山陰旅行一日目、
JAL2341便
は8時過ぎに出雲に到着。すぐさまリムジンバスに乗り込む。

↓大橋川

リムジンバスから見えた大橋川。
宍道湖と中海をつなぐ川であり、潮位の影響で逆流
する事もある。

くにびき大橋から松江新大橋を見たとこか。
↓松平直政公像

松江駅からバスを乗り換え、9時くらいに国宝松江城県庁前で降りる。
降りたら城とは反対方向を見る事を忘れずに


県庁前広場に悠然と佇む松平直政公像。
松江松平氏の初代藩主。結城秀康の子、徳川家康の孫である。
上総姉ヶ崎→越前大野→信濃松本→1638年、出雲松江18万6千石の藩主となった。
↓松平直政公像_説明

台座は昭和2年のもので、像は戦時の金属供出で失われていたが、平成21年再建された。

この像は14歳の初陣のとき、真田丸に進撃した姿。その勇猛果敢ぶりは真田幸村をうならせたという。
表情まではよく見えないなー

↓天守見えた

県庁前広場から、早くも天守が見えた。
手前は南櫓であろうか。
↓京橋川と二之丸石垣

北へ歩いてすぐ、堀際に出た。堀は堀だが京橋川という川の一部のようだ。
↓千鳥橋

城の南玄関である千鳥橋。
城内へ入るには4つの橋がかかっているが、その一つ。
御廊下橋ともよばれ、かつては屋根つきだった。
↓三之丸跡

その千鳥橋からカメラを左へまわすと、三之丸跡。現在は島根県庁がある。
石垣は残ってるな。
↓南櫓と中櫓

二之丸石垣の上に注目すると、左が南櫓、右が中櫓。
これらは現存建造物では無く、復元。
↓国宝碑と史跡碑

松江城は昭和9年、史跡指定。
平成27年、国宝指定された。
↓堀尾吉晴公像

大手入口前に立つ、堀尾茂助こと堀尾吉晴
公像。
秀吉の臣であり、子の忠氏が関ヶ原の戦いで活躍(小山軍議での活躍かな?)した事により、出雲・壱岐24万石が与えられた。
↓堀尾吉晴公像2

見事に逆光
である。

忠氏に先立たれた吉晴は孫を後見。月山富田にあった本拠を松江にうつし、松江城を築城した。
像は普請の指揮をとる姿を表した。
↓堀尾吉晴公_説明

5年かけ、いよいよ完成間近となった1611年6月、吉晴は惜しくも69歳で死去してしまう。
苦労して建てたのに、堀尾氏の統治はわずか22年(嗣子なく断絶)で終わってしまう。

背中は順光である。
ちなみに堀尾吉晴といえば、豊臣政権下で中老職にあった、と記憶していたが、近年ではそのような職は無く後世の創作では?と云われている。
↓遊覧船乗り場

堀川遊覧船のりば。
料金は1600円(24年9月現存)15~20分間隔で所要時間は50分。余裕のある方はどうぞ。
↓京橋川と二之丸石垣(東)

↓城下町まちあるきマップ

松江歴史館も行きたいけど、時間無いし武家屋敷を優先かな~。
↓松江城案内マップ

このまま大手から入り、3つの櫓を見てから本丸へ、本丸の北から北惣門橋と宇賀橋を渡って塩見縄手へ。の予定。
↓大手木戸門跡

では、お邪魔しまんにゃわ。。
まずは正面の、威圧感ただよう石垣。高さ13mは城内で最も高い。
塀の狭間から総攻撃、は~じま~るよ~~



↓馬溜跡

入ってすぐの広い長方形スペースは馬溜、または外曲輪。外枡形って事やろな。
↓馬溜の様子

入って少し右を見たの図。
右手には大手門石垣が。その手前に井戸跡。高い石垣の上には太鼓櫓。
↓大手門跡

大手門も石垣も明治時代に破壊され、左右の石垣は復元ではあるが、間口の広さから巨大な門だった事が伺いしれる。
二階建てだったようである。
↓大手門礎石跡

礎石は当時のものなので、それはそれは立派な門かと。
↓松江城碑

出た~、横書きなのに右から読むスタイル。
明治~大正時代に建てられたであろう、こういう城跡碑とか顕彰碑の類い、よくあるけど存在が無視されがち。
ぷにゅたは好きやけどな~。読めんけど。
↓中櫓と太鼓櫓

ちょい待ち、この角度からだと中櫓も見えるやん

太鼓櫓、中櫓、塀、大手門櫓から馬溜に向け集中発砲
やないかい
・・・終わったな。。


↓自販機_信長バージョン?

ん、よう見たら顔にキズある
ひょっとして茂助
・・・どう見ても信長なんですけど。。


水野忠重殺害事件の際、茂助も襲われ傷を負った
らしい。。

この自販機、武者口調でしゃべるらしぃ。
御城印も買えるらしいで、わしゃ買わんけど。。
↓二之丸下の段_見取図

ここには主に米蔵があったようである。
↓二之丸下の段より天守を臨む

二之丸下の段からは木に隠れてほぼ見えないが、ここだけスポットで天守が見えた。