赤穂城!!!~その4. | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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↓義士宝物殿
義士宝物殿
この義士宝物殿も、もと湊川神社の楠公宝物殿で、義芳門とともに移築された。

義士木像や討入道具、浅野家・大石家などの宝物・日用品、大石邸庭園などを有料で展示しているが、ここは入らなかった。

↓四十七義士石像_北西側
四十七士石像_北西側
神社の参道の両脇には、四十七義士の石像がズラリと並ぶ。兵馬俑みたいやんビックリマーク
見たこと無いけど。

↓四十七士石像_南東側
四十七士石像_南東側
こっちは裏門隊かなはてなマーク

↓堀部安兵衛像
堀部安兵衛像
堀部安兵衛は四十七士きっての剣客ナイフで、討入決行に向けて重要な役割を果たした。

※ ※ ※ ※ ※

赤穂城跡を出て花岳寺へ。

↓花岳寺山門
花岳寺山門
山門は塩谷西惣門を移築したもので、築200~250年。武骨な高麗門形式だ。

↓花岳寺_説明
花岳寺_説明
正式には台雲山花岳寺
1645年(正保2)浅野長直により建立された、歴代藩主の菩提寺。

↓鳴らずの鐘
鳴らずの鐘

鳴らずの鐘

二代藩主浅野長友が父長直のために鋳造。

赤穂義士切腹の報せが届いたとき延々と突かれて以来、50年間突かれなかった。


その後、寛政9年に改鋳されている。


「義士との由緒深きにより」太平洋戦争時の金属供出を免れた。


↓二代目 大石名残の松
二代目 大石名残の松
1691年(元禄4)大石良雄(よしかつ)が母の冥福を祈り植えた松。の、二代目だが、立派なサイズになっているびっくり

↓本堂
本堂
1758年(宝暦8)再建。

「花岳寺本堂」で検索したら愛知県西尾市にある花岳寺が出てきて、そちらはなんと吉良上野介の姉が再建、などとあるびっくり

これは、果たして偶然なのだろうか!?

↓天井画 竹に虎
天井画 竹に虎

本堂の天井を見てみよう。
吉田恵理香原作、2024年NHK朝の連ドラである。主題歌は米津玄師・・・そりゃ「虎に翼」やろっビックリマーク
じゃなかった、「竹に虎」は1854年(安政元)赤穂の絵師・義信法橋によって描かれた。
竹、ぶっと。。

↓花岳寺境内案内図
花岳寺境内案内図

↓花岳寺境内案内図_右
花岳寺境内案内図_右
花岳寺には、見どころたくさん。

↓初代 大石名残の松_幹保存
初代 大石名残の松_幹保存
こちらが正真正銘、初代の名残の松。大石内蔵助が赤穂を去るとき名残を惜しんだ悲しい事から命名。

↓赤穂義士祭ポスター
赤穂義士祭ポスター
2023年は中村雅俊さんが大石内蔵助役を演じ、大いに盛り上がった事でしょう(この訪問の約2ヶ月後)。

↓忠義塚
忠義塚
寛延3年、義士の五十回忌に建てられた。

↓浅野家霊廟
浅野家霊廟
1918年建立。内部に浅野内匠守長矩(ながのり)の墓がある。

↓森家墓所
森家墓所

1706年(宝永3)以降、藩主となった森家の墓所。森家は途中で改宗したため、全員ではない。


↓浅野家三代の墓_説明
浅野家三代の墓_説明
浅野家で一番やらかした(刃傷沙汰)長矩は霊廟付き、他のお方は屋根無しっていう、これもまた歴史の面白さ・・・もちろん、彼らの墓所も十分立派なのだが。。

↓浅野長友の墓
浅野長友の墓
左から見ていく。
赤穂藩二代藩主、浅野長友。内匠守こと長矩の父である。

↓浅野長直の墓
浅野長直の墓
真ん中は初代藩主、浅野長直。花岳寺を建立した人物だ。

↓浅野長重の墓
浅野長重の墓
右は浅野長重
浅野長政カブトの三男で、兄は紀伊和歌山藩主の幸長、長晟。兄たちとは別に常陸笠間に立藩された。

戒名「華獄院殿~」と読めるが、ここから寺号は華獄寺→花岳寺となったようだ。

↓大石頼母助良重の墓
大石頼母助良重の墓
家臣達の墓にあって、彼だけ付箋がつけられていたのでつい参拝お願い

なんでも家老職にあって、甥の幼少期の内蔵助こと良雄を後見した人物とか。
「西郷頼母」やったら知ってるけどなぁ。。

↓義士墓所
義士墓所
いよいよ本丸?の義士墓所内へ。
1739年(元文4)造られた墓所。

↓浅野内匠守、大石内蔵助、大石主税の墓
浅野内匠守、大石内蔵助、大石主税の墓
墓所内中央に3基の墓、中央が浅野内匠守長矩、右が大石内蔵助良雄、左が大石主税(ちから)良金の墓である。

義士最年少の主税は享年16でありながらこの扱いは驚きだびっくり

↓赤穂義士らの墓
赤穂義士らの墓
3基を囲むように、ズラリと並ぶ義士たちの墓。
本当の墓は切腹した東京の泉岳寺にあるので、ここには遺髪が埋められているそう。ホントかなはてなマーク

※ ※ ※ ※ ※

この後、義士木像(撮影不可)などを鑑賞し花岳寺を出た。

↓息継ぎ井戸
息継ぎ井戸
駅を向かう途中に見つけた息継ぎ井戸

早水藤左衛門、茅野三平が早駕籠で主君の凶報をもって江戸から駆けつけた際、この井戸でひと息ついてからジュース赤穂城内の大石邸へ入ったという。

水飲んでんと、早う報せぇやビックリマーク
ま、喉がカラカラでは口上も上手く伝えられんかな。

↓駅前の大石内蔵助像
駅前の大石内蔵助像
颯爽と采配を振り上げる大石内蔵助像

大石内蔵助像2
別角度より。

↓大石内蔵助像_拡大
大石内蔵助像_拡大
遠目にはカッコいいビックリマーク
が、ズームしてみると何か顔はイビツな感じがした。風化はてなマーク

↓播州赤穂駅
播州赤穂駅
播州赤穂駅から快速で帰る。お土産はもちろん、赤穂の塩🧂である。


おわり。。。