第二新婚時代 | 心にうつりゆく よしなしごと 

心にうつりゆく よしなしごと 

心に浮かぶ想い大全、
前立腺がん 骨髄異形成症候群、骨髄増殖性腫瘍、原発性胆汁性胆管炎 悪性リンパ腫 シェーグレン症候群を 
連れ合いは 両肩腱板断裂、シェーングレン症候群、間質性肺炎を 
罹患して 

親 祖母との同居。 店の手伝い時代 10年間。 女房には 針の筵の上での生活だったようだ。

偶然 東京転勤の話が

 

江東区

  • 会社では 私の評価は 高かった。 入社して 毎年 5年間 トップセールスを続けてきたから
  • だから 東京では 消耗品課を任されることに。 これが ラッキーで 主品目ではなかったから いろいろ 自由なことが許され アメリカ出張も 多くなる。
  • 引っ越して 東京なのだが 住むとこともない。 偶然 大阪の仲間が 相続したアパートがあるから と 安く 借りることができた。
  • 60平米弱。
  • 親から離れての 生活
  • 女房は 太った私を減量させるため 毎日 朝食を作り出した。 油ものは極力減らして。
  • 換気扇の掃除が 不要なくらい 油ものなし
  • 通勤も 車ではなくなった。
  • 朝7時ころ 起床して 8時ころ出かける。 帰りは 8時ころ。 飲みに行かないし 規則正しい生活。 
  • 体重も 80㎏ 位に減る。
  • 女房 時間ができる。 今までは 店の手伝いなど 全く自由な時間がなかった。
  • 今は 旦那を送り出せば 自由。
  • 私が 習い事でも と 薦めたら 江東区が主催の 英国大使館の奥様と英会話 教室 というのが あり 参加始める
  • その仲間 今でも 連絡を取り合っているが。

趣味に

  • 英会話 をはじめた。
  • 私は 車がないので 購入する。 4輪駆動車 パジェロである。
  • 女房 釣りに スキーに ついてくるようになる。
  • でも まだ 生活に余裕があるわけではない。
  • 海外でも 顔が売れていないし 月に1度程度の アウトドア を楽しむ。

引っ越し

  • 部屋を貸してくれていた友人が 部屋を売るので と
  • 蕨に引っ越すことに。 少し広いところがいい と 70平米を選択。
  • 会社から 3年後は 家賃補助なくなります と 通達。
  • まあ このころでは 年収が増えて 3桁に。
  • アメリカへは 年 2回以上の出張になる。
  • 女房 相変わらず 英会話の仲間と 勉強したり 水泳教室に入って 泳げるように。

マンションを予約

  • 会社の家賃補助無くなるから と 近くの新築マンションを 購入することに
  • 荒川沿いで 目の前で 花火が見える。 角部屋 バルコニー付き。 7000万位だったかな。
  • 女房 毎日 毎日 歩いて このマンションの建築現場を見に行く
  • 初めての 自分たちの城である。 
  • 趣味も増えて 胡蝶蘭を育てだす 50鉢以上。 毎日 みずやり をして 育てる。
  • 熱帯魚も 飼いだした。1m30㎝もの 大水槽 2個も。 
  • 収入がよくなったので 生活は楽。貯金もできる。

マンション 内覧会の 大事件

  • マンションが 出来上がり 引っ越しの前の 内覧会
  • ここで 事件が勃発
  • リビングから 吐き出し窓でバルコニーに出られる ということで バルコニーで 蘭も育てられるしと期待していたのが 掃き出し窓なし。 腰の高さの窓だけ。
  • これでは 約束が違う という話で 売った人に問い合わせが。 会社は 約束を確認。 今更 何もできないから と契約解除。 解除金を現金で もってこられる。 新聞紙に包んだ 現金を 紙袋に 入れて。
  • 女房 落ち込んでしまう。 毎日 毎日 楽しみで 見に出かけていた。 やっと 自分たちの城が完成。 でも 内容が違う。
  • このころ 女房は 子宮内膜症がひどくなる。 慶応病院で 子宮 全摘の手術を
  • 体調が悪かったのが これで よくなる。

ある 雪の日

  • せっかくの 我々の城が消えてしまった。
  • 女房の落胆は どれくらいか
  • 私は 仕事忙しくなり 出張など 増える。 蕨での 生活 半分は いない事に。
  • 我々の会社 外資系なので トップの家を探すことがある。 その時は ケンコーポレーション を使う。
  • 偶然 このケンコーポレーションが扱っているマンションを発見。 7000万位の 売値。
  • 見に行こう と 落ち込んでいる女房を つれて 鎌倉へ
  • 一面 真っ白。 汚れも隠してしまう。 きれいな マンション
  • 買おう と 落ち込んでいた女房 を励ます。

数か月後 部屋のリフォームが済んで 引っ越しを。

 

これが 奈良から 出てきた10年の第二新婚時代である。

鎌倉で 自分の家に住む 第三新婚時代 生活が始まった。

その後 私は 海外赴任 転職して 複数の会社の責任者を経験することになる。

この頃は 女房は しっかりした 主婦になっている。