↓多門櫓跡土橋から見た極楽橋

本丸石垣の方が数段高い、というのがよくわかる。
↓続日本百名城記念碑

土橋を渡る、思たら渡らんのかい

↓竹林橋櫓跡

南側の竹林橋から、本丸を出る。
↓内堀南_竹林橋より

橋より左手(東側)の堀。
写真左隅に土橋。土橋は本丸と毘沙門郭の、最南端にあるのがわかる。
↓竹林橋櫓跡_城外より

かつては脇の両石垣にかけ、櫓門があったようだ。
柳沢神社
への参道となっている。

↓竹林橋跡碑

竹林橋は現在では土橋だが、かつては木橋だった。
明治になって柳沢神社をここへ移転する際に、重量に耐えられるように土橋化した、とも言われている。
↓柳沢神社_鳥居

創建した時(明治13年)は現在の郡山高校(二ノ丸跡)にあったが、僅か2年で現在地に遷された。
↓郡山城跡由来

風化してきて読みづらい。
小芝風花(ふうか)。←オヤジギャグはスルーして下さい
↓内堀東

右前方に追手東隅櫓。
これは前回、鯉の群れを撮った堀やね。
↓鉄御門方面

右手に白壁が続くが、郡山高校の壁。通学路やろうね。
↓表門跡

二ノ丸屋形の表門跡。
現在では郡山高校の通用門だ。
↓土橋越しの極楽橋

左の本丸と、右の柳沢文庫をつなぐ二つの橋。
↓本丸南石垣
今度は西へ向かう。
近年木々が伐採されて、石垣がかなり見やすくなった。
↓本丸南西隅

↓南御門跡

松陰門から出て左、石垣の続く道を南へ向かう。
写真は橋の上から振り返った様子。なお、近くの駒止桜の石碑は、映えないので割愛。
↓南御門跡碑

よく見ると、郡山高校の裏門らしき鉄格子扉の開いた状態で、よく見つけたな、という感じの奇跡の状態の石碑。
↓鰻堀池

南御門のすぐ南に架かる橋は、堀と堀を分断する形になっている。
こちらは北側の鰻堀池。右手の護岸石垣ははたして現存かどうか

鰻堀・・・まさか鰻の生息地ではあるまいて。
↓永慶寺山門

橋渡り、南下1分。
永慶寺は藩主・柳沢氏の菩提寺である。国替えにともない、甲斐から移転した。
↓永慶寺山門_説明

その永慶寺の山門は、移築とはいえ、郡山城で唯一のこる建造物だ。すぐ近くの南御門の門だったが、明治時代にここへ移された。
まあ、素朴な門やねー、という感じ。。
↓鷺池

橋のたもとまで戻り、南側の堀沿いの道へ。
まあまあ広い池やなー。鷺池というが、サギは居なかった。
↓鰻堀池・鷺池間の土橋

渡ってきた橋の方を振り返る。
橋の右手が南御門跡、左手に永慶寺、橋の奥に鰻堀池があった。
↓坤(ひつじさる)櫓跡か

いい感じの遊歩道を東へ。
向こう岸は郡山高校の敷地内(二ノ丸跡)。よく目を凝らすと、わずかに櫓台のような石垣が見えた。
↓砂子の間前櫓跡か
