城取博幸のスーパーマーケット見聞録

城取博幸のスーパーマーケット見聞録

城取博幸が国内外のスーパーマーケットを回り、ヒットしそうな商品紹介を
して行きたいと思います。

「鎮安堂(飛虎将軍廟)」

台南市内と安平の中間地点にある廟

タクシーで行くのが一番便利だ

ここはお寺ではなく廟だ

このりっぱな廟は?

御本尊の右側に「日の丸」と「旭日旗」

いったい誰を祀る廟なのか?

「飛虎将軍」と書かれている

御本尊

旧日本軍パイロットを祀る

 

その隣に旧日本軍の銅像が

これには驚き

太平洋戦争中、米軍機に襲撃されたが、住宅街に被害が及ぶのを避けて田畑に墜落して命を絶った

「杉浦茂峰兵曹長」を祀った個人の廟

現在の廟は1993年に建て直されたもの

ここを維持管理している地元の人には頭が下がる

写真と資料

左は当時の廟か

「廟」とは霊を祀る建物

個人の廟があることは名誉のことだが管理維持が大変だ

線香を買ってお参りする

日本人はもっと多くお参りして欲しい

日本の新聞

「台湾で祀られている零銭パイロット」

「なぜ台湾人は世界一親日家なのか?」

 

台湾には他にも日本人の廟がある

嘉義の近くの「富安宮」

日本統治時代、日本人巡査「森川清治郎」が祀られている廟

日本統治時代総督府が、村民から新たに漁業税を徴収することを決めた

森川巡査は貧しい住民のための台南州東石支庁に減税を願い出た

しかし、洲支庁は逆に「住民を扇導している」と森川巡査を懲戒免職とした

森川巡査は板挟みになり悩んだ末自決した

住民たちは追悼のため「義愛公」として祀った

 

高雄「紅毛港保安堂」

大東亜戦争時バシー海峡に沈んだ旧日本海軍の第三十八号哨戒艇とその艦長を「海府大元師」とあがめ、70年以上に渡り戦争で亡くなった日本人兵士145名の英霊を祀ってきた

そこには安倍元首相の銅像がある

安倍元首相はその英霊を日本に迎え入れる約束をしたが銃弾に倒れてしまった

今の総理大臣はそれを無視

台湾はそれに感謝して「台湾の永遠の友」として銅像を建てた

 

「茂木先生」がユーチューブで紹介している

 

「日本人が関係した世界史」の研究で、台南と高雄を訪れ、慰霊と感謝の意を表そうと思っています

 

「霧社事件」記念碑

日本軍とセデック族との戦い

これはまたの機会に

 

台南の生鮮市場の近くにある「阿村 牛肉湯店」

デリバリーも行っているようだ

鮮度の良い牛肉とボイルされた内臓肉を並べている

スライサーで切った肉ではなく、厚さから手切りのようだ

牛肉湯と薬味(生姜と酢)

ここも半生

大豆の発酵味噌

それと一緒にいただく

これがうまい

麺が入れば「牛肉麺」だ

糸は引かないが納豆のような味

これは土産に買って帰るつもりだ

連れは内臓肉の透き通った湯

これもうまそうだ

両方食べておけばよかった

 

もう一軒

「涼麺」の看板が目に留まる

台湾涼麺はどんな味か試してみる

最近は台湾のセブンイレブンでも日本式冷し中華は売られている

メニュー表

店内の壁はタイル張り

掃除が楽で衛生的だ

涼麺を注文してから不安がよぎる

茹でた後の麺はまさか水道水で冷しているのでは?

台湾の水道水は飲むことができない

キッチンを見ていると、茹でた麺を蓋に穴が開いた保存容器に入れて氷と浄化水?を入れてシャカシャカ振って水を切っている

なかなかの発想だ

スープが少なく味も薄い

各自調味料で味をつけるようだ

それでも食べていると次第に慣れて完食

店主から勧められたメイュー

ドロッとした中華スープ

鶏肉にでん粉をまぶして煮ているため

鶏肉はとても柔らかい

もう一品店主が薦める料理は「フーションハオ」

食べるのに勇気がいる料理だ

この料理は

米をつぶして肉、野菜と一緒に混ぜお椀に入れて蒸したもの

上にソースがかかっている

これもおいしい

日本にはないメニューだ

台湾滞在中、B級グルメ、カフェメニューなど約20種類いただいた

台湾料理は薄味で日本人によく合うと思う

どれも口に合わないものはなかった

 

