松坂「洋食屋牛銀」と「本居宣長」 | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

城取博幸のスーパーマーケット見聞録

城取博幸が国内外のスーパーマーケットを回り、ヒットしそうな商品紹介を
して行きたいと思います。

松坂「牛銀」

右が本館で左が「洋食屋牛銀」

只今改装中

ランチを計画しておいたので、下見をしておいてよかった

翌日仮店舗にお伺いする

歩いていると「新上屋跡」

「賀茂真淵、本居宣長生対面新上屋跡」と書かれている

「賀茂真淵(1697年~1769年)」

江戸時代中期の国学者、歌人

伊勢松坂の旅館「新上屋」に宿泊していたところ宣長が訪れ生涯一度の出会いを経験する「松坂の一夜」

宣長は真淵の門下生となる

 

「洋食屋牛銀」に到着

繁盛店であるため開店11時の30分前に並ぶ

4人でこの殆どのメニューを制覇するつもりだ

11時になっても連れの2人が車で到着しないため後回しにされる

実は鈴鹿サーキットが開催されるため名古屋から松坂までの道路が渋滞

コックは一人で切り回している

さすがプロ

テーブルに注文した料理が運ばれる

4人でシェアしていただいた

松坂牛のステーキ

松坂牛のルーツは但馬牛

リブロース部分か

ミディアムレアでおいしく焼けている

塩でいただく

松坂牛100%のハンバーグ

デミグラスソースが美味しい

松坂牛メンチカツ

松坂牛の牛かつ

松坂牛焼肉

これが一番うまかった

これとご飯があれば十分

松坂牛を堪能しました

ご馳走様でした

すき焼きが有名ですが東京の「今半」で松坂牛はいただいているので今回はパス

 

松坂と言えば国学で有名な「本居宣長」の出身地

本居宣長(1730年~1801年)

江戸時代の国学者、医師

「古事記伝」「源氏物語玉の小節」「玉勝間」などの作品を世に出した

特に「古事記」はいままで読めなかった文字を分かりやすく書き直した

「本居宣長記念館」へ向かう

本居宣長記念館

木像

宣長の日本地図

 

平田篤胤(ひらたあつたね 1776年~1843年)

江戸時代後期の国学者、神道家、思想家、医者

出羽国久保田藩(現在の秋田県秋田市)出身

備中松山藩士兵学者「平田篤隠」の養子となる

篤胤が「本居宣長」を知ったのは、宣長没後2年

「宣長没後の門人」と自称していた

地元南信濃との関係が深い

信濃の記録はない

南信濃の地図

飯田近くに国学を熱心に勉強する者が多かった

島崎藤村の「夜明け前」にも平田派がちょくちょく登場する

医師としての宣長

これが「古事記伝」原本

中は

 

宣長記念館を後にする

西洋シャクナゲ

 

移築された宣長の実家

12歳から亡くなるまで過ごした

説明文

 

もともと魚町にあったものを1909年現在地に移築

奥の土蔵はまだ残っている

説明文

ここで患者の治療を行っていた

中二階に向かう急な階段

宣長が54歳の時に物置を改装して中二階をつくった

床の間の柱に掛け鈴があったため「鈴屋」と呼ばれた

中庭

 

偶然見つけた宣長の墓

洋食屋牛銀仮店舗の裏にお寺があった

樹敬寺

時間つぶしのはずが

説明文に「本居宣長墓」と書かれている

全くの偶然に驚く

お墓に向かう

本居宣長の墓

生家、移築先と墓を訪問することができた

国学者(神道)が仏教のお寺の埋葬されることはよくある

お宮のある付近には墓はない

お寺や霊園に埋葬されている

見事な瓦塀

 

南信濃と本居宣長、平田篤胤との関係

本学神社

地元の人がキレイに管理している

拝殿、裏に本殿

国学の四大人

「荷田春満」「賀茂真淵」「本居宣長」「平田篤胤」の名前が

近くの資料館には四大人の遺品が展示されている

 

「荷田春光(かだのあずままろ 1669年~1736年)」

江戸時代中期の国学者、歌人

父は伏見稲荷神社の社家

母は「細川忠興」の家臣深尾氏

「賀茂真淵」は弟子

 

本学神社~国学の四大人が祀られている

 

国学者「松尾多勢子(1811年~1894年)」

幕末期の尊皇派女性志士

51歳で上洛して尊皇攘夷運動に参加

1868年には「岩倉具視」女惨事と呼ばれ、子女の教育を行う

「夜明け前」にも登場している

 

明治学院大学の教授であった「アン・ウォルソール」著

「たをやめと(弱女)と明治維新」

NHK大河ドラマ「青天を衝け」

岩倉具視の近くで世話をしていた老女は「松尾多勢子」だと私は思っている

「岩倉具視幽棲旧宅(京都市左京区岩倉上蔵町)」お伺いして確認すると

「近所の婆さん」という答えが

資料館で買った多勢子の小冊子を置いてくる

まだまだ研究を続ける必要がある