フィリピンの「神風特攻 敷島隊」 | 城取博幸のスーパーマーケット見聞録

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「日本人が関係した世界史」の続きです

 

大東亜戦争末期フィリピンの「マバラカット海軍飛行場」から神風特攻敷島隊の一号機が飛び立った

「敷島隊」の「敷島」は本居宣長の歌

「敷島の大和心を人とはば 朝日に匂う山桜花」

敷島は大和(奈良)

大西中将が引用して「敷島隊」と名付けた

 

特攻の創始者は海軍中将「大西瀧治郎」

「特攻の父」「統率の外道」と呼ばれた男

最後まで徹底抗戦を天皇に上申していた男

私はフィリピンに渡る前に墓参りも行った

実際はどうであったのか現地を訪れ見てみたいと思った

 

マバラカット旧日本海軍東飛行場、西飛行場、大西瀧治郎平和記念碑を訪ねてみた

 

マバラカット旧東飛行場跡と特攻兵士の像

道路のすぐ脇にある

神風 AIRFIELD

説明文

鳥居は下のヌキの両端が切れている

靖国神社も同じだ

特攻の像

周りがよく整備されていてゴミ一つ落ちていない

常にこれだけ整備されていれば荒らされることはない

後ろの壁の左側

これはフィリピンをイメージしているのか

こちらは旭日旗と同じ

日本人離れした顔のように見える

知覧にある特攻の像と似ているが違う

脇の支柱

まだ新しい

「世界人類が平和でありますように」

枯草、枯れ葉の山

キレイに掃除されている

ほうきではいた跡がまだ残っている

たぶん毎日掃除されているのであろう

 

これは誰が建てのか?

ネットで拾ってみた

敵国であったフィリピン人が日本の特攻隊のために慰霊碑を建て管理している

涙の出る話だ

 

大西瀧治郎中将の妻「淑恵」さんもここを訪れている

 

 

「マバラカット西飛行場跡」

もう一つの飛行場跡

ここは管理地になっていて入場許可が必要だ

ここもキレイに整備されている

「第二次世界大戦に於いて日本神風特攻隊が最初に飛び立った飛行場」と書かれている

手前は献花台

小さな観音像と特攻隊の像

「世界に平和を 比日に繁栄を そして家庭に笑顔を」

線香をお供えし 合掌

特攻のおかげで今の日本がある

花束が落ちている

 

隣に何かる

説明文

洞窟が見える

ここに司令部であったのか

奥に山が見える

特攻機はこの山を目印にレイテに飛んだ

日本海軍の飛行場跡か

 

「大西瀧治郎平和記念碑」

赤の鳥居が見える

こちらに人が向かってくる

たぶんここを管理している人であろう

説明文

これが記念碑だ

ここも地元の人が管理している

周りに盆栽が置かれている

盆栽が趣味だと話してくれた

HISTORICAL SITE

JAPANESE NAVAL AIR FLEET HEADQUARTERS

ここでも線香をお供えし 合掌

多くの日本人が訪れて欲しい

 

管理者が洞窟を案内してくれた

当時のままだ

洞窟内は立穴がいくつも存在する

穴に落ちないなよう注意して進む

温度が低いためハンモックも

訪問する場合はチップが必要だ

左に建造物の跡がある

立派な橋

この川で

大西中将が涙ながらに訓示をおこなった場所

一人一人握手をして送り出した

奥に川が見える

 

海軍大尉「関行男」が特攻第一号と言われている

関の前に特攻があったようだが記録が残されていない

 

ついでにと言っては失礼だが

特攻は鹿児島知覧(陸軍)、鹿屋(海軍)が有名だが

宮崎でも特攻が行われたことも忘れてはならない

宮崎空港の近くにあるので一度訪れたらどうでしょう

知覧、鹿屋は訪問したが、宮崎にも特攻基地があったことは知らなかった

鎮魂の碑

遺書

門柱跡

短いが滑走路も残っている

 

特攻を考える

特攻の賛否を含めて私なりに考えてみた

興味のある方は見ていただきたいと思う

 

大西瀧治郎の墓

大西は腹を切り溢れる血の中で破顔しながら絶命した

「死ぬときはできるだけ長く苦しんで死ぬ」

辞世の句

「これでよし 百万年の仮寝かな」

妻淑恵さんの建てた特攻観音

大西の死後35年間慰霊行脚を行った

最後の言葉は「私得しちゃった!」

周りに助けられたという意味だろう

 

「寄らば切るぞ」「鯉口を切る」

天皇陛下は敗戦が近づく中

「このまま降伏したら日本は亡国になってしまう」と言われた

「亡国」とは国が滅びること

何か意地を示さないと戦後の交渉が有利にならないという意味だ

連合軍は本土決戦を行えば100万人の犠牲が出ると予測していた

連合軍は「日本人は何をするか分からい」と恐れていたのだ

 

「鯉口を切る」

76年も日本は戦争をしなかった

特攻と本土決戦の覚悟はその後「寄らば切るぞ」と言う威嚇が生きていた思う

「鯉口を切る」行為は刀を抜かなくとも威嚇になる

刀を抜かないことに意味がある

 

特攻は「犬死」ではなく「戦後の日本を守ってくれた」と思った方が救われる

「犬死」とは、「何か意味のあったつもりでも、結局は何の役にも立たず、名誉にもならない死に方」

「ガダルカナルの戦い」「インパールの戦い」「サンダカン死の行進」は犬死

 

岸田首相が訪米して、日米比の連帯を訴えた

迷惑をかけたフィリピンと、かつての敵国米国と一緒に他国の脅威に向かうことになる

 

レイテ島でも8万人以上の日本兵が亡くなっている

日本兵だけでなく米軍の無差別爆撃で多くのフィリピン人も亡くなっている

乗りかかった船、ここも慰霊旅行をしたいと思っている