台南ブログ続き

「安平古塁」

台南市内からタクシーで安平へ

天気はよいが暑い

「安平古堡」の歴史

1624年、オランダ東インド会社によって築かれた台湾最古の城堡

400年前の建物

当時は「ゼーランディア城」と呼ばれていた

1662年に「鄭成功」がオランダ人勢力を駆逐し、鄭氏政権3代にわたった居城

ちなみに、鄭成功の母親は平戸市市川町の「田川マツ」

海に近いため日本統治時代には城砦が整地され「税関宿舎用地」となった

第2次世界大戦後は「安平古堡」と命名され博物館や展望台に転用された

麓氏を感じさせる当時のレンガ造りの壁

風化が進んでいる

レンガはわざわざインドネシアから運ばれたという

レンガ部分は風化が進んでいるが

よく見ると、レンガの表にモルタルのようなものが塗られている

これは統治時代に日本が整地した証拠か

見た目は悪いがレンガはしっかり保存されている

剥がす必要もないと思う

レンガの積み方

この壁は上の部分と下の部分ではレンガの積み方が違う

上の部分は「現代積み」で1枚のレンガをそのまま使っているが

下の部分は大きなレンガの下に半分のレンガが交互に使われている

これが「イギリス、オランダ積みレンガ」

日本の横浜倉庫や平戸のオランダ商館跡もこの積み方

この積み方の方が強度があると言われている

 

「熱蘭遮城博物館」

入口の「オランダ東インド会社」のマーク

多くは年代が一緒に書かれている

説明文は日本語もある

当時の港

中学生がメモを取りながら熱心に勉強している

「歴史を学ばない国は亡びる」

オランダ東インド会社が扱っていた穀物

 

展望台

入口

館中は資料館になっている

日本語の説明もあるので、時間のある人は時間を割いてはいかがでしょうか

角型螺旋階段

いいデザインだ

展望台からの景色

日本の天守閣から見たような景色だ

古いガジュマルの木が茂る

地面の案内板

日本風建物が

「徳記洋行」

イギリス人が開設した貿易会社

瓦を使った日本建築

こちらは洋風建築

墨字の展示をしている

 

「安平樹屋」

長い年月経てガジュマルが茂ってしまった倉庫跡

手を加えないとこうなる

これがおもしろい

ガジュマルに覆いつくされているが、ちゃんと管理されていて危険性は少ない

芸術的だ

ただし蚊が多いから注意

これも歴史

ここのレンガの積み方は「長手積み」

レンガの大きさも厚さも違う

 

「安平豆花」

台湾スイーツのチェーン店

「豆花」が名物

200円~350円と安い

店内はガラガラだがすぐに満席になる

私は抹茶のかき氷オンザアイス

かき氷はキメが細かいカット

冷凍から出してきたので作り置きしてあるようだ

連れは「豆花」

これが名物

 

夕食は「台湾料理」

連れとは今日でお別れなので台湾料理を一緒にいただく

一人では量が多すぎるためこういう店には入れない

メニュー

台南の外食店はクレジットカードが使えない店が多いため、事前に確認する必要がある

私の手持ちの現金は400ドルのみと心細い

翌日銀行で両替する

蒸し鶏

酒蒸しなのか身は柔らかい

麻婆豆腐

全く辛くない麻婆豆腐

蟹と野菜の炒め物

小さな蟹のむき身がたっぷり

火加減、塩加減が丁度いい

あっさりとした味付けで野菜はパリパリ

これが名物の鮮やかな緑色のスープ

「あおさ」なのか「緑野菜」なのかは分からない

野菜と海産物が入っていてうまい

白身魚の蒸し物あんかけ

これも味は薄め

最後はエビチャーハン

台湾料理店のチャーハン、焼きそばはハズレがない

ごはんはパラパラ

日本人はチャーハン、焼きそばを食べると安心する

私は台南はまだ2日間滞在するためスーパーマーケットも視察する

B級グルメも堪能する予定だ

 

「日本人が関係した世界史」と「台湾食文化の研究」

台南のブログを続けます

 

台南2日目は「八田與一(よいち)」のつくった「鳥山頭ダム」へ

「台南駅」より「隆田駅」まで在来線で移動

駅を降りるとタクシーが待っているため「観光2時間チャーター」をする

予約はいらない

主な場所回ってくれてツアーに参加するより格段に安い

駅前

日本の地方の駅前によく似ている

田園風景

これも鳥山頭ダムの恩恵

ここで大きな里芋が栽培されているらしい

夜市では団子で売られていた芋

 

「鳥山頭水庫」

1930年、日本人技師「八田興一」がコンクリートをほとんど使わないダムを鳥山頭に完成させた

このダムのおかげで干ばつや水害の多かった大地が台湾最大の穀倉地帯になった

台湾の教科書にも載っている

 

「八田技師記念堂」

館内は日本語の説明があるが撮影禁止

当時の貴重な写真が展示されている

当時のレンガ

ここは八田の妻が入水自殺をした悲しい歴史がある

放水口

巨大な放水便

噴水

 

これがコンクリ―をあまり使わない八田式のダムだ

線路を敷き蒸気機関車を走らせ上から土砂を積んだ

巨大なダムだ

94年経過しても満々と水を溜めている

日本の土木技術はスゴイ

鳥山頭案内図

観光客は殆ど台湾人

記念碑

ここの階段はどう見ても神社の参道

登ろうとするとドライバーが「上には何もない」と言う

終戦後破壊されたのであろう

これは鳥居だったはずだが加工されている

 

