福井城!!!~1/3 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

今度は泉橋を渡って再び足羽川を渡り、福井市中心部へ戻る自転車

↓足羽川
足羽川
向こうに見える橋が、行きに渡った桜橋。

↓福井城外堀と土居_復元
福井城外堀と土居_復元
まず、福井城の北方600mの福井郷土歴史博物館へ。
福井城北側を守る外堀と土居の一部が、発掘調査に基づいて復元されているキラキラ

↓舎人門_復元
舎人門_復元
こちらが北外堀に設けられた門、舎人門(とねりもん)の復元。

屋根は越前赤瓦ハロウィンで葺かれている。また、門の左右の石垣は、福井城跡から発掘された石を使って再現されているようだ。

↓舎人門_内側より
舎人門_内側より
城内側より。高麗門形式で復元されているが、どのような門だったかは不明、との事。

↓季節はずれの紅葉
季節はずれの紅葉
季節は5月、なぜか紅葉もみじしている木があった。

調べると、ノムラモミジという品種で、紅葉しているのでは無くもともと赤いのだという。

↓松平春嶽像
松平春嶽像
郷土歴史博物館の表玄関前に、松平春嶽公の像があった。

幕末期のお殿様は、藩札の発行札束、明道館の開設学校などの藩政改革を行った。幕政にも参与し、井伊直弼とは折合い悪かったという。

↓北入口から見る北内堀
北入口から見る北内堀
ではでは、北口から城内へ乱入・・・は、まだしない。

↓北不明御門跡
北不明御門跡
一旦下がって北口を引きで見る。石垣で構築された通路だが、近代に造られたと思われる。

車道を通すため、北不明門跡(きたあかずもん)は破却されている。

↓ビルに映る本丸北石垣
ビルに映る本丸北石垣
北口から侵入せず、堀の外周を西へ移動する。

映りこむ天守、ならぬ石垣。

↓天守台
天守台
本丸の北西に、天守が建っていた。

↓泳ぐ亀
泳ぐ亀
多分ミシシッピアカミミガメカメ。器用に泳いでいやがった。

↓天守台石垣
天守台石垣
寄りで一枚。
ある程度加工してから積む、打込接(うちこみはぎ)布積みにて整然と積まれている。隅部は算木積みだ。

↓北西隅から見る天守台
北西隅から見る天守台
かつてはこの上に四層五階の天守が建っていた。今では後ろの福井県警パトカーのビルが目立つ。

↓西堀と廊下橋
西堀と廊下橋
北西から南方向の堀を見る。復元された御廊下橋が見えてきた。

↓福井神社の社標
福井神社の社標
廊下橋に行く前に、福井神社神社が目に付いた。
松平春嶽を主祭神として昭和18年創建された。

写真の社標は創建時のもので、福井地震で堀の中に倒壊・沈むこと35年。。

道頓堀川のカーネルサンダースサンタでも24年だから、長い。


↓御廊下橋
廊下橋
内堀西側に架かっていた橋で、平成20年に復元キラキラ。歴代の福井藩主が登城するための専用の橋だった。

↓ハト瓦?
鳩瓦?
鬼瓦には、ハトをあしらった珍しい・・・なんや、動いとるビックリマーク

↓廊下橋内部
廊下橋内部

↓廊下橋より見る西堀
廊下橋より見る西堀
藩主も見たであろう景色。

↓山里口御門と櫓門
山里口御門と櫓門
御廊下橋を渡ると、逆コの字に回らされ、写真左門から袋小路エリアに入った。いわゆる枡形門の形状。

この山里口御門は上部に櫓もあり、格子窓から狙われる事必定銃である。

↓山里口御門脇の雁木
山里口御門脇の雁木
有事の際、兵が一斉に駆け上がれるわ、こりや。。

↓山里口御門櫓_内部
山里口御門櫓_内部
平成29年復元。櫓内は見学無料。

↓門櫓より見る枡形部
門櫓より見る枡形部
櫓の窓より。
手前に先ほどの袋小路ゾーン、その向こうに御廊下橋の屋根、その奥の広場に藩主御座所(ござどころ)があったのだろう。

↓天守台石垣
天守台石垣
本丸内に突入。左手に早速天守台が。

はてなマーク石垣が孕んできてますな。妊娠5ヶ月ってとこか。

↓天守付近イラストマップ
天守付近イラストマップ
天守台と呼んでいるのは、本丸より一段高い割りと広いエリア・天守曲輪ともいうべきものの土台で、実際にはこの上にさらにモノホンの天守台と控え天守台がある。

↓福井城天守_説明
福井城天守_説明
1607年、結城秀康により築城。四層五階の壮大な姿キラキラも、1669年の大火メラメラで焼失してしまった。

絵図が残っており、再建が待たれる。


つづく。。。