~小谷城年表~
- 1525年までに浅井亮政により築城
- 1525年、南近江守護の六角義賢により小谷城が攻められる
- 1538年、再び六角氏の攻撃を受け、籠城
- 1553年、浅井久政は地頭山の戦い
で六角氏に惨敗。その後は六角氏に従う - 1560年、浅井長政は六角氏と訣別。野良田の戦い
で六角氏を破る - 1567年頃、長政、織田信長の妹お市を娶り👰織田と同盟す
- 1570年、浅井軍、越前朝倉氏領の敦賀を攻める織田軍を背後から攻撃(金ヶ崎の退き口)。同盟は破綻
- 1570年、姉川の戦い

- 同年、志賀の陣

- 1573年、大嶽城が落城。同盟軍の朝倉氏が織田軍の追撃をうけ滅亡

- 同年、小谷城は落城
。浅井氏滅亡
- 同年、信長に近江を与えられた羽柴秀吉は新たに長浜城を築城。以降、小谷城は廃城となる
↓本丸より堀切底を見下ろす

↓大堀切

本丸と中丸の間を区切る大規模な堀切。
大規模すぎてカメラ
に収まり切れん。。
↓大堀切_説明

↓御局屋敷跡を見下ろす

城主の妻や家族が居住した空間と考えられ、お市もここに暮らしたかも。
↓中丸石垣

↓中丸跡

三段からなる曲輪。
↓刀洗池

とあらいいけ、と読むそうな、

↓小丸跡

久政が引退後に居住し、自刃した場所。
↓山王丸石垣

いよいよ城内最大の石垣がみられるエリアに到達したようだ。
↓山王丸石垣2

崩され散乱する石もたくさんあった。
赤尾屋敷との分岐点に戻ってきたが、ガイドの方はスルーしようとしたので(完全にやる気無し?)、こちらから声掛けする必要があった。
↓赤尾屋敷跡

↓浅井長政自刃の地

浅井長政は最後まで抵抗を試みたが、ついに赤尾屋敷に追い詰められ、ここで自刃した。
↓浅井長政公自刃之地碑

↓赤尾屋敷跡の切岸

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↓小谷城戦国歴史資料館

降りてきた。
↓大手登城口

↓磯野屋敷跡

磯野一員(かずまさ)ゆうたら、佐和山城主やね、一時。
↓清水谷

右手のやまが小谷山。ちなみに正面の山、左の山にも砦があったようだが、行く体力は無い。
↓大手門跡_遠景

さらばじゃ、小谷城。。
前方に見える山は虎御前山・・・やと思う。
↓浅井長政・お市像

河毛駅前にある、浅井長政・お市像を見ておくか。
↓浅井長政・お市像2

逆光でお顔はよう分からんわ。
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↓虎御前山公園

虎御前山の麓までやって来たが、どれぐらいかかるのか、しんどいのか
登るのを躊躇してしまい、結局やめてしまった。
↓虎御前山案内

虎御前山には、織田軍が小谷城攻めのために築いた砦跡が今なお残る。