八田興一銅像へ

林の中に銅像が

右は墓か

思ったほど大きくない

 

「八田與一」(1886年~1942年)

石川県金沢市に生まれ、1910年東京帝国大学工学部土木科を卒業

台湾総督府内務局土木課の技師として就職

初代の民生長官は「後藤新平」

八田は28歳で当時着工中であった鳥山頭の水利工事を完成させ高い評価を受けた

 

1942年、陸軍の命令により客船「太陽丸」に乗船

五島列島付近でアメリカの潜水艦の雷撃で沈没し死亡した

 

1945年、妻の「外代樹(とよき)」は夫の後を追うように鳥山頭ダムの放水口に投身自殺を遂げた

花束が供えられている

英語と日本語の説明文

鳥山頭ダムを見下ろす高台

八田夫婦の墓

墓に向かう道にはおもしろいことに入口が二つある

これは「神道」の入口

こちらは「仏教」の入口

敷石も違う

 

この建物は

ダム建設に当たった蒸気機関車

人海戦術ではなく線路を敷き、土砂を積んだ貨車が斜めになり土塁をつくった

土砂を掘り出す機械

 

トイレ近くの給水

鳥山ダムの水だ

これは記念に飲んでおきたい

 

八田與一記念公園

八田宅

改装中なのか中には入れない

説明文

執務室

ガラス越しに見る

テラス

本人がい今にも現れそうな雰囲気

八田外代樹(はったとよき)

婦人は八田と同じ金沢生まれ

日本が降伏文書に調印する前日に夫が作り上げたダムの放水路に入水自殺した

45歳であった

遺書の最後に「みあと慕ひて我もゆくなり」と記している

完成(1930年)から94年、鳥山頭ダムを守り続けている

関係者の社員寮

建物は2011年に再現され、金沢市民からの寄贈された古い家具で飾られているという(内部は見学できず)

「絆の桜」日本国内閣総理大臣「森喜朗」

のどかだが

戦争の傷跡は残る

防空洞(防空壕)

人々が空襲を避けるために使用されました

ポツンと井戸が

こんな花が

 

八田興一記念園場

内部の展示

説明文

八田苦悩

ダム建設中に「関東大震災(1923年)」が発生し、大幅に予算が削られた

八田は有能な人間から先にリストラを行った

なぜなら有能な人間は他に就職先があるからだ

人手不足になりながら執念でダムを1930年に完成させた

ダムによる農業の発展

台湾は豊かになった

ここでは二期作、三毛作が可能だという

二期作は同じ作物2回収穫、二毛作は違った作物を3回収穫できる

主要地図

売店

八田という酒が販売されている

土産物

ミネラルウォーター

鳥山頭ダムの水であるかは定かではないが

保存、管理、展示、教育を行っている台湾の方々に感謝し鳥山頭を離れる

 

台南市内の「水仙宮市場」

昔ながらの生鮮市場だ

残念ながら休日であった

営業している場所もある

農作物は待ってくれない

この名は分からない野菜

ねぎ坊主

これはバナナの皮の塩漬けか

たぶん包装資材として使うのであろう

かぼちゃ

これが巨大里芋

巨大ズッキーニ

きくらげ

 

ここがおもしろい

青草茶

生の茶と乾燥茶が置かれている

漢方薬か

「茶」と「原汁」と書かれている

 

近くの寺院

見事な龍の彫り物がある柱

台湾の寺院は宗教的には「仏教」「道教」「仏教道教混合」「民間信仰」など

隣はお札などを焼く焼却炉

脇の道を進むと

商店街へ

 

台湾素食

「素食」とは台湾の「精進料理」ビーガン、ベジタリアン系料理

素食屋は寺院の近くによくある

日本の明治以前の食事とよく似ている

 

台湾のベジタリアン事情

台湾のビーガン、ベジタリアンの比率は約10%

素食屋は新旧合わせて台湾全土に約6000店

日本は4% この比率からすると2400店あってもおかしくない

時間はかかるが将来性はあると思う

客は好みのおかずを皿かトレーに盛る

手前は汁ものと麺類

手前は皿とトレーが置かれ、有料なのかビニール袋に詰める人もいる

好きなものを好きなだけ選べる

これが昔からの素食スタイル

早い時間に行った方ができたてを確保できる

これが「代替肉」「大豆ミート」

皿に盛り合わせてみる

上4品は代替肉、他は野菜料理

素材の味を生かした薄味

これでいい

連れはトロミの付いた汁ものにご飯

これもうまそうだ

台湾の灌漑事業、農業事情、生鮮市場、寺院、素食屋の流れで体験できた

次回は市内観光とB級グルメを紹介します