女房 10年以上 会社勤め。 お茶や洋裁の稽古に追われた日々。
気が付くと 結婚していたが 別居生活。 独身時代の延長。 まあ 気楽な 新婚時代。
それが 母の 二言
- いつまで 貴方の主人のパンツ 私に洗わせる気?
- 同じ名前だから あなたの呼び名変えましょう。 私は ひらがなで変えられないから
この 二言が 女房には 大きな傷として残ってしまう。
主婦として 店のサポートとして 10年強
- 朝 7時に起きて 私の食事作って 掃除して 洗濯して
- 10時頃には 店に
- お客さんの相手。 慣れない 客商売。 本人は 大人しく 自分から喋るタイプではない。 来るお客は 工事現場のおじさん や 指のない人や 色々なタイプの人。 その人の相手と 慣れない 写真の言葉。 現像も。
- 店の掃除も。 DPEの受付も。 いままで 祖母と母がやっていたことを 一人で。 母は 夕方にならないと 店に来なくなった。 いい後継ぎができた とでも 思ったのだろうが。
- 女房本人は お手伝いする為に 結婚したんではない と 強く思ったであろう。
- 夕方 家に戻って 犬の世話して 食事を作って 洗濯取り入れて。
- 頼りになる 旦那は 11時頃まで かえってこない。 半分は 出張。 愚痴を言う相手もない。
女房の 人生で この 10年が 一番 辛かっただろう。
私は 何も知らずに 仕事に集中していたし。
このこと 今でも言う。 それを聞くのは 辛い。 主人として 気が付かなかったし 心使いが不足していたように思う。
私の転職
- 結婚してから 5年 給料は 上がらないし どうしようか と思っていたら 外資系の会社から 来ないか との話
- 給料は 年収ベースで 最初 320万 次に 380万 450万 と バブルと同時に上がっていく。
- でも 相変わらず 出張三昧。 車をもらっていたので 食べて運転して 泊まって 食べて の生活。
- いつの間にか 体重 100㎏近く。 給料は結構多かった。 多分30歳で 600万ー700万くらい。
大きな転機
- 会社は ユニークな会社で 月1回 東京会議
- その会議で 話題いろいろ 出るけど
- 「営業として言うと もう少し サポート強化してくれたら もっと売り上げ 上がるのに」
- と言ってしまった。
- それじゃ 貴方 やってみろ と社長。
- やります と 売り言葉に 買い言葉
- 家族との 相談なして 決めてしまう。
家に帰って 女房に
- 東京転勤になりそうなんだけど
- (女房) 嬉しい 知ってる人いないけど 行く 行く
女房にしたら 今の生活は 夫婦二人の生活ではなく お手伝いさんのような 生活。 それが 嫌だけど 言い出せなかったようだ。
これからが 第2期 新婚生活になる
続きは また