♪恋も 二~度目~なら~、、by明菜。。
大和郡山城も以前に行ってるので、二度目となる。
前に来た時は天守台修復中で、極楽橋も無かった。現在、すでに修復を終え、極楽橋再現成っているという。
こいつは再訪せねば
↓ 近鉄郡山交番
まずは近鉄郡山駅近くにある交番
から。雰囲気を盛り上げてくれる城郭風建築物である。

↓大手堀

北上して郡山市役所前の堀。大手堀の名残で、市役所に入るには堀に架かる百寿橋を渡る事になる(現在は工事中で渡れず)。
昭和11年にRCで造られたこの橋も、現在では土木遺産に指定されている。
↓元中堀・大手橋の欄干

大手堀の東端に、大手橋の欄干のみ残る。
どっかからの移築かと思ったが、調べると場所はここで、堀が埋め立てられた結果、欄干だけそのままとなったようである。
↓頬当門跡

大手堀のある通りから。右前方が城。この通りの出口には、頬当門という門があった。その石垣がうっすら残る。
↓柳御門跡

頬当門を入り右に折れると、柳御門の石垣が片側のみ残る。
頬当門と一体で、枡形の形状を形成していたようだ。
↓城下町金魚マップ

郡山市は金魚のまちとして有名だが、1724年に柳澤吉里が入部した時持ち込まれた。
明治時代になって無職となった武士を救うため、柳澤保申が養殖を奨励したことによる。
↓中堀(五軒屋敷堀)越しの追手向櫓

城跡の東の近鉄電車線路に沿って北へ進む。
前に来たときは、五軒屋敷堀越しに見てなかった!追手向櫓。
↓五軒屋敷堀越しの追手東隅櫓

さらに北上、追手東隅櫓。
↓追手東隅櫓と多聞櫓

追手東隅櫓の北には多聞櫓、その北は土塀が続いている。
↓桜御門跡

いや待てよ、この桜御門跡は前に見たような~
記憶が曖昧である
。



近づく。割と大きな石材を用いている。
↓桜御門跡石垣

デカい石を豪快に積み上げている。
矢穴も見られる。
でも、弁慶定形石というのは見逃した。
↓線路スレスレの石垣

番所跡。三ノ丸北東からの入城を厳しく監視。
↓三ノ丸北側虎口跡

踏切を渡った所から再度。五軒屋敷堀を遮断して、石垣が城内方向に延びている。現在は近づけなくなっている。
↓左京堀

そのまま城の北へ進むが、城内へ入るルートがなかなか見当たらない。
本丸などのエリアは、深い空堀によって守られているんだな~。
↓左京蓮池

城の真北あたりか。この辺は水堀、ていうか池

↓左京堀と土居

土居の向こうからこっちへ来て、振り返ったところ。北西隅。
この辺はまた空堀になってるなぁ。堀底はぬかるんでるので、雨降ったら
水溜まりができる感じか。

↓左京堀2

ここから南下していって城へ向かえそうだ。
↓西御門跡

入れた、思たら工事中やないかい

ボツにすべき写真だが、左端に小さく西御門跡の石碑が見えるので採用。
↓耳塚菓子店

耳塚という名前が気になって採用。
秀吉の朝鮮の役での耳塚は京都にあるが、羽柴秀長や郡山藩主に関する残忍な話は、ググって
も出てこなかった。

郡山高校生ご用達だったであろう売店だが、現在惜しまれつつも閉店してしまったらしい
(訪問は2022年10月)。あまりに城の中核に近すぎたのか。
