高田川からさらに東へ足を延ばす。
↓教行寺山門

真宗大谷派の寺院で、別名は箸尾御坊。
本願寺蓮如が開基し、各地を転々としたのち箸尾へ落ち着いた。
↓教行寺_説明

↓教行寺本堂

江戸時代末期建造の本堂。
↓獅子瓦

屋根には厄除けの獅子、あるいは麒麟か。
↓古い町並み

古いもの、嫌いじゃない。。
↓堀の名残り

ほっそい川(側溝?)、どうやら堀の名残りらしーな。

堀跡ってあんた、今回は城攻め忘れてお花見に来たんちゃうのん

↓箸尾城址碑

城跡、来とるやないかい
やっぱり近くに城跡あったら、ついでに寄っちゃいますよねー。

↓城址碑

箸尾城は、箸尾為方が1417年(応永24)築いたといわれている。
箸尾氏は元々荘園・長川荘の荘官で、長川党のドンだった。
↓箸尾城跡_説明

大和の豪族(箸尾氏、筒井氏、越智氏、十市氏)を大和4家という。
戦国時代には、箸尾高春という人物が活躍?した。
1580年、信長の命により大和は郡山城以外の城を破却。箸尾城もこの時、廃城となったと考えられる。
↓城址碑_裏面

裏面には「昭和十年建立」とある。
↓箸尾城跡

~箸尾高春~
筒井順慶の妹を娶り、和睦したのちも裏切りと従属を繰り返した人物。
筒井氏が移封されたのちも存続し、関ヶ原の戦い

では西軍に属して高取城を攻めたため、改易された。
大坂の役では大阪方の誘いで大野治房麾下となり奮戦

。大坂夏の陣で討死したか定かでない。
・・・没落パターン

の王道、邁進してますね。。

城の廻りをぐるっと環濠が巡る、中世の典型的な集落だった、と考えられている。
↓箸尾城跡2

↓馬見丘陵公園

馬見丘陵公園に戻ってきた。
↓ミツバツツジ


↓チューリップ園

↓クンシラン

この日は公園の南端から、近鉄
五位堂駅へ向かうバスが出ていた(バスの無い日あり注意

)ので、そちらから帰った。
おわり。。。