないとなると、その年頃は色々と大変かもしれませんね。」
友「それは全然大丈夫なんだけど、ちょっと思うことがあってさ…」
どうやら、友人は甥っ子に対してアレ?と思うことがいくつかあったみたいだった。
話を聞いていくと、就寝するにあたり、母と姪と甥で同じ部屋で寝ようとしていたらしく、友人はそれに対して違和感があったのだと言う、
友「それくらいの年だったら、母親と姉と一緒の部屋に寝たくないだろ?」
正直、人それぞれなのではないかとも思ったのだが、友人が息巻いて話をするので、私は同意を濁しながら話の続きを聞くことにした。
友「この前は、姉が甥っ子に頼まれたキャラ弁を作って持たせたら、転んで弁当ひっくり返して泣いてたみたいなんだよ。
泣いていたら、先生が可哀想だと言って自分のお弁当を甥っ子にあげたみたいなんだよね。」
「男のくせに、情けないよな」
正直、友人の言っていることも分からなくない。
…だけどって思ってしまった。
私には子供は勿論いないので、甥っ子の中学1年生のと時のことを思い出そうとした。
※甥っ子の話↓
きっと甥っ子は、親子兄弟で寝ることも1人で寝ることもあまり興味がなさそうだし、外では泣かないし、あまり参考にならなかった笑
でも、お弁当をひっくり返してしまって泣いていたと思ったら、なんだか愛おしいじゃないか。
友人の甥っ子の涙の理由は何だったのだろうか。
自分が楽しみにしていたお弁当が食べられなくなってしまったことなのか。
それとも、それを一生懸命に作ってくれたお母さんへの申し訳無さなのだろうか。
もしかしたら全然違う理由かもしれない。
今もし私に彼氏がいたとして(ずっといないけど)、私が作ったお弁当を会社に持っていき、それをひっくり返してしまい泣いてしまったと言われたら、え?!と思いながらも、正直めっちゃ愛おしいしすぐにでも抱きしめに行きたい!(ずっといないけど)笑
きっと、この感覚も人によって違うと思う。
良いとか、悪いとかそういうレベルの話じゃないんだよね。
男性ということ、女性ということ、ゲイということ、LGBTQ+ということ。
社会や親から求められるらしさは、時に個人を蝕んでいく。
性別に合わせた、そうあって欲しいという気持ちもわかる。
けれど、もうそういう時代ではなくなっている、いや、そういう時代じゃなくなるべきなのだと思う。
マイノリティである友人が「男のくせに」と思うのは、男らしさを求められた過去の自分への同族嫌悪なのだろうか。
彼からその言葉を聞いた時、ちょっとだけ私は悲しかった。
スポーツの指導員である友人が、甥っ子に求める「らしさ」もわかる。
自分で生きていける強さは必要だし、そうなって欲しいという気持ちも。
私はそれ以上この話題を広げる気になれなず、話題を切り替えてしまった。
勿論友人に対して、これからの関係をどうしようとか、わかり会えないんだろうなとか、そういう気持ちはない。
けれど、この話題に対してはきっと考え方が違うから話す必要がないと思ったのだ。
「らしさ」は人から強要されないで欲しいな。
だって、らしさや生き方は自分のものだから。
誰だってきっと自分の「らしさ」は、否定よりも肯定されたい。
これからを生きていくのだから。
※この曲の歌詞、超絶すこ…🥲
おしまい。