親 祖母との同居。 店の手伝い時代 10年間。 女房には 針の筵の上での生活だったようだ。
偶然 東京転勤の話が
江東区
- 会社では 私の評価は 高かった。 入社して 毎年 5年間 トップセールスを続けてきたから
- だから 東京では 消耗品課を任されることに。 これが ラッキーで 主品目ではなかったから いろいろ 自由なことが許され アメリカ出張も 多くなる。
- 引っ越して 東京なのだが 住むとこともない。 偶然 大阪の仲間が 相続したアパートがあるから と 安く 借りることができた。
- 60平米弱。
- 親から離れての 生活
- 女房は 太った私を減量させるため 毎日 朝食を作り出した。 油ものは極力減らして。
- 換気扇の掃除が 不要なくらい 油ものなし
- 通勤も 車ではなくなった。
- 朝7時ころ 起床して 8時ころ出かける。 帰りは 8時ころ。 飲みに行かないし 規則正しい生活。
- 体重も 80㎏ 位に減る。
- 女房 時間ができる。 今までは 店の手伝いなど 全く自由な時間がなかった。
- 今は 旦那を送り出せば 自由。
- 私が 習い事でも と 薦めたら 江東区が主催の 英国大使館の奥様と英会話 教室 というのが あり 参加始める
- その仲間 今でも 連絡を取り合っているが。
趣味に
- 英会話 をはじめた。
- 私は 車がないので 購入する。 4輪駆動車 パジェロである。
- 女房 釣りに スキーに ついてくるようになる。
- でも まだ 生活に余裕があるわけではない。
- 海外でも 顔が売れていないし 月に1度程度の アウトドア を楽しむ。
引っ越し
- 部屋を貸してくれていた友人が 部屋を売るので と
- 蕨に引っ越すことに。 少し広いところがいい と 70平米を選択。
- 会社から 3年後は 家賃補助なくなります と 通達。
- まあ このころでは 年収が増えて 3桁に。
- アメリカへは 年 2回以上の出張になる。
- 女房 相変わらず 英会話の仲間と 勉強したり 水泳教室に入って 泳げるように。
マンションを予約
- 会社の家賃補助無くなるから と 近くの新築マンションを 購入することに
- 荒川沿いで 目の前で 花火が見える。 角部屋 バルコニー付き。 7000万位だったかな。
- 女房 毎日 毎日 歩いて このマンションの建築現場を見に行く
- 初めての 自分たちの城である。
- 趣味も増えて 胡蝶蘭を育てだす 50鉢以上。 毎日 みずやり をして 育てる。
- 熱帯魚も 飼いだした。1m30㎝もの 大水槽 2個も。
- 収入がよくなったので 生活は楽。貯金もできる。
マンション 内覧会の 大事件
- マンションが 出来上がり 引っ越しの前の 内覧会
- ここで 事件が勃発
- リビングから 吐き出し窓でバルコニーに出られる ということで バルコニーで 蘭も育てられるしと期待していたのが 掃き出し窓なし。 腰の高さの窓だけ。
- これでは 約束が違う という話で 売った人に問い合わせが。 会社は 約束を確認。 今更 何もできないから と契約解除。 解除金を現金で もってこられる。 新聞紙に包んだ 現金を 紙袋に 入れて。
- 女房 落ち込んでしまう。 毎日 毎日 楽しみで 見に出かけていた。 やっと 自分たちの城が完成。 でも 内容が違う。
- このころ 女房は 子宮内膜症がひどくなる。 慶応病院で 子宮 全摘の手術を
- 体調が悪かったのが これで よくなる。
ある 雪の日
- せっかくの 我々の城が消えてしまった。
- 女房の落胆は どれくらいか
- 私は 仕事忙しくなり 出張など 増える。 蕨での 生活 半分は いない事に。
- 我々の会社 外資系なので トップの家を探すことがある。 その時は ケンコーポレーション を使う。
- 偶然 このケンコーポレーションが扱っているマンションを発見。 7000万位の 売値。
- 見に行こう と 落ち込んでいる女房を つれて 鎌倉へ
- 一面 真っ白。 汚れも隠してしまう。 きれいな マンション
- 買おう と 落ち込んでいた女房 を励ます。
数か月後 部屋のリフォームが済んで 引っ越しを。
これが 奈良から 出てきた10年の第二新婚時代である。
鎌倉で 自分の家に住む 第三新婚時代 生活が始まった。
その後 私は 海外赴任 転職して 複数の会社の責任者を経験することになる。
この頃は 女房は しっかりした 主婦になっている。