今日は映画『雪風 YUKIKAZE』を観てきました。

感想はご覧下さった方々で違うので書きませんが80年前の日本で実際にあった事実として知っておこうと思いました。

映画『雪風 YUKIKAZE』オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ
https://www.yukikaze-movie.jp/

どうしても映画ですと学校で歴史を学ぶように事実として知る事ができますが経験をしていませんので実感が湧いてきませんが知る事が大切なので今回も新たな近現代史を学ばせていただきました。

今の私に出来る事は恩師の教えに従い全国各地の戦績などで出会った戦争経験者の方々から直接お話をお聞きする事です。

経験者の言葉は経験をしていない私たちでも不思議と実感として湧いています。

戦後80年になり経験者も減り直接お話をお聞きする機会も減ってきましたので可能でしたら今も語り部としてお話をしている方々にお聞きしたり、ご家族の中に経験者がいましたら直接お話をお聞きして下さい。

その直接お聞きしたお話を私たちが次の世代に語り継いでいけたらと思います。

私も子供の頃から祖父母や地域の体験者や日本各地で出会った経験者から直接お聞きしたお話を忘れずに語り継いでいこうと思いました。

大叔父の戦死を調べた資料も集めた資料たちも博物館にお願いして地域の戦争の歴史として残していただきます。

それでは私が祖父から聞いたお話を一つさせていただきます。

◆祖父の記憶◆

祖父は木更津海軍航空隊の基地の警備隊の所属で25ミリ3連対空機関砲の発射を命令する係をしていたそうです。

戦争末期になると硫黄島から来襲するP-51マスタングと言う戦闘機の防衛をしていたそうです。

P-51マスタングと言う戦闘機は護衛戦闘機、戦闘爆撃機、対地攻撃機に使用された戦闘機だそうです。

どんな戦闘機だったのか?探していたら以下の動画を見つけました。

"戦闘機P 51 ガンカメラ 東京近郊の飛行場など機銃掃射" を YouTube で見る
https://youtu.be/OVPOb8rrlv4

祖父が以前に「アメリカの戦闘機は本当に性能が良く動きが早くて俺たちの攻撃が間に合わなかった… 」と言う話を思い出します。

こんな話も聞きました。
アメリカの戦闘機が木更津へ攻撃しに来て日本の戦闘機が後を追いかけていた時に司令部から通信で迎撃指令で「撃て!」と言う命令がきましたがアメリカの戦闘機の動きが速すぎて祖父は経験から「 今撃てば味方機にあたってしまう… 」と思いましたが当時は司令部の命令が絶対だったので発射命令を出しました。

するとアメリカの戦闘機は、あっという間に通り過ぎて味方機に当たってしまったそうです。

この話とは別に祖父が基地からの帰り道を歩いていた時に突然!アメリカの戦闘機が後ろに現れた思った瞬間!機銃掃射してきたそうです。

祖父は急いで道を外れ田んぼ(木更津なので、もしかすると蓮田だったかもしれないです)の中に飛び込んで助かったと言う話を聞きました。

祖父の話から戦争末期には戦闘機による無差別爆撃があり私たちの住む地域でもあった事を知りました。

更に祖父は戦争末期に軍から「広島県の呉に行くか?木更津に残るか?」と上官から聞かれて木更津に残る事を選んだそうです。
もし広島県に行っていたら祖父の運命はどうなっていたでしょう?

祖父は昭和11年に旧満州で戦死した弟(大叔父)の影響なのか?とにかく地元を離れる事を嫌いました。

自分の戦争体験を時々してくれましたが絶対に弟(大叔父)の話は1度も聞かせてくれませんでした。
ただ1度だけ2. 26事件の話の時に自分が行ったように話していましたが実は弟(大叔父)の話だと後で知りました。

以上のお話を以前にも投稿させていただきました。

こうして地元の戦争の事実をこれからも出来る限り伝えていけたらと思います。