五條駅から新町通りを西へ。その後北上し、五條市民俗資料館までやってきた。。
↓史跡公園概略

五條代官所の長屋門を含む、機関車など展示している一帯を、史跡公園とよんでいる。
↓明治維新発祥の地碑

公園内にある石碑。
土佐脱藩藩士らが中心となって結成された天誅組ではあるが、明治維新につながった義挙として評価すべき
だとしている。

※ ※ ※ ※ ※
さらに北東へ歩き、五條市役所へ。
↓五條代官所跡

ここ市役所前に(市役所は近年他の場所へ移転)石碑や説明書がある。
天誅組に襲撃を受けたほうの、五條代官所の跡地である。
↓天誅組と五條代官所_説明

尊王攘夷(そんのうじょうい)の志篤い連中
が、先走ってしまった。代官・鈴木源内を殺害し、代官所を焼き払う
。


どれほどイカれた行いなのか、現代で例えれば・・・警察庁長官を殺害し警察所に放火、いや、交番を襲って巡査を殺害、、ちょっと違うか。。
※ ※ ※ ※ ※
新町通りへ戻り、再び西へ。
↓新町松倉公園

古い町並の一角に、急に拓けた真新しいエリアが出現した。新町松倉公園という。
↓松倉豊後守重政之碑

肥前国有馬日野江4万3千石へ加増転封されるまえ、大和二見に1万石余で八年間、統治した。
その間、緒役免許の特権を与えるなどして商家を集め、新町通りを新設して大いに賑わったという。
そう、島原のA級戦犯が、ここ五條では「良いお殿様
」として顕彰碑まで建てられ慕われているのであった
。。


↓柿本家住宅

新町松倉公園のすぐ前にある柿本家住宅。
大正元年の築で、新町で唯一の土蔵造り。でも、特徴的な二段のうだつ、見逃しとるゾ

↓旧国鉄五新線鉄道構造物群

さらに西へ歩き、寿命川まで来た。
川沿いに建つ、五新鉄道高架橋の残骸。
↓幻の五新鉄道_説明

五條市~和歌山県新宮市間を結ぶべく、昭和12年から着工されたが、太平洋戦争などの影響で開通する事無く、工事は中断された
。

予定ルートを調べると・・・新宮市まで山ばっかりやん
トンネル造ったり
メチャクチャ大変やん。無理ゲーwww



吉野川を横断しようとする高架の一部がそのまま放置され、現在に至る。
↓幻の五新鉄道_高架
