茨木市の諸城!!!~2/3 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

↓安威砦_遠望
安威砦_遠望
安威川を渡り、高速道路をくぐって耳原耳いうバス停からバスバス北上。安威で下車すぐ。

バックに見えてる山が、もう安威砦跡だ。

↓安威砦へ
安威砦へ
南東側より急坂を上がって行く。頂上の安威配水場へ向かう道だ。

↓安威砦
安威砦
天神山の山頂に築かれた砦で、標高89m比高40m。摂津国人・安威氏の詰城と伝わる。

車両は通行不可パーだが、この先は進んでいいものか、ためらわれる。

↓安威砦跡_説明
安威砦跡_説明

↓安威砦跡_地図
安威砦跡_地図

↓安威砦跡_空撮と縄張
安威砦跡_空撮と縄張
土塁で囲まれた三つの郭を、横堀が区切るという構造。夏場で草霧も伸びてそうだし、今回はここで引き返そう。

↓安威砦跡_石碑
安威砦跡_石碑

↓土塁状のもの
土塁状のもの

↓近くには安威川
近くには安威川
バス停まで戻ってきた。すぐ裏手には安威川が流れる。


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次は徒歩で南にある安威城跡(砦とは別物)を目指す。

↓安威城跡_遠望
安威城跡_遠望
46号線から見えてきた繁み霧。あれか。あれっぼいな。

↓安威城跡への道
安威城跡への道
近付くにつれ、幅が狭く入りくんだ道となる。
それらしき風情の家並みもある。

↓安威城跡
安威城跡
おお、あった。これかおねがい

↓安威城跡_説明
安威城跡_説明
安威氏は鎌倉地代カブト末期にはここに居た。
室町幕府の奉公衆であり、戦国時代には細川や三好に従った。

高山右近のあと秀吉猿に従った安威シモンは、キリシタン武将十字架だった。

↓安威城跡_石碑
安威城跡_石碑
裏手の竹藪霧には遺構も無いとの情報だったので、この夏場に入っていく気が起こらなかった。

↓太田茶臼山古墳か
太田茶臼山古墳か
バスを待つ間に東方面を撮ったカメラもの。
方角的には継体天皇陵か。

なお、この時くらいから、頭がクラクラしだしたショック。この日は暑く晴れ、軽い熱中症絶望にかかっていたのかもしれない。


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それでも茨木駅からレンタサイクル自転車し、城めぐりを強行。高瀬川通りをひたすら南下する。

↓水尾城跡_遠望
水尾城跡_遠望
ワオビックリマークでっかい木ぃ。全体像を収める為に、だいぶん後ずさった。

↓水尾城跡
水尾城跡
そして足元を見ると、ウワサの撮りづらい石碑が。

↓水尾城跡_石碑
水尾城跡_石碑
柵越しにしか絶対撮れんショボーン

水尾城は、応仁の乱で全焼メラメラした西方寺の跡地に、平尾孫左右衛門いう人が築いた。

平尾さんは美濃の斉藤妙椿(みょうちん)に仕えていたが、妙椿の元を離れ、この地に住み着いた。

時はくだり、平尾さん(子か孫?)は三好三人衆おじいちゃんおじいちゃんおじいちゃんに属し、松永久秀節分らと東大寺大仏殿でも戦ったナイフという。

もしかすると、大仏さん焼いた張本人かも!?

↓大きな楠の木
大きな楠の木
ぶっとビックリマークそら神が宿ってるかも、とか考えてまうわな。。

この大きさからして、戦国時代にはすでにあったと思うと感慨深いうーん

↓楠の木の節穴
楠の木の節穴
家康公が一時期、この中に隠れ、難を逃れたのと違うかぁはてなマーク知らんけど。

↓伯光神社
伯光神社

↓伯光神社_由緒
伯光神社_由緒
伯光神社は、住人が天保年間にお告げを受けた事に始まる。雨乞いお願いするため手作りの竜龍を木に掛けたという。

なお、水尾城についての記載は無かった。



つづく。。。