台湾台北市「中正記念堂」
初代総督である「蔣介石」の顕彰施設
「中正」は蒋介石の本名「蒋中正」から名付けられた
建物は中国北京の「天壇」を意識して造られた
正門
案内図
広々とした館内
受付で「蒋介石が根本博に贈った花瓶はどこですか?」と聞くと
「分かりません」と答える
しばらく見学していると
先程聞いたスタッフ駆け寄って場所を教えてくれた
たぶん誰かに聞いたのあろう
日本人として伝えておかないと忘れられてしまう
壁には台湾の歴史写真が展示されている
花瓶はこの部屋一番右側に展示されている
これがその花瓶だ
本来は対になっているが片方だけ
説明文には
「1947年抗戦に勝利した時、外国の賓客や友好国への贈答用品としてつくられた花瓶」
本によると同じような花瓶が「根本博」とイギリス皇室に贈られたと書かれている
また、根本家は後に台湾に「永久貸与」したと書かれている
この花瓶はきっとそのものであると信じる
勲章
その他の展示の説明文
海外の国から贈られた勲章
2台の高級車は
蒋中正(介石)座車
米国から介石に贈られた1972年製キャデラック
貴重な展示品があるが漢字が理解できない
その中でも
壁の展示物は日本語も書かれている
日本に関係したものだけ紹介します
日本軍と蒋介石
「西安事変」1936年12月12日
「蘆溝橋事件」1937年7月7日
「カイロ会議」1943年11月22日
中国国民政府「蒋介石(中正)」、米国「ルーズベルト大統領」、英国の「チャーチル首相」が、
エジプトの首都カイロで会議を開いた
日本の敗戦処理について話し合われたのであろう
この会議にはソ連「スターリン」は参加していない
「日本軍降伏文書調印式」
1945年9月9日午前9時
「終戦記念日」は1945年8月15日とされているが
8月15日は「玉音放送」があった日でまだ戦後ではない
中国総司令官「何応欣と日本側中国総司令官「岡村寧次」が署名した
「マッカーサー」と「蒋介石」
1950年6月、朝鮮戦争勃発
マッカーサーは日本から台湾を訪れた
共同して軍事行動をする基礎を定めた
「蒋介石」と「吉田茂」
1964年2月23日、日本前首相「吉田茂」来訪
蒋介石は吉田と5回会談した
出版物の展示
緊急増刷 5.27 週刊「サンケイ」の「蒋介総統のすべて」
日中関係八十年の歴史をつくった生涯と証言
左下に「総統とわたし 王貞治」のコラムもある
内容
蒋介石は1887年10月31日生まれ、1975年4月5日死去 88歳
蒋介石像
最上階に展示されている
天井
細かい細工がされている
上からの景色
イベントが行われている
記念撮影
故宮博物館
ここは何度か訪れている
市内からタクシーで結構時間がかかる
正面の門
ギャリー入口
案内図
博愛
展示物
ここの展示品の目玉
豚角煮を形どった石
肉形石
もう一つは「白菜にバッタがとまる石」
残念ながら展示されていない
これが一番の目玉だが残念
細かい細工だ
バッタ
玉「天地人」
一個の石から削り取られている
硯(すずり)
これが価値があるらしい
花瓶
これも細工が細かい
皿
壺
記念撮影
北京の故宮博物館、旅順の日本軍が収集した博物館、それに台湾の故宮博物館
蒋介石は北京、重慶からお宝を台湾に運んだ
不安定な時代だけにしばらく地中にかくして埋めてあったらしい
北京の博物館は皇帝クラスの玉座や豪華な宝飾品が展示されている
それに比べ台湾の博物館にはそれは見かけない
側近の高級官僚ものが多いように見えた
これは日本語の話せる学芸員にも確認
次回は台北の小売業をレポートします
ロピアは台湾にもう4店舗展開しているため視察する
そこで不思議なことが起きる