~柏原藩年表~
- 1598年(慶長3)織田信包に丹波氷上郡のうち3万6千石で柏原に居を構える
- 1645年(慶安3)3代藩主織田信勝が継嗣無く死去し、天領となる
- 1695年(元禄8)大和松山から織田信休が2万石に減封で柏原に国替え。以降、明治維新まで織田氏
- 1714年(正徳4)柏原藩陣屋と長屋門が完成する
- 1818年(文政元)陣屋が火災
で焼失
- 1820年(文政3)陣屋再建
↓上段の間

案の定、屋内は暗くて、カメラの性能上うまく撮ることができなかった。上段の間以外の画像はカットする。
↓表御殿_南側

縁側には庇がつく。
↓表御殿_式台部分

玄関部のみ桧皮葺き。を横から。
↓鬼瓦

鬼瓦っていうか鬼板。
金色に輝く織田木瓜紋。修復のさい、正しい細瓜紋に直したとの事。
↓北側は改築か

一部を除いて昭和以降の改築。
寄棟造りで屋根は桟瓦葺き。
↓たんば黎明館

ふと左手を見ると、大正チックな建物が。正面に回り込んでみよう。
↓たんば黎明館_正面

おっしゃれー

たんば黎明館はレストラン
、カフェ
、会議室などに利用されている。もと学校の校舎だったってよ。。


↓旧氷上小学校校舎_説明

明治18年の築。
擬洋風建築の木造二階建ての校舎として建てられた。
※ ※ ※ ※ ※
次は織田家墓所へ向かう。
↓柏陵記念館

徒歩5分。墓所への道中にあった柏陵記念館。柏原高校敷地内にある。
↓柏陵記念館2

こっちは明治30年築。
旧柏原尋常中学校本館の一部を移築改修したもの。
↓マンホール

あ、木の根橋の図柄になってる。
↓織田家廟所へ

さらに北東へ。
案内←があるので迷わない。
↓織田家廟所門

着いた、ここか。
立派に門までこさえてるんですね。
↓織田家廟所の碑

↓織田家廟所_説明

織田信休以降歴代の藩主とその家族の墓所。
↓石段と土塀

墓所まではなだらかな坂になっており、石段と土塀が続いているのたが・・・
土塀が朽ちてしまって、中の土が剥き出し状態やん!
おかげで土塀の造りがよくわかるけど。

↓初代~三代までの藩主の墓

入口から向かって左手を見る。右から三代信旧、初代信休、二代信朝の墓。
↓四~八代藩主の墓

右奥から四代信憑、五代信守、七代信貞、六代信古、八代信敬。
・・・信憑って何か変わった名前やなぁ、不吉な感じするけど、何と読むのやら。。
↓九代藩主の墓

九代信民だけ右手にある。
↓奥村川

時間はまだあるな。
再び西へ戻って柏原八幡宮へ詣でようっか。
↓桃の木

↓柏原八幡宮_一の鳥居

くぐってから撮った一の鳥居
。

↓柏原八幡宮_参道

すわっ!ここにきてのこの段数か~

黒井城でかなり足が疲弊してんのにな~

ええい、でももう行くしかない

↓手水舎

ひぃふぅ。。足が痛いよ~~・・・(;´Д`)
明日以降しばらく筋肉痛は確定ですわ。。
↓鳥居

やっと着いたべや、